◆H15. 5.22 東京高裁 平成14(行ケ)138 特許権 行政訴訟事件
平成14年(行ケ)第138号 特許取消決定取消請求事件
平成15年5月22日判決言渡,平成15年5月8日口頭弁論終結
判 決
原 告 株式会社デンソー
訴訟代理人弁理士 碓氷裕彦,加藤大登
被 告 特許庁長官 太田信一郎
指定代理人 岡本昌直,橋本康重,粟津憲一,高木進,林栄二
主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 原告の求めた裁判
「特許庁が異議2000−73205号事件について平成14年2月8日にした決定を取り消す。」との判決。
第2 事案の概要
本件は,後記本件特許の特許権者である原告が,特許異議の申立てを受けた特許庁が本件特許を取り消すとの決定をしたため,同決定の取消しを求めた事案である。
なお,本判決において,平成5年法律第26号による改正前の特許法の規定をいう場合には,本件決定及び両当事者の主張における表記に従い,「特許法旧41条」などのように,「旧」を付すことによって表すこととする。
1 前提となる事実等
(1) 特許庁における手続の経緯
(1-1) 本件特許
特許権者:原告
発明の名称:「冷凍装置,モジュレータ付熱交換器,及び冷凍装置用モジュレータ」(出願時の名称は,「冷凍装置及び冷凍装置用モジュレータ」であり,平成11年7月19日付け手続補正により名称変更)
特許出願日:平成3年4月26日(優先権主張平成2年10月4日)
公開日:平成4年8月17日
手続補正日:平成10年4月14日(本件補正),平成11年7月19日(第2回補正),平成11年9月14日(第3回補正。第2回,第3回補正を併せて「平成11年補正」という。)
設定登録日:平成11年12月17日
特許番号:第3013492号
(1-2) 本件手続
特許異議事件番号:異議2000−73205号
訂正請求:平成13年11月28日(本件訂正)
異議の決定日:平成14年2月8日
決定の結論:「訂正を認める。特許第3013492号の請求項1ないし26に係る特許を取り消す。」
決定謄本送達日:平成14年2月26日(原告に対し)
(2) 本件発明の要旨
(2-1) 出願当初の明細書に記載された特許請求の範囲請求項1及び3の記載(出願当初の請求項は12あるが,決定が本件補正の適否の判断において示したのは,請求項1及び3のみであるので,その余の請求項の記載は省略する。)
【請求項1】 冷媒の圧縮を行う圧縮機と,圧縮された高圧冷媒の凝縮を行う凝縮器と,凝縮された冷媒の減圧膨張を行う膨張手段と,減圧された冷媒の蒸発を行う蒸発器と,前記凝縮器の通路途中ないし前記減圧手段の上流のいずれかの位置に接続し,冷凍サイクルを循環する冷媒のうち一部のみが流入可能な空間を有するモジュレータとを備えることを特徴とする冷凍装置。
【請求項3】 冷媒の圧縮吐出を行う圧縮機と,この圧縮機より吐出された冷媒の凝縮を行う凝縮器と,この凝縮器の出口側に配設され,凝縮器で凝縮した冷媒の一部を貯留し,内部に気液界面を形成する閉空間を有するモジュレータと,このモジュレータの下流側に配置され冷媒の過冷却を行う過冷却器と,この過冷却器を通過した冷媒を減圧膨張させる減圧手段と,この減圧手段により霧化された冷媒の蒸発を行う蒸発器とを備え,各機器を冷媒配管で順次接続してなる冷凍装置。
(2-2) 本件補正後の特許請求の範囲請求項1及び3の記載(これらを「本件補正後の発明」という。なお,本件補正後の請求項は17あるが,上記に準じて請求項1及び3を記載し,その余の請求項の記載は省略する。)
【請求項1】 冷媒の圧縮を行う圧縮機と,圧縮された高圧冷媒の凝縮を行う凝縮器と,凝縮された冷媒の減圧膨張を行う膨張手段と,減圧された冷媒の蒸発を行う蒸発器と,前記凝縮器の通路途中ないし前記減圧手段の上流のいずれかの位置に接続し,冷凍サイクルを循環する冷媒が流入可能な空間を有するモジュレータとを備えることを特徴とする冷凍装置。」
【請求項3】 冷媒の圧縮吐出を行う圧縮機と,この圧縮機より吐出された冷媒の凝縮を行う凝縮器と,この凝縮器の出口側に配設され,凝縮器で凝縮した冷媒を貯留し,内部に気液界面を形成する閉空間を有するモジュレータと,このモジュレータの下流側に配置され冷媒の過冷却を行う過冷却器と,この過冷却器を通過した冷媒を減圧膨張させる減圧手段と,この減圧手段により霧化された冷媒の蒸発を行う蒸発器とを備え,各機器を冷媒配管で順次接続してなる冷凍装置。
