◆H15. 5.21 東京高裁 平成14(行ケ)285 商標権 行政訴訟事件
平成14年(行ケ)第285号 審決取消請求事件(平成14年12月2日口頭弁論終結)
判 決
原 告 株式会社力王
訴訟代理人弁護士 上 谷 清
同 宇 井 正 一
同 笹 本 摂
同 山 口 健 司
同 弁理士 田 島 壽
被 告 有限会社勝商事
訴訟代理人弁理士 丸 岡 裕 作
同 岡 村 信 一
主 文
特許庁が平成11年審判第35790号事件について平成14年4月26日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文と同旨
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
被告は,左横書きした「力王」の文字(漢字)及び同文字上部に小さく振り仮名風に表示した「りきおう」の仮名文字よりなり,指定役務を第42類「飲食物の提供」とする商標登録第4198489号商標(平成9年2月17日出願,平成10年10月16日設定登録,以下「本件商標」といい,その登録を「本件商標登録」という。)の商標権者である。原告は,平成11年12月27日,本件商標登録の無効審判の請求をし,特許庁は,同請求を平成11年審判第35790号事件として審理した結果,平成14年4月26日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は,同年5月10日,原告に送達された。
2 審決の理由
審決は,別添審決謄本写し記載のとおり,(1) 本件商標が地下たびの分野の取引者,需要者の間で原告の商標として周知著名な審決謄本別掲「請求人商標」の「力王」の標章(以下「原告商標」という。)と社会通念上同一であり,本件商標をその指定役務に使用したときに,これに接する需要者が当該役務は原告と人的ないし資本的関係のある者ないしは原告から使用許諾を受けた者の業務に係る役務であると誤信して出所の混同を生ずるおそれがあるから,本件商標は商標法4条1項15号に掲げる商標に該当するとの原告の主張について,原告商標の周知著名性は,地下たびを含む履物類又はその関連商品ないしは作業用品類にとどまり,本件商標の指定役務の分野にまで及んでいないから,本件商標をその指定役務に使用しても,これに接する需要者が直ちに原告商標を連想,想起して原告の業務に係る役務のように出所について混同を生ずるおそれはないとし,(2) 本件商標が原告の名称の著名な略称である「力王」の標章(以下「原告略称」という。)を含む商標であるにもかかわらず原告の承諾を得ることなく登録されたものであるから,本件商標は同項8号に掲げる商標に該当するとの原告の主張について,原告略称の著名性が本件商標の指定役務の分野にまで及んでいたとはいえないから,本件商標は原告の名称の著名な略称を含む商標には当たらないとし,(3) 被告が原告の業務に係る商品を表示するものとして周知著名な原告略称及び原告商標と社会通念上同一の本件商標につき不正の目的又はひょう窃の意図をもって出願し,その登録がされたものであるから,本件商標は同項19号及び7号に掲げる商標に該当するとの原告の主張について,被告に上記不正の目的及びひょう窃の意図は認められないとして,本件商標登録は,原告主張の各法条の規定のいずれにも違反してされたものとはいえないから,その登録は同法46条1項により無効とすることはできないとした。
第3 原告主張の審決取消事由
審決は,原告商標の周知著名性は本件商標の指定役務の分野にまで及んでいないとの誤った認定に基づいて,本件商標をその指定役務に使用しても役務の出所の混同を生ずるおそれはないとの誤った認定をし(取消事由1),原告略称の著名性が本件商標の指定役務の分野にまで及んでおらず,本件商標は原告の名称の著名な略称を含む商標には当たらないとの誤った認定をし(取消事由2),被告は著名な原告略称及び原告商標の顧客吸引力にただ乗りする意図で本件商標を採択,出願したものであるのに,被告に不正の目的及びひょう窃の意図は認められないとの誤った認定をした(取消事由3)ものであるから,違法として取り消されるべきである。
