◆H16. 5.14 東京地裁 平成13(ワ)12933 特許権 民事訴訟事件
平成13年(ワ)第12933号 損害賠償等請求事件
平成15年12月25日口頭弁論終結
判 決
脱退原告 ミノルタ株式会社訴訟承継人
コニカミノルタホールディングス株式会社
訴訟引受人 旧商号・コニカミノルタカメラ株式会社
コニカミノルタフォトイメージング株式会社
訴訟代理人弁護士 小野寺良文
同 宇都宮秀樹
同 飯塚卓也
同 渡邊肇
同 末吉亙
補佐人弁理士 原島典孝
同 吉田浩二
同 青木康
被 告 株式会社シグマ
訴訟代理人弁護士 片山英二
同 伊藤尚
同 原琢己
訴訟復代理人弁護士 原田崇史
補佐人弁理士 服部修一
同 小林純子
主 文
1 訴訟引受人の請求を棄却する。
2 訴訟費用は,脱退原告と被告との間に生じたものを含めて,訴訟引受人の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 訴訟引受人
(1) 被告は,訴訟引受人に対して,20億4271万1574円及びうち別紙損害・利得一覧表損害/利得額欄記載の各金員に対する同一覧表遅延損害金起算日欄記載の各起算日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
(3) 仮執行宣言
2 被告
(1) 訴訟引受人の請求を棄却する。
(2) 訴訟費用は訴訟引受人の負担とする。
(3) 仮執行免脱宣言
第2 事案の概要
1 ミノルタ株式会社(承継前原告)は,交換レンズに関する発明に係る後記特許権を有しており,被告の製造に係る交換レンズが当該特許発明の技術的範囲に属し,被告が当該交換レンズを製造・販売する行為は当該特許権を侵害すると主張して,平成13年6月21日,本件訴訟を提起し,被告に対し,損害賠償及び不当利得返還を求めた。
その後,平成15年10月1日,コニカミノルタホールディングス株式会社(脱退原告)は,吸収合併によりミノルタ株式会社の権利義務を包括的に承継した。さらに,同日,コニカミノルタカメラ株式会社(訴訟引受人)は,会社分割の方法により,コニカミノルタホールディングス株式会社から,上記特許権に関する一切の権利(本件訴訟における損害賠償請求権及び不当利得返還請求権を含む。)を承継した。
同年11月19日,コニカミノルタホールディングス株式会社からコニカミノルタカメラ株式会社を訴訟引受人として訴訟引受の申立てがされ,同年12月2日,関係者を審尋の上,コニカミノルタカメラ株式会社(訴訟引受人)に原告として本件訴訟を引き受けることを命ずる決定がされた。そして,コニカミノルタホールディングス株式会社は,同日,被告及び訴訟引受人の承諾を得て,本件訴訟から脱退した。
以下,ミノルタ株式会社(承継前原告)及びコニカミノルタホールディングス株式会社(原告訴訟承継人・脱退原告)を区別せずに,承継の前後を通じて単に「脱退原告」という。
2 前提となる事実(当事者間に争いがない)
(1) オートフォーカス式カメラシステムについて
ア オートフォーカス式カメラシステムの仕組みと種類
オートフォーカス式カメラシステムは,交換レンズ内に設置されているレンズ群(以下「撮影光学系」ともいう。)のうちフォーカス用レンズを,同レンズの焦点位置(以下「被写体光の結像位置」ともいう。)がフィルム面位置に一致するように移動させることによって焦点を合わせて撮影を行うものである。
フォーカス用レンズの位置によって,@フロントフォーカス方式(レンズ群のうち最前部(被写体側)に位置するレンズをフォーカス用レンズとして光軸方向に移動させて焦点を合わせる方式。以下「FF式」という。),Aリアフォーカス方式(レンズ群のうち最後部に位置するレンズをフォーカス用レンズとして光軸方向に移動させて焦点を合わせる方式。以下「RF式」という。),Bインナーフォーカス方式(レンズ群のうち中間(最前部,最後部以外)に位置するレンズをフォーカス用レンズとして光軸方向に移動させて焦点を合わせる方式。以下,「IF式」という。)に区別される。
フォーカス用レンズの位置を移動させて焦点を合わせるための仕組みは様々あり得るが,その中の1つに,焦点を合わせるために必要なフォーカス用レンズの駆動量を算出し,その駆動量に従ってフォーカス用レンズを移動させる仕組みがある。上記駆動量は,フォーカス用レンズの焦点位置とフィルム面位置のズレ量(以下「ピントズレ量」という。)に一定の係数(以下「変換係数」という。)を掛けることによって算出することができる。
イ 変換係数の算出方法
非ズーム式オートフォーカス用レンズにおいては,変換係数は,交換レンズの光学的条件(レンズ構成等)及び機械的条件(撮影距離調整手段等)によって定まり,これらの条件は,交換レンズごとに固有のものであって,撮影ごとに変化するものではない。
他方,ズーム式オートフォーカス用レンズにおいては,上記光学的条件のうちレンズの焦点距離を,撮影ごとに一定の範囲内において自由に設定できることから,同一の交換レンズであっても,撮影ごとに設定された焦点距離に応じて変換係数が変化することになる。
ズーム式オートフォーカス用レンズの変換係数の算出方法は,当該交換レンズの種類によって異なる。
FF式の交換レンズにおいては,変換係数は,交換レンズの光学的条件(レンズ構成等)及び機械的条件(撮影距離調整手段等)によって定まるが,このうち,焦点距離が撮影ごとに変化することから,これに応じて変換係数も変化する。個別の撮影における変換係数を算出するためには,撮影ごとに変化しない固定情報に加えてフォーカス用レンズの設定焦点距離情報が必要である。
RF式及びIF式の交換レンズにおいては,変換係数は,交換レンズの光学的条件(レンズ構成等)及び機械的条件(撮影距離調整手段等)によって定まるが,このうち,焦点距離及び被写体までの距離(以下「撮影距離」という。)が撮影ごとに変化することから,これに応じて変換係数も変化する。当該撮影における変換係数を算出するためには,撮影ごとに変化しない固定情報に加えて当該レンズに設置されたフォーカス用レンズの焦点距離及び当該撮影における撮影距離の2つの情報が必要である(ただし。IF式交換レンズの中には,撮影距離が変わっても,変換係数がさほど変化しないものが存在する(以下「F−IF式」という。)。このようなレンズについては,前記FF式交換レンズと同様の方法によって変換係数が算出される。)。
(2) 本件特許権について
ア 脱退原告は,下記の交換レンズに関する発明に係る特許権(以下,「本件特許権」という。)を有しており,訴訟引受人は,平成15年10月1日登記の会社分割により,脱退原告から本件特許権及び同特許権に関する一切の権利(本件訴訟における損害賠償請求権及び不当利得返還請求権を含む。)を承継した(甲1,弁論の全趣旨)。
特許番号 第1962765号
発明の名称 交換レンズ
出願年月日 昭和58年7月25
出願番号 58−136059
出願公告年月日 平成4年10月6日
出願公告番号 04−062364
登録年月日 平成7年8月25日
イ 本件特許権に係る明細書(以下「本件明細書」という。また,本件特許権に係る特公平4−62364号公報を「本件公報」という。)の特許請求の範囲における請求項1の記載は次のとおりである(甲2の1,2。以下,同請求項に係る発明を「本件特許発明」という。)。
「カメラ本体に交換自在に装着される交換レンズにおいて,撮影光学系と,上記撮影光学系内に設けられ,カメラ本体内で算出された駆動量データに応じた量だけ撮影光学系の撮影距離を変化させ,被写体光の結像位置を移動させる撮影距離調整手段と,上記撮影光学系の焦点距離を設定する焦点距離設定手段と,上記撮影光学系が有する焦点距離範囲を複数の焦点距離領域に分割して,上記焦点距離設定手段によって設定された焦点距離が上記複数の焦点距離領域のうちどの領域に属しているかを示すデータを出力するデータ出力手段と,所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換するための変換データについて,上記複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段と,上記データ出力手段の焦点距離領域データに基づいて,該当する領域の上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段と,を有することを特徴とする交換レンズ。」
ウ 構成要件
本件特許発明を構成要件に分説すれば,次のとおりである(以下,それぞれを「構成要件A」などという。)。
A カメラ本体に交換自在に装着される交換レンズにおいて,
B 撮影光学系と,
C 上記撮影光学系内に設けられ,カメラ本体内で算出された駆動量データに応じた量だけ撮影光学系の撮影距離を変化させ,被写体光の結像位置を移動させる撮影距離調整手段と,
D 上記撮影光学系の焦点距離を設定する焦点距離設定手段と,
E 上記撮影光学系が有する焦点距離範囲を複数の焦点距離領域に分割して,上記焦点距離設定手段によって設定された焦点距離が上記複数の焦点距離領域のうちどの領域に属しているかを示すデータを出力するデータ出力手段と,
F 所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換するための変換データについて,上記複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段と,
G 上記データ出力手段の焦点距離領域データに基づいて,該当する領域の上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段と
H を有することを特徴とする交換レンズ
(3) 被告製品について
ア 被告は,別紙被告製品目録1(以下,同目録記載の製品を「ニコン用被告製品」という。),同目録2(以下,同目録記載の製品を「キャノン用被告製品」という。)及び同目録3(以下,同目録記載の製品を「ペンタックス用被告製品」という。)記載の各製品(以下,これらを総称して「被告製品」という。)を,製造・販売している(被告製品は,フォーカス方式によって,FF方式,RF方式,IF方式,F−IF方式にそれぞれ分類される。)。
イ 被告製品は,いずれも,構成要件AないしE及びHを充足する。
ウ 被告製品は,それぞれ,次のような構成を有する(甲3ないし14及び弁論の全趣旨)。
(ア) ニコン用被告製品
ニコン用被告製品は,FF式,F−IF式,IF式及びRF式とも,下記エ被告構成B及びD記載の構成を備えており,ニコン用被告製品のうちIF式及びRF式のものは,上記構成に加え,下記エ被告構成@記載の構成を備えている。
(イ) キャノン用被告製品
キャノン用被告製品は,FF式,F−IF式,IF式及びRF式とも,下記エ被告構成A,B’及びD’記載の構成を備えており,キャノン用被告製品のうちIF式及びRF式のものは,上記構成に加え,下記エ被告構成@記載の構成を備えている。
(ウ) ペンタックス用被告製品は,FF式,F−IF式,IF式及びRF式とも,下記エ被告構成C及びE記載の構成を備えており,ペンタックス用被告製品のうちIF式及びRF式のものは,上記構成に加え,下記エ被告構成@記載の構成を備えている。
エ 被告製品の構成(以下,それぞれを番号に応じて「被告構成@」などという。)。
@ 記憶手段に焦点距離領域の夫々につき,焦点距離に応じて変化する変換データを離散値として記憶しているが,撮影距離に応じてこの変換データが複数存在する構成。
A 各焦点距離領域ごとにレンズの光学的条件に対応するデータ(以下「光学変換データ」という。)とレンズの機械的条件に対応するデータ(以下「機械変換データ」という。)がそれぞれ1つずつ記憶されている構成。
B 変換データの記憶において,有効数字部と指数部がそれぞれ8ビットずつのデータとして2バイト以上にわたって記憶されている構成
B’光学変換データが,指数部6ビット,有効数字部2ビットの合計8ビット及び有効数字部の残部8ビットのデータとして記憶され,機械変換データが指数部8ビット,有効数字部8ビットのデータとして記憶されている構成。
C カウンタ及びデコーダを通じて,ビット数に対応した端子にだけ「1」の信号を送り,それ以外の端子に「0」の信号を送るように構成され,他方,エンコーダを通じて,属する焦点距離領域に対応した端子にだけ「1」の信号を送り,それ以外の端子に「0」の信号を送るように構成され,上記デコーダ及びエンコーダからの信号を,アンドゲート,オアゲートという理論素子の組み合せによって,あるビット数の範囲において,属する焦点距離領域が定まると,常に決まった信号(変換データ)をカメラ側に送るようにする,いわゆるゲートアレイを用いた構成。
D レンズからカメラ本体に変換データを送信する際,まず有効数字部データが8ビットのデータとして送信され,その後,時間的間隔をおいて指数部データが8ビットのデータとして送信される構成
D’まず光学変換データの指数部と有効数字部の一部のデータが8ビットのデータとして送信され,その後間隔をおいて光学変換データの有効数字部の残部データが8ビットのデータとして送信され,その後間隔をおいて機械変換データの指数部と有効数字部の一部のデータが8ビットのデータとして送信され,その後間隔をおいて機械変換データの有効数字部の残部データが8ビットのデータとして送信される構成。
E レンズからカメラ本体にデータを送信する際,6ビットの有効数字部を上位とし,2ビットの指数部を下位としてデータを送信する構成。
第3 争点及び当事者の主張
1 争点
(1) ニコン用被告製品が構成要件F及びGを充足するか(争点1)
被告は,ニコン用被告製品は,被告構成@を備えている点で構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有しないから構成要件Fを充足せず,そうでないとしても,被告構成Bを備えている点で構成要件Fの上記構成を有しないから構成要件Fを充足しない,また,被告構成Dを備えている点で構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有しないから,構成要件Gを充足しないと主張する。