(2-3) なお,本件訂正により,上記請求項1,3に関するものは,請求項1として,次のような記載となった。
【請求項1】 冷媒の圧縮吐出を行う圧縮機と,この圧縮機より吐出された冷媒の凝縮を行う凝縮器と,この凝縮器の出口側に配設され,前記凝縮器で凝縮した冷媒を貯留し,内部に気液界面を形成し,この気液界面の上方に気冷媒を保持するとともに,気液界面の下方に液冷媒を滞留させるモジュレータと,このモジュレータの下流側に配置され,モジュレータより流出した冷媒の過冷却を行う過冷却器と,この過冷却器を通過した冷媒を減圧膨張させる減圧膨張手段と,この減圧膨張手段により霧化された冷媒の蒸発を行う蒸発器とを備え,各機器を冷媒配管で順次接続してなり,前記モジュレータは前記凝縮器および前記過冷却器とは区画された空間を有し,前記凝縮器において凝縮した冷媒は前記モジュレータの気液界面よりも下方で開口する流入部を介して前記モジュレータの気液界面下方に流入し,前記モジュレータ内部において気液分離した後,前記モジュレータ内部に流入した冷媒のうち,主に液冷媒が前記モジュレータの気液界面よりも下方において開口する流出部を介して前記モジュレータの気液界面下方から前記過冷却器へと流出し,かつ,前記凝縮器から前記モジュレータ内部に流入する冷媒流れの前記凝縮器出口側端部のほうが前記モジュレータから前記過冷却器へ流出する冷媒流れのモジュレータ側部位よりも上方に位置することを特徴とする冷凍装置。
(3) 決定の理由
決定の理由は,【別紙】の「異議の決定の理由」に記載のとおりである(ただし,理由のうち,「4.特許異議の申立てについての判断」の「(1)本件発明」及び「(2)本件発明の出願日」の部分のみの抜粋)。要するに,(@)本件訂正を認める,(A)本件補正(平成10年4月14日付け)は,出願当初の明細書の要旨を変更するものであるから,本件出願は,手続補正書が提出された平成10年4月14日に出願されたものとみなされるべきである,(B) 本件発明9〜14,17〜20に係る特許は,特開平4−227436号公報(本訴甲6)に記載の発明と同一であり,本件発明1〜8,15〜16,21〜26に係る特許は,特開平4−227436号公報及び慣用技術に基づいて,当業者が容易に想到し得たものであるから,請求項1ないし26に係る特許を取り消すべきである,というものである。
2 原告の主張(決定取消事由)の要点
決定は,@「出願当初の明細書には,特許請求の範囲,従来技術,発明が解決しようとする課題,作用,発明の効果の欄をみても一貫して,『冷媒を全量ではなく一部のみモジュレータへ流入できるようにした』ものとして説明されている。これに対して,平成10年4月14日付け手続補正において,この『冷媒の一部を』という限定を削除したものとしている。」とした上,A「係る補正後の技術概念は,出願当初の明細書に記載されておらず,示唆もない。そして,これが,出願当初の明細書の記載からみて自明のこととも思われないから,この限定を削除した技術概念は,出願当初の明細書に記載した事項の範囲を超えるものと認められる。よって,平成10年4月14日付けの補正は,出願当初の明細書の要旨を変更するものである。」と認定判断した。
決定の上記@の認定は,そのとおりである。しかし,本件補正が特許法旧41条により適法にされたにもかかわらず,決定は,上記Aのように,本件補正が認められないとの判断したものであり,誤っている。その結果,決定は,特許法旧40条の規定を適用し,本件発明の出願日を平成10年4月14日と判断し,さらに,これを前提に,本件発明の出願後に公開された特開平4−227436号公報(甲6)と対比することにより,本件発明の新規性及び進歩性の判断を行なったものである。
決定は,違法であり,取り消されるべきである。
(原告が決定の上記Aの判断を誤りとして主張する理由は,後記「第3 当裁判所の判断」の中で,各判断に先立って具体的に摘示することとする。)
3 被告の主張の要点
決定における上記Aの判断に誤りはなく,決定には,原告の主張するような違法な点は存在しない。
第3 当裁判所の判断