1 取消事由1(役務の出所混同のおそれの認定の誤り)
(1) 審決は,原告商標の周知著名性は,地下たびを含む履物類又はその関連商品ないしは作業用品類にとどまり,本件商標の指定役務の分野に及ぶものではないから,本件商標をその指定役務について使用しても,これに接する需要者は,原告商標を直ちに連想,想起し,原告の業務に係る役務のようにその出所について混同を生ずるおそれはないと認定するが,誤りである。
(2) 原告商標は,本件商標の出願時である平成9年当時には,地下たび及びその類似商品ないし関連商品の分野を越えて周知著名性を獲得していた。すなわち,平成2年当時において,全国で地下たびを履用する者は,建設業の従事者が600万人,農林業の従事者が400万人,合計1000万人であり,我が国における全商品及び役務の需要者は,商品購買能力のある就業者人口とほぼ同数の6000万人と推定されるから,地下たびの需要者はその6分の1に当たり,これに取引者である履物関係者が加わるが,本件商標の上記出願時においてもおおむね同様であると考えられる。原告は,昭和26年以来,自己の主力商品である地下たびに原告商標を使用し,早くから海外に生産拠点を築いてその体制を確立し,原告製の地下たびは終始60ないし70%のシェアを有している。地下たびは,主として高所作業者,建築・土木従事者又は農園芸従事者により履用されるものであるが,特殊な店舗で販売されるものではなく,履物の小売店やホームセンターなど一般大衆が商品を購入する店舗で販売されるものである。原告は,昭和33年から現在に至るまで日本経済新聞の夕刊一面に題字下広告を継続して掲載しているのを始め,ラジオ,テレビ等のコマーシャル放送,日本全国の道路脇に設置された看板広告など一般大衆が接する機会のある媒体を通じて積極的な宣伝活動を行い,また,海外進出で成功した異色の企業としてしばしば経済誌,業界紙,一般紙等にも取り上げられた。こうして,本件商標の出願時には,原告商標が,原告の業務に係るものとして,地下たび及びその類似商品ないし関連商品の分野を越え,本件商標の指定役務の需要者である一般大衆の間にも広く認識されるに至っていた。この一般大衆には,地下たびの主な履用者である高所作業者,建築・土木従事者又は農園芸従事者も含まれるが,これらの者は,野外で作業をして昼食時を中心に外食する機会も多く,本件商標の指定役務である「飲食物の提供」の需要者となりやすいことは明らかであり,その需要者が本件商標に接するときに,当該役務が原告と何らかの関係にある者の業務に係る役務であると誤認することは必定である。原告は,地下たび以外にも一般消費者が購入する長靴を年間40万足も販売しており,地下たび市場は審決の認定するように需給のバランスが保たれて成熟した市場であるとはいえない。
世界知的所有権機関(WIPO)は,平成12年10月29日発行の裁定書をもって,第三者が登録したドメインネーム「rikio.com」を原告の商標管理を行う会社に移転すべきものと裁定したが,これも原告商標の周知著名性が上記のとおり広汎なものであることを推知させるに足りる。審決は,この点について,相手方の悪意の存在,すなわち,不正競争の目的の存在を理由に上記裁定がされたものであって,これを原告商標の周知著名性の根拠とすることは妥当でないとするが,商標が周知著名で財産的価値が高いからこそ第三者に盗用されるのであり,審決の上記判断は誤りである。
(3) 以上のとおり,本件商標の指定役務の需要者と原告商標に係る地下たびの需要者とは共通することが明らかである。このような共通の需要者が本件商標に接して,その指定役務に係る「飲食物の提供」を選択する際には,一般大衆としての注意力しか払わず,役務の出所を深く考慮,検討して正しくとらえることをしないのが通常であるから,原告商標と社会通念上同一の本件商標をその指定役務に使用したときに,これに接する需要者,殊に,一般大衆の中で1000万人を下らない地下たびの需要者等において,当該役務が原告ないし原告から使用許諾された者の業務に係るものであるようにその出所について混同を生ずるおそれがあり,本件商標は商標法4条1項15号に掲げる商標に該当するというべきである。