そこで,ニコン用被告製品に関する争点は,次のとおりである。
ア 被告構成@を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
イ 被告構成Bを備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
ウ 被告構成Dを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえるか
(2) キャノン用被告製品が構成要件F及びGを充足するか(争点2)
被告は,キャノン用被告製品は,被告構成@を備えている点で構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有しないから構成要件Fを充足せず,そうでないとしても,被告構成Aを備えている点で構成要件Fの上記構成を有しないから構成要件Fを充足せず,そうでないとしても被告構成B’を備えている点で構成要件Fの上記構成を有しないから構成要件Fを充足しない,また,被告製品D’を備えている点で構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有しないから,構成要件Gを充足しないと主張する。
そこで,キャノン用被告製品に関する争点は次のとおりである。
ア 被告構成@を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
イ 被告構成Aを備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
ウ 被告構成B’を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
エ 被告構成D’を備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえるか
(3) ペンタックス用被告製品が構成要件F及びGを充足するか(争点3)
被告は,ペンタックス用被告製品は,被告構成@を備えている点で構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有しないから構成要件Fを充足せず,そうでないとしても,被告構成Cは構成要件Fの「記憶手段」に該当しないから構成要件Fを充足しない,また,被告製品Eを備えている点で構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有しないから,構成要件Gを充足しないと主張する。
そこで,ペンタックス用被告製品に関する争点は次のとおりである。
ア 被告構成@を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
イ 被告構成Cが構成要件Fの「記憶手段」に該当するか
ウ 被告構成Eを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえるか
(4) 本件特許権に無効事由が存在することが明らかであり,訴訟引受人が本件特許権に基づいて権利を行使することが権利の濫用に当たるか(争点4)。
(5) 損害の額(争点5)
2 争点1(ニコン用被告製品が構成要件F及びGを充足するか)について
(1) 被告構成@を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
(訴訟引受人)
ア 構成要件Fの意義について
構成要件Fでいう「焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」とは,本来焦点距離に応じて連続的に変化する変換データを各焦点距離ごとに離散的な値(その領域の代表値)として記憶したという意味であって,同一の焦点距離領域にある限り変換データが1つでなければならないということはないし,撮影距離情報等に応じて焦点距離毎の変換データをさらに複数に分けて記憶することを除外していない。
本件明細書の発明の詳細な説明には,次の(ア)ないし(ウ)のような記載があり,撮影距離に応じて変換係数が変化する場合や複数の変換データ群の中から特定の変換データのみを選択して送信する場合が開示されている。
(ア) 「(変換係数)KDは,焦点距離fに応じて直線A,B,Cが示すように連続的に変化するが,本実施例の場合,折れ線A’,B’,C’が示すようにKDの値をK1〜33の離散的な値として示している」(本件公報25欄34行以下)
(イ) 「撮影距離に応じて変換係数が大幅に変化するズームレンズがある。‥‥‥このようなズームレンズにも対応できるように,本実施例では,無限大の位置での変換係数のデータのみをROM,RO3に記憶させ,合焦範囲の近傍の領域‥‥‥に到達するまでは,ΔLの正負(即ち,デフォーカス方向)の信号だけに基づいてフォーカス用レンズを駆動し,近合焦ゾーンにはいると上述のKDと|ΔL|とによって求まるNの値に基づいてレンズを駆動するようにしている。尚,焦点距離用のコード板によりROM,RO3のアドレスを指定して正確な変換係数のデータを得るようにしてもよいが,部品点数の増加,アドレス指定用のビット数の増加,ROMの容量の増加等の問題があり,実用的でない。」(同公報26欄34行ないし27欄10行)
(ウ) 「カメラ本体からカメラの種類を示すデータを送ってレンズ側でカメラの種類に対応したデータをカメラに送るようにしてもよい」(同公報7欄18ないし21行)
また,構成要件Fをこのように解しても,変換データを有効数字部と指数部とからなる信号として送信し,焦点距離領域を分割して領域ごとに変換データを設けることによって焦点調整動作の応答性を向上させるという作用効果は実現される。
なお,本件明細書の発明の詳細な説明には,撮影距離に応じて変換係数を変化させる場合について,「実用的でない」と記載されているが(上記(イ)),これは,レンズ内のスペースやコストの問題から本件特許発明の作用効果とは無関係な理由で本件特許出願当時に実用的でないと考えられたというだけであって,撮影距離に応じて変換係数を変化させる場合を除外したものではない。
イ 被告構成@を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
被告構成@は,記憶手段に焦点距離領域の夫々につき,焦点距離に応じて変化する変換データを離散値として記憶しているが,撮影距離に応じてこの変換データが複数存在する構成である。
上記のとおり,構成要件Fの「焦点距離領域の夫々につき1つの変換データを記憶した」とは,本来連続的に変化する変換データを各焦点距離ごとに離散的な値(その領域の代表値)として記憶した記憶手段という意味であって,撮影距離情報等に応じて焦点距離毎の変換データをさらに複数設けることを除外していないのであるから,被告構成@を備えていても,構成要件Fの「焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえる。
(被告)
ア 構成要件Fの意義について
構成要件Fでいう「焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」とは,焦点距離領域ごとに複数の変換データが存在しないことを意味すると解すべきである。
特許請求の範囲の文言上,そのように解するのが自然であって,訴訟引受人主張のように「本来焦点距離に応じて連続的に変化する変換データを各焦点距離ごとに離散的な値として記憶した記憶手段という意味であって,同一の焦点距離領域にある限り変換データが同一でなければならないということはないし,撮影距離情報等に応じて焦点距離毎の変換データをさらに複数に分けて記憶することを除外していない。」と解するのは不自然である。
また,本件明細書の発明の詳細な説明には,「焦点距離用のコード板FCDの他に設定撮影距離用のコード板を別設し,これらコード板によってROM,RO3のアドレスを指定して正確な変換係数のデータを得るようにしてもよいが,部品点数の増加,アドレス指定用ビット数の増加等の問題があり,実用的でない」(本件公報27欄4行以下)と記載して,あえて撮影距離ごとに別々の変換データを用いる方式を実用的でないとして除外している。
さらに,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件特許発明の効果として,焦点調整動作の応答性を著しく向上させる旨記載されているが,焦点距離ごとに複数の変換データが存在すると,応答性が低下してしまい,作用効果が実現できないことになる。訴訟引受人は,焦点距離領域ごとに複数の変換データが存在したとしても,変換データを有効数字部と指数部とからなる信号として送信すること及び焦点距離範囲を分割して領域ごとに焦点距離データを設けることによって焦点調整動作の応答性を向上させるという作用効果は実現されると主張する。しかし,変換データを離散値にすることと,データ転送時間とは何ら関連性がなく,そもそも,領域毎の離散値とすることは連続的に変化する数値をデジタルデータとして扱う場合には必然的に行われるものである。また,変換係数は0.2ないし20の範囲に収まるところ,その範囲のデータを転送するには,固定小数点方式を用いる場合と浮動小数点方式を用いる場合とで,データ転送時間に有意な差は生じない。
出願人であるミノルタ株式会社(脱退原告による承継前の原告。以下「ミノルタ」という。)が,特許請求の範囲を,当初「焦点距離ごとに所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換するための変換データが記憶された記憶手段」と記載していたものを,あえて「1つの」という語を挿入した出願手続の経緯からも,「焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」の記載を上記のように解すべきである。
イ 被告構成@を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
被告構成@は,記憶手段に焦点距離領域の夫々につき,焦点距離に応じて変化する変換データを離散値として記憶しているが,撮影距離に応じてこの変換データが複数存在する構成である。
上記のとおり,構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」とは,焦点距離領域ごとに複数の変換データが存在しない構成を意味すると解すべきであるから,被告構成@のように,1つの焦点距離において撮影距離ごとに複数の変換データが存在する構成を備えている場合は,構成要件Fの「焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するとはいえない。
(2) 被告構成Bを備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
(訴訟引受人)
有効数字部と指数部は,双方組み合せてはじめて1つの変換データというべきものであって,それぞれを独立した変換データということはできないから,2バイト以上にわたる形で記憶されていたとしても,1つの変換データが記憶されているというべきである。本件特許出願当時,1つのデータを2バイト以上を用いて表現することは情報処理の技術分野において当然に行われていたことである。
そうすると,被告構成Bを備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえる。
(被告)
構成要件Fは,焦点距離領域ごとに1つの変換データが記憶された記憶手段であるところ,被告構成Bを備えている場合は,有効数字部と指数部のデータがそれぞれ別々に記憶されているから,構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するとはいえない。
(3) 被告構成Dを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえるか
(訴訟引受人)
ア 構成要件Gの意義について
構成要件Gの「上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する」は,変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段を備えていればよく,指数部と有効数字部分を8ビット(1バイト)の信号で送信する場合に限定されない。
すなわち,本件特許請求の範囲においては,指数部及び有効数字部を何ビットにするか限定がない。本件明細書の特許請求の範囲以外の欄には,「上位」,「下位」との文言が記載されているが,1つのデータが2バイト以上にわたる場合にも使用される文言であり,指数部と有効数字部は1つの変換データであるから,かかる文言を根拠に変換データを1バイトに限定しなければならないということはできない。
被告は,変換データを2バイト以上のデータで送信する構成は本件特許出願当時公知の技術であったから,本件特許発明では変換データを1バイトのデータで出力する構成でなければ,データ転送時間の短縮という本件特許発明の作用効果は生じず,本件特許発明を有効と解することはできないから,構成要件Gを変換データを1バイトで出力する出力手段に限定解釈すべきである旨主張する。
しかし,本件特許出願当時,オートフォーカス式一眼レフカメラシステムにおいて変換データを2バイト以上のデータで送信する構成が公知の技術であったという事実はなく(被告は,本件明細書の従来技術の記載を根拠とするようであるが,従来技術欄の記載は,実際に存在していた不都合ではなく,従来技術との関連で想定される不都合を記載したものである。),変換データが2バイト以上にわたっても,変換データを有効数字部と指数部とからなる信号として送信すること及び焦点距離範囲を分割して領域ごとに焦点距離データを設けることによって焦点調整動作の応答性を向上させるという作用効果は実現される。
