控訴審も楽曲の翻案を否定しました。
これに対し,控訴人は,原告楽曲と被告楽曲のBPM(テンポ)がほぼ同
じである点は,両楽曲のいかなる相違点をも打ち消すほどに,同一性を示す
根拠となる旨主張する。
しかし,楽曲についての複製,翻案の判断に当たっては,楽曲を構成する\n諸要素のうち,まずは旋律の同一性・類似性を中心に考慮し,必要に応じて
リズム,テンポ等の他の要素の同一性・類似性をも総合的に考慮して判断す
べきものといえるから,原告楽曲と被告楽曲のテンポがほぼ同じであるから
といって,直ちに両楽曲の同一性が根拠づけられるものではない。そして,
上記で述べたとおり,両楽曲は,比較に当たっての中心的な要素となるべき
旋律において多くの相違が認められることから,被告楽曲から原告楽曲の表\n現上の特徴を直接感得することができるとは認め難いといえる。他方,両楽
曲のテンポが共通する点は,募集条件により曲の長さや歌詞等が指定されて
いたことによるものと理解し得ることから,楽曲の表現上の本質的な特徴を\n基礎づける要素に関わる共通点とはいえないのであって,上記判断を左右す
るものではない。
したがって,控訴人の上記主張は理由がない。
また,控訴人は,両楽曲が実質的に同一の楽曲であることは,両楽曲の歌
と伴奏をそれぞれ入れ替えたもの(甲32及び33)が聴感上違和感なく再
生できることから明らかであるとも主張するが,そのようなことが,両楽曲
の同一性を直ちに根拠づけるものでないことは明らかであるから,甲32及
び33によっても,上記判断が左右されるものではない。
その他にも控訴人は,原告楽曲と被告楽曲が実質的に同一の楽曲である旨
をるる主張するが,以上説示したところに照らし,いずれも採用することが
できない。
◆判決本文
◆原審はこちら。平成27(ワ)21850
判例百選について、編集著作物の著作者かが争われました。知財高裁は、著作者であるとした判断を破棄しました。第3部の判断です。
著作者とは著作物を創作する者をいい(法2条1項2号),著作物とは,
思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は\n音楽の範囲に属するものをいう(同項1号)。編集著作物とは,編集物
(データベースに該当するものを除く。)でその素材の選択又は配列に
よって創作性を有するものであるところ(法12条1項),著作物とし
て保護されるものである以上,その創作性については他の著作物の場合
と同様に理解される。
そうである以上,素材につき上記の意味での創作性のある選択及び配
列を行った者が編集著作物の著作者に当たることは当然である。
また,本件のように共同編集著作物の著作者の認定が問題となる場合,
例えば,素材の選択,配列は一定の編集方針に従って行われるものであ
るから,編集方針を決定することは,素材の選択,配列を行うことと密
接不可分の関係にあって素材の選択,配列の創作性に寄与するものとい
うことができる。そうである以上,編集方針を決定した者も,当該編集
著作物の著作者となり得るというべきである。
他方,編集に関するそれ以外の行為として,編集方針や素材の選択,
配列について相談を受け,意見を述べることや,他人の行った編集方針
の決定,素材の選択,配列を消極的に容認することは,いずれも直接創
作に携わる行為とはいい難いことから,これらの行為をしたにとどまる
者は当該編集著作物の著作者とはなり得ないというべきである。
イ もっとも,共同編集著作物の作成過程において行われたある者の行為が,
上記のいずれの場合に該当するかは,当該行為を行った者の当該共同編
集著作物の作成過程における地位や権限等を捨象した当該行為の客観的
ないし具体的な側面のみによっては判断し難い例があることは明らかで
ある。すなわち,行為そのものは同様のものであったとしても,これを
行った者の地位,権限や当該行為が行われた時期,状況等により当該行
為の意味ないし位置付けが異なることは,世上往々にして経験する事態
である。
そうである以上,創作性のあるもの,ないものを問わず複数の者によ
る様々な関与の下で共同編集著作物が作成された場合に,ある者の行為
につき著作者となり得る程度の創作性を認めることができるか否かは,
当該行為の具体的内容を踏まえるべきことは当然として,さらに,当該
行為者の当該著作物作成過程における地位,権限,当該行為のされた時
期,状況等に鑑みて理解,把握される当該行為の当該著作物作成過程に