2 取消事由2(原告略称の著名性の認定の誤り)
(1) 審決は,原告略称の著名性が本件商標の指定役務の分野に及んでいたとはいえないから,本件商標は原告の名称の著名な略称を含む商標には当たらないと認定するが,誤りである。
(2) 商標法4条1項8号が他人の名称の略称に著名性を必要としているのは,人格権の保護の趣旨から,特定性の確保及び略称採択の恣意性という事情を考慮したものである。原告略称の「力王」は原告の名称である「株式会社力王」から単に組織形態を表す「株式会社」のみを除いたものであり,いわば原告の固有の名称そのものであって,上記のような事情を考慮する余地はないから,原告略称につき同号の規定を適用するに際しては,これを形式的に「略称」として扱うのではなく,限りなく「名称」に近いものとして解釈すべきであり,著名性の程度は通常の場合より相当低くてもよいというべきである。また,同号の規定は人格権の保護を目的とするから,名称等を使用される「他人」の著名性は世上一般において求められ,問題となる商標の指定商品又は指定役務の分野に限られるものではないから,略称の著名性の判断に当たって本件商標の指定役務を考慮すべきではない。原告商標に係る「力王」の構成は,原告の創業者が,スマートさに欠け使い勝手も悪かった当時の地下たびについて不具合を一新し,軽快かつ力強い製品を世に問い,業界の覇者(覇王)となるべきことを念じて,無数にある漢字の中から「力」と「王」とを組み合わせて創生した着想困難な造語であり,この語から需要者は原告の名称以外の意味合いを感得することができない。そうとすれば,これが商標として他人に無断で使用された場合には,直ちに原告の人格権が毀損される筋合いであり,原告略称の著名性は優に肯定されるべきである。
(3) 仮に,本件商標の指定役務の分野における原告略称の著名性が求められるとしても,上記のような地下たび業界での原告の長年にわたる圧倒的なシェア,地下たびの需要者の実態,原告が展開した各種の宣伝広告,海外進出で成功した異色の企業としての注目度などに照らせば,原告略称は,本件商標の出願時において,地下たび業界を越え,本件商標の指定役務の需要者である一般大衆の間にも広く認識されており,その著名性は本件商標の指定役務の分野にも及んでいたというべきである。原告略称の著名性は,上記WIPO裁定によっても裏付けられるところである。
3 取消事由3(不正の目的又はひょう窃の意図の認定の誤り)
(1) 審決は,本件商標は,被告によりその指定役務の分野において独自に採択され,結果的に偶々一致したものであって,被告に不正の目的又はひょう窃の意図はなかったと認定するが,誤りである。
(2) 本件商標の出願時において,原告略称及び原告商標は,地下たびの分野を越え,本件商標の指定役務の需要者である一般大衆の間にも広く認識されるに至っていたこと,原告略称及び原告商標の「力王」との表示が無数にある漢字の中から「力」と「王」とを組み合わせて創生した着想困難な造語であることは,上記のとおりである。そうすると,これと社会通念上同一の本件商標が偶々採択されたとは考え難いところであり,被告が自己の店の看板等に使用している「力王」の文字が原告の使用のものと寸分も違わないことをも考慮すれば,被告は著名な原告略称及び原告商標の顧客吸引力にただ乗りする意図で本件商標を採択,出願したものであって,不正の目的及びひょう窃の意図を有していたことは明らかである。
(3) したがって,本件商標は商標法4条1項19号及び同項7号に掲げる商標に該当するというべきである。
第4 被告の反論
審決の認定判断は正当であり,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
1 取消事由1(役務の出所混同のおそれの認定の誤り)について
