◆H15. 3.13 東京高裁 平成13(行ケ)346 特許権 行政訴訟事件
平成13年(行ケ)第346号 審決取消請求事件
平成15年2月27日口頭弁論終結
判 決
原 告 津田駒工業株式会社
訴訟代理人弁理士 松 田 忠 秋
被 告 特許庁長官 太 田 信一郎
指定代理人 杉 原 進
同 村 本 佳 史
同 大 橋 良 三
同 大 野 克 人
同 涌 井 幸 一
主 文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
特許庁が平成11年審判第9147号事件について平成13年6月19日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文と同旨
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は,平成3年9月18日,発明の名称を「織機の再起動方法と,再起動準備方法(後に,「織機の再起動準備方法と,それを使用する織機の再起動方法」に補正された。)とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(平成3年特許願第237787号。以下「本願出願」という。)をし,平成11年4月26日拒絶査定を受けたので,同年6月2日,これに対する不服の審判を請求した。特許庁は,これを平成11年審判第9147号事件として審理し,その結果,平成13年6月19日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,同年7月8日,その謄本を原告に送達した。
2 特許請求の範囲(別紙図面参照)
「【請求項1】織機停止信号により,緯入れを阻止しながら制動停止した織機を再起動するに際し,筬が所定の筬打ち角以上となるようなクランク角に織機を停止し,開口装置を主軸から切り離し,主軸の1回転相当だけ開口装置を逆転し,開口装置を主軸に連結することを特徴とする織機の再起動準備方法。
【請求項2】請求項1記載の織機の再起動準備方法を実行した上,経糸が開口するクランク角に主軸を回転し,1ピック緯入れして織機を再起動することを特徴とする織機の再起動方法。」
3 審決の理由
別紙審決書の写しのとおりである。要するに,本願出願は,その願書に添付した明細書(以下「本願明細書」という。)の特許請求の範囲の記載が,平成2年法律第30号による改正後の特許法(平成6年法律第116号による改正前の特許法。以下「旧特許法」という。)36条5項及び6項に規定する要件を満たしていないから,拒絶すべきである,というものである(判決注・本願出願は,平成3年9月18日の出願であるので,旧特許法が適用される。)。
第3 原告主張の審決取消事由の要点
審決は,本願明細書の特許請求の範囲の【請求項1】にいう「所定の筬打ち角」との用語の意味は不明であるから,本願明細書の特許請求の範囲には,特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみが記載されているものとはいえず,本願明細書は,旧特許法36条5項及び6項に規定する要件を満たしていない,と判断した。しかし,審決のこの判断は誤りであり,この誤りが結論に影響することは明らかであるから,審決は,違法なものとして取消しを免れない。
1 特許発明の要旨認定について
審決は,「特許請求の範囲の記載は,それ自体で発明の構成が明確に把握されるようになされているものでなければならない。」(審決書3頁第5段落)と判断し,これを前提にその結論を導いている。しかし,特許請求の範囲の記載の技術的意味が,それ自体では不明確であったとしても,発明の詳細な説明の記載を参酌して明確になる場合には,出願に係る発明の要旨の確定には何ら支障がないのであるから,このような特許請求の範囲の記載も,旧特許法36条5項及び6項に規定する要件を満たしているというべきである。このことは,最高裁平成3年3月8日判決(民集45巻3号123頁)からも明らかである。
特許法施行規則第24条様式29備考7,8は,明細書に用いる用語に関し,「技術用語は,学術用語を用いる。」,「用語は,その有する普通の意味で使用し,かつ,明細書全体を通じて統一して使用する。ただし,特定の意味で使用しようとする場合において,その意味を定義して使用するときは,この限りでない。」と規定している。したがって,特許請求の範囲に使用されている用語は,その有する技術的意味が明確である場合でも,その用語の有する普通の意味に解釈されるのが原則であるとはいえ,その意味が発明の詳細な説明において定義されている場合には,その用語の有する普通の意味に従うのではなく,その定義の方に従うことになる。まして,本願出願のように,特許請求の範囲の記載中の用語の技術的意義が明確でないときであれば,発明の詳細な説明中の定義を参酌すべきは,当然のことというべきである。
2 本願明細書の記載について