おける意味ないし位置付けをも考慮して判断されるべきである。
これに対し,抗告人は,著作者性の判断に当たっては,当該行為が行
われた状況や立場といった背景事情を捨象し,もっぱら創作的表現のみ\nに着目して判断されなければならない旨主張するけれども,複数人の関
与の下に著作物が作成される場合の実情にそぐわないというべきであり,
この点に関する抗告人の主張は採用し得ない。
ウ 以上を踏まえ,前記認定事実に基づき,以下検討する。
・・・
エ このように,少なくとも本件著作物の編集に当たり中心的役割を果たし
たB教授,その編集過程で内容面につき意見を述べるにとどまらず,作
業の進め方等についても編集開始当初からE及びB教授にしばしば助言
等を与えることを通じて重要な役割を果たしたというべきA教授及び抗
告人担当者であるEとの間では,相手方につき,本件著作物の編集方針
及び内容を決定する実質的権限を与えず,又は著しく制限することを相
互に了解していた上,相手方も,抗告人から「編者」への就任を求めら
れ,これを受諾したものの,実質的には抗告人等のそのような意図を正
しく理解し,少なくとも表向きはこれに異議を唱えなかったことから,\nこの点については,相手方と,本件著作物の編集過程に関与した主要な
関係者との間に共通認識が形成されていたものといえる。しかも,相手
方が本件原案の作成作業には具体的に関与せず,本件原案の提示を受け
た後もおおむね受動的な関与にとどまり,また,具体的な意見等を述べ
て関与した場面でも,その内容は,仮に創作性を認め得るとしても必ず
しも高いとはいえない程度のものであったことに鑑みると,相手方とし
ても,上記共通認識を踏まえ,自らの関与を謙抑的な関与にとどめる考
えであったことがうかがわれる。
これらの事情を総合的に考慮すると,本件著作物の編集過程において,
相手方は,その「編者」の一人とされてはいたものの,実質的にはむし
ろアイデアの提供や助言を期待されるにとどまるいわばアドバイザーの
地位に置かれ,相手方自身もこれに沿った関与を行ったにとどまるもの
と理解するのが,本件著作物の編集過程全体の実態に適すると思われる。
(4) そうである以上,法14条による推定にもかかわらず,相手方をもって
本件著作物の著作者ということはできない。
◆判決本文
◆前審はこちら 平成28年(モ)第40004号
2016.07. 5
1審(水戸地裁)では、著作権侵害なしと判断されましたが、知財高裁は、本件電子データの作成および掲載が、複製権および公衆送信権侵害と認定しました。
原審の判決(平成27年(ワ)第24号)はアップされていません。
被控訴人は,仮に被控訴人の行為が著作権侵害に当たるとしても,被控訴
人は,本件ホームページ掲載行為は何ら制限されていなかったと認識してお
り,したがって,被控訴人に故意過失は認められない,また,フリーペーパ
ーという本件冊子の性格や,編集者としての被控訴人の立場,被控訴人は,
控訴人自身がプレスリリースした本件冊子と全く同一のものを電子データ化
して本件ホームページに掲載したにすぎないこと,被控訴人は,平成26年
11月に控訴人から著作権料を請求されるや,僅か1週間足らずの同月7日
に本件ホームページから本件電子データを削除していること等の事情からす
れば,侵害の程度は著しく小さく,被控訴人の行為に違法性はないと主張す
る。
しかし,被控訴人は,本件各写真が控訴人の著作物であることを知りつつ,
これを掲載した本件冊子を,その許諾の範囲を超えて,電子データ化した上,
インターネット上の本件ホームページに掲載したのであるから,控訴人が有
する本件各写真の著作権(複製権,公衆送信権)を侵害することについて,
少なくとも過失が認められる。
また,本件における被侵害利益(控訴人が有する本件各写真の著作権)や
侵害行為の態様(電子データ化して3か月弱インターネット上の本件ホーム
ページに掲載した)を考慮すれば,被控訴人が指摘する点を踏まえたとして
も,違法性がないとはいえないことは明らかである。
以上によれば,本件ホームページ掲載行為による著作権侵害について被控
訴人の過失及び行為の違法性が認められるというべきであり,これに反する
被控訴人の主張は理由がない。
◆判決本文
音楽著作物について、翻案ではないと判断されました。
上記事実関係によれば,原告楽曲と被告楽曲の旋律(上記(2)ウ)は,旋律
の上昇及び下降など多くの部分が相違しており,一部に共通する箇所がある