被告は,さらに,浮動小数点方式によってビット数を減少させることや焦点距離領域を分割して領域ごとに焦点距離データを設けることによってデータ転送時間が短縮されることはない旨主張する。しかし,浮動小数点方式で変換データを送る場合と固定小数点方式で送る場合とで転送時間に有意な差がないとの被告の主張は,変換データが0.2ないし20の範囲に収まることを前提としているところ,変換データは上記範囲に収まるものではないから,この点に関する被告の主張は前提を誤っている。また,焦点距離領域を分割し,変換データを離散値にする構成は,変換データを高速転送する前提である。抽象的には,デジタル信号としての出力信号は,離散的な値をとらざるを得ないといえるとしても,本件特許発明は,ズームレンズにおいて変換データをどのように保持し,出力するかについて具体的構成を有するものであって,これをもって本件特許発明におけるデータ記憶手段,出力手段が公知であったということはできない。したがって,被告の主張は失当である。
イ 被告構成Dを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえるか
被告構成Dは,変換データが,指数部,有効数字部がそれぞれ1バイト以上として送信され,指数部のデータ送信と有効数字部のデータ送信との間に間隔があるという構成であるが,いずれも,変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段であるといえる。
したがって,被告構成Dを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえる。
(被告)
ア 構成要件Gの意義について
構成要件Gは,変換データを(m+n)ビットの1バイトの信号として出力する出力手段という意味に解釈すべきであって,mビットの信号とnビットの信号が時間的間隔をあけて独立に送信される場合を含まない。
すなわち,特許請求の範囲には,「mビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号として」と記載されており,「とからなる信号」の記載から,変換データを1バイトの信号で表していると解される。また,本件明細書には,「上位」「下位」,「(m+n)ビットのデータとして」との記載があることから,文言上も上記のように解すべきである。訴訟引受人は,「上位」「下位」の文言は,1つの数値に関するデータについて2バイト以上にわたる場合には使用されると主張するが,本件における指数部と有効数字部は,1つの数値に関するデータではなく,別個の数値に関するデータであるから,そのようなデータに「上位」「下位」を使用するのは,当該データが1バイトに収まっている場合に限定されるものである。
また,仮に文言上,上記のように解釈することができないとしても,次の理由から,上記のように限定解釈すべきである。すなわち,本件特許発明出願当時,オートフォーカスのために必要な変換データをレンズからカメラ本体に転送するというオートフォーカス式一眼レフカメラシステムの技術が公知となっており(乙13,本件明細書の従来技術欄),データを浮動小数点方式で表現し,送信することも公知の技術であったから(乙2ないし5),従来2バイト以上にわたって転送していたデータを1バイトで転送する発明であると限定解釈しなければ,本件特許発明を有効と解釈することができない。また,作用効果の点でも,変換データは,0.2ないし20の範囲に収まるから,かかる範囲のデータの送信の場合,従来技術の固定小数点方式のデータ転送時間と本件特許発明の浮動小数点方式のデータ転送時間との間に有意な差がないから,本件特許発明は,これまで2バイトを要していた変換データの転送を1バイトで一度に送信することにしたと解さなければ進歩性があるということはできない。
これに対し,訴訟引受人は,変換データを有効数字部と指数部とからなる信号として送信すること及び焦点距離範囲を分割して領域ごとに焦点距離データを設けることによって焦点調整動作の応答性を向上させるという作用効果は実現される旨主張する。しかし,データ転送時間は,ビット数によって左右されるものであって,データを離散的に記憶するか否かはデータの転送時間とは関係がない。そもそも,データを離散的な値とすることは,ズームレンズ内でデータをデジタル的に記憶し,転送するために必然的にとらざるを得ない構成である(乙9,8頁)。また,変換データは,0.2ないし20の範囲内に収まるデータであるから,固定小数点方式を用いても10ビットで表現することができ,浮動小数点方式を用いて2バイト(16ビット)で表現したとしてもビット数は縮まらずしたがって,データ転送時間も短縮されない(乙7,10,17)。
イ 被告構成Dを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえるか
上記のとおり,構成要件Gの「上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する」は,変換データを1バイトのデータとして出力する出力手段を備えた構成であると解されるところ,被告構成Dは,変換データが,指数部,有効数字部がそれぞれ1バイト以上のデータとして送信され,指数部のデータ送信と有効数字部のデータ送信との間に間隔があるという構成である。
したがって,被告構成Dを備えている場合には,構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するとはいえない。
(4) 小括
(訴訟引受人)
以上のとおり,被告構成@及び被告構成Bを備えていたとしても,構成要件Fの「焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえから,ニコン用被告製品は,構成要件Fを充足する。
また,被告構成Dを備えていても,構成要件Gの「上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する」を有するといえるから,ニコン用被告製品は,構成要件Fを充足する。
したがって,ニコン用被告製品は,構成要件F及びGを充足する。
(被告)
以上のとおり,ニコン用被告製品は,被告構成@を備えている点で構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有しないから構成要件Fを充足せず,そうでないとしても,被告構成Bを備えている点で構成要件Fの上記構成を有しないから構成要件Fを充足しない,また,被告構成Dを備えている点で構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有しないから,構成要件Gを充足しない。
3 争点2(キャノン用被告製品が構成要件F及びGを充足するか)
(1) 被告構成@を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
(訴訟引受人)
前記2(1)と同様の理由で構成要件Fの上記構成を有するといえる。
(被告)
前記2(1)と同様の理由で構成要件Fの上記構成を有するとはいえない。
(2) 被告構成Aを備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
(訴訟引受人)
ア 構成要件Fの意義について
前記2(1)ア記載のとおり,構成要件Fでいう「焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」とは,本来焦点距離に応じて連続的に変化する変換データを各焦点距離ごとに離散的な値(その領域の代表値)として記憶したという意味であって,同一の焦点距離領域にある限り変換データが1つでなければならないということはない。
また,構成要件Fの「変換データ」とは,「変換するために」用いられるものをいうのであって,駆動量算出のために他のデータ(例えば機械変換データ)が存在する場合を除外していない。
このことは,本件明細書の実施例には,「N=KB・KL・ΔL‥‥‥KLは,‥‥‥焦点距離に対応してレンズ回路LECから出力される。‥‥‥KBはカメラ本体での前記減速比μBに応じて固定的に定められるデータであり‥‥‥」(本件公報5欄23行ないし6欄1行)と記載されており,レンズ側の変換データKL以外にカメラ本体の変換データKBを用いてピントズレ量を駆動量に変換している例が記載されていることからも明らかである。この点について,被告は,KLだけで駆動量を算出しているかのような主張をするが,KLのみならず,KBのデータも駆動量算出に必要なデータであるから,この点に関する被告の主張は失当である。
イ 被告構成Aを備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
被告構成Aは,駆動量算出のための係数を表すデータとして,光学変換データと機械変換データの2種類を記憶する構成であるが,機械変換データは焦点距離領域ごとに変化しないから,構成要件Fにいう「変換データ」に当たらず,被告構成Aのうち「変換データ」に該当するのは光学変換データのみである。
そして,被告構成Aにおいては,光学変換データのほかに,焦点距離に関連しない機械変換データが記憶されているが,上記のとおり,構成要件Fは,駆動量算出のために焦点距離に関係しない他のデータが存在する場合を排除していないのであるから,この点は,被告構成Aが,構成要件Fの「焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」に該当することを妨げるものではない。
よって,被告構成Aを備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえる。
(被告)
ア 構成要件Fの意義について
構成要件Fにいう変換データとは,所望の結像位置移動量を駆動量に変換するためのデータでなければならず,駆動量算出のために複数の係数が存在する場合には,当該係数のすべてが構成要件Fにいう変換データに当たるというべきである。
このことは,本件明細書の特許請求の範囲に,「交換レンズにおいて,‥‥‥所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換するための変換データについて,上記複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」と記載され,本件明細書に「上述のような自動焦点調整においては,検出されたズレ量から駆動手段の駆動量を算出‥‥‥する場合,……ズレ量データに適当な変換係数を掛けることにより駆動量データが得られる。この変換係数の値は,交換レンズの焦点距離やレンズ構成等の光学的条件及び交換レンズ内の焦点調整機構の構成等の機械的条件に応じて変化する。」(本件公報2欄13行ないし3欄8行)と記載されていることからも明らかである。
これに対し,訴訟引受人は,「変換データ」は「焦点距離ごとに変化するデータ」であるとの認識の下,機械変換データは,焦点距離ごとに変化しないから変換データではないとして,レンズからカメラに転送される変換データは,光学変換データのみである旨主張する。しかしながら,明細書中に,「変換データ」が,「焦点距離ごとに変化するデータを指す」という定義の根拠となる記載はないから,訴訟引受人の主張は前提を誤っている。
また,訴訟引受人は,駆動量算出のために焦点距離に関係しない他のデータ(例えば機械変換データ)が存在する場合をも含むと主張し,その根拠として,本件特許明細書の実施例に,レンズ側の変換データKL以外にカメラ本体の変換データKBを用いてピントズレ量を駆動量に変換している例が記載されていることを指摘する。
しかし,ここでいうKLとは,光学系の変換データKopと機械系の変換データ1/μL・LHを掛け併せたものであり,この掛け合わせた結果としてのデータが変換データとしてレンズの記憶手段に固定記憶されているのであって,光学系の変換データと機械系の変換データが別々に記憶され,送信されているものではない。
イ 被告構成Aを備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
被告構成Aは,駆動量算出のために光学変換データ及び機械変換データの2つのデータを必要とするものであり,これらはいずれも変換データである。また,光学変換データと機械変換データは,1つの焦点距離領域において,各1つずつ存在する。
そうすると,被告構成Aを有する場合は,構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえないから,被告構成Aを有するキャノン用被告製品は,構成要件Fを充足しない。
このことは,被告構成Aを備えたキャノン用被告製品は,光学変換データと機械変換データの2種類の変換データを保存,出力する構成であるため,本件特許発明の作用効果であるデータ転送時間の短縮という効果を有せず,逆に本件特許発明に係る交換レンズと異なり,機械変換データと光学変換データを予め乗算する必要がなくなり,カメラ側に転送すれば足り,メモリの設計製作が容易になるなどの効果があることからも裏付けられる。
(3) 被告構成B’を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
(訴訟引受人)
前記2(2)と同様の理由で構成要件Fの上記構成を有するといえる。
(被告)
前記2(2)と同様の理由で構成要件Fの上記構成を有するとはいえない。
(4) 被告構成D’を備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえるか
(訴訟引受人)
前記2(3)と同様の理由で構成要件Fの上記構成を有する。
(被告)
