◆H15. 3.10 東京高裁 平成13(行ケ)140 特許権 行政訴訟事件
平成13年(行ケ)第140号 審決取消請求事件(平成15年2月24日口頭弁論終結)
判 決
原 告 極東産機株式会社
訴訟代理人弁護士 青 柳 ヤ 子
同 美 勢 克 彦
同 弁理士 役 昌 明
被 告 東海機器工業株式会社
訴訟代理人弁護士 内 藤 義 三
同 弁理士 佐 藤 強
訴訟復代理人弁護士 神 戸 正 雄
主 文
特許庁が平成11年審判第35162号事件について平成13年2月6日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文と同旨
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
被告は,名称を「畳のクセ取り縫着方法及び畳縫着機」とする特許第2535491号発明(平成5年5月11日出願,平成8年6月27日設定登録。以下「本件発明」といい,この特許を「本件特許」という。)の特許権者である。原告は,平成11年4月12日,被告を被請求人として,本件特許の無効審判を請求し,特許庁は,同請求を平成11年審判第35162号事件として審理した結果,平成13年2月6日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は,同年3月7日,原告に送達された。
2 本件発明の要旨(以下,【請求項1】【請求項2】に係る発明を「請求項1発明」「請求項2発明」という。)
【請求項1】数値制御により自動的にクセ取り運動をする畳縫着機(10)を用いて,畳台(4)上に締付けられている畳床(5)の下前側をクセ取り縫着する方法において,
上前側を切断縫着した畳床(5)を方向転換してその下前側を畳縫着機(10)に向けて畳台(4)上に載置した後,該畳床(5)の上前側に押付け力を付与して下前側を畳縫着機(10)に向けて移動するとき,該下前側の下前基準線(L)の位置を計算するために検出センサー53で確認した後,該下前基準線(L)から移動された畳床(5)の下前側における畳幅方向の離間隔(X0)を計算しその計算値になるように畳床(5)を押し付け,その後,前記畳床(5)を締付けてから数値制御により自動的にクセ取り縫着することを特徴とする畳のクセ取り縫着方法。
【請求項2】数値制御により自動的にクセ取り運動をする畳縫着機(10)と,該畳縫着機(10)の側方に配置されていて直線基準定規(20)および畳床締付け手段(6)を有する畳台(4)と,を備えているものにおいて,
前記畳台(4)に,上前側を切断縫着した畳床(5)を方向転換する方向転換手段(32)と,畳床(5)の上前側を押付けて畳床(5)の下前側を畳縫着機(10)に向けて押付ける畳床押込み手段(41)と,を備えているとともに,該畳床押込み手段(41)で押付けられた畳床(5)の下前側の下前基準線(L)の位置を計算するため確認する検出センサー(53)を備えていることを特徴とする畳縫着機。
3 審決の理由
審決は,別添審決謄本写し記載のとおり,請求人(原告)の主張,すなわち,本件特許出願の願書に添付した明細書(以下「本件明細書」という。)は,(1)発明の詳細な説明に当業者が容易にその実施をすることができる程度にその発明の目的,構成及び効果が記載されているということ(以下「実施可能要件」という。)ができないものとして特許法(平成6年法律第116号による改正前のもの。以下「旧法」という。)36条4項の規定に違反し,(2) 特許請求の範囲の記載が特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載した項に区分していないものとして同条5項の規定に違反し,(3) 同一の発明について複数の請求項の記載を認める同条6項の規定に違反するとの主張について,いずれも理由がないから本件特許を無効とすることはできないとした。
第3 原告主張の審決取消事由
1 審決は,本件明細書の記載について,実施可能要件が充足されているとの誤った判断をしているから(取消事由),違法として取り消されるべきである。
2 取消事由(実施可能要件違反)