ものの相違部分に比べればわずかなものであって,被告楽曲において原告楽
曲の表現上の特徴を直接感得することができるとは認め難い。また,両楽曲\nは,全体の構成(同ア),歌詞の各音に対応する音符の長さ(同イ)及びテ\nンポ(同エ)がほぼ同一であり,沖縄民謡風のフレーズを含む点で共通する
が,これらは募集条件により歌詞,曲調,長さ,使用目的等が指定されてお
り(同オ),作曲に当たってこれに従ったことによるものと認められるから,
こうした部分の同一性ないし類似性から被告楽曲が原告楽曲の複製又は翻案
に当たると評価することはできない。
これに対し,原告は前記のとおり原告楽曲と被告楽曲は実質的に同一の楽
曲である旨るる主張するが,以上説示したところに照らし,いずれも採用す
ることができない。
(4)さらに,念のため,依拠性について検討すると,原告は,1)実質的に同一
の楽曲を依拠することなく作曲することは不可能であること,2)被告Yに短
期間で被告楽曲を独自に作曲する経験及び能力があるとは考えられないこと,\n3)電子メールの送信日時には改ざんの可能性があることから,被告Zを担当\n者とする被告SMEが被告Yと意思を通じ,原告楽曲に依拠して被告楽曲を
作曲したと主張する。
そこで判断するに,上記(3)のとおり両楽曲が実質的に同一であるとはいえ
ないから,原告の上記1)の主張は前提を欠く。また,上記2)の主張を基礎付
けるに足りる証拠はない。さらに,上記3)の主張については,証拠(乙1及
び2の各1,乙20)及び弁論の全趣旨によれば,原告及び被告Yがそれぞ
れ被告Zに対し楽曲の完成及びこれが収められたファイルの保存先を電子メ
ールにより伝えたのが,被告Yにおいては平成25年1月18日午前11時
10分,原告においては同日午前11時32分であると認められる一方,電
子メールの送信日時については,一般的ないし抽象的な改ざんの可能性があ\nるとしても,本件の関係各証拠上,被告らによる改ざんがあったことは何ら
うかがわれない。
(5) 以上によれば,被告楽曲が原告楽曲の複製又は翻案に当たるとはいえない
から,原告の著作権が侵害されたとは認められず,これを前提とする著作者
人格権の侵害も認められない。したがって,その余の点について判断するま
でもなく,原告の請求は全て理由がない。
◆判決本文
編集著作物の翻案が争われました。翻案であるとして仮処分を認めた決定を認可しました。対象は判例百選です。この事件も将来、判例百選に載るんでしょうね。
そこで,上記イの判断を前提に,本件において,債権者が本件著作物の編集
著作者であるとの推定を覆す事情が疎明されているか否かについて検討する。
前記1(4)で認定した事実によると,1)債権者は,執筆者について,特定の実務家
1名を削除するとともに新たに別の特定の実務家3名を選択することを独自に発案
してその旨の意見を述べ,これがそのまま採用されて,本件著作物に具現されてい
ること,2)本件著作物については,当初から債権者ら4名を編者として『著作権判
例百選[第4版]』を創作するとの共同の意思の下に編集作業が進められ,編集協
力者として関わったD教授の原案作成作業も,編者の納得を得られるものとするよ
うに行われ,本件原案については,債権者による修正があり得るという前提でその
意見が聴取,確認されたこと,3)このような経緯の下で,債権者は,編者としての
立場に基づき,本件原案やその修正案の内容について検討した上,最終的に,本件
編者会合に出席し,他の編者と共に,判例113件の選択・配列と執筆者113名
の割当てを項目立ても含めて決定,確定する行為をし,その後の修正についても,
メールで具体的な意見を述べ,編者が意見を出し合って判例及び執筆者を修正決定,
再確定していくやりとりに参画したことを指摘することができる。そして,執筆者
の執筆する解説は,本件著作物の素材をなしているところ,その執筆者の選定につ
いては,とりわけ実務家を含めると選択の幅が小さくないこと,債権者が推挙した
当該3名の人選について,誰が選択しても同じ人選になるようなものとはいえない
ことに照らせば,債権者による上記1)の素材の選択には創作性があるというべきで
ある。その上,上記3)の確定行為の対象となった判例,執筆者及び両者の組合せの
選択並びにこれらの配列には,もとより創作性のあるものが多く含まれているとこ
ろ,債権者が編者としての確定行為によりこれに関与したとみられるのである。そ