前記2(3)と同様の理由で構成要件Fの上記構成を有するとはいえない。
(5) 小括
(訴訟引受人)
以上のとおり,被告構成@,AないしB’を備えていても,構成要件Fの「焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえる。
また,被告構成D’を備えていても,構成要件Gの「上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する」を有するといえる。
したがって,キャノン用被告製品は,構成要件F及びGを充足する。
(被告)
キャノン用被告製品は,被告構成@を備えている点で構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有しないから構成要件Fを充足せず,そうでないとしても,被告構成Aを備えている点で構成要件Fの上記構成を有しないから構成要件Fを充足せず,そうでないとしても被告構成B’を備えている点で構成要件Fの上記構成を有しないから構成要件Fを充足しない。また,被告構成D’を備えている点で構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有しないから,構成要件Gを充足しない。
4 争点3(ペンタックス製被告製品が構成要件F及びGを充足するか)
(1) 被告構成@を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
(訴訟引受人)
前記2(1)と同様の理由で構成要件Fの上記構成を有する。
(被告)
前記2(1)と同様の理由で構成要件Fの上記構成を有するとはいえない。
(2) 被告構成Cが構成要件Fの「記憶手段」に該当するか
(訴訟引受人)
ア 構成要件Fの意義について
構成要件Fにいう「記憶手段」とは文言どおりの意味である。
イ 被告構成Cが構成要件Fの「記憶手段」に該当するか
被告構成Cのゲートアレイ回路は,焦点距離に応じて,予め記憶された特定の情報を出力するように構成されたものであって,記憶素子が内蔵されていることに変わりない。
このことは,本件特許発明においても,明細書中の実施例及び第5図に,ゲートアレイ回路によって記憶された変換データを出力するための構成が示されていることからも明らかである。また,被告自身が,被告の保有する特許第2137567号(特公平7−122726号,甲19)において,回路を開閉するスイッチを「記憶手段」と呼んでおり,技術文献にもゲートアレイ回路をROMの一種であるPROM(プログラマブル・ロム)と等価な回路構造であると記載されている。
よって被告構成Cは,構成要件Fの「記憶手段」に該当する。
(被告)
ア 構成要件Fの意義について
構成要件Fでいう記憶手段とは,マトリックス状の回路において,具体的なデータを特定の番地(アドレス)に格納し,固定させておく手段のことであると解される。
本件明細書にも,「アドレスが指定される。このアドレスには設定焦点距離に対応した変換係数のデータKDが記憶されている。」旨記載されている(本件公報24欄40ないし43行)。
イ 被告構成Cが構成要件Fの「記憶手段」に該当するか
被告構成Cにおいては,変換データをアンドゲートとオアゲートという論理素子の組み合せ(ゲートアレイ回路)によってその都度演算し,焦点距離に応じて定められた信号が送信されるのであって,構成要件Fの「記憶手段」に該当するということはできない。
訴訟引受人は,ゲートアレイが,記憶手段であるPROMの一種である旨主張する。しかし,PROMはマトリックス回路の交点である特定の番地(アドレス)に,「0」又は「1」の固定情報を記憶させておくものであるが,ゲートアレイ回路はマトリックス回路の形をとっておらず,「0」や「1」などの情報が固定的に記憶されているものではないから,両者は等価ではない。
(3) 被告構成Eを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえるか
(訴訟引受人)
ア 構成要件Gの意義について
構成要件Gの「上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する」は,mビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号として変換データを送信している以上,いずれが上位又は下位であってもよい。
被告は,構成要件Gは上位mビットの指数部を先頭に変換データを送信することを意味すると解すべきである旨主張するが,本件特許請求の範囲には,「上位」「下位」という言葉は用いられていない。明細書の発明の詳細な説明には「要旨」として,かかる文言が用いられているが,本件特許発明において有効数字部と指数部のいずれが上位であっても転送時間は変わりなく,本件特許発明の特徴に影響を及ぼさないから,構成要件Gを「mビットの指数部を上位で,nビットの有効数字部を下位で送信する」と限定して解釈する理由はない。
イ 被告構成Eを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえるか
構成要件Gの「上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する」を上記のように解すれば,被告構成Eを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえる。
(被告)
ア 構成要件Gの意義について
本件明細書発明の詳細な説明には「要旨」として,「上位mビットの指数部と下位nビットの有効数字部とに分離した(m+n)ビットのデータとしたものである。」との記載があることから,構成要件Gは,上位mビットの指数部を先頭に変換データを送信することを意味すると解すべきである。
イ 被告構成Eを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえるか
被告構成Eは,nビットの有効数字部を上位,mビットの指数部を下位として変換データを送信しているので,被告構成Eを備えている場合は,構成要件Gの「上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する」を有しているとはいえない。
(4) 小括
(訴訟引受人)
以上のとおり,被告構成@を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するということができ,被告構成Cは,構成要件Fの「記憶手段」に該当する。
また,被告構成Eを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するということができる。
したがって,ペンタックス用被告製品は,構成要件F及びGを充足する。
(被告)
ペンタックス用被告製品は,被告構成@を備えている点で構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有しないから構成要件Fを充足せず,そうでないとしても,被告構成Cは構成要件Fの「記憶手段」に該当しないから構成要件Fを充足しない。また,被告構成Eを備えている点で構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有しないから,構成要件Gを充足しない。
5 争点4(本件特許権に無効事由が存在することが明らかであり本件特許権に基づいて権利を行使をすることが権利の濫用に当たるか)について
(1) 特許法29条2項違反を理由とする無効
(被告)
特許に無効事由が存在することが明らかであるときは,その特許権に基づく差止め,損害賠償等の請求は,権利の濫用に当たり許されないところ,本件特許権には,以下に述べるように無効事由が存在することが明らかであり,これに基づく請求は権利の濫用に当たり許されない。
本件特許は,本件特許出願当時の技術水準(乙15の2,3)において,本件特許出願前の昭和57年11月18日に公開されたオートフォーカス用ズームレンズに関する発明(特開昭57−18004(乙1)。以下「乙1に係る発明」という。)と,デジタルデータに関する公知技術を組み合せることによって当業者が容易に想到することができたものであり,特許法123条1項2号,29条2項の無効事由が存在することが明らかであるから,本件特許権に基づく損害賠償請求は権利の濫用に当たり許されない。
すなわち,乙1に係る発明を本件特許発明の構成要件に則して分説すると,次のとおりである。
a カメラ本体に交換自在に装着される交換レンズ(10)において
b 撮影光学系(12,14)と
c 上記撮影光学系内に設けられ,カメラ本体内で算出された駆動量データに応じた量だけ撮影光学系の撮影距離を変化させ,被写体光の結像位置を移動させる撮影距離調節手段(28)と
d 上記撮影光学系の焦点距離を設定する焦点距離設定手段(42)と
e 上記撮影光学系が有する焦点距離範囲を複数の焦点距離領域に分割して,上記焦点距離設定手段(42)によって設定された焦点距離が上記複数の焦点距離領域のうちどの領域に属しているかを示すデータを出力するデータ出力手段(92,94)と
f 所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換するための変換データについて,上記複数の焦点距離の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段(92)と
g 上記データ出力手段の焦点距離領域データに基づいて,該当する領域の上記変換データをカメラ本体へ出力する出力手段(92,94)と
h を有することを特徴とする交換レンズ
上記構成aないしf及びhは,本件特許発明の構成要件AないしF及びHに対応する。そして,構成gについては,本件特許出願当時,デジタルデータ数値を表示する方法として浮動小数点方式があり,同方式によるとプログラムが容易であることなどが文献に記載されていた(乙2ないし5)のであって,工学技術とデジタル技術の複合である交換レンズに,構成gを取り入れることは本件特許発明出願当時,デジタルデータを扱う技術分野における当業者にとっては,容易に想到し得るものであったというべきである。
このように,本件特許発明は,乙1に係る発明と浮動小数点を用いたデータ表現方法を組み合せることによって実現できるものであるから,本件特許出願当時,デジタル技術分野の当業者が容易に想到し得るものであったというべきである。
これに対し,訴訟引受人は,乙1に係る発明は,本件特許発明の構成要件C,E,F及びGの構成を有していないと主張する。
しかし,構成要件Cについては,乙1に係る発明の「ズーム動作に伴って変化した焦点距離に応じて,焦点調節用レンズ(距離環)の駆動量が決定されており,これにより距離環が駆動され,この結果ピント面がフィルム面に合致する」という構成と同一であるというべきである。すなわち,乙1に係る発明のパターン基板及びこれに接する接片の位置は,変化した焦点距離に応じた距離環の移動量を制御機構に指示する機能を有しており(すなわち,レンズの駆動量は,接片がパターン基板に接触する位置によって決定され(パターン基板上のどの位置であるかによってパターンの数及びその間隔が異なっている),接片がパターン基板に接触する位置は,ズーム動作によって決定され,ズーム動作は,焦点距離を決定する。),かかる機能は,構成要件Cの機能と同一である。ただ,乙1に係る発明は駆動量の決定を電気機械的にしているのに対し,構成要件Cは駆動量の決定を電子化してデジタル的に算出しているという相違があるが,このような相違は,コンピュータ化に伴う相違であって,必要な機能に関しては相違がないかあるいは必要な機能に関する相違点がコンピュータに関係するありふれた技術事項の単なる付加又は削除にすぎない場合である(前掲「マイクロコンピュータ応用技術に関する発明についての審査運用指針」(乙15の9)参照)といえる。すなわち,レンズの情報をデジタル的に記憶するROMとその情報を入出力する入出力装置とを撮影レンズ内に設け,かつ,得られたデジタル信号をカメラ本体側に直列伝送することは,本件特許発明出願当時,普通に実施されていることであった(乙15の3)。したがって,両発明は同一というべきである。
本件特許発明の構成要件E及びFについては,乙1の発明に係る焦点距離の変化に応じた駆動量の決定機構をデジタル化した構成に過ぎない。焦点距離を一定の領域に分割することも,電子化した結果必然的に採用されたものにすぎない。上記のようなデジタル化は,コンピュータ化に伴う変化にすぎず,必要な機能に関しては相違がないかあるいは必要な機能に関する相違点がコンピュータに関係するありふれた技術事項の単なる付加又は削除にすぎない場合である(特許庁による「マイクロコンピュータ応用技術に関する発明についての審査運用指針」(乙15の9)参照)といえる。すなわち,デジタル信号を浮動小数点方式を用いて送信することは,当時,公知の技術であった(乙16等)。
したがって,両発明の構成は同一というべきである。
(訴訟引受人)
本件特許発明は,本件特許出願当時の技術水準において,乙1に係る発明と浮動小数点を用いたデータ表現方法を組み合せることによって当業者が容易に想到することができたものとはいえない。
すなわち,乙1に係る発明は,ピントリングが一定のピントズレ量に対応する分回転したことを示すパターンをピントリングに連動したパターン基板に刻んでおき,駆動量データを何ら算出することなくフォーカシング用モータを回転させ,上記パターンをいくつ横切ったかカウントし,パターンを横切った数によって示されるピントの移動量がカメラ本体で測定したピントズレ量に達するとフォーカシング用モータの駆動を停止するというものであるところ,乙1に係る発明の構成は以下のとおり,本件特許発明の構成要件C,E,F,Gの構成を備えていない。