(1) 原告商標が地下たびの取引者,需要者の間においていわゆる周知商標であることは認めるが,その周知性の範囲は,審決の認定するとおり,地下たび及びその類似商品ないし関連商品にとどまり,それを越えて本件商標の指定役務の分野にまで及ぶものではないから,原告主張のような役務の出所混同のおそれはなく,この点に関する審決の認定は正当である。地下たびは,やや特殊な商品であって,その需要者は一定範囲に限定され,需給のバランスが保たれた成熟した市場を形成していること,原告が地下たびの専門業者であり,「間口を狭く,奥行を深く」をスローガンに多角経営を行わないことを経営方針としており,ライセンスビジネスを考慮する事情が存在しないことからすれば,原告商標が,地下たび及びこれに関連する上記商品類の分野を越えて,これと非類似の商品又は役務についてまで出所表示機能を発揮するものと認めるべき余地はなく,したがって,広義の混同を生ずるおそれはない。
(2) 原告は,地下たびの需要者は1000万人に上るとした上,その需要者が本件商標の指定役務の需要者と共通するから,原告商標と社会通念上同一の本件商標をその指定役務に使用したときに,これに接する需要者,殊に,一般大衆の中で上記の数に上る地下たびの需要者において,当該役務が原告ないし原告から使用許諾された者の業務に係る役務であるようにその出所について混同を生ずるおそれがあると主張するが,その前提とする地下たびの需要者数は具体的な根拠を欠く机上の空論にすぎない。地下たびの需給規模は平成6年中において高々750万足(「1996年版シューズブック」(甲4−2−4))であるから,愛用者の平均消費量を1か月1足(「東洋経済1993年3月27日号」(甲2−2−27))として計算すると,地下たびの全需要者は62万5000人にとどまり,原告主張の上記数字にはるかに及ばない。また,本件商標に係る役務と原告商標に係る商品とが,取引事情を著しく異にする異種,別個の産業分野に属することは,審決の認定するとおりであって,本件商標をその指定役務に使用したときに,これに接する需要者において,地下たびの商標である原告商標を連想,想起すべき理由はなく,このことは原告商品の愛用者であっても同様である。
2 取消事由2(原告略称の著名性の認定の誤り)について
(1) 原告略称が,本件商標の出願時(平成9年2月17日)及び登録査定時(平成10年7月22日)において,原告の名称の略称として著名であった事実はない。
(2) 原告は,原告略称につき商標法4条1項8号の規定を適用するに際しては,これを形式的に「略称」として扱うのではなく,限りなく「名称」に近いものとして解釈すべきであり,著名性の程度は通常の場合より相当低くてもよいと主張するが,法文上の根拠を欠き,それ自体失当である。原告は,また,原告商標に係る「力王」は,着想困難な造語であり,この語から需要者が原告の名称以外の意味合いを感得することはできないから,これが商標として他人に無断で使用された場合には,直ちに原告の人格権が毀損されるとも主張するが,原告商標が原告の独創的な創造物に係るものとはいえないから,人格権の毀損をいう上記主張は前提を欠く。
3 取消事由3(不正の目的又はひょう窃の意図の認定の誤り)について
原告商標の周知性が地下たび及びその類似商品ないし関連商品にとどまり,それを越えて出所表示機能を発揮するものではないこと,原告商標の構成が独創的なものとはいえないことは,上記のとおりであるから,被告が独自に本件商標を採択したことに原告から非難されるべき理由はない。被告の使用する本件商標の書体等は原告商標のそれと異なっており,原告の主張は,被告の正当な使用行為を何ら合理的な根拠もなくひぼうするものである。被告が不正の目的又はひょう窃の意図をもって本件商標を出願し,その登録がされたものとはいえないとした審決の認定に誤りはない。
第5 当裁判所の判断
1 取消事由1(役務の出所混同のおそれの認定の誤り)について