1 前記のとおり,出願当初の明細書には,特許請求の範囲,従来技術,発明が解決しようとする課題,作用,発明の効果の欄をみても一貫して,「冷媒を全量ではなく一部のみモジュレータへ流入できるようにした」ものとして説明されているのに対して,本件補正(平成10年4月14日付け)においては,この「冷媒の一部を」という限定を削除したものとしていることは,原告も争わないところである。なお,上記の点は,平成11年補正及び本件訂正の後でも変わりはない。よって,本件の争点は,要するに,上記の点において本件補正が要旨変更となるとした決定の認定判断に誤りがあるか否かである
以下,決定が誤りであることの理由として,原告が具体的に主張する点に沿って,検討することとする。
2 原告は,(@)本件補正後の発明は,本件訂正後の請求項1に記載されているように,凝縮器で凝縮された冷媒をモジュレータの気液界面下方から流出入させる点,及びモジュレータに流入する冷媒流れがモジュレータから過冷却器へ流出する冷媒流れよりも上方に位置する点を特徴としているのであって,「冷媒のうち一部のみがモジュレータに流入する」という構成も,「冷媒の全量がモジュレータに流入する」という構成も,必須要件とはなっておらず,作用効果の点からみても,気液界面を乱すことなく気液分離がより良好に行われるためには,冷媒の一部のみがモジュレータに流入することは望ましいが,仮に冷媒が全量モジュレータに流入することがあるとしても,上記作用効果に顕著な差はない,(A)しかし,決定は,「冷媒の全量がモジュレータに流入する」という構成が含まれることをもって要旨の変更であると判断したもので,本件補正後の発明に直接関係しない要件をもって,要旨変更の判断を行ったものであり,そのこと自体が誤りであると主張する。
(1) 原告の主張は,本件訂正後の請求項1の記載を前提としているが,そのことをさておくとしても,本件補正後の発明が「冷媒の全量がモジュレータに流入する」という構成の発明を含むものである点について認めつつ(第3回弁論準備手続調書),上記のように主張するものであり,結局,本件補正後の発明が「冷媒の全量がモジュレータに流入する」という構成の発明を含むものであっても,「冷媒の全量がモジュレータに流入する」という構成が必須要件となっていない以上,「冷媒の全量がモジュレータに流入する」という構成が出願当初の明細書又は図面に記載された事項の範囲内でないことを理由に,要旨の変更に当たると判断したのは誤りである,との趣旨を主張するものと解される。
(2) しかし,仮に,原告主張のとおり,本件補正後の発明において,「冷媒のうち一部のみがモジュレータに流入する」という構成も,「冷媒の全量がモジュレータに流入する」という構成も,必須要件とはなっておらず,作用効果の点からみても冷媒が全量モジュレータに流入するか否かで作用効果に顕著な差はない(特に,作用効果の点は,出願当初の明細書の記載に照らせば疑問であるが,さておく。)としても,上記発明の要旨として,「冷媒の全量がモジュレータに流入する」という構成の発明を含むものと認められるならば,補正によって,「冷媒の全量がモジュレータに流入する」という構成についてまで効力を及ぼし得る発明が当初の出願日に遡って認められることになるのであるから,「冷媒の全量がモジュレータに流入する」という構成が出願当初の明細書又は図面に記載された事項の範囲内であることを要し,そうでなければ,補正における要旨の変更となるものと解すべきである。
決定は,上記と同旨をいうものと解され,原告の上記主張は,採用することができない。
(3) そこで,(2)の考え方に従って検討しておく。
(3-1) 本件補正後の発明に係るモジュレータの構成は,単に「冷媒が流入可能な…モジュレータ」というものであり,原告の主張に沿って本件訂正後の請求項1記載のモジュレータの構成をみても,要するに「冷媒が気液界面よりも下方からモジュレータに流入し,流入した冷媒のうち主に液冷媒がモジュレータの気液界面よりも下方から流出する」というものである。これらについて,「冷媒のうち一部のみがモジュレータに流入する」旨の限定がされておれば,「冷媒の全量が流入するモジュレータ」を有する発明を含まないことになるが,上記のとおり,冷媒の流入する量について何らの限定がないのであり,そうであるからこそ,本件補正後の発明は,「冷媒のうち一部のみ流入するモジュレータ」も,「冷媒の全量が流入するモジュレータ」も包含する発明であると認められる(原告も上記の点自体を争う趣旨ではない。)。このことは,本件補正後の明細書の「発明の詳細な説明」欄及び図面の記載を考慮しても変わりはない。