本件特許発明は,カメラ本体内で変換データを用いて駆動量を算出し,当該駆動量に応じた量だけレンズを動かすが(構成要件C),乙1に係る発明においては,駆動量を算出しておらず,したがって,算出された駆動量に応じた量だけレンズを動かすということもない。乙1に係る発明では,切片がパターンを横切った数をカウントし,横切ったパターン数がピントズレ量に応じた数に達した段階でモータの回転を停止することによって合焦させることにより,上記パターンの数をズーム動作に伴って変化する焦点距離と当該焦点距離におけるピントズレ量に応じて定めているというにすぎない。
本件特許発明においては,焦点距離領域を複数の領域に分割し,焦点距離が上記複数の焦点距離領域のうちどの領域に属しているか示すデータを出力するデータ出力手段を有するが(構成要件E),乙1に係る発明においては,焦点距離領域を複数の領域に分割しておらず,焦点距離が上記複数の焦点距離領域のうちどの領域に属しているか示すデータを出力するデータ出力手段も有しない。乙1に係る発明においては,パターン基板にパターンを刻んでいるが,このパターンはピントリングの回転幅を示しているに過ぎない。また,乙1に係る発明では,接片が一定のパターンを通過すると制御機構にその旨伝達され,距離調節部材28の回転が停止するが,通過したパターン数の情報を出力しているにすぎず,当該焦点距離が複数ある焦点距離領域のうちどの領域に属するかを示すデータを出力しているわけではない。
本件特許発明は,変換データ記憶手段を有しているが(構成要件F),乙1に係る発明は,変換データを全く用いておらず,したがって,当然,変換データ記憶手段もない。
本件特許発明は,変換データ出力手段を有しているが(構成要件G),乙1に係る発明は,変換データを用いておらず,したがって,当然,変換データ出力手段も有しない。
また,たしかに,本件特許発明出願当時,浮動小数点方式は存在していたが,これを用いてデータを送信することや,ズームレンズに応用した場合にどのような効果を得られるかについては知られていたとは言えない。
以上によれば,乙1に係る発明と浮動小数点方式を組み合せることによって,本件特許発明出願当時,当業者が,本件特許発明を容易に想到することができたということはできない。
被告は,乙1に係る発明と本件特許発明との構成要件Gを除く構成の違いは,必要な機能に関しては相違がないかあるいは必要な機能に関する相違点がコンピュータに関係するありふれた技術事項の単なる付加又は削除にすぎない場合であるから,特許庁の「マイクロコンピュータ応用技術に関する発明についての審査運用指針」(乙15の9)の基準によっても同一の構成であると主張する。
しかし,同基準には「発明の目的及び効果に格別の差異が生じない場合には同一となる」と記載されており(乙15の9),乙1に係る発明と本件特許発明とでは目的及び作用効果が異なるから,同基準によっても同一の発明であるということはできない。すなわち,乙1に係る発明の目的及び効果は,「TTL測光方式を用いて合焦検出できるオートフォーカス式ズームレンズの提供」である(乙1,4頁1行)のに対し,本件特許発明の目的及び効果は,「変換係数が焦点距離に応じて大幅に変化するズームレンズにおいてもレンズからカメラ本体への変換データの高速転送,並びに焦点距離動作の応答性の向上」と異なっている。
また,被告は,構成要件Gの浮動小数点方式を用いる方式について公知の技術であったと主張する。しかし,焦点距離を複数の領域に分割する点,設定された焦点距離が複数に分割された焦点距離領域のいずれに属するかを示すデータを出力する点,大幅に変化する変換データについてこれらの領域ごとにその領域を代表する値を記憶させた点と浮動小数点方式によるデータ転送とを組み合せた点は,全く新規なものである。
(2) 昭和60年法律第41号による改正前の特許法36条4項,5項違反を理由とする無効
(被告)
本件明細書には,次のような記載不備があるから,昭和60年法律第41号による改正前の特許法(以下「昭和60年改正前特許法」という。)36条4項及び5項の規定に違反している。したがって,本件特許には,昭和60年改正前特許法123条1項3号,特許法36条4項,5項の無効事由が存在することが明らかである。
本件明細書には「変換係数データのビット数を最小限必要なビット数を抑えることができ,且つ転送時間を短縮することができ」,「高速でデータ転送を行うことができる,焦点調節用動作の応答性は著しく向上する」という効果がある旨記載されている。
しかし,従来技術のどのようなデータ転送手段のどのようなデータ転送時間と比較してどのように短縮されたのかが記載されていないから,本件明細書は,当業者が本件特許発明の効果を奏する発明を容易に実施することができるように記載されていない。
また,特許請求の範囲に記載された構成によっては,上記の効果を奏することができない。すなわち,本件明細書の特許請求の範囲欄には,浮動小数点方式を用いてデータを出力する手段としか記載されていないが,浮動小数点方式を用いても,必ずしも本件特許発明の作用効果とされているデータ転送時間の短縮という効果を奏することができない。
したがって,本件明細書には,発明の詳細な説明の記載において昭和60年改正前特許法36条4項違反があり,特許請求の範囲の記載において同条5項違反がある。したがって,本件特許には,昭和60年改正前特許法123条1項3号の無効事由が存在することが明らかである。
(訴訟引受人)
被告は,本件明細書に,従来技術のどのようなデータ転送手段のどのような転送時間と比較してどのように短縮されたのかが記載されていないと主張するが,そのような記載がなければ本件特許発明を実施することができないものではない。
また,被告は,本件明細書の特許請求の範囲記載の構成では,同明細書記載の作用効果を実現できない旨主張する。しかし,広範囲にわたり変化する変換データを浮動小数点方式で表現することにより,当該変換データのビット数を一定数に削減できるのであるから,被告の主張は失当である。
(3) 平成6年法律第116号による改正前の特許法(以下「平成6年改正前特許法」という。)64条違反を前提として特許法29条2項違反を理由とする無効
(被告)
ア 出願公告後の補正の要件について
平成6年改正前特許法64条3項は,出願公告後の補正は,@特許請求の範囲の減縮,A誤記の訂正,B明瞭でない記載の釈明のいずれかでなければ許されない旨規定しており,同条4項において準用する平成6年改正前特許法126条2項は,「前項の明細書又は図面の訂正は,実質上特許請求の範囲を拡張し,又は変更するものであってはならない」と規定している。上記要件を満たさない補正がなされた場合は,補正がなされなかった特許出願について特許がされたものとみなしているから(平成5年法律第26号による改正前の特許法42条),補正前の特許発明について進歩性を判断することになる。
実質上の変更に当たるか否かという点について,補正によって,特許請求の範囲に新たな構成を付加するような場合には,新たに付加された構成が当業者に周知の技術である場合には,実質上の変更に当たらないが,当業者に周知の技術とはいえない構成を付加した場合には,特許請求の範囲の実質的変更にあたるというべきである。
この点につき,最高裁昭和41年(行ツ)第46号同47年12月14日第一小法廷判決・民集26巻10号1909頁は,「明細書の全体の記載ないしその記載から導き出される発明の基本的思想の同一性を基準とすべきではなく,特許請求の範囲の記載を基準としてなされるべきである。」と判示し,東京高裁昭和43年(行ケ)第22号同47年10月17日判決・無体裁集4巻2号590頁(以下「昭和47年東京高裁判決」という。)は,上記最高裁判決と同様の基準を用いて平成6年改正前特許法64条2項において準用する同法126条2項につき,「或る発明に新たな構成要件の付加が当業者に周知の技術手段でない限り,特許請求の範囲を実質上変更するものというべきである。」と判示している。
イ 本件補正について
本件特許の出願人であるミノルタは,出願公告後の平成5年9月13日付手続補正書(乙26)において,特許請求の範囲につき,次の(ア)ないし(エ)のような記載を追加する補正を申し立てたが,同追加は,上記@ないしBのいずれにも該当しない事項であるか,または,平成6年改正前特許法64条2項の準用する同法126条2項の「実質上特許請求の範囲を拡張し,又は変更するもの」に該当するから,本件補正は補正要件を欠く。
(ア) 上記撮影光学系の焦点距離を設定する焦点距離設定手段と
(イ) 上記撮影光学系が有する焦点距離範囲を複数の焦点距離領域に分割して
(ウ) 焦点距離設定手段によって設定された焦点距離が上記複数の焦点距離領域のうちどの領域に属しているかを示すデータを出力するデータ出力手段と
(エ) 上記複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段と
そうすると,本件特許発明の進歩性判断は,出願公告時の特許請求の範囲の記載に従ってなされるべきである。
そして,出願公告時の特許請求の範囲の記載を基にすれば,異議申立時に提出された各証拠(乙15の1ないし3)により容易に発明できたものといえるから,本件特許権は,特許法29条2項に違反して特許されたものであり,特許法123条1項2号の無効事由を有することが明らかである。
ウ 訴訟引受人の主張に対する反論
(ア) 訴訟引受人は,実質上特許請求の範囲を拡張し,又は変更するものに該当するか否かについて過去の裁判例を分析した上,独自の基準@ないしB(後記訴訟引受人の主張ア(ア)参照)を主張するが,訴訟引受人が分析した裁判例は,個々の事案の解決に必要な範囲内でのみ規範の定立を行うのであるから,訴訟引受人が分析した裁判例に上記基準をうかがわせる記載があったとしてもこれを一般的,普遍的な基準ということはできない。
仮に,上記基準を採用したとしても,本件補正前の発明と本件補正後の発明とでは,目的及び作用効果が異なり,訴訟引受人主張の基準A及びBを満たしていないから,いずれにしても本件補正は補正要件に欠ける補正というべきである。
以下,訴訟引受人の主張する基準@ないしBについて反論する。
(イ) 基準@について
特許法70条は,特許発明の技術的範囲は,願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて判断しなければならないと規定しているのであるから,平成6年改正前特許法126条2項の「実質上特許請求の範囲を拡張し,又は変更するもの」に当たるか否かの判断は,明細書中の特許請求の範囲の記載を基準としてなされるべきであって,明細書全体の記載を基準とすべき旨をいう原告の主張は失当である。明細書中,特許請求の範囲以外の記載は,特許請求の範囲を一義的に明確に理解することができないとか,あるいは,一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って,斟酌されるべきものである。
訴訟引受人は,当該補正が特許請求の範囲を減縮するものである限り,当該補正によって補正前は侵害とならなかった行為が後に侵害とみなされるようになる可能性はない旨主張するが,本件補正前の特許請求の範囲に基づく本件特許発明は,進歩性がなかったのであるから,本件補正前における第三者は,「本件特許発明は,将来,進歩性がないものとして無効とされるはずである。」という信頼を形成したはずである。にもかかわらず,本件補正によって無効となるべきものが有効なものとして権利化されることになれば,第三者が形成した信頼を害することは明らかである。
(ウ) 基準A及びBについて
本件特許発明は,明細書に記載されたデータ転送時間短縮という作用効果を奏しないものであるから,本件補正の前後の作用効果を比較することを前提とする訴訟引受人主張の基準A及びBを適用することは不可能である。
(訴訟引受人)
ア 出願公告後の補正の要件について
(ア) 平成6年改正前特許法126条2項にいう「実質上特許請求の範囲を拡張,又は変更するもの」に該当するか否かの判断基準
平成6年改正前特許法64条2項及びその準用する同法126条2項にいう「実質上特許請求の範囲を拡張,又は変更するもの」に該当するか否かの判断は,従来の裁判例を分析する限り,次の3つの基準にしたがってなされるべきである(以下,「基準@」のようにいう。)。
@ 当該補正によって追加された技術事項が補正前の明細書又は図面に開示されている技術事項の範囲内か否か
A 補正後の発明の目的が,補正前の発明の具体的目的の範囲内か否か
B 補正後の発明の作用効果が,補正前の発明の作用効果を顕在化したものや副次的なものにとどまるものであり,全く別個の新たな作用効果でないといえるか否か
(イ) 基準@について
平成6年改正前特許法64条2項,126条2項の趣旨は,出願公告後に実質上特許請求の範囲を拡張し,又は変更する補正をすると,出願公告時の特許請求の範囲の記載を前提に行動した第三者の利益を害するおそれがあることから,特許出願人とこのような第三者との間の利益を調整するというものである。ここにいう,第三者の利益として考えられるものは,@補正によって補正前は侵害とならなかった行為が侵害とみなされることによって不利益を受ける可能性がある第三者と,A当該発明の出願後,補正に係る発明と同一の発明について特許出願を行った後願の出願人とが考えられる。
このうち,@の第三者については,当該補正が特許請求の範囲を減縮するものである限り(特許請求の範囲が減縮されたにもかかわらず,発明の詳細な説明の記載が併せて補正されたことにより特許請求の範囲の文言の意味が変化したといった例外的な場合を除き),当該補正によって補正前は侵害とならなかった行為が後に侵害とみなされるようになる可能性はない。
また,Aの後願の出願人の利益についても,当該補正後の発明が願書に最初に添付した明細書又は図面(以下,単に「出願時明細書」ということがある。)に開示されていた場合には,そもそも後願の出願人は,特許法29条の2の規定に基づき,特許を受けることができないのであるから,後願の出願人の利益を害することも理論的にあり得ない(特許法29条の2は,昭和45年法律第91号によって新設され,昭和46年1月1日以降になされた特許出願に適用される。)。被告が主張する昭和47年東京高裁判決で問題となった特許出願は,昭和35年6月30日に出願されており,同条の適用を受けない。