(1) 審決は,本件商標の構成,その指定役務の分野における需要者一般の注意力の程度,本件商標に係る役務と原告商標に係る商品の取引事情の違い,原告商標の周知著名性の程度,原告の事業規模,多角経営の可能性等を総合判断すると,原告商標の周知著名性が地下たびを含む履物類又はその関連商品ないしは作業用品類にとどまり,本件商標の指定役務の分野に及ぶものではないとした上,「本件商標をその指定役務について使用したとしても,これに接する需要者は,・・・請求人商標(注,原告商標)を直ちに連想・想起し,請求人(注,原告)業務に係る役務の如くその出所について混同を生ずるおそれはない」(審決謄本13頁(エ)の第2段落)と認定しているところ,原告は,本件商標の指定役務の需要者と原告商標に係る地下たびの需要者等とは共通しており,原告商標と社会通念上同一の本件商標をその指定役務に使用したときに,これに接する需要者等において,当該役務が原告ないし原告から使用許諾された者の業務に係るものであるようにその出所について混同を生ずるおそれがあると主張する。
商標法4条1項15号にいう「他人の業務に係る商品又は役務と混同を生ずるおそれがある商標」には,当該商標をその指定商品又は指定役務に使用したときに,当該商品又は役務が他人の商品又は役務に係るものであると誤信されるおそれがある商標のみならず,当該商品又は役務が当該他人との間にいわゆる親子会社や系列会社等の緊密な営業上の関係又は同一の表示による商品化事業を営むグループに属する関係にある営業主の業務に係る商品又は役務であると誤信されるおれがある商標,すなわち,広義の混同を生ずるおそれがある商標も含まれる。そして,混同を生ずるおそれの有無は,当該商標と他人の商標との類似性の程度,他人の商標の周知著名性及び独創性の程度,当該商標の指定商品又は指定役務と他人の業務に係る商品又は役務との関連性の程度,取引者,需要者の共通性その他取引の実情などに照らし,当該商標の指定商品又は指定役務の取引者,需要者において普通に払われる注意を基準として,総合的に判断されるべきである。他人の商品又は役務の性質上,取引者,需要者が一定分野の関係者に限定されている場合には,そのような取引者,需要者の間に広く認識されていれば足り,消費者一般に周知著名であることを要しないし,非類似の商品又は役務の間であっても,広義の混同を生ずるおそれは否定できない(以上につき,最高裁平成12年7月11日第三小法廷判決・民集54巻6号1848頁参照)。そこで,以下,この見地から原告の上記主張の当否について検討する。
(2) まず,商標の類似性の程度について見るに,本件商標は,ゴシック書体により左横書きした「力王」の漢字2文字とその上部に小さく同一書体により振り仮名風に表示した「りきおう」の仮名文字より構成されている。一方,原告商標は,審決謄本別掲「請求人商標」(ア)(毛筆かい書体で縦書きした「力王」の文字(漢字)からなるもの)及び同(イ)(ゴシック書体により左横書きした「力王」「力王たび」の文字と地下たびの図形からなるもの)であり,これを本件商標と対比すれば,少なくとも(ア)のものは,本件商標と社会通念上同一と認められる商標であることは明らかである。
また,原告商標は,それ自体ありふれた「力」と「王」の漢字2文字を結合してなる造語であるが,証拠(甲2―2―2)によれば,昭和26年,原告の新製品である「跣たび」の販売開始時にその使用を始め,昭和27年に商標登録されたものであって,その構成文字は,スマートさに欠け使い勝手も悪かった従来の地下たびを軽快で利用者の足になじむように改良した新製品の販売開始を機に,イメージチェンジを力強く世に問う趣旨で採択されたものであることが認められるから,原告商標の独創性の程度が低いとはいえず,その後,本件商標のほか,原告商標と同一又は社会通念上同一の構成文字からなる商標が3件登録されたこと(乙2,6,9)も,上記認定を左右するものではない。
(3) 次に,原告商標の周知著名性及び取引の実情について見ると,原告商標が地下たびの取引者,需要者の間においていわゆる周知商標であることは当事者間に争いがなく,この事実と証拠(甲2−2−1,甲2−2−2〜9,12,14,15,17〜25,27〜30,46〜55,57〜74,76〜81,89,95〜112,138〜194,甲4−2−1〜5)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 原告は,昭和23年10月に創業後,地下たびの生産を開始し,昭和26年に,従来の地下たびを改良した新製品を開発して,これを「力王跣たび」として販売を始め,昭和27年には原告商標の商標登録出願を行い,その登録がされた。さらに,原告は,昭和39年に貼縫式地下たびの新製品「力王たび」を,その後,高所作業用の新製品「力王ファイター」を開発するなどし,これらを主力商品として生産を増強するとともに,原告商標を自社商品に使用してきた。