(1) 本件明細書の特許請求の範囲【請求項1】には,「該下前側の下前基準線(L)の位置を計算するために検出センサー53で確認した後,該下前基準線(L)から移動された畳床(5)の下前側における畳幅方向の離間隔(X0)を計算しその計算値になるように畳床(5)を押し付け」の構成(以下「構成要件A」という。)が記載され,本件明細書の発明の詳細な説明には,「該下前側の下前基準線Lの位置を計算するために検出センサー53で確認した後,該下前基準線Lから移動された畳床(5)の下前側における畳幅方向の離間隔(X0)を計算しその計算値になるように畳床5を押付け」(【0005】),「このとき,下前基準線Lの位置を計算するため検出センサー53により確認した後,該下前基準線Lから押付けられた(移動された)畳床5の下前側における畳幅方向の離間隔X0を計算しその計算値になるように畳床5を畳床押込み手段41により押付ける」(【0008】),「このとき,該下前側の下前基準線Lの位置を計算するために近接スイッチ等の検出センサー53で確認し,該下前基準線Lから移動された畳床5の下前側における幅方向の離間隔X0を計算し,その計算値になるように押付けバー50を矢示H方向に移動して位置合せをし」(【0021】。以下「記載B」という。)と記載されている。
しかしながら,発明の詳細な説明の上記記載は,構成要件Aの内容を繰り返すものにすぎず,本件明細書には,他に構成要件Aに関する説明も実施例も記載されていないから,本件明細書の記載は,実施可能要件を充足しない。
(2) 審決は,「請求項1発明は,『目標位置』,『切断刃の切断開始位置』,『現在位置』という用語を規定するものではないが,位置決め制御が当然の前提とする目標位置,現在位置を考慮すれば構成要件Aの位置決め制御(位置決めの自動化)の移動中の畳床の目標位置は切断刃の切断開始位置と解することができ,また,構成要件Aは『離間隔X0を計算しその計算値となるように畳床(5)を押付け』としているのであるから移動中の畳床の現在位置は,計算された下前側における畳幅方向の離間隔(X0)の位置ということができる」(審決謄本6頁第2段落)と認定判断する。
しかしながら,本件明細書には,畳の位置決めについて,「現在位置」という概念は全く記載されておらず,このような明細書に記載のない概念を想定して構成要件Aを解釈することはできないから,「移動中の畳床の現在位置」が「計算された下前側における畳幅方向の離間隔(X0)の位置」であるとの審決の認定判断は誤りである。
(3) 審決は,記載Bの「該下前側の下前基準線Lの位置を計算するために近接スイッチ等の検出センサー53で確認し」との記載(以下「記載(イ)」という。)について,「移動中の畳床の下前基準線と検出センサーとの距離を確認することを意味し,同時に目標位置である切断刃の切断開始位置と下前基準線Lとの距離が確認されると解することができる。すなわち,下前基準線Lの位置を検出するには検出センサーを下前基準線Lから特定の距離(既知の距離)のところを検出できるように位置させ,この場合目標位置である切断刃の切断開始位置と検出センサーの位置との距離も当然既知であるから,この切断刃の切断開始位置と検出センサーの位置との距離から検出センサーと下前基線(注,下前基準線の誤記と認める。)Lとの距離を減算して算出できることは容易に理解できることである」(審決謄本6頁第3段落)と認定判断している。
しかしながら,本件明細書には,「検出センサー53で確認する対象」及び「検出センサー53」の位置と下前基準線との関係については全く説明されておらず,本件特許出願の願書に添付した図1及び図3(甲2。以下,単に「図1」などという。)の平面図に符号「53」で「検出センサー」が図示されているだけである。すなわち,記載(イ)について,検出センサー53が何をどのように検出するか,また,センサー53で確認する対象は何かについての記載はない
審決は,「検出センサーを下前基準線Lから特定の距離(既知の距離)のところを検出できるように位置させ,この場合目標位置である切断刃の切断開始位置と検出センサーの位置との距離も当然既知である」(審決謄本6頁第3段落)と認定するが,本件明細書には,畳床の位置決めを数値制御によって行うために必要な数値情報又はその基準となる位置関係については全く記載されていないから,審決の上記認定は,本件明細書の記載に基づいておらず,失当である。