うすると,上記1)ないし3)を総合しただけでも(その余の債権者主張事実の有無に
ついて認定・判断するまでもなく),他の共同著作者の範囲はともかくとして,債
権者が本件著作物の編集著作者の一人であるとの評価を導き得るところ,本件にお
いて,前記イの推定を覆す事情が疎明されているということはできない。
したがって,債権者は,編集著作物たる本件著作物の著作者の一人であるという
べきである。
エ これに対し,債務者は,前記ウ1)に関し,(ア) 執筆者を推挙しただけでその
執筆者に判例を割り当てていない段階では,編集著作物の素材である解説の特定を
していないから,素材の原料の提案にすぎず,素材の選択には当たらない,(イ) 債
権者の推挙した上記3名は,東京地裁知財部の部総括判事,元知財高裁判事の弁護
士及び著作権分野で高い実績を有し第3版においても執筆者になっていた弁護士で
あるから,極めて「ありふれた」人選であって,創作性は全くない,(ウ) 仮に3名
の候補者を選択したのみで創作的な表現として著作権が生じるとすると,以後,同\n一の3名を選択することが複製に当たり著作権侵害となってしまう旨,前記ウ2)に
関し,(エ) 共同創作の「意思」があっても,何ら著作者性を基礎付ける事情とはな
らない旨,前記ウ3)に関し,(オ) 著作権法においては,自ら物理的に創作的表現を\n表出していない者は,著作者たり得ないところ,著作者の認定においては,あくま\nでそのような客観的な創作的表現行為の有無のみが問題となるのであり,「立場」\nや「肩書」は何の意味も持たないし,「最終的な確定権限を有する者」というよう
な行為者の権限を考慮することも許されない(当該権限を要件とするような解釈に
基づいて著作者の認定をすることは,同法2条1項2号,1号に反する。),(カ) 本
件編者会合における決定に参加したことは,他人が世に現出した表現について最終\n的に公表すべき表\\現であることを事後的に承認したにすぎず,本件著作物の作成に
創作的関与をしたとの評価にはつながらない,(キ) 本件編者会合後の修正について
は,債権者は他者のした提案を一部事後承認したにすぎず,上記(カ)と同様に,本件
著作物の作成に創作的関与をしたとの評価にはつながらない,(ク) 債権者の前記ウ
3)の行為を債権者が本件著作物の編集著作者の一人であることの根拠とすることは,
「それまで表現されたものとして存在しなかったものを初めてつくり出す行為」を\nしていない者を著作者とすることであるから,同法2条1項2号,1号の文理に反
するし,著作物が創作され公表されるまでの間に関与する多数の者(学術論文の査\n読者から果てはマスコット・キャラクターを採択する会議に至るまでありとあらゆ
る「確定者」)にいたずらに著作者の外延が拡大されてしまいかねない,(ケ) 債権
者の本件編者会合における承認及びその後の一部承認を創作的関与に含めて考える
ことは,智恵子抄事件最高裁判決に反する旨をそれぞれ主張した上,(コ) 本件著作
物の編集に関し,債権者は,極めて限定的な関与しかしていないから,債権者が本
件著作物の編集著作者の一人であるとの評価は導き得ない,(サ) 債権者の関与して
いない部分は,債権者の関与した箇所と分離して利用することができるから,同項
12号の共同著作物の要件(分離利用不可能性の要件)を満たさないなどと主張す\nる。
しかしながら,上記(ア)の点については,本件著作物において,執筆者の執筆する
解説が本件著作物の素材をなしていることは前記ウで説示したとおりであるところ,
本件著作物においてそのような解説を執筆する者を,いずれの判例を割り当てるか
とは独立に選定することは可能であり,その場合,執筆者を推挙した段階で,「当\n該執筆者がいずれかの判例について執筆する解説」が観念されるから,これが素材
の選択におよそ当たらないということはできない。また,いずれにせよ,判例と執
筆者の組合せが特定されていなかったからといって,本件著作物における「執筆者
の執筆する解説」という素材の選択に関して債権者が寄与したことが否定されるも
のではない。
上記(イ)の点については,本件著作物における解説の執筆者として,学者を選ぶか
実務家を選ぶか,実務家にしても裁判官にするか弁護士にするかについて,選択の
幅は大きく,裁判官や裁判官OBについても知財高裁・地裁知財部経験者の人数は
決して少なくないこと,現に第4版に関するそれまでの執筆者の案(本件原案のほ
か,A教授が列挙した候補者の案なども含む。)では当該3名が含まれていなかっ