(3-2) 一方,出願当初の特許請求の範囲請求項1及び3の記載(甲6)をみると,「モジュレータ」の構成は,「冷媒の一部のみが流入するモジュレータ」というものであり,「冷媒の全量が流入するモジュレータ」という構成は記載されていないことが認められる(この点は,原告も争う趣旨ではない。)。
さらに,出願当初の明細書(甲6)の「発明の詳細な説明」欄及び図面の記載を検討すると,次のような記載がある。
【従来の技術】には,
「従来の冷凍装置では,第7図に示すように…。
しかしながら,この従来のものでは冷凍サイクルを循環する冷媒の全量が一旦レシーバ401に流入することになるため,レシーバ401内には常に多量の冷媒が流入し,かつ多量の冷媒が導出する構造となり,レシーバ401の体格を必然的に大型化せざるを得なかった。
また従来の技術として,第44図に示すように…。
この第44図図示でのレシーバ401も,上述の第7図図示例と同様冷凍サイクルを循環する冷媒の全量がレシーバ内に流入し,かつその全量が導出配管404よりスーパークール部405へ導出されるものとなっているため,レシーバ401の体格は必然的に大型化せざるを得なかった。さらに,熱交換器400より導入配管403,導出配管404の双方を取り出す必要があるため,冷媒配管の設置が困難となるのみならず,冷媒配管403,404やレシーバ401のために,自動車への搭載性が悪くなるという欠点があった。」
【発明が解決しようとする課題】には,
「本発明は上記点に鑑みて案出されたもので,冷凍サイクル中に封入された冷媒のうち余剰冷媒を溜めておく手段として,従来のレシーバ401に代わり,体格を小型化したモジュレータを用いることを目的とする。
併せて,…余剰冷媒の貯留に最適な構造をしたモジュレータを提供することを目的とする。…」
【課題を解決するための手段】には,
「上記目的を達成するため,本発明では冷凍装置の凝縮器の途中ないし減圧手段の上流の箇所に冷媒配管より上方に分岐したモジュレータを用いるという構成を採用する。
すなわち本発明では,上下方向に延びる閉空間よりなり,その下方部分で冷媒配管に接続するモジュレータを用いる。また本発明では,モジュレータを冷媒の冷却を行う熱交換器の途中より分岐配置し,熱交換器のうちこのモジュレータ上流の部位を凝縮器とし,モジュレータ下方の部位を過冷却器とする構成を採用する。」
【作用】には,
「本発明の冷凍装置では,上記構成採用の結果,冷凍装置を循環する冷媒がその全量がモジュレータに流入するということはない。すなわち,冷凍装置の余剰冷媒のみがモジュレータ内に溜められ,余剰冷媒量の変動に応じて,モジュレータ内より冷媒が冷凍装置を循環するのに供給されたり,逆に冷凍装置を循環する冷媒の余剰分がモジュレータに供給されたりする。
いずれにせよ,循環冷媒の全量が流入,流出するのではないので,モジュレータは余剰冷媒を収納できる程度の大きさとすればよい。」
【実施例】には,「以下本発明の望ましい実施例を図に基づいて説明する。…」
【発明の効果】には,
「以上説明したように,本発明の冷凍装置では,凝縮器で凝縮した冷媒をその全量ではなく一部のみモジュレータへ流入できるような構造としたため,モジュレータの必要容積を充填余裕量と変動余裕量の必要最小限に抑えることができ,モジュレータを小型化することができる。そのため,本発明の冷凍装置においては,例えば自動車用空調装置として用いられたときにその搭載性を大幅に向上することができる。」
以上の記載によれば,出願当初の明細書及び図面には,「冷媒の全量が流入するモジュレータ」という構成は記載されていないというにとどまらず,出願当初の明細書に記載された発明は,冷媒の全量が流入するモジュレータでは大型化するため,冷媒の一部のみを流入させることによりモジュレータを小型化したことを特徴とする発明であり,「冷媒の全量が流入するモジュレータ」という構成を積極的に排除するものであったことが認められる。
(3-3) 以上によれば,「冷媒の全量がモジュレータに流入する」という構成が出願当初の明細書又は図面に記載された事項の範囲内であるとはいえず(出願当初の明細書等の記載からみて自明な事項であるともいえないことも明らかである。),本件補正は,要旨の変更となるものであるというべきである。