(4) 審決は,記載Bの「該下前基準線(L)から移動された畳床(5)の下前側における畳幅方向の離間隔(X0)を計算し」との記載(以下「記載(ロ)」という。)について,「クセ取りのために設定された畳床の下前側における畳幅方向の離間隔(X0)は下前基準線を基準として設定されている(クセ取り量の態様によって下前側基準線に対し様々な位置となることは前示のとおりである。)のであるから,切断刃の切断開始位置に対し畳床の切断開始点である離間隔(X0)を位置決めするには記載(イ)で求めた切断刃の切断開始位置からの下前基準線の距離からさらに離間隔(X0)を加算・減算しなければならないことは当業者であれば容易に理解できることであり,前記(ロ)はこのことを意味していると解することができる」(審決謄本6頁第4段落)と認定し,さらに,記載Bの「その計算値(注,記載(ロ)で得られた計算値)になるように押付けバー50を矢示H方向に移動して位置合せをし」の記載(以下「記載(ハ)」という。)について,「記載(ロ)で得られた計算値(切断刃の切断開始位置と離間隔(X0)の現在位置との偏差量)に基づき畳床を移動させることを意味すると解することができる」(同頁第4段落〜7頁第1段落)と認定判断している。
しかしながら,記載(ロ)において,「該下前基準線(L)から移動された」と過去形で記載され,(イ)の時点で畳床の移動が開始され,(ロ)の時点では畳床の移動が完了し,既に設定されている離間隔(X0)を計算するという趣旨は不明である。また,下前基準線(L)は,畳の上前側から一定の距離にあるから,畳床と一体のものであって,下前基準線(L)から畳床が分離して移動することは考えられない。さらに,記載(イ)で切断刃の切断開始位置と下前基準線Lとの距離が算出できないことは上記のとおりであるから,記載(イ)で求めた切断刃の切断開始位置から下前基準線の距離について,更に離間隔(X0)を加算,減算することもできないし,また,記載(ロ)で得られた切断刃の切断開始位置と離間隔(X0)の現在位置との偏差量に基づき畳床を移動させることもできない。
(5) 審決は,「確かに,記載Bにはその記載から直接的に位置決め制御の内容を理解し難い部分も存在するが,しかし,構成要件Aの目的,当業者の技術常識,発明の詳細な説明の項の他の記載を参酌し,当該記載Bを解釈すれば前示のとおり当業者の理解の及ぶところというべきであるから,このことをもって,構成要件Aが発明の詳細な説明に当業者が実施できる程度に記載されていないとはいうことができない」(審決謄本7頁第2段落)とする。
しかしながら,記載Bは,構成要件Aを繰り返したものにすぎないから,これにより構成要件Aを当業者が容易に実施できる程度に記載されているとはいえず,本件明細書及び図面の全内容を参酌しても,構成要件Aの意義を理解することは不可能である。
(6) 審決は,請求項2発明について,「『畳床(5)の下前側の下前基準線(L)の位置を計算するため確認する検出センサー(53)』をその構成要件とするものであるが,その技術的意味は,前示のとおり,技術常識を参酌すれば当業者が容易に理解できる」(審決謄本7頁第4段落)と認定判断するが,審決は上記のとおり技術的意味の認定を誤っているから,これに基づく判断もまた誤りである。
第4 被告の反論
1 審決の認定判断は正当であり,原告主張の審決取消事由の主張は理由がない。
2 取消事由(実施可能要件違反)について
(1) 本件明細書の発明の詳細な説明には,ミシン本体の位置決めについて,切断開始位置Aの次の基準点Bが検出されると,この検出時点で基準点Bに対応するX軸方向の目標位置X1が与えられるとともに,第1の位置検出手段24により定規20を基準としたX軸方向の現在位置が与えられ,これによりX軸方向の目標位置と現在位置との差がなくなるようにモータ41を制御することが記載されており,このことから,ミシンの移動制御に関する現在位置とは,ミシン本体のY軸の各基準点が検出されるとその検出時点におけるX軸方向のミシン本体の位置を称していること,すなわち,目標位置,現在位置,偏差量(移動距離)は,同一時点におけるこれらの位置や距離を称していることが分かる。
そして,ミシン本体の位置決めと畳床の位置決めとで,その位置決め原理は同じであり,畳床の位置決め制御において,目標位置は切断開始位置,目標位置に位置決めする現在位置は畳床の離間隔の現在位置であるから,検出センサー53が検出動作をするとこの時点でセンサー53の位置から目標位置(切断開始位置)までの距離(目標値)Xbが分かり,同時にこの時点における畳床の離間隔X0の現在位置Xa(センサー位置からX0までの距離)が分かり,そして,偏差量として残りの距離Xd(X0から目標位置までの距離)が判明する。したがって,本件明細書は,畳床の位置決めについて,「現在位置」,「目標位置」という用語を使用していないけれども,当業者の技術常識と上記のようなミシン本体の移動制御とから,偏差量が目標位置から現在位置を減算して算出されるという基本に従って位置決めがされていることは,容易に理解することができる。