(1) 本願明細書の【請求項1】で用いられている「所定の筬打ち角」との用語は,それ自体では技術的な意味が不明である。しかしながら,本願明細書の【発明の詳細な説明】には,「筬打ち角(筬が織前から最も後方側に離れる位置を基準にして計測する筬の織前側への駆動角度をいう,以下同じ)」(甲第3号証【0006】)との定義があり,「所定の筬打ち角」についても,「所定の筬打ち角とは,スレイ上に搭載するサブノズルまたはエアガイドが経糸開口から抜け出るときの筬打ち角をいう。」(甲第5号証【0010】)と記載され,この用語の意味が明確に定義されている。また,「所定の筬打ち角」の技術的意義は,本願明細書の【発明の詳細な説明】の段落【0028】ないし【0033】においても,実施例の説明として詳細に説明されている。このように,本願発明の要旨は,【発明の詳細な説明】中の定義及び説明を参酌することにより,明確に把握し,確定することができるのであるから,本願明細書は,旧特許法36条5項及び6項に規定する要件を満たしている,というべきである。
審決は,「特許請求の範囲の記載は,それ自体で発明の構成が明確に把握されるようになされているものでなければならない。」(審決書3頁第5段落)ことを前提として,本願明細書の特許請求の範囲の記載を旧特許法36条5項及び6項に規定する要件を満たしていないと判断したものであり,その判断が誤りであることは明らかである。
(2) 審決は,
「請求項1は,次のように記載するべきものであり,このように記載することを妨げる特段の事情もない。
「【請求項1】織機停止信号により,緯入れを阻止しながら制動停止した織機を再起動するに際し,筬が,スレイ上に搭載するサブノズルまたはエアガイドが経糸開口から抜け出るときの筬打ち角以上となるようなクランク角に織機を停止し,開口装置を主軸から切り離し,主軸の1回転相当だけ開口装置を逆転し,開口装置を主軸に連結することを特徴とする織機の再起動準備方法。」」(審決書5頁第1,第2段落)と判断したが,この判断も誤りである。
審決が提示した上記請求項1の文章は,織機を停止する「クランク角」を規定するために,「筬が,」と,「スレイ上に搭載するサブノズルまたはエアガイドが」として,「筬」及び「スレイ上に搭載するサブノズルまたはエアガイド」を主語とする2重の複文を修飾文として使用している結果,全体の文章構造が複雑で難解である上,主語の「筬が,」に続いて長文の挿入文が存在するために,「筬が,」に対応する述語を明確に特定することができず,到底受け入れられるものではない。また,審決が提示した上記の【請求項1】の「サブノズルまたはエアガイド」との記載からすれば,あたかも【請求項1】には二つの発明が包含されているように見え,不要な異議申立や無効事件を招来するおそれがあるのである。そもそも,特許請求の範囲の記載は,出願人が自らの意思で表現するものであって,このような【請求項1】の記載を審決において示すこと自体,法律上の根拠がない越権行為である。
第4 被告の反論の骨子
発明について出願がされ,その発明が特許を受けたときには,その特許発明の技術的範囲が明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて定められるものとされている(特許法70条1項)ことに鑑みれば,当該出願に係る明細書(及び必要な図面)は,技術文献としての性格や使命のみでなく権利書としてのそれをも有するものというべきである。そうである以上,その特許請求の範囲の記載が,それ自体でそこにいう発明の構成が明確に把握されるようになされていなければならないのは,当然のことである。そして,このことは,特許請求の範囲の記載が旧特許法36条5項及び6項に規定された要件を満たすことによって担保されるものである。本願出願についていえば,【請求項1】で用いられている「所定の筬打ち角」との用語の意味は不明であるから,本願明細書の特許請求の範囲においては,特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみが記載されているものということはできず,本願明細書は,旧特許法36条5項及び6項に規定する要件を満たしていないことになるのである。
旧特許法36条5項は,特許請求の範囲の記載要件として,「特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載した項(・・・)に区分してあること。」を挙げており,同法は,明細書の特許請求の範囲が,この要件に適合することを求めているのである。特許出願の審査・審判においては,明細書の特許請求の範囲において,「特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみ」が記載されているか否かを判断する必要がある。また,特許を受けようとする発明は,発明の詳細な説明に記載されたものであることを要する。本願発明の場合,本願明細書の【発明の詳細な説明】によれば,そこに定義して用いられている「所定の筬打ち角」を要件とするものが,特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項であると把握することができるのであるから,これを特許請求の範囲に盛り込むべきであり,審決が,これを具体的な【請求項1】の記載として例示し,このように記載すべきとしたことに何の誤りもない。