(4) 決定は,本件補正後の発明について,上記と同旨の考えの下に,本件補正の適否の判断をしたものと解され,その判断の過程を含め,是認し得るものであって,原告主張のような誤りはない。
3 原告は,決定が,出願当初の明細書に記載された発明の認定をするにつき,特許請求の範囲及びこの特許請求の範囲に記載された発明を説明するための課題,作用,効果の欄に限定的に解釈しており,つまるところ,出願当初の明細書又は図面の記載というものを出願当初の特許請求の範囲の記載と考えているのと同じであると主張する。
(1) しかしながら,決定は,「出願当初の明細書には,特許請求の範囲,従来技術,発明が解決しようとする課題,作用,発明の効果の欄をみても一貫して,『冷媒を全量ではなく一部のみモジュレータへ流入できるようにした』ものとして説明されている。」(甲1の18頁)と説示しており,これは,出願当初の明細書全体から発明を認定したものであることが明らかである。
(2) 仮に,原告の上記主張が,実施例や図面を含め,出願当初の明細書全体を参酌すれば,冷媒の流入量を限定しない単なる「モジュレータ」を構成とする発明が記載されているはずであるという趣旨であるとしても,前記2で判示したところに照らせば,出願当初の明細書及び図面に,冷媒の流入量を限定しない単なる「モジュレータ」を構成とする発明が記載されていたと認めることはできないのであり,失当であるというほかない。
4 原告は,(@)補正が要旨変更となるか否かは,補正後の特許請求の範囲に記載された発明が,出願当初の明細書又は図面に記載されていたか否かで判断すべきであるところ,(A)本件補正後の構成は,すべて出願当初の明細書及び図面に開示されており,かつ,発明の作用効果も,当業者が出願当初の明細書及び図面に基づいて明確に理解できるものであり,被告もこの点を争わない,(B)すなわち,「冷媒が気液界面より下方からモジュレータに流入し,気液界面より下方から流出する」という本件補正後の発明は,出願当初の明細書及び図面に記載されている,(C)しかし,決定は,上記発明に必ずしも関係しない「冷媒の全量がモジュレータに流入する」という構成が当初明細書及び図面に開示されているか否かで判断するものであって,この考えは,特許法旧41条の規定に反するものであると主張する。
(1) 原告は,準備書面(第1回)において,本件補正後の発明は,本件訂正請求により訂正されたとおりであるとして,その請求項1に係る発明を各構成要素に分割し,これら各構成要素に対応する文言や図示が出願当初の明細書及び図面に開示されていたことを主張した。しかしながら,そもそも本件補正後の請求項の記載を機械的に分割して得た各構成要素が出願当初の明細書に記載されていることと,本件補正後の発明が出願当初の明細書に記載されていることとは異なる事項であり,仮に,前者について被告が明確な反論をしなかったからといって,後者について争わないことにはならない。被告の主張全体に照らせば,少なくとも後者について争っていることは明らかである。
(2) また,上記(@)の一般論はそのとおりであるが,本件補正後の発明についての認定,並びに,出願当初の明細書及び図面に記載された発明の認定は,前判示のとおりであって,本件補正後の「モジュレータ」の構成は,出願当初の明細書又は図面に開示されているとはいえないことが明らかである(むしろ積極的に排除されているのである。)。
よって,本件補正後の発明が,出願当初の明細書又は図面に記載されていたとは認められないことも明らかであり,これと同旨の決定に誤りはなく,原告の上記主張は,採用することができない(上記(C)の点は,前記2においても判示したとおりである。)。
5 原告は,(@)特許法旧41条は,「特許請求の範囲を増加し減少し又は変更する補正は,明細書の要旨を変更しないものとみなす。」というものであり,発明の構成要素を削除することを禁じるものではないところ,(A)この構成要素を削除する補正は,補正前には包含されなかった発明を補正後に包含することになることを不可避的に伴うものであるが,出願当初の特許請求の範囲に記載されたすべての構成要素を一切削除できないとすれば,認められる補正は新たな構成要素を追加する補正のみとなり,それは特許請求の範囲の減少でしかあり得ず,(B)決定の論理は,特許法旧41条に明らかに違反している,(C)このことは,本件出願日当時の特許庁の審査基準(甲10)からも明らかである,(D)したがって,特許請求の範囲の構成要素を削除する補正は,その削除自体によって要旨変更となるものではなく,発明の構成要素を削除された結果,当初の発明に包含されなかった発明が包含されることになったか否かで判断されるべきものではなく,この点で決定は誤っていると主張する。