なお,請求項1発明の畳床の位置決めでは,Xa,Xb,Xcが既知であるから,これらを逐一測定したり,四則計算で求めたりするものではない。
(2) 図1には,ミシン本体の移動量を目標位置から現在位置を減算して算出するという数値制御を行うために,マイクロコンピュータ30に第1,第2の位置検出手段24,25の信号出力線を接続した構成が図示されているばかりでなく,畳床5を移動させる押付けバー50の位置を検出する検出センサー53の信号出力線も,マイクロコンピュータ30に接続した構成になっている。その上,モータ駆動回路もマイクロコンピュータ30に接続されたモータ駆動回路31一個しか図示されていないので,押付けバー50を移動させる正逆転モータ42も,このモータ駆動回路31を通じて駆動されると共にマイクロコンピュータ30によって制御される構成であることは,容易に判断することができる。このことから,当業者であれば,正逆転モータ42による押付けバー50の移動量制御も,ミシン本体12と同じく,移動量を目標位置から現在位置を減算して算出するという数値制御により行われていることは,容易に理解し得るものである。
(3) 原告は,記載(イ)について,検出センサー53が何をどのように検出するか,また,センサー53で確認する対象は何かについての記載はない旨主張する。しかしながら,記載(イ)の意義は,以下のように,「該下前基準線の位置を,計算によって求められた位置に移動するために,それに必要な位置を検出センサーで確認し」という意味であり,審決もその意味に理解している。
すなわち,まず,下前基準は,製造される畳の規格寸法に見合うように元々確定されているものであり,「下前基準線」とは,その位置を示す線であるから,上記「離間隔」と同様,製造に当たって入力されるものであって,それ自体は計算されるものではなく,計算方法もない。次に,近接スイッチ等の検出センサー53は,移動体がスイッチの位置まで十分接近又は到達したとき,これに応答して動作する検出装置であるから,その検出対象は当然に移動体であり,その移動体が押付けバー50又は畳床のいずれかであることは,明示的記載がなくても当業者にとって容易に理解することができる。そして,請求項1発明は,畳床の位置決め技術に関するものであるから,検出センサー53で確認するものは,畳床ないし押付けバーの現在位置であることも明白であり,下前側の下前基準線(L)の位置を計算するために畳床の現在位置が必要とされるのであるから,下前基準線Lの位置を畳床の現在位置とするのである。
そうすると,記載(イ)の意味は,下前基準線と検出センサーとの距離を確認したことを意味し,同時に,目標位置である切断刃の切断開始位置と下前基準線との距離が確認されるものと解することができる。そして,下前基準線の位置を検出するには,検出センサーを下前基準線から特定距離(既知の距離)を検出し得るように位置させ,この場合の目標位置である切断刃の切断開始位置及び検出センサーの位置との距離も当然既知であるから,その計算式が,切断刃の切断開始位置と検出センサーの位置との距離(Xb)から,検出センサーと下前基準線Lとの距離(Xa)を減算して算出し得ることは,容易に理解可能である。
(4) 記載(ロ)及び記載(ハ)の意義は,この部分を形式的に取り出すのではなく,前後の構成要件との関係において解釈されるべきものである。すなわち,前の構成である記載(イ)は,畳床ないしは押付けバーの現在位置を検出するものであり,後の構成である記載(ロ)及び記載(ハ)は,目標位置に位置決めされた畳床を締め付けるものであるから,これらの構成は,畳床の移動量を求めて移動させるものと解すべきである。
なぜならば,構成要件Aの「その計算値になるように畳床(5)を押し付け」との記載は明りょうであり,この記載により,これらの構成は,畳床の移動量を求めて現在位置から目標位置へ移動させるものであると解釈される。しかも,構成要件Aの「畳床(5)の下前側における畳幅方向の離間隔(X0)を計算し」の意義は,構成要件Aの中でそれに続く「その計算値になるように畳床(5)を押し付け」の記載から,「離間隔(X0)を考慮して移動距離を計算し」という意味に解すべきである。そして,「該下前基準線(L)から移動された」は,その次に続く「畳床」の修飾句であって,「該下前基準線(L)」は,「該」という語により,その前の「下前基準線(L)の位置」を指し,この「下前基準線(L)の位置」とは畳床の現在位置を意味するから,「該下前基準線(L)から移動された畳床」とは,「現在位置から移動された畳床」と解されるものである。そうすると,構成要件Aの「該下前基準線(L)から移動された畳床(5)の下前側における畳幅方向の離間隔(X0)を計算しその計算値になるように畳床(5)を押し付け」の意味は,「検出センサー(53)で検出した現在位置から移動される畳床(2)の離間隔(X0)を考慮して移動距離を計算し,該計算値になるように畳床(5)を押し付け」ということになる。