イ 原告は,昭和43年に台湾に合弁企業を設立したのを始め,昭和48年韓国に現地法人,昭和54年フィリピンに現地法人,昭和58年中国に合弁企業を相次いで設け(台湾及び韓国からは撤退),専ら海外生産とその輸入,国内販売により業績を拡大した。
ウ 原告の地下たびの国内販売シェアは,昭和60年ころ〜平成7年ころに60%〜70%台にあり,その後,本件商標の登録査定時(平成10年7月22日)までの間に,上記シェアが低下した事情はうかがわれず,地下たびのトップメーカーの地位を維持している。
エ 原告商品に係る地下たびの購入者は,高所作業者,建築・土木従事者,農園芸従事者等のほか,登山や魚釣りなどのレジャー用にも用いられるところから,履物の小売店やホームセンターなど一般大衆が商品を購入する店舗でも販売されるものであり,原告は,全国150社の販売代理店と1万店以上の特約販売店を有して販売活動を展開している。
オ 原告は,昭和33年7月から現在に至るまで日本経済新聞の夕刊一面に「力王たび」「力王跣たび」などの自社商品名を明りょうに大書した題字下広告を1か月に1回の割合で継続的に掲載しているほか,一般紙を含む新聞,雑誌,ラジオ,テレビ,全国の道路脇に設置された看板広告等により自社商品の宣伝広告を展開し,また,新聞,雑誌等において,海外生産で成功した企業などとして紹介されたこともあり,平成10年5月12日付け西日本新聞には,「地下足袋発明から七十年以上。『いまや地下足袋といえば力王(東京)でしょう』」との記事が掲載されている。
(4) 以上の認定事実を総合すれば,本件商標の出願時(平成9年2月17日)及び登録査定時(平成10年7月22日)において,原告商標に係る地下たびという商品の性質上,その取引者,需要者が,高所作業者,建築・土木従事者,農園芸従事者及びその取引関係者など,一定の分野の者に限定されてはいるが,少なくとも,審決が認定し被告も認めるように,地下たびを含む履物類又はその関連商品ないしは作業品類の分野において,取引者,需要者の間に原告商標は広く認識されていたものと認めるのが相当である。一方,本件商標の指定役務に係る「飲食物の提供」は,それ自体としては,被告の主張するように,原告商標に係る上記商品と取引事情を著しく異にする異種,別個の産業分野に属するが,上記指定役務の需要者は,当該役務の性質上,年齢,性別,職種等を問わず,あらゆる分野の広汎な一般消費者であり,その中には,原告商標に係る上記取引者,需要者も当然含まれている。これらの者が,野外で作業をして昼食時を中心に外食する機会も多く,本件商標の指定役務の需要者となりやすいとする原告の主張は,その趣旨を具体的に述べたものにほかならない。そうとすれば,本件商標の指定役務の需要者と原告商標に係る地下たびの需要者とは,相当程度共通する。そして,このような共通の需要者が本件商標に接して,その指定役務の提供を受ける際に普通に払う注意力の程度について見るに,飲食物の種類や内容,役務提供の場所等いかんによっては,当該役務の出所について子細に吟味,選択する場合のあることはもとより当然であるが,それが通常の事態であるとは考えられず,むしろ,取引上の経験則に照らせば,一般消費者として,そのような高度の注意を払う行動には出ないのが通常であるといわなければならない。そうすると,原告商標の周知性の範囲内において,原告商標と社会通念上同一の本件商標をその指定役務に使用したときに,これに接する需要者において,原告商標を連想,想起し,当該役務が原告の業務に係る役務であると誤信するか,あるいは,そうでなくとも,原告との間にいわゆる親子会社や系列会社等の緊密な営業上の関係又は同一の表示による商品化事業を営むグループに属する関係にある営業主の業務に係る役務であると誤信し,その出所について広義の混同を生ずるおそれがあるというべきである。
(5) 進んで,この点に関する被告の主張について判断する。