以上のとおり,出願公告後の補正が,特許請求の範囲の減縮に当たり,かつ補正後の発明が出願時明細書に記載されているものである限り,原則として「実質的に特許請求の範囲を拡張,又は変更するもの」に該当しないと解すべきである。
なお,最高裁は,基準@に基づいて判断した東京高裁の判決(東京高判昭和57年6月17日,甲43)の判断を正当なものとして是認しており(最判昭和58年1月31日,甲50),その他下級審判決においても,同基準に従って「実質上特許請求の範囲を拡張,又は変更するもの」に該当するか否かの判断をするものが圧倒的多数である(甲38ないし46,乙30,31に掲載の17件の下級審判決が当該基準に従って判断している。)。さらに,上記判断基準は,学説においても支持されている。
(ウ) 基準Aについて
当該基準は,特許庁の「一般審査基準・出願公告後の補正」(乙29)や「審判便覧」(甲36)において採用されているものである。もっとも,発明の目的は,本来,発明者の主観的意図であり,いかなる場合に発明の具体的な目的の範囲を逸脱するものとなるのかは必ずしも明らかではなく,Aの基準のみによって「実質上特許請求の範囲を拡張,又は変更するもの」か否かを判断することは困難である。
なお,同基準に従って「実質上特許請求の範囲を拡張,又は変更するもの」に該当するか否かの判断をする下級審判例もあるが,比較的古いものであり,基準@及びBと併用して用いているものが多い(甲43,46ないし49に掲載の11件の下級審判決が当該基準に従って判断している。)。
(エ) 基準Bについて
同基準は,基準@及びAと併用して,「実質上特許請求の範囲を拡張,又は変更するもの」か否かの判断において補足的に用いられるべきである。
すなわち,出願公告後の補正において,平成6年改正前特許法64条1項1号及び126条1項1号により特許請求の範囲を減縮する補正が認められている趣旨は,出願公告後になされた特許異議申立等において新たな公知技術が示された場合に,特許請求の範囲を減縮すれば新規性及び進歩性が維持できるにもかかわらず,常に発明全体が特許査定を受けることができないのは出願人に酷であり,かつ特許制度の趣旨を没却するため,これを防止する趣旨にでたものである。このように,出願公告後の補正において,特許請求の範囲を減縮することは,減縮によって新規性や進歩性等の特許要件を維持することを目的としたものである以上,当該特許請求の範囲の減縮により補正後の発明の作用効果が補正前の発明の作用効果よりも優れており,又は発明前の作用効果を顕在化させるものとなることは当然というべきであり,補正後の作用効果が優れているからといって,実質上特許請求の範囲が変更されたと捉えることは許されない。
なお,同基準に従って「実質上特許請求の範囲を拡張,又は変更するもの」に該当するか否かの判断をする下級審判例もあるが,@,Aの基準と併用して補足的に用いているものが多い(甲42ないし45,47,49に掲載の9件の下級審判決が当該基準に従って判断している。)。
(オ) 被告が根拠とする昭和47年東京高裁判決について
被告の指摘する昭和47年東京高裁判決は,補正前の明細書又は図面に開示された技術事項であっても,周知技術でない限り補正によって追加することは許されないとしているが,補正前の明細書又は図面における開示の有無,補正後の発明の目的,作用効果を問題とする裁判例が圧倒的多数である。また,補正前の明細書に開示されたところに従い,特許請求の範囲を減縮する限り,第三者の利益を害することはなく,補正前の明細書又は図面に記載されている事項であっても周知技術でない限り追加できないとすると,平成6年改正前特許法64条1項1号,126条1項1号が出願公告後の補正によって特許請求の範囲を減縮することを認めている趣旨を害する。
したがって,昭和47年東京高裁判決の採用する基準に従って判断すると,法の趣旨を超えて不当に出願公告後の補正が許される場合が制限されることになる。さらに,昭和47年東京高裁判決の判断基準は,その後に特許庁が定めた「一般審査基準・出願公告後の補正」及び「審判便覧」の基準(補正前の発明の具体的な目的を逸脱するものであるか否かを基準とする)に反する上,これを支持する学説は存在しない。
よって,被告の主張する昭和47年東京高裁判決の判断基準は採用し得ない。
なお,昭和47年東京高裁判決で問題となった特許出願は,昭和45年法律第91号により新設された特許法29条の2が施行される前の特許出願であり,当時は,先願の特許請求の範囲の記載と後願の特許請求の範囲の記載とが同一又は実質的に同一である場合に限って後願を排除していた(特許法39条1項)。そして,上記実質的に同一の場合とは,後願が,先願の特許請求の範囲に単なる慣用的手段を付加したに過ぎない場合のことをいうと解釈されていた。したがって,当時は,出願公告後の補正によって,特許請求の範囲に慣用手段でない技術事項が付加されると,たとえそれが補正前の明細書又は図面において開示されたものであったとしても,後願発明との関係で同一性に変更が生じ,その結果,補正前の先願発明と同一でなかった後願発明が補正後の先願発明と同一になってしまい,特許を受けることができないという重大な不利益が生じることが生じ得たから,かかる不都合を回避する必要性があった。昭和47年東京高裁判決が周知でない技術事項を追加することは「実質上特許請求の範囲を拡張,又は変更するもの」であると判断したのには,以上のような背景事情が存在したものと思われる。
しかしながら,本件特許のように特許法29条の2が適用される特許出願に関しては,後願の出願人は,そもそも特許を受けることができないのであるから,以上のような不都合は存在しない。
イ 本件補正について
(ア) 基準@について
本件においては,本件補正によって追加された事項は,すべて本件補正前の明細書(甲2の1)の発明の詳細な説明に記載された実施例において記載されていた。したがって,本件補正は,補正前の明細書及び図面に開示された技術事項に基づいて特許請求の範囲を減縮するものである。よって,本件補正が基準@を充たすことは明らかである。
(イ) 基準Aについて
本件補正前明細書記載の発明の目的は,変換係数のデータを並列に転送する場合にはカメラ本体と交換レンズとの間の信号受信のための端子が多くなってこれら端子へのゴミの付着や端子間の接触不良等によってデータの信頼性が低下したり,直列に転送する場合には転送時間が長くかかったりするという不都合が生じることから,そのような不都合を生じることなく変換係数のデータをカメラ本体に転送できる自動焦点調節方法及びそのための交換レンズを提供しようというものである。
本件補正後の発明の目的は,本件補正前の発明と同様,少ない端子数で高速でデータ転送を行うというものである。
すなわち,本件補正によって,焦点距離領域ごとに分割し,設定された焦点距離が上記複数の焦点距離領域のいずれに属するかを示すデータを出力する手段と,1つの焦点距離領域に1つの変換データを記憶する手段とを追加することによって,特許請求の範囲に,浮動小数点方式を用いてカメラ本体へデータ転送する方法をより具体的に記載したに過ぎず,本件補正の前後で,変換データを指数部と有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力して少ない端子数でかつ高速でデータ転送するという発明の目的事態は何ら変化していない。
したがって,本件補正は,基準Aを満たすというべきである。
(ウ) 基準Bについて
本件補正前の発明の作用効果は,ズームレンズであると単焦点レンズであるとを問わず,単に浮動小数点方式を用いたデータ表現方式でデータを転送することによってデータの転送時間の短縮及び焦点調節動作の応答性を向上するというものであった。
本件補正後の発明の作用効果は,浮動小数点方式のデータ表現方法を採用するのみならず,データ出力手段,記憶手段等の,ズームレンズ特有の構成を組み合せることにより,焦点距離に応じて変換係数の値が大幅に変化するズームレンズにおいても,データ転送時間の短縮及び焦点調節動作の応答性の向上を実現した点にある。
以上のとおり,本件補正後の発明の作用効果は,対象をズームレンズに限定したことにより,ズームレンズにおける本件補正前の作用効果を顕在化させたにすぎず,本件補正前の作用効果を逸脱する新たな作用効果とはいえない。
したがって,本件補正は,基準Bを満たすというべきである。
(エ) 以上から,本件補正は,上記@ないしBの基準のいずれをも満たしており,本件補正が平成6年改正前特許法64条1項2項,126条2項に反しないことは明らかである。
ウ 明白性の原則について
本件特許発明に無効事由が存在しないことは前記のとおりであるが,仮に裁判所において,補正要件違反につき何らかの疑念を抱くことがあったとしても,「特許に無効理由が存在することが明らか」ということはできないから,本件特許権に基づく権利行使が権利の濫用であるということはできない。
すなわち,「特許に無効理由が存在することが明らか」とは,「無効審判請求がされた場合には無効審判の確定により当該特許が無効とされることが確実に予見される」との心証を得ることが出来る程度に無効理由の存在が明白な場合を指すと解すべきである。
ところが,平成6年改正前特許法126条2項の「実質上特許請求の範囲を拡張,又は変更するもの」に該当するか否かの判断基準は,前記のとおり見解がわかれており,昭和47年東京高裁判決とは異なる判断基準を示す下級審裁判例が多数存在し,最高裁もこれを支持しているという状況の下では,本件特許に無効理由が存在することが明らかであり,無効審判請求がされた場合には無効審判の確定により当該特許が無効とされることが確実に予見されるなどとは到底いうことができない。
なお,本件訴訟において,訴訟引受人が勝訴し,当該勝訴判決が確定した後,万一本件特許を無効とする審決が確定した場合には,再審事由となり,被告は再度特許権侵害を争うことができるが,逆に本訴において権利濫用の抗弁が認められて訴訟引受人敗訴の判決が確定した場合には,その後,無効審判により本件特許に無効理由が存在しないことが確定したとしても,訴訟引受人は,既判力により本件特許権を行使する機会を永遠に失うことになる。このようなことを考えても,明白性の要件を充足するのは,無効審判が提起された場合に特許無効審判が確定することが確実に予見される程度の心証が得られる場合でなければならない。
エ 被告の,補正要件違反による進歩性判断時期の変更に基づく進歩性欠如の主張は,時機に後れたものであり,却下されるべきものである。
本件においては,ミノルタは,訴訟提起の1年以上前から被告に対して警告を行ってきたものであるところ,被告は,訴訟提起から2年半が経過した第19回弁論準備手続期日において,初めて補正要件違反による無効の主張を行ったのであるから,かかる防御の懈怠の責任はすべて被告が甘受すべきものである。
6 争点5(損害の額)について
(訴訟引受人)
(1) 被告の本件特許発明の実施に対して受けるべき実施料相当額は,控えめに見積もっても被告レンズの総売上高の3%を下らない。
被告製品のうちニコン用レンズの平成4年10月から平成15年1月までの総売上高は合計229億6658万7347円,被告製品のうちキャノン用レンズの同期間の総売上高は合計349億3870万3049円,被告製品のうちペンタックス用レンズの同期間の総売上高は合計91億2380万0513円であり,被告製品の同期間の総売上高は,合計して670億2909万0909円である。そうすると,被告の本件特許発明の実施に対して受けるべき実施料相当額は,20億1087万2664円(670億2909万0909円×0.03)である。
したがって,特許法102条3項により,被告の本件特許権侵害行為により被った損害(本訴提起の日である平成13年6月21日以前の3年間及び本訴提起の日から平成15年1月までの間の損害額)及び被告の不当利得(平成4年10月から平成10年6月20日までの間の不当利得)は合計20億1087万2664円である。
(2) 弁護士費用
本件訴訟追行のため,訴訟代理人及び補佐人に委任せざるを得なかったものであるが,本件訴訟は,専門性の極めて高い技術事項に関する複雑かつ難解な紛争であることを考えると,本件訴訟に要した弁護士費用は1億円を下らない。
(3) 小括
よって,訴訟引受人は,損害賠償金及び不当利得金のうち金20億4271万1574円の支払及びうち別紙損害・利得一覧表「損害/利得額」欄記載の各金員に対する同一覧表「遅延損害金起算日」欄記載の各起算日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金ないし利息の支払を求める。
(被告)
被告製品の平成4年10月から平成15年1月までの間の総売上高については認めるが,実施料率については争う。
訴訟引受人は,本件特許発明の実施に対して受けるべき金額が総売上高の3%を下らない旨を主張する。しかしながら,自動焦点レンズの分野においては,1つの製品に多数の特許発明やノウハウが用いられているものである。そして,本件の被告製品においても,本件特許発明は,そのような技術の中の1つにすぎないのであるから,被告商品の売上高の3%を下らないとする訴訟引受人の主張は失当である。
第4 当裁判所の判断
1 争点1(ニコン用被告製品が構成要件F及びGを充足するか)
(1) 被告構成@を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
ア 構成要件Fの意義について
(ア) 「変換データ」の意義
@ 特許請求の範囲の記載