すなわち,クセ取りのために設定された畳床の下前側における畳幅方向の離間隔(X0)は下前基準線を基準として設定されているのであるから,構成要件Aの「該下前基準線(L)から移動された畳床(5)の下前側における畳幅方向の離間隔(X0)を計算し」については,切断刃の切断開始位置に対し畳床の切断開始点である離間隔(X0)を位置決めするには,前項の要件で求めた切断刃の切断開始位置ないし下前基準線の距離から,更に離間隔(X0)を加算,減算しなければならないことは,当業者にとって容易に理解し得ることである。さらに,構成要件Aの「その計算値になるように畳床(5)を押し付け」とは,このような計算で得られた計算値(切断刃の切断開始位置と離間隔(X0)の現在位置との偏差量)に基づき畳床を移動させることを意味すると解される。そして,この具体的計算例としては,(Xb−Xa)が検出センサー53により検出された畳床の下前基準線Lの現在位置であり,この現在位置に離間隔X0が加算されて,移動量が計算されることになる。
(5) 以上のとおり,請求項1発明の構成要件Aは,その目的,当業者の技術常識,本件明細書の発明の詳細な説明等を参酌して解釈すれば,当業者の理解し得るものであり,実施可能要件を充足している。
(6) 請求項2発明についても,「畳縫着機」という物の発明に関するもので,「畳床(5)の下前側の下前基準線(L)の位置を計算するため確認する検出センサー(53)」をその構成要件とするものであるが,その技術的意味は,技術常識を参酌すれば当業者が容易に理解し得るものであり,実施可能要件を充足する。
(7) 明細書の特許請求の範囲の解釈は,その記載自体のみならず,発明の詳細な説明,図面等を参酌し,当業者の技術常識を踏まえてされなければならない上,現行法の下においては,請求項の記載は,当業者が理解し得る程度に明りょうであればよく,明細書及びその図面全体の記載から,当該発明の1実施例でも実施可能な程度に開示されていれば,当該発明は実施可能要件を充足するというべきである。
第5 当裁判所の判断
1 取消事由(実施可能要件違反)について
(1) 請求項1発明の実施可能要件の充足性,すなわち,旧法36条4項の規定に従い,本件明細書(甲2)の特許請求の範囲【請求項1】に記載された構成要件Aが,発明の詳細な説明に,当業者が容易にその実施をすることができる程度にその目的,構成及び効果が記載されているかどうかについて判断するに,構成要件Aは,「該下前側の下前基準線(L)の位置を計算するために検出センサー53で確認した後,該下前基準線(L)から移動された畳床(5)の下前側における畳幅方向の離間隔(X0)を計算しその計算値になるように畳床(5)を押し付け」というものであり,この記載自体から,「下前側の下前基準線(L)の位置」をどのように計算するのか,「検出センサー53」で何を確認するのかを理解することはできない。また,下前基準線とは,畳の上前からの各基準における畳幅基準寸法の位置(下前基準点)を結んだ仮想の線であるから,「下前基準線(L)から移動された畳床(5)」の意味するところも不明である。さらに,離間隔とは,実測によって得られた数値であるから,「下前側における畳幅方向の離間隔(X0)を計算し」という意味も不明である。このように,構成要件Aは,その記載自体から意味を理解することはできない。
(2) 次に,本件明細書(甲2)の発明の詳細な説明の記載Bについて検討するに,記載Bは,記載(イ),記載(ロ)及び記載(ハ)から成るものであり,構成要件Aと対比すると,検出センサー53が近接スイッチ等と例示されている点,「畳床(5)を押し付け」を「押付けバー50を矢示H方向に移動して位置合せをし」としている点を除けば,構成要件Aと同様の内容である。なお,検出センサー53を近接スイッチ等と例示することにより,センサーが移動体を検出するものであることは理解可能となり,「畳床(5)を押し付け」が「畳床5を押付けバー50により矢示方向Hに移動させる」構成であることが明確になっているものの,構成要件Aに関する上記(1)の不明点が明らかとなるものではない。