(1) 検討するに,補正が発明の構成要素を削除するものであっても,補正後の発明が出願当初の明細書等に記載した事項の範囲内であれば要旨変更にならないことは当然である。そして,前判示のとおり,本件補正後の発明は,モジュレータへの冷媒の流入量について何らの限定がないので,冷媒のうち一部のみ流入するものも,冷媒の全量が流入するものも包含する発明であると解される。このような冷媒の流入量の限定のないモジュレータが,出願当初の明細書又は図面に開示されていれば要旨変更にはならないのであるが,本件の場合,前判示のとおり,出願当初の明細書には,「冷媒の全量がモジュレータに流入する」という構成が記載されていなかったのみならず,「冷媒の全量が流入するモジュレータ」を積極的に排除するものであるから,冷媒の流入量を限定しない単なるモジュレータを構成とする発明が記載されていたと認めることはできないのである。したがって,本件の場合には,本件補正は,要旨の変更に当たるものといわざるを得ない。
(2) 決定は,上記と同旨をいうものであり,もとより,構成要素を削除するものすべてを直ちに要旨変更となるとの見解を採るものとも解されないのであって,決定の判断は,特許法旧41条に違反するものではない。なお,原告は,特許庁の審査基準(甲10)を引用するが,決定はこれと矛盾するものではない。
原告の上記主張も採用することができない。
6 結論
原告の主張をすべて精査しても,原告主張の決定取消事由は理由がないので,原告の請求は棄却されるべきである。
東京高等裁判所第18民事部
裁判長裁判官 塚 原 朋 一
裁判官 塩 月 秀 平
裁判官 田 中 昌 利
【別紙】 異議の決定の理由
異議2000−73205号事件,平成14年2月8日付け決定
(下記は,上記決定の理由のうち,「4.特許異議の申立てについての判断」の「(1)本件発明」及び「(2)本件発明の出願日」の部分のみについて,文書の書式を変更したが,用字用語の点を含め,その内容をそのまま掲載したものである。)
理 由
4.特許異議の申立てについての判断
(1)本件発明
上記2.で示したように上記訂正が認められるから、本件の請求項1ないし26に係る発明(以下、「本件発明1ないし26」という。)は、上記訂正に係る訂正明細書の特許請求の範囲の請求項1ないし26に記載されたとおりのものである。(上記2.訂正事項a.〜u.参照。)
(2)本件発明の出願日
審査請求時に提出された、平成10年4月14日付け手続補正では、特許請求の範囲の、請求項1において「冷媒のうち一部のみが流入可能な空間を有するモジュレータ」を「冷媒が流入可能な空間を有するモジュレータ」とし、請求項3において「冷媒の一部を貯留し、」を「冷媒を貯留し、」とし、発明の詳細な説明中においても冷媒の一部を貯留するとする事項に関する記載を削除する補正をおこなっている。
一方、特許出願時の、願書に最初に添付された明細書又は図面(以下、「出願当初の明細書」という。)には、特許請求の範囲、従来技術、発明が解決しようとする課題、作用、発明の効果の欄をみても一貫して、「冷媒を全量ではなく一部のみモジュレータへ流入できるようにした」ものとして説明されている。
これに対して、上記平成10年4月14日付け手続補正において、この「冷媒の一部を」という限定を削除したものとしている。係る補正後の技術概念は、出願当初の明細書に記載されておらず、示唆もない。そして、これが、出願当初の明細書の記載からみて自明のこととも思われないから、この限定を削除した技術概念は、出願当初の明細書に記載した事項の範囲を超えるものと認められる。
よって、平成10年4月14日付けの補正は、出願当初の明細書の要旨を変更するものである。 そして、本件発明に係る出願は、上記技術概念を含んだものとして平成11年12月17日に特許権の設定登録がなされている。
したがって、本件出願は、旧特許法第40条の規定により、上記手続補正書が提出された平成10年4月14日に出願されたものとみなされるべきである。
以上