第5 当裁判所の判断
1 本願明細書の記載と手続の経緯及び審決の判断について
(1) 本願明細書の特許請求の範囲の【請求項1】中に,「所定の筬打ち角」との記載があり,【請求項1】の記載自体では,「所定の筬打ち角」の技術的意味が不明であり,その内容を確定できないこと,及び,本願明細書の【発明の詳細な説明】中に,「筬打ち角」及び「所定の筬打ち角」について説明し,定義をしている部分があり,この【発明の詳細な説明】を参照すれば,【請求項1】中の「所定の筬打ち角」の技術的意味が明らかになることは,争いがない。すなわち,本願明細書の【発明の詳細な説明】中には,「筬打ち角(筬が織前から最も後方側に離れる位置を基準にして計測する筬の織前側への駆動角度をいう,以下同じ)」(甲第3号証【0006】),及び,「所定の筬打ち角とは,スレイ上に搭載するサブノズルまたはエアガイドが経糸開口から抜け出るときの筬打ち角をいう。」(甲第5号証【0010】)との記載があり,これらの記載は,「筬打ち角」及び「所定の筬打ち角」の内容を説明し定義したものと認められる。また,本願明細書の段落【0028】ないし【0033】には,本願発明の実施例についての説明があり,「所定の筬打ち角」を上記のとおりに解して,サブノズルSNやエアガイドGDが経糸開口から抜け出ると,経糸WpがサブノズルSNやエアガイドGDに掛かり,損傷するおそれがないことが,実施例として説明されている。「所定の筬打ち角」についての上記定義の技術的意味は,この説明も参照することにより,より明確に理解することができるものである。
(2) 原告は,本件の審判手続において,平成13年1月9日付けで「請求項1に係る発明及びこれを引用する請求項2に係る発明における「所定の筬打ち角」なる用語は意味不明である。」との拒絶理由通知を受け,同年2月27日付け手続補正書により,本願明細書の内容を補正し,従来,【発明の詳細な説明】中の【0011】【作用】の欄にあった「所定の筬打ち角とは,スレイ上に搭載するサブノズルまたはエアガイドが経糸開口から抜け出るときの筬打ち角をいう。」との記載を削除し,【課題を解決するための手段】【0010】の欄に,同文を加えたものである(甲第3,第5,第6号証)。
(3) 審決は,次のとおり述べ,本願明細書は,旧特許法36条5項及び6項に規定する要件を満たしていない,と判断した。
「特許発明の技術的範囲が明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて定められるものとされている(特許法第70条第1項)ことに鑑みれば,当該出願に係る明細書(及び必要な図面)は,技術文献としての性格や使命のみでなく権利書としてのそれをも有するものであるから,その特許請求の範囲の記載は,それ自体で発明の構成が明確に把握されるようになされているものでなければならない。」(審決書3頁第5段落)
「「所定の筬打ち角」なる用語の意味は,次の(i)〜(iii)の理由により,前記補正をされた明細書の記載によっても依然として不明である。
(i)「所定」とは,一般に,定まっていることないし定めてあることを意味するが,明細書の特許請求の範囲の請求項1の記載においては,「筬打ち角」をどのようにするかは何ら定まっても定められてもいないばかりでなく,同請求項1の記載から「所定の筬打ち角」の角度又は筬の位置ないし筬打ちの状態が当業者に自明のものとして知られるものであるともいえないこと。
(ii)仮に明細書の発明の詳細な説明又は添付図面の記載中のいずれかの所で「所定の筬打ち角」なる用語の意味が定められているとしても,明細書の特許請求の範囲の請求項1にはそれに従う旨の記載(例えば,「発明の詳細な説明で定義する『所定の筬打ち角』」等の文言の記載)がないこと。
(iii)明細書の特許請求の範囲の請求項1の記載の末尾等において「所定の筬打ち角」なる用語について改めて定義されているわけでもないこと。」(審決書4頁第1〜第4段落)
「「スレイ上に搭載するサブノズルまたはエアガイドが経糸開口から抜け出るときの筬打ち角」との事項(以下「事項A」という。)は,織機をクランク角のどの位置で停止させるかを決定するところの,特許を受けようとする発明を構成する事項のうちの最も特徴的な部分であると認められるから,事項Aを特許請求の範囲に記載しなければ,当該発明は意味をなさないものである。」(審決書4頁第6段落)
「事項Aは,特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項の一つであるというべきであるから,本願明細書の特許請求の範囲の請求項1は,次のように記載するべきものであり,このように記載することを妨げる特段の事情もない。