たこと(前記1(4)ウないしカ),第3版や本件雑誌にもa判事とb弁護士は入って
いないこと(別紙「著作権判例百選判例変遷表」,甲2の3),B教授は,当初,\nb弁護士を執筆者として追加することに消極の意見を表明していたこと(前記1(4)
ク)などに照らすと,当該3名について,誰が選択しても同じ人選になるようなも
のとはいえず,「ありふれた」人選などということもできない。
上記(ウ)の点については,ここでの執筆者3名というのは,本件著作物の執筆者と
なった113名の中の一部であるところ,前記ウの判断は,当該3名を選択したの
みで直ちに創作的な表現として独立の編集著作権が生じるとするものではなく,あ\nくまでも本件著作物全体の表現(素材の選択及び配列)について創作性が認められ\nる場合に,これを構成する一部の創作への関与(換言すれば,債権者が関与した部\n分が上記創作性を有する表現を形成する一部をなしているか)を問題とするもので\nあるし,また,債権者の当該行為時点について見ても,執筆者110名から1名を
削除し3名を加えて112名とする場合の当該3名の選択が問題となっているので
ある。さらに,前記ウの判断は,必ずしも同1)の行為のみで編集著作者となり得る
と判断しているわけではなく,同1)ないし3)を総合して編集著作者となり得ると判
断しているのであって,債権者が,同3)の行為をしているほかに,自ら同1)の行為
もしていることを,全体として評価すべきところである。
上記(エ)の点については,前記ウ2)の事情は,同3)の債権者の行為の前提となるも
のであるから,同1)ないし3)があいまって全体として債権者の編集著作者性を基礎
付ける事情になるということができる。
上記(オ)の点については,本件のように共同編集著作物の著作者の認定が問題となる事案においては,編集著作物の完成に向けられた表現(素材の選択・配列)の創\n作に係る複数の者の一連の行為(一瞬の物理的な行為のみではない。)を全体とし
て観察し,そのような一連の編集過程への実質的な関与の有無やその位置付け等を
総合的に検討して,一定の規範的な評価をすることは,避けられないものと解され
る。そして,それ自体としては同じように見える行為についても,どのような状況
(コンテクスト)において,どのような立場(一貫して編集の主体とされ,内容に
ついて決定権や責任を有する者としての行為なのか,アドバイスを求められた外部
の第三者としての行為なのか,事務的な補助者としての行為なのか等々)でそれを
行ったのかということにより,その行為の社会的な意味合いや位置付けは異なり得
るのであって,そのことが事実認定及び法的評価にも影響するのは当然というべき
である。上記のような意味での行為者の立場を全く捨象して単純に裸の作為(「物
理的な」創作的表現表\\出行為)のみを取り出すことは,実態にそぐわない編集著作
者の認定をすることにつながりかねず,相当ではない。既に認定,説示したところ
からすれば,本件著作物の編集過程において,債権者が,素材の選択及び配列に関
する実質的な権限を有しそれに基づき実質的な関与をしたことは明らかであって,
単に名義を貸しただけとか,単に名目的な「肩書」のみを有して形だけ関わったと
いったケースとは明らかに異なる。なお,編集著作物の素材の選択・配列の確定に
関し行為者がどのような権限を有していたかという点も,編集著作者の認定に当たっ
て一つの事情となり得るものであって,これを考慮すること(もとよりこれを「要
件」とするものではない。)が許されないということはない。
上記(カ)ないし(ク)の点については,当該編集著作物の編集過程において,当該者自
身が当該創作的表現を「物理的にこの世に現出させる」独自の提案作成行為をしな\nかった場合においても,当初から当該者を含めた複数の者を編者として当該編集著
作物を創作するとの共同の意思の下に共同作業をしている他の者が先行して「物理
的にこの世に現出させる」提案をした部分について,当該者が,それを修正するこ
ともできたのに検討の上修正せずに,当該部分をそのとおり採用する決定に加わっ
たという行為は,創作への関与として一概に無視することはできない。前記1(4)
で認定した事実経過に照らすと,債権者は,本件著作物の編集過程に客観的・外形
的に関与しているのみならず,素材の選択及び配列について実質的な中身を思考し
これに基づき上記行為をしているとみられるものであって,前記ウ3)の債権者の行