また,発明の詳細な説明には,「該下前側の下前基準線Lの位置を計算するために検出センサー53で確認した後,該下前基準線Lから移動された畳床5の下前側における畳幅方向の離間隔(X0)を計算しその計算値になるように畳床5を押付け」(【0005】),「このとき,下前基準線Lの位置を計算するため検出センサー53により確認した後,該下前基準線Lから押付けられた(移動された)畳床5の下前側における畳幅方向の離間隔X0を計算しその計算値になるように畳床5を畳床押込み手段41により押付ける」(【0008】)との記載があるが,これらも構成要件Aと同様の内容にすぎないから,これらの記載を参酌しても,構成要件Aの意味は明確ではない。
(3) さらに,請求項1発明における構成要件Aの意義を当業者の技術常識との関係において検討すると,本件明細書(甲2)の発明の詳細な説明には,以下の記載がある。
ア「【従来の技術】ミシン台を畳台に沿って走行自在に設けるとともに,切断刃及び縫着針等を有するミシン本体をミシン台に対して畳台と直交する方向に移動自在に設け,予め設定したクセ取り寸法に従って,ミシン台の走行とともにミシン本体を畳台と直交する方向に駆動し,数値制御方式によりミシン本体の走行に伴って畳台に締め付け固定した畳床を設定寸法に切断縫着する畳縫着機において,ミシン本体,走行レール及び畳台等に歪が発生しても,これを補正して設定寸法通りに切断縫着する畳縫着機は,例えば,特公昭62−38973号公報にて本件出願人が提案し,当業界において広く利用されている。」(【0002】)
イ「【発明が解決しようとする課題】しかし,前述公報で開示の技術にあっては,上前側を切断縫着(所謂平刺し)した後,下前側を切断縫着(所謂平刺し)するとき,人手によって畳床の方向転換をするとともに,下前基準線(下前切断位置)に人手によって下前側を合致していたため,省力化の点で課題があった。・・・そこで本発明は,上前側を切断縫着した後,下前側をクセ取り切断縫着する場合であっても,畳床の方向転換と位置決めを自動化することによって省力化を図ったことを目的とするものである。」(【0003】【0004】)
これらの記載に照らすと,請求項1発明は,その構成において構成要件A以外に従来の技術と異なるところはなく,構成要件Aを採用することにより,上前側を切断縫着した後,下前側をクセ取り切断縫着する場合に,畳床の方向転換と位置決めを自動化して省力化を図ることを目的とするものであると認められる。そうすると,請求項1発明が特許されたのは,構成要件Aが,従来の畳縫着機にない新規な構成であり,かつ,当業者が容易に想到することができないことによると解される。このように,構成要件Aが請求項1発明の進歩性を基礎付ける本質的な構成である以上,本件明細書の発明の詳細な説明において,その実施を可能とすべき記載がない限り,当業者が容易にこれを実施することは不可能なはずであり,逆に,このような記載がないにもかかわらず,当業者の技術常識を参酌することのみにより構成要件Aの容易な実施が可能となるならば,請求項1発明の進歩性は否定されざるを得ないこととなる。
(4) 審決は,構成要件Aについて,発明の詳細な説明において実施可能に記載されていると判断するが,その理由は,概要,記載Bには,その記載自体から位置決め制御の内容を理解し難い部分が存在するものの,畳床の位置決め制御に係る技術常識から,「現在位置」及び「目標位置」の用語を用いることにより,畳床の位置決め制御の内容として理解可能であるとしたものである。
しかしながら,上記のとおり,審決自身,記載Bにはその記載自体から位置決め制御の内容を理解し難い部分が存在することを認めている上,記載Bの規定する畳床の位置決め制御の内容が当業者の技術常識により理解可能であるならば,構成要件Aも,当業者にとって技術常識により理解することが可能ということになり,構成要件Aが容易に想到し得ない新規な構成であるという本件明細書の上記(3)の記載と矛盾するものであって,構成要件Aが当業者にとって容易に想到し得ると認めることはできず,本件全証拠によっても,当業者が技術常識に基づいて構成要件Aを容易に実施することができるものと認めるに足りない。