本件明細書の特許請求の範囲には,変換データについて,「所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換するための変換データ」,「上記複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された」,「焦点距離領域データに基づいて,該当する領域の上記変換データ」と記載されている。
これらの記載に照らすと,変換データは,所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換する際に用いられるデータで,焦点距離領域によって異なるデータである。
なお,前記第2,2(1)記載のとおり,所望の結像位置移動量を駆動量に変換する際に用いられる変換係数を算出するためのデータは様々存在し,そのような種々のデータは,いずれも焦点距離領域に応じて変化するデータと掛け合わせることによって「焦点距離領域によって異なるデータ」になり得ることになる。
A 本件明細書の発明の詳細な説明及び願書に添付された図面の記載
上記のような解釈は,本件明細書の発明の詳細な説明及び願書に添付された図面の記載(本件公報参照)からも裏付けられる。すなわち,本件明細書の発明の詳細な説明及び願書に添付された図面には次のような記載がある。
a 実施例(本件公報5欄2行ないし20行)
「レンズ側クラッチ106から大歯車103までの機械伝達系の減速比をμL,焦点調節部材102のヘリコイドリードをLH(mm/rot),フォーカス用レンズFLの移動量をΔd(mm)とすると‥‥‥,KL=Kop/(μL/LH)‥‥‥」
b 実施例(本件公報5欄13行ないし第6欄3行)
「レンズをΔd(mm)だけ移動させたときの結像面の移動量ΔL(mm)と上記Δdとの比をKop=Δd/ΔLで表すと‥‥‥N=KB・KL・ΔLの関係式が得られる。‥‥‥KLは,ズームレンズLZの変倍操作用ズームリングZRの回動操作により設定された焦点距離に対応してレンズ回路LECから出力される。‥‥‥KLのデータが直列でカメラ本体の読取回路LDCで読取られる。‥‥‥KBは,カメラ本体での前記減速比μBに応じて固定的に定められるデータであり,このデータKBは,固定データ出力回路110から出力される。」
c 第1図
別紙第1図のとおり。
d 実施例(本件公報6欄36行ないし7欄1行)
「以上の説明では,カメラ本体BD側にデータKBを固定記憶させ,このデータKBにレンズからのデータKLを掛けることによりK=KL・KBの値を算出させていたが,K値の算出は上述の方法に限定されるものではない。例えば,KB値が互いに異なる複数種類のカメラ本体のいずれに対してもズームレンズが装着可能な場合,ズームレンズLZのレンズ回路LECから特定のKB値を有するカメラ本体に対応したK1=KL・KB1のデータを設定焦点距離に応じて出力するようにする。」
e 実施例(本件公報7欄12行ないし17行)
「KBが互いに異なる複数種類のカメラ本体の全KB値データK1=KL・KB1,K2=KL・KB2,‥‥‥,Kn=KL・KBnをすべてレンズに記憶しておき,これらのデータをすべてカメラ本体側に送り,カメラ本体において自身のKB値に応じたデータを選択させるようにしてもよい。」
f 実施例(本件公報10欄11行ないし13行)
「後述するレンズの変換係数データKDを送る場合には‥‥‥」
g 実施例(本件公報24欄40ないし42行)
「このアドレスには設定焦点距離に対応した変換係数のデータKDが記憶されている。」
h 実施例(本件公報25欄34ないし37行)
「KDは,焦点距離fに応じて直線A,B,Cに示すように連続的に変化するが,本実施例の場合,折線,A’,B’,C’で示すように,KDの値をK1〜K33の離散的な値としている。」
i 実施例(本件公報26欄34行ないし27欄10行)
「撮影距離に応じて変換係数が大幅に変化するズームレンズがある。‥‥‥このようなズームレンズにも対応できるように,本実施例では,無限大の位置での変換係数のデータのみをROM,RO3に記憶させ,合焦位置の近傍の領域‥‥‥に到達するまでは,ΔLの正負(即ち,デフォーカス方向)の信号だけに基づいてフォーカス用レンズを駆動し,近合焦ゾーンにはいると上述のKDと|ΔL|とによって求まるNの値に基づいてレンズを駆動するようにしている。尚,焦点距離用のコード板FCDの他に設定撮影距離用のコード板を別設し,これらコード板によりROM,RO3のアドレスを指定して正確な変換係数のデータを得るようにしてもよいが,部品点数の増加,アドレス指定用のビット数の増加,ROMの容量の増加等の問題があり,実用的でない。」
j 従来技術(本件公報3欄8行ないし17行)
「交換レンズごとに変換係数の値が異なる。また,一本のレンズ内においても,焦点距離の変更が可能なズームレンズでは焦点距離の変化に応じて前記の変換係数が変化する。‥‥‥この変換係数の値は各交換レンズごとにまた,ズームレンズでは焦点距離の変化に応じて変化するので,この変換係数のデータが種々の交換レンズに対応できるようにするとそのビット数が多くなってしまう。」
k 要旨(本件公報3欄33行ないし38行)
「変換係数のデータが大幅に変化しても,上記駆動量の算出には該データの有効数字部は所定桁あれば十分であることを利用して,上記変換係数のデータを上位mビットの指数部と下位nビットの有効数字部とに分離した(m+n)ビットのデータとしたものである。」
上記記載のうち,「所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換する際に用いられるデータで,焦点距離領域によって異なるデータ」として記載されているのは,KL(前記b),KL・KB(前記d),及びKD(前記f,g)の3種類である。
KLは,Kop/(μL/LH)の式で表される数値であり(上記a),Kopは,レンズをΔd(mm)だけ移動させたときの結像面の移動量ΔL(mm)と上記Δdとの比(以下「Kop」という。)であり(前記b),μLは,レンズ側クラッチ106から大歯車103までの機械伝達系の減速比であり(上記a),LHは,焦点調節部材102のヘリコイドリードである(上記a)から,KLは,Kopをレンズ内の機械的条件で除した数値であるということができる。
KBは,カメラ本体での減速比に応じて固定的に定められるデータである(上記b)。したがって,KL・KBは,Kopをレンズ内の機械的条件で除した数値とカメラ本体での減速比に応じて固定的に定められるデータを掛け合わせた数値である。
KDは,|ΔL|と掛け合わせることによって,変換係数Nを求めることができる数値であり(上記i),Nは,KL・KB・ΔLによって求められるから(上記b),KDは,KL・KBと同様,Kopをレンズ内の機械的条件で除した数値とカメラ本体での減速比に応じて固定的に定められるデータを掛け合わせた数値である。
本件明細書の上記各記載に照らせば,「所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換する際に用いられるデータで,焦点距離領域によって異なるデータ」として記載されているのは,「Kopにその他の変換係数算出のためのデータを掛け合わせたデータ」である。
したがって,本件明細書には,「変換データ」として,「所望の結像位置移動量を駆動量に変換する際に用いられるデータで,焦点距離領域によって異なるデータ(Kop)にその他の変換係数を掛け合わせたデータ」が記載されている。
(イ) 「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」の意義
本件明細書の特許請求の範囲の記載に照らせば,構成要件Fの「焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」との構成は,複数の焦点距離領域の夫々につき「変換データ」が1つ記憶されている構成を意味する。
この点につき,訴訟引受人は,本件明細書の発明の詳細な説明における実施例の記載を根拠に,構成要件Fの「焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」とは,本来焦点距離に応じて連続的に変化する変換データを各焦点距離ごとに離散的な値として記憶したという意味であるとし,焦点距離範囲を複数の領域に分割して各焦点距離領域のそれぞれを代表するデータが記憶されていれば,その代表する数値が複数あってもよい旨を主張する。
しかし,本件明細書の特許請求の範囲に記載された「1つの変換データ」という文言は,それ自体通常の用語として一義的に明確なものであって,「1つの変換データ」が「離散的な値としての変換データ」と同義であるということはできない。
イ 被告構成@の構成要件F充足性について
被告構成@は,記憶手段に焦点距離領域の夫々につき,焦点距離に応じて変化するデータが離散値として記憶されているが,撮影距離に応じてこのデータが複数存在する構成である。
被告構成@の離散値として記憶されている焦点距離に応じて変化するデータが,「所望の結像位置移動量を駆動量に変換する際に用いられるデータで,焦点距離領域によって異なるデータ」,すなわち,構成要件Fにいう「変換データ」に該当することは,被告も特に争っていない。
撮影距離に応じて別の変換データ群が用意されているレンズであっても,ある撮影距離において用いられる変換データ群についてみた場合に,焦点距離ごとに夫々1つの変換データが記憶されていれば,構成要件Fを充足するというべきである。けだし,構成要件Fには「所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換するための変換データについて」と規定されており,その文言上撮影距離については何ら言及されておらず,撮影距離を異にした場合に別のデータ群が用いられることを排除しているものとは解されず,また,撮影距離ごとに別の変換データが用意されている場合であっても,「焦点距離の変化に対して,そのとき設定されている焦点距離に対応する変換データを高速で転送し,焦点調節動作の応答性を著しく向上する」という本件特許発明の作用効果を実現しているからである。
すなわち,被告構成@の撮影距離に応じて上記データが複数存在するという構成は,構成要件Fの「焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を各撮影距離ごとに複数設けた構成であるということができるから,被告構成@を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するということができる。
このことは,本件明細書における上記ア(ア)Aiの記載からも明らかである。すなわち,本件明細書の当該部分には「尚,焦点距離用のコード板FCDの他に設定撮影距離用のコード板を別設し,これらコード板によりROM,RO3のアドレスを指定して正確な変換係数のデータを得るようにしてもよい」と記載されているもので,撮影距離に応じて別の変換データ群が用意されている場合であっても,本件特許発明の作用効果は実現されることが,明示されているものである。なるほど,被告の指摘するように,本件明細書の当該部分には,前記記載に続いて,上記のような構成をとることにつき,「部品点数の増加,アドレス指定用のビット数の増加,ROMの容量の増加等の問題があり,実用的でない。」と記載されているが,当該記載は,本件特許発明の作用効果とは別個の理由から実用化の点で難点があることを指摘しているにすぎず,このような構成を本件特許発明の技術的範囲から除外しているものではない。
また,被告は,被告構成@は,撮影距離に応じて正確な変換係数のデータを得る構成であるから,応答性が低下してしまい,データ転送時間を短縮するという本件特許発明の作用効果が得られない旨をいうが,少なくとも,変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部からなる信号としてカメラ本体へ出力するという構成を採用することによって,被告構成@の構成においてもデータ転送時間の短縮という作用効果が生じるというべきであり,被告の主張は採用できない。
(2) 被告構成Bを備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
被告構成Bは,変換データの記憶において,有効数字部と指数部がそれぞれ8ビットずつのデータとして2バイト以上にわたって記憶されている構成である。
証拠(甲15)によれば,本件特許発明の特許出願当時,コンピュータプログラムにおいて,2語以上を用いて1つの数値を表現することは当業者において周知であったと認められる。
そして,変換データは,「所望の結像位置移動量を駆動量に変換する際に用いられるデータで,焦点距離領域によって異なるデータ」であるところ,有効数字部と指数部は,双方組み合せてはじめて1つの変換データというべきものであって,それぞれを独立した変換データということはできないから,2バイト以上にわたる形で記憶されていたとしても,1つの変換データが記憶されているというべきである。
したがって,被告構成Bを備えていても,構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するということができる。
(3) 被告構成Dを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえるか
被告構成Dは,レンズからカメラ本体に変換データを送信する際,まず有効数字部データが8ビットのデータとして送信され,その後,時間的間隔をおいて指数部データが8ビットのデータとして送信される構成である。
本件明細書の特許請求の範囲には,「上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体に出力する出力手段」とされているだけであって,指数部のデータと有効数字部のデータのビット数を限定する記載はない。
有効数字部と指数部をそれぞれ何ビットで表現するかは,当業者にとって単なる設計事項にすぎず,ビット数のとり方によっては,変換データが2バイト以上にわたる信号となって送信されてもよいことは当然である。