為は,著作物の形成ないし創作性の形成への「客観的な事実行為としての実質的な
関与」に当たるということができる。本件著作物の「創作」については,本件著作
物の完成に向けた一連の編集過程が開始される前には「それまで表現されたものと\nして存在しなかったもの」を,同編集過程が完了し本件著作物が完成した時点で「初
めてつくり出す行為」であり,その「創作」の主体が債権者を含めた複数の者とな
るとみられるのであって,これが著作権法2条1項2号,1号の文理に反するとい
うことにはならない。また,既に認定,説示したところに従って,債権者の同3)の
行為を債権者が本件著作物の編集著作者の一人であることの根拠としたとしても,
著作物が創作され公表されるまでの間に関与する多数の者にいたずらに著作者の外\n延が拡大することにはならない(単に名前を貸して形式的に権威付けをしただけの
者や,債務者が例に挙げる「学術論文の査読者」等,もともと創作する側の主体と
は異なる立場から関与したり,表現内容の形成・変更の直接の決定権を有していな\nい者などは,共同著作者の一人とは認められない。)。「認定」ということの性質上,
個々の事案に合致した認定をして「共同編集著作者」の範囲を適切に画するほかは
ないし,かえって,常に「最も早く物理的に表出した者が誰か」のみに着目すると\nいうことでは,本件のような事案で実態にそぐわない結論を導いてしまいかねない。
上記(ケ)の点については,智恵子抄事件最高裁判決は,当該個別事案における認定
を示した事例判例であって,本件における債権者のような者を編集著作者と認めて
はならないとの判断を何ら含意しているものではないから,前記ウ3)に係る判断が
同最高裁判決に「反する」ということはない。
上記(コ)の点については,前記ウ1)の行為と,同2)を前提とした同3)の行為を総合
した場合に,債権者の関与が「極めて限定的」で編集著作者の一人との評価を導き
得ないものであるということはできない。
上記(サ)の点については,前記ウ3)の債権者の行為は,本件著作物全体に係ってい
るし,同1)の債権者による素材の選択も,前示のとおり,他の素材の選択及び組合
せとあいまって全体の編集著作物を構成しているものであるから,債権者の関与部\n分のみを分離して個別に利用することはできない。本件著作物は,著作権法2条1
項12号の「二人以上の者が共同して創作した著作物であって,その各人の寄与を
分離して個別的に利用することができないもの」に当たるというべきである。
以上によると,債務者の上記各主張によって,債権者が本件著作物の編集著作者
であるとの推定を覆すことはできない。
(2) 翻案該当性ないし直接感得性(争点2)について
ア 前記1(5),(6)で認定した事実によると,1)判例の選択については,本件著作
物の収録判例と本件雑誌の収録判例とで97件が一致しており(そのうち94件は
審級も含めて全く同一であり,3件は審級のみ異なり対象事件が同一である。),
割合的には,本件著作物の収録判例113件のうち約86%が本件雑誌にも維持さ
れ,かつ,当該一致部分が本件雑誌の収録判例116件のうち約84%を占めてい
ること,2)執筆者(執筆者の執筆する解説)の選択については,本件著作物におけ
る執筆者と本件雑誌における執筆者とで93名が一致しており,割合的には,本件
著作物の執筆者113名のうち約82%が本件雑誌にも維持され,かつ,当該一致
部分が本件雑誌の執筆者117名のうち約79%を占めていること,3)判例と執筆
者(執筆者の執筆する解説)の組合せの選択については,本件著作物における組合
せと本件雑誌における組合せとで83件が一致しており,割合的には,本件著作物
における判例と執筆者の組合せ113件のうち約73%が本件雑誌にも維持され,
かつ,当該一致部分が本件雑誌における判例と執筆者の組合せ117件のうち約7
1%を占めていること,4)判例及びその解説(以下,併せて「判例等」という。)
の配列については,本件著作物の判例等と本件雑誌の判例等とで合計83件の配列
(順序)が一致しており,割合的には,本件著作物の判例等113件のうち約73%
の判例等の配列(順序)が本件雑誌にも維持され,かつ,当該一致部分が本件雑誌
の判例等117件のうち約71%を占めていること,5)判例等の配列を位置付ける
項目立てについても,本件著作物の大項目及び小項目の立て方と本件雑誌の大項目