「【請求項1】織機停止信号により,緯入れを阻止しながら制動停止した織機を再起動するに際し,筬が,スレイ上に搭載するサブノズルまたはエアガイドが経糸開口から抜け出るときの筬打ち角以上となるようなクランク角に織機を停止し,開口装置を主軸から切り離し,主軸の1回転相当だけ開口装置を逆転し,開口装置を主軸に連結することを特徴とする織機の再起動準備方法。」」(審決書4頁最終段落〜5頁第2段落)
「前記補正をされた本願明細書においては,第1発明及び第2発明にいう「所定の筬打ち角」が発明の詳細な説明の段落【0010】にいう「筬打ち角」を意味するものであるとしても,特許請求の範囲には前記の必要な文言が記載されていないから,特許請求の範囲にいう「所定の筬打ち角」なる用語の意味は依然として確定されず,本願明細書の特許請求の範囲には,特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみが記載されているものとはいまだいえないのである。」(審決書6頁第2段落)
2 審決の上記認定判断の当否について
(1) 旧特許法36条5項は,次のとおり,規定している。
「5 第三項第四号の特許請求の範囲の記載は,次の各号に適合するものでなければならない。
一 特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること。
二 特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載した項(以下「請求項」という。)に区分してあること。」
上記規定は,発明の詳細な説明に多面的に記載されている発明のうち,どの発明について特許を受けようとしているのかを,出願人の意思により,特許請求の範囲に明示すべきことを要求しているものであり,これにより,一つの請求項に基づいて,特許を受けようとする発明が,まとまりのある一つの技術的思想として明確に把握できることになるのである。そのためには,明細書の特許請求の範囲には,「特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項」を明確に記載する必要があるのであり,特許発明の構成に欠くことができない事項を明確に記載することが容易にできるにもかかわらず,殊更に不明確あるいは不明りょうな用語を使用して特許請求の範囲を記載し,特許発明に欠くことができない構成を不明確なものとするようなことが許されないのは,当然のことというべきである。
このことは,特許法70条1項が,「特許発明の技術的範囲は,願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない。」と規定し,特許請求の範囲の記載に基づいて特許発明の技術的範囲を定めることを規定していることからも当然のことである。すなわち,特許請求の範囲を明確に記載することが容易にできるにもかかわらず,殊更に不明確あるいは不明りょうな用語を使用して記載することが許されるとすれば,特許発明の技術的範囲を明確に確定することができなくなるおそれが生じ,特許権が行使される対象となる範囲が不明確となって,社会一般に対しあるいは競業者に対し,特許権が行使される範囲の外延を明示するとの,特許請求の範囲が果たすべき,本来の機能を果たすことができなくなる結果を招来するのである。
本願出願においては,上記1に認定したとおり,【請求項1】の「所定の筬打ち角」の技術内容が,【請求項1】の記載自体では不明確であることは明らかである。出願人である原告は,審判における拒絶理由通知において,その点の指摘を受けたにもかかわらず,【発明の詳細な説明】の「所定の筬打ち角」についての記載を補正しただけで,【特許請求の範囲】の記載を補正しなかった。そして,原告が【特許請求の範囲】の記載を補正してその技術的意味をそれ自体で明らかなものとすることを困難とする事情は,本件全証拠によっても認めることができない。すなわち,本願明細書の【発明の詳細な説明】の段落【0010】には,【所定の筬打ち角】についての定義的な説明があり,この記載を【請求項1】中に追加し,審決が例示したような請求項に補正することは容易なことであることが明らかであり,これを困難とするような特段の事情があったことを認めるに足りる証拠はない。
以上によれば,本願明細書の特許請求の範囲の【請求項1】は,「特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項」を明確に記載することが容易にできるにもかかわらず,殊更に不明確あるいは不明りょうな用語を使用して記載されたものであるという以外になく,このような【請求項1】の記載及びこの【請求項1】の記載を引用している【請求項2】の記載は,いずれも旧特許法36条5項に規定する要件を満たさないものであり,これと同旨の審決の判断には何ら誤りはない,というべきである。
原告は,特許請求の範囲の記載が,それ自体で不明確であったとしても,発明の詳細な説明の記載を参酌してそれが明確になる場合は,出願に係る発明の要旨の確定には何ら支障がないのであるから,このような特許請求の範囲の記載も,旧特許法36条5項及び6項に規定する要件を満たしているというべきである,このことは,最高裁平成3年3月8日判決(民集45巻3号123頁)からも明らかである,と主張する。