ア 被告は,原告商標の周知性の範囲は,地下たび及びその類似商品ないし関連商品にとどまり,それを越えて,取引事情を著しく異にする異種,別個の産業分野に属する本件商標の指定役務の分野にまで及んで出所表示機能を発揮するものではないと主張する。しかし,商標法4条1項15号にいう「他人の業務に係る商品又は役務と混同を生ずるおそれがある商標」の解釈適用において,「他人」の商品又は役務の性質上,取引者,需要者が一定分野の関係者に限定されている場合であっても,そのような分野の取引者,需要者の間に広く認識されている限り,当該分野に属する商品又は役務について周知の商標が使用されたときは,商品又は役務相互の関連性や取引者,需要者の共通性などとあいまち,広義の混同を生ずるおそれのあることは否定し得ないのであり,その意味において,「他人」の商標が消費者一般に周知著名であることを要しないし,非類似の商品又は役務の間であっても,広義の混同を生ずるおそれが否定し得ないことは,上記のとおりであるから,被告の主張は失当である。
イ 被告は,また,原告が地下たびの需要者は1000万人に上るとした点をとらえて,その前提とする地下たびの需要者数は具体的な根拠を欠く机上の空論にすぎず,原告提出の「1996年版シューズブック」(甲4−2−4)及び「東洋経済1993年3月27日号」(甲2−2−27)によれば,地下たびの全需要者は62万5000人にとどまるなどと反論するが,広義の混同を生ずるおそれの有無は,上記のとおり,取引上の経験則に基づいて総合的に判断すべきものであるから,一定の需要者層の存在が明らかである限り,その具体的な数の正確な確定まで要するものではない。
ウ 被告は,さらに,地下たびは,やや特殊な商品であって,その需要者は一定範囲に限定され,需給のバランスが保たれた成熟した市場を形成していること,原告が地下たびの専門業者であり,「間口を狭く,奥行を深く」を社是として多角経営を行わないことを経営方針としており,ライセンスビジネスを考慮する事情が存在しないことを主張する。しかし,地下たびの商品としての性質については,上記のとおりであり,被告主張の地下たびの市場の成熟性については,これを認めるに足りる証拠はない。また,企業における多角経営の可能性は,広義の混同を生ずるおそれの有無の判断要素の一つとはなり得るが,一般的に,近時,ほとんどの企業が多角経営化を図り,従来考えられなかった異業種に進出している例も少なくないことは,当裁判所に顕著な事実である。昭和49年9月20日原告発行の「力王二五年のあゆみ」(甲2−2−2)には,「社のモットーとして『間口を狭く,奥行を深く』を合い言葉に,単一商品に絞り,徹底的に掘り下げた研究を行ってきた」(45頁)との記述があるが,原告の発展期における経営方針の説明と考えられ,そのことだけから,二十数年後に当たる本件商標の出願時ないし登録査定時において,本件商標の指定役務の需要者と共通する原告商標に係る地下たびの需要者に,原告が多角経営の可能性の全くない会社として知られていたことまで認定することはできず,他に,これを認めるに足りる証拠はない。また,周知の商標は,それ自体,企業の信用が化体されたものとして経済的価値を有し,異業種に商品展開をする企業が上記の価値に着目して商標の使用について許諾を受けるということも,広く行われ,当裁判所に顕著な事実である。したがって,被告の上記主張は採用の限りではない。
(6) 以上によれば,本件商標をその指定役務について使用しても,これに接する需要者が,原告商標を直ちに連想,想起し,原告の業務に係る役務のようにその出所について混同を生ずるおそれはないとした審決の認定は誤りであるといわざるを得ない。
2 以上のとおり,原告主張の取消事由1は理由があり,この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから,その余の点について判断するまでもなく,審決は取消しを免れない。
よって,原告の請求は理由があるから認容することとし,主文のとおり判決する。
東京高等裁判所第13民事部
裁判長裁判官 篠 原 勝 美
裁判官 岡 本 岳
裁判官 長 沢 幸 男