及び小項目の立て方とでその大半が一致していることを指摘することができる。そ
うすると,本件著作物と本件雑誌とで判例等の選択及び配列が全体として類似して
いることは明らかであって,本件著作物の判例等の選択・配列の大部分が本件雑誌
にも維持されていることが確認できるとともに,本件雑誌の判例等の選択・配列を
見たときに本件著作物のそれに由来する上記各一致部分の全部又は一部を優に感得
することができる。
そして,本件著作物及び本件雑誌に掲載される判例と執筆者の執筆する解説が編
集著作物たる本件著作物及び本件雑誌の素材であるところ,その表現(素材の選択\n又は配列)の選択の幅(個性を発揮する余地)を考えると,『判例百選』の性格上,
判例の選択や判例等の配列に係る選択の幅はある程度限られるものの,執筆者の選
択すなわち誰が執筆する解説を載せるかという選択の幅は決して小さくない上,ど
の判例の解説の執筆者として誰を選ぶかに係る選択の幅は極めて広いというべきで
ある。そうすると,上記1)ないし5)で指摘した,本件著作物と本件雑誌とで表現(素\n材の選択又は配列)上共通する部分には,創作性を有する表現部分が相当程度ある\nものということができる(なお,編集著作物における素材の選択及び配列に係る上
記各一致部分の組合せ全体に創作性を認めることもできると考えられる。)。
以上の事情を総合すれば,本件著作物と本件雑誌とで創作的表現が共通し同一性\nがある部分が相当程度認められる一方,本件雑誌が,新たに付加された創作的な表\n現部分により,本件著作物とは別個独立の著作物になっているとはいい難い。
このように検討したところによると,本件雑誌の表現からは,本件著作物の表\\現
上の本質的特徴を直接感得することができるというべきである。
イ そして,前記1で認定したとおり,本件雑誌が本件著作物の改訂版として作
成されているものであることなどに照らすと,編集著作物たる本件雑誌が本件著作
物に依拠して編集されたことは明らかである。
ウ 以上によれば,編集著作物たる本件雑誌を創作する行為は,本件著作物に依
拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表\\現に修正,
増減,変更等を加えて,新たに思想を創作的に表現することにより,これに接する\n者が本件著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を\n創作する行為,すなわち本件著作物の翻案に該当し,本件雑誌は本件著作物を原著
作物とする二次的著作物に該当する。
また,他人の著作物を素材として利用しても,その表現上の本質的な特徴を感得\nさせないような態様においてこれを利用する行為は,原著作物の同一性保持権を侵
害しないと解すべきであるが(最高裁平成6年(オ)第1028号同10年7月1
7日第二小法廷判決・判時1651号56頁等参照),本件雑誌における本件著作
物の利用は,このような同一性保持権侵害の要件をも満たすということができる。
(3) 本件著作物を本件原案の二次的著作物とする主張の当否(争点3)について
債務者は,本件著作物は本件原案を原著作物とする二次的著作物にすぎないとし
た上で,二次的著作物の著作権者が権利を主張できるのは新たに付加された創作的
部分に限られるところ,本件著作物において本件原案に新たに付加された創作的表\n現が本件雑誌において再製されているとは認められない旨主張する。
しかしながら,前記1で認定した事実に前記(1)で説示したところを総合すると,
本件原案は,最終的な編集著作物たる雑誌『著作権判例百選[第4版]』の完成に
向けた一連の編集過程の途中段階において準備的に作成された一覧表の一つであり,\nまさしく原案にすぎないものであって,その後編者により修正,確定等がされるこ
とを当然に予定していたもの(編者が検討するための叩き台,提案)であったこと\nは明らかであり,実際,本件原案作成後,その予定どおり,債権者を含む編者によ\nりその修正等がされ,最終的に編集著作物の素材の選択・配列が確定されて本件著
作物として完成されるに至ったものである。そうすると,本件においては,その完
成の段階で,債権者を共同著作者の一人に含む共同著作物が成立したとみるのが相
当である一方,途中の段階で本件原案が独立の編集著作物として成立したとみた上
で本件著作物について本件原案を原著作物とする二次的著作物にすぎないとするこ
とは相当ではない(なお,債務者は,最終作品の作成過程において準備的に作成さ