審決は,上記のとおり,「現在位置」及び「目標位置」の用語を用いることにより,記載Bの内容が畳床の位置決め制御の内容として理解可能であると判断したものである。しかしながら,これらの用語が当業者にとって技術常識であっても,このことから直ちに,これらの用語を用いて構成要件Aに規定する特定の位置決めの方法を実施することが,当業者にとって容易であるということはできない。審決の判断するように,これらの用語を用いることにより請求項1発明を実施することが理論的には可能であるとしても,実際に本件明細書に接した当業者がその記載によって請求項1発明を容易に実施することが可能であるということは,本件において立証責任を負担する被告が証拠により証明することを要するのであって,これを証明する確たる証拠の提出されていない本件において,この点に係る審決の判断は是認し得ないというほかはない。
(5) 被告は,記載Bを構成する記載(イ),記載(ロ)及び記載(ハ)について,いずれも理解可能であるとする審決の認定判断に誤りはない旨主張するので,この点について判断する。
ア 記載(イ)について
審決は,記載(イ)について,「移動中の畳床の下前基準線と検出センサーとの距離を確認することを意味し,同時に目標位置である切断刃の切断開始位置と下前基準線Lとの距離が確認されると解することができる。すなわち,下前基準線Lの位置を検出するには検出センサーを下前基準線Lから特定の距離(既知の距離)のところを検出できるように位置させ,この場合目標位置である切断刃の切断開始位置と検出センサーの位置との距離も当然既知であるから,この切断刃の切断開始位置と検出センサーの位置との距離から検出センサーと下前基線Lとの距離を減算して算出できることは容易に理解できることである」(審決謄本6頁第3段落)と認定判断している。
しかしながら,本件明細書には,「検出センサー53で確認する対象」及び「検出センサー53」の位置と下前基準線との関係については何ら説明するところがなく,図1及び図3の平面図に符号「53」で「検出センサー」が図示されているにとどまるから,本件明細書の記載に接した当業者が,この記載のみから,検出センサーを下前基準線Lから特定の距離を検出し得るように位置させ,目標位置である切断刃の切断開始位置と検出センサーの位置との距離から,検出センサーと下前基準線Lとの距離を減算して,下前基準線Lの位置を検出するとの技術事項に想到することが容易であるとはいえない。
この点について,審決は,「検出センサーを下前基準線Lから特定の距離(既知の距離)のところを検出できるように位置させ,この場合目標位置である切断刃の切断開始位置と検出センサーの位置との距離も当然既知である」(審決謄本6頁第3段落)と認定するが,本件明細書には,畳床の位置決めを数値制御によって行うために必要な数値情報又はその基準となる位置関係については全く記載されておらず,これらについて本件明細書の明示の記載なしに当業者が技術常識により容易に想到し得るといえないことは上記のとおりであるから,審決の上記認定は失当である。
イ 記載(ロ)及び記載(ハ)について
審決は,記載(ロ)について,「クセ取りのために設定された畳床の下前側における畳幅方向の離間隔(X0)は下前基準線を基準として設定されている(クセ取り量の態様によって下前側基準線に対し様々な位置となることは前示のとおりである。)のであるから,切断刃の切断開始位置に対し畳床の切断開始点である離間隔(X0)を位置決めするには記載(イ)で求めた切断刃の切断開始位置からの下前基準線の距離からさらに離間隔(X0)を加算・減算しなければならないことは当業者であれば容易に理解できることであり,前記(ロ)(注,記載(ロ))はこのことを意味していると解することができる」(審決謄本6頁第4段落)とし,さらに,記載(ハ)について,「記載(ロ)で得られた計算値(切断刃の切断開始位置と離間隔(X0)の現在位置との偏差量)に基づき畳床を移動させることを意味すると解することができる」(同頁第4段落〜7頁第1段落)と認定判断している。
しかしながら,畳床の移動が完了した(ロ)の時点で離間隔(X0)を計算するという趣旨は不明であるし,下前基準線(L)は,畳の上前側から一定の距離にあるから,畳床と一体のものであって,下前基準線(L)から畳床が分離して移動することは考えられない。さらに,記載(イ)で切断刃の切断開始位置と下前基準線Lとの距離を算出する方法は,当業者にとって容易に想到することができないから,記載(イ)で求めた上記距離から更に離間隔(X0)を加算,減算することもできないし,また,記載(ロ)で得られた切断刃の切断開始位置と離間隔(X0)の現在位置との偏差量に基づき,畳床を移動させることもできない。
ウ したがって,記載Bを構成する,記載(イ),記載(ロ)及び記載(ハ)についていずれも理解可能であり,構成要件Aが容易に実施可能であるとする審決の認定判断は失当というほかなく,被告の主張は採用することができない。