しかし,上記判例は,特許出願に係る発明の新規性あるいは進歩性を判断する場合における,特許出願に係る発明の請求項の要旨の認定について述べた判例であり,旧特許法36条5項について判断をしたものではないから,本件については,その適用はない,と解すべきである。このことは,上記判例が,「特許法第29条1項及び2項所定の特許要件,すなわち,特許出願に係る発明の新規性及び進歩性について審理するに当たっては,この発明を同条1項各号所定の発明と対比する前提として,特許出願に係る発明の要旨が認定されなければならないところ,この要旨認定は,特段の事情のない限り,願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか,あるいは,一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って,明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるに過ぎない。」(下線付加)と判示しているところから,明らかである。特許出願に係る発明の新規性あるいは進歩性を判断する場合における,当該発明の要旨を認定する場合において,特許請求の範囲の記載を前提として,当該発明の要旨を認定し,あるいは,上記判例がいうような例外的な場合に明細書における発明の詳細な説明を参酌して要旨を認定した上で,その発明の新規性あるいは進歩性の判断をする,ということには十分合理性がある。しかし,新規性あるいは進歩性の判断の前提としての発明の要旨の認定をいかにして行うか,ということと,特許出願の願書に添付された明細書の特許請求の範囲の記載が,旧特許法36条5項が規定する要件に合致しているかどうかとは,問題を全く異にするものである。特許請求の範囲の記載は,できる限り,それ自体で,特許出願に係る発明の技術的範囲が明確になるように記載されるべきであり,旧特許法36条5項2号の「特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載」すべきであるとした規定は,この考え方を具体化した規定であると解すべきである。原告の上記主張は,旧特許法36条5項の規定の解釈としては採用することができない。
原告は,特許法施行規則第24条様式29備考7,8を引用して,本願出願のように,特許請求の範囲の記載中の用語の技術的意義が明確でないときは,発明の詳細な説明中の定義を当然に参酌することができる,と主張する。
しかし,特許法施行規則第24条様式29備考7,8は,明細書中で使用する技術用語は,学術用語を用いること,用語は,普通の意味で使用し,明細書全体を通じて統一して使用すること,用語を特定の意味で使用する場合は,その意味を定義して使用することを規定しているだけのことであり,特許請求の範囲の記載について,殊更に,不明確あるいは不明りょうな用語を使用したり,特許請求の範囲で明らかにできるものを発明の詳細な説明に記載するにとどめたりして,特許請求の範囲の記載内容をそれ自体では不明確なものにしてもよい,との趣旨を規定したものではないことが明らかである。原告の上記主張も採用することができない。
(2) 原告は,審決が例示したような請求項にした場合,全体の文章構造が複雑で難解になる,あるいは,あたかも,【請求項1】には,二つの発明が包含されているように見え,不要な異議申立や無効審判の申立を招来するおそれがある,と主張する。
しかし,審決が例示した請求項が全体として複雑で難解になるということはなく,本願明細書に記載された【請求項1】に比べて,その内容が明確になることは,審決が例示した請求項自体から明らかである。また,審決が例示した【請求項1】は,【発明の詳細な説明】中の「所定の筬打ち角」の内容を【請求項1】に追加したものであるから,これにより本願発明の内容が変更されるわけではないのであるから,二つの発明が包含されるように見えるとか,不要な異議申立や無効審判の申立を招来するおそれがある,とかの原告の主張が理由がないことも明らかである。
原告は,このような【請求項1】の記載を審決において例示すること自体,法律上の根拠がない越権行為である,と主張する。しかし,審決は,本願明細書の【発明の詳細な説明】における「所定の筬打ち角」についての定義を,本願明細書の【請求項1】の中に,包含させることが特段に困難ではないことを示すために,審決中において【請求項1】を例示したものであるから,原告の上記主張も理由がないことは明らかである。
3 結論
以上に検討したところによれば,原告の主張する取消事由には理由がなく,その他,審決には,これを取り消すべき瑕疵は見当たらない。そこで,原告の請求を棄却することとし,訴訟費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
東京高等裁判所第6民事部
裁判長裁判官 山 下 和 明
裁判官 設 樂 隆 一
裁判官 高 瀬 順 久