れたものが,第三者によりコピーされ,最終作品の完成後に無断でネット上で公開
されてしまった場合に,当該準備的に作成されたものも最終作品とは別個の著作物
としての保護を受けることを指摘する。しかし,そのような事例において,第三者
によるコピーの時点で,当該準備的に作成されたものがそれ自体著作物性を肯定し
得るものであったならば,それを著作物とする著作権又は著作者人格権の行使を第
三者との関係で肯認することができるとしても,本件のように,既に完成された最
終作品の翻案が問題となっているケースにおいて,当該最終作品を,同作品の完成
に向けて準備的に作成されていた原案の一つを原著作物とする二次的著作物にすぎ
ないとして,最終作品に基づく権利行使を制約することは,相当でないことに変わ
りはない。)。
したがって,債務者の上記主張は,その前提を欠き,採用することができない。
◆判決本文
著作権侵害を根拠に発信者情報開示が認められました。
このように,翻案に該当するためには,既存の著作物とこれに依拠して創作された著作物とを対比した場合に同一性を有する部分が,著作権法による保護の対象となる思想又は感情を創作的に表現したものであることが必要であるところ,「創作的」に表\現されたというためには,厳密な意味で独創性が発揮されたものであることは必要ではなく,筆者の個性が何らかの形で表れていれば足りるというべきである。そして,個性の表\れが認められるか否かについては,表現の選択の幅がある中で選択された表\現であるか否かを前提として,当該著作物における用語の選択,全体の構成の工夫,特徴的な言い回しの有無等の当該著作物の表\現形式,当該著作物が表現しようとする内容・目的に照らし,それに伴う表\現上の制約の有無や程度,当該表現方法が,同様の内容・目的を記述するため一般的に又は日常的に用いられる表\現であるか否か等の諸事情を総合して判断するのが相当である。
・・・
(3) また,本件記事2は,これまで台湾における「五術」に関わり,その際に不快な思いもしたものの,新たな試験ができたことで時代が変わり始めたなどと表現した文章であって,一つの文(文字数にして143文字)からなるものである。その表\現においては,用語の選択,全体の構成の工夫,特徴的な言い回しなどにおいて,一見して作者の個性が表\れていることは明らかである。これに対し,本件情報14ないし17は三つの文からなる文章であるが,このうち第1文は,やはり,台湾における「五術」に関わり,その際にあきれたこともあったものの,新たな制度ができたことで時代が変わったなどと表現した文章であって,文字数にして123文字からなるものであり,具体的表\現についてみても,本件情報14ないし17の第1文の表現は本件記事2の表\現と相当程度一致しており,その違いは,本件情報14及び15では31文字,本件情報16及び17では32文字でしかなく(別紙対比表2参照),「台湾における五術」,「江湖派理論」,「宗教による術数を利用した」「金儲けを目撃する度に」など,用語の選択,全体の構\成,文字の
配列,特徴的な言い回しにおいて酷似している。そして,その相違部分の内容をみても,本件記事2のうち「五術」の「学術発表にかかわって」という点を,本件情報14ないし17においては「五術」の「詐欺\発表にかかわって」に,「とても不愉快な文化の冒涜・歪曲」という点を「とても愉快な文化の笑い話・小話」に,「胸くそが悪かったのですが」という点を「呆れたのですが」に,「国家規模での認定試験」という点を「国家機関での検閲制度」に置き換えているにすぎない。\nしたがって,本件情報14ないし17は,本件記事2に依拠したうえで,同記事の内容を批判するか揶揄することを意図して上記異なる表現を用いたものといえるのであって,仮に上記相違部分について作成者の何らかの個性が表\れていて創作性が認められるとしても,他に異なる表現があり得るにもかかわらず,本件記事2と同一性を有する表\現が一定以上の分量にわたるものであって,本件記事2の表現の本質的な特徴を直接感得することができるものであるから,翻案権侵害に当たることが明らかであるというべきである。
(4) 以上のとおり,本件情報1ないし17は原告の翻案権を侵害することが明らかである。
また,そうである以上,本件情報1ないし17を本件ウェブサイトに発信する行為は,原告の公衆送信権を侵害するものであることも明らかというべきである。
◆判決本文
◆こちらが対象の表現です。