(6) 被告は,明細書の特許請求の範囲の解釈は,その記載自体のみならず,発明の詳細な説明,図面等を参酌し,当業者の技術常識を踏まえてされなければならない上,現行法の下においては,請求項の記載は,当業者が理解し得る程度に明りょうであればよく,明細書及びその図面全体の記載から,当該発明の1実施例でも実施可能な程度に開示されていれば,当該発明は実施可能要件を充足するというべきであると主張する。
確かに,特許法70条1項は,特許発明の技術的範囲は願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならないことを規定し,同条2項は,その場合において明細書の特許請求の範囲以外の部分の記載及び図面を考慮して,特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈するものと規定しており,このように,特許請求の範囲の記載自体が明りょうでない場合でも,明細書の特許請求の範囲以外の部分の記載及び図面を考慮することにより特許発明の技術的範囲を明らかにすることが可能であれば,当該明細書の特許請求の範囲の記載が明りょうであるとして旧法36条5項に規定する明細書の記載要件を充足するとされることは,一般にあり得ることである。
しかしながら,本件において問題となるのは,本件明細書の発明の詳細な説明の記載が旧法36条4項に規定する実施可能要件を充足するかどうかであって,本件明細書の特許請求の範囲の記載に係る同条5項の要件の充足性ではない。仮に,被告の主張するように,明細書の特許請求の範囲以外の部分の記載及び図面を参酌することにより特許発明の技術的範囲を明らかにすることが可能であるとしても,このことと,当該明細書に記載した特許発明が当業者にとって容易に実施をすることが可能な程度に発明の詳細な説明に記載されているかどうかということは,次元の異なる問題である。明細書の特許請求の範囲以外の部分の記載及び図面を参酌することにより,請求項1発明の内容を解釈することが可能であるとしても,なお,本件明細書の発明の詳細な説明の記載が十分でないため,当業者にとって容易にその実施をすることができない以上,明細書の記載が実施可能要件を充足しておらず,請求項1発明に係る特許が旧法36条4項に規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたものとして,同法123条1項4号所定の無効理由を有することは,当然のことである。
(7) 本件明細書の記載についてみると,上記のとおり,構成要件Aは,その記載自体から意味を理解することができず,記載Bなど,本件明細書の発明の詳細な説明及びその図面を参酌しても,これらの記載自体から意味を理解することができない。審決は,上記のとおり,「現在位置」及び「目標位置」という二つの用語を用いることで,請求項1発明の内容を合理的に理解し得ると判断するが,当業者が特許発明の内容を理解し得るからといって,これが容易に実施可能であるということはできない。審決の判断するように,請求項1発明の内容を合理的に理解し得るとしても,これが容易に実施可能であるというためには,単にこれらの用語が当業者にとって技術常識であるだけでは足りず,これらの用語を用いることにより請求項1発明を実施することが当業者にとって容易であることが証拠により立証されて,初めて本件明細書の記載が実施可能要件を充足するところ,これを認定するに足りる確たる証拠がないことは,いずれも上記のとおりであるから,本件明細書の記載が実施可能要件を充足するということはできず,この点に係る被告の主張は失当である。
(8) 請求項2発明は,「畳縫着機」という物の発明であるが,「畳床(5)の下前側の下前基準線(L)の位置を計算するため確認する検出センサー(53)」という,請求項1発明の構成要件Aと同様の構成を有するから,請求項1発明と同様,実施可能要件が充足されていると認めることはできない。
2 そうすると,審決は,本件明細書の記載が実施可能要件を充足するとの誤った判断をしたものであり,この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから,原告主張の審決取消事由は理由があり,審決は取消しを免れない。
よって,原告の請求は理由があるからこれを認容することとし,主文のとおり判決する。
東京高等裁判所第13民事部
裁判長裁判官 篠 原 勝 美
裁判官 岡 本 岳
裁判官 長 沢 幸 男