また,作用効果についても,変換データの転送時間が短縮されるのは有効数字部と指数部が間隔を全くあけずに転送されるからではなく,ビット数そのものを減少させて送信しているからである。
そうすると,被告構成Dは,変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する構成であるということができるから,被告構成Dを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するということができる。
この点につき,被告は,構成要件Gにつき変換データを1バイト以内で送信する構成と解さなければ,データ転送時間の短縮という作用効果が生じない上,本件特許発明出願当時,データの転送を指数部と有効数字部に分けて行う方式(浮動小数点方式)は周知であったから,2バイト以上にわたって行っていたものを1バイトで送信するものと限定解釈しなければ本件特許発明に進歩性を認めることができないと主張する。
しかし,2バイト以上にわたって送信したとしても,変換データを指数部と有効数字部に分けるという浮動小数点方式を用い,焦点距離領域ごとに1つの変換データを記憶することによって,データ転送時間の短縮という作用効果を生じるというべきである。被告は,浮動小数点方式を用いずに固定小数点方式によったとしても,データ転送時間に有意な差はない旨主張し,これに沿う証拠(被告社員作成の書面。乙7,10及び17)を提出する。しかし,同書面は,変換係数が0.2ないし20の範囲内に収まることを前提としているが,その前提となる計算式の正確性には疑問が残る上(乙7では,ずれ量の限界値を0.05,駆動量の限界値を0.01として,変換係数の下限値0.2を求めている。しかし,上記0.05を導く根拠として「カメラの自動焦点調整ではズレ量が±0.05ミリに収束するまで制御できる最少分解能が必要である」と記載し,上記0.01を導く根拠として「自動焦点調節機構を備えた交換レンズでは±0.01ミリが最少分解駆動量となる」と記載するのみで,上記ずれ量及び駆動量の限界値の正確性に疑問が残る。また,変換係数の上限値20は,「ズームレンズの場合の変換係数はテレ側のズーム比の二乗倍がワイド側の変換係数になる特性がある。……よって,下限を0.2とすると上限は20となる」としており,結局,上記変換係数の下限値に基づいて算定している。),脱退原告が行った被告製品の分析では,変換係数の範囲は上記範囲を大きく超えるとされており(甲18),被告からは当該脱退原告の実験結果を弾劾するに足りる反論はなされていない。乙10では,被告製品のうちペンタックス用レンズについて,実験結果と異なる分析結果のみが示されているが,当該結果の算出方法については「もっと複雑な式」としか記載がないなど,全般にわたって充分な反論がなされているとはいえない。したがって,上記被告社員作成の書面は,変換係数が0.2ないし20の範囲に収まるという前提自体に疑問があり,同書面の見解を採用することはできない。
また,証拠(乙2ないし5)によれば,浮動小数点方式によるデータ出力手段は,本件特許発明出願当時周知であったと認められるが,争点4についての判断において述べるように,その他の構成との組合せの点で本件特許発明に進歩性を認めることができるのであるから,被告が主張するような限定解釈をしなければ本件特許発明が無効であるとはいえない。
したがって,被告の見解は採用できない。
(4) 小括
以上のとおりであるから,被告構成@及びBを備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するということができる。
また,被告構成Dを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するということができる。
被告は,ニコン用被告製品について,被告構成@,B及びDの構成を備えていることを理由として,構成要件F,Gの充足性を争っているものであるところ,上記のとおり,これらの構成を備えていることは構成要件F,Gの充足性を否定する理由とはならない。
ニコン用被告製品について,被告は,上記の点以外においては構成要件F,Gの充足性を争っていない。
したがって,ニコン用被告製品は,構成要件F及びGを充足するものというべきである。
そうすると,ニコン用被告製品が構成要件AないしE及びHを充足することは当事者間に争いがないから,ニコン用被告製品は,本件特許発明の技術的範囲に属するというべきである。
2 争点2(キャノン用被告製品が構成要件F及びGを充足するか)
(1) 被告構成@を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
前記1(1)と同様の理由により,構成要件Fに該当する。
(2) 被告構成Aを備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
被告構成Aは,各焦点距離領域ごとに光学変換データと機械変換データがそれぞれ1つずつ記憶されている構成である。
構成要件Fは,「所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換するための変換データについて,上記複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するというものであり,そこでいう「変換データ」は,「所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換する際に用いられるデータで,焦点距離領域によって異なるデータ」であり,焦点距離領域ごとに定められたデータであることは文言上明らかである(本件明細書の詳細な発明の記載も,「交換データ」が焦点距離領域ごとに算出された値であることを前提として記述されている。)。
しかるに,被告構成Aにおける光学変換データと機械変換データのうち,機械変換データは焦点距離にかかわらず常に一定の数値で変化しないものである(甲29により認められる。)。このように焦点距離にかかわらず常に一定の数値であるものは,複数の焦点距離領域の夫々についての「変換データ」に該当するものとはいえない。そうすると,被告構成Aの構成においても,複数の焦点距離領域の夫々について定められた「変換データ」は光学変換データのみであり,「1つの変換データ」ということができる。
被告構成Aにおいては,光学変換データのほかに,焦点距離に関連しない機械変換データが記憶されているが,上記のとおり機械変換データは焦点距離に関する「変換データ」ではなく,構成要件Fはこのような当該構成要件の「変換データ」に該当しない他のデータが存在する場合を排除していないから,機械変換データが存在することは,被告構成Aが構成要件Fを充足することを妨げるものではない。すなわち,構成要件Fは,「変換データ」以外に変換係数算出のためのデータがレンズ内に記憶されカメラ本体に出力される構成を除外するものではない(本件明細書の特許請求の範囲欄には,上記のような構成を除外することを窺わせる記載はない。)。
よって,被告構成Aを備えていても,構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段を有するということができる。
この点に関して,被告は,レンズの駆動量算出のために複数の変換係数が存在する場合には,当該係数のすべてを「変換データ」というべきであって,変換係数算定のための数値の一部を取り上げて「変換データ」ということはできないと主張する。しかしながら,本件明細書には,被告主張のように解する根拠となる記載はない。被告は,同明細書の発明の詳細な説明の「上述のような自動焦点調節においては,検出されたズレ量から駆動手段の駆動量を算出‥‥‥する場合,ズレ量データに適当な変換係数を掛けることにより駆動量データが得られる。この変換係数の値は,交換レンズの焦点距離やレンズ構成等の光学的条件及び交換レンズ内の焦点調整機構の構成等の機械的条件に応じて変化する。」(本件明細書第2欄12行ないし第3欄7行)との記載を指摘するが,これらの記載から,必要な変換係数のすべてを変換データと解さなければならないということはできない。むしろ,本件明細書の発明の詳細な説明の実施例欄には,前記1(1)アのAa,c,dのように,変換データであるKLの他,変換係数の算出に必要なデータであるKBを,カメラ本体側に記憶しておき,レンズから出力された変換データとカメラ本体内で掛け合わせることによって変換係数を算出する構成が記載されている。
また,被告は,上記のように解すると,データ転送時間の短縮という本件特許発明の作用効果を奏しないと主張するが,上記のように解しても,変換データを浮動小数点方式で出力するなど本件特許発明の技術によって,本件特許発明の技術を用いない場合に比べてデータ転送時間の短縮を図ることができる。浮動小数点方式と固定小数点方式の違いに関する被告の主張を採用しえないことは,前記2(3)アウにおいて述べたとおりである。
(3) 被告構成B’を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
被告構成B’は,光学変換データが,指数部6ビット,有効数字部2ビットの合計8ビット及び有効数字部の残部8ビットのデータとして記憶され,機械変換データが指数部8ビット,有効数字部8ビットのデータとして記憶されている構成である。
上記構成についても,前記1(2)におい述べたのと同様の理由で,構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するということができる。
(4) 被告構成D’を備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえるか
被告構成D’は,まず光学変換データの指数部と有効数字部の一部のデータが8ビットのデータとして送信され,その後間隔をおいて光学変換データの有効数字部の残部データが8ビットのデータとして送信され,その後間隔をおいて機械変換データの指数部と有効数字部の一部のデータが8ビットのデータとして送信され,その後間隔をおいて機械変換データの有効数字部の残部データが8ビットのデータとして送信される構成である。
上記構成についても,前記1(3)において述べたのと同様の理由で,構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するということができる。
(5) 小括
以上のとおりであるから,被告構成@,A及びB’を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するということができる。
また,被告構成D’を備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段と」を有するということができる。
キャノン用被告製品について,被告は,上記の点以外においては構成要件F,Gの充足性を争っていない。
したがって,キャノン用被告製品は,構成要件F及びGを充足するものというべきである。
そうすると,キャノン用被告製品が構成要件AないしE及びHを充足することは当事者間に争いがないから,キャノン用被告製品は,本件特許発明の技術的範囲に属するというべきである。
3 争点3(ペンタックス用被告製品が構成要件F及びGを充足するか)
(1) 被告構成@を備えていても構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」を有するといえるか
前記1(1)において述べたのと同様の理由で,構成要件Fの上記構成を有するということができる。
(2) 被告構成Cが構成要件Fの「記憶手段」に該当するか
被告構成Cは,カウンタ及びデコーダを通じて,ビット数に対応した端子にだけ「1」の信号を送り,それ以外の端子に「0」の信号を送るように構成され,他方,エンコーダを通じて,属する焦点距離領域に対応した端子にだけ「1」の信号を送り,それ以外の端子に「0」の信号を送るように構成され,上記デコーダ及びエンコーダからの信号を,アンドゲート,オアゲートという理論素子の組み合せによって,あるビット数の範囲において,属する焦点距離領域が定まると,常に決まった信号(変換データ)をカメラ側に送るようにする,いわゆるゲートアレイを用いた構成である。
そこで,上記のような構成が構成要件Fの「記憶手段」に該当するかどうかを検討するに,証拠(甲19ないし22)によれば,次の各事実が認められる。
a 「最新電子デバイス事典」(馬場玄式著。昭和51年3月20日初版,昭和53年1月25日再版1刷発行)には,「ダイオード・マトリクス 多数の入力ラインと出力ラインを縦の行と横の列に並べ,この間をスイッチング素子で結んだものをマトリクス回路という。ダイオード・マトリクスとは,このスイッチング素子をダイオードで行ったもので,古くからデコーダ,エンコーダとして使用されている。一種のROMである。‥‥‥ユーザー書込み形の固定メモリ(PROM)‥‥‥このようなPROMは,あらかじめマトリクスのすべての交点にダイオードを形成したのち,図のようにXラインとYラインに選択的にパルス電圧を印加することにより,フューズまたはダイオードを破断するもので,これはユーザー側で可能である。」(253ないし254頁)との記載がある。
b 「ディジタル回路」(猪瀬博=加藤誠巳著。昭和55年4月28日初版発行)には,「ROMは通常図5.3.22に示すようにアレイに配置されており,たとえばnビットの並列のアドレスにより指定された2n本の語(W)線のうちの1本と結合素子の有無により記憶されたmビットの情報がm本の並列ビット(B)線に出力されるようになっている。結合素子としては‥‥‥ダイオード等が使用される。」(192頁)との記載がある。
c 「電子回路入門」(齊藤忠夫著。昭和52年11月8日初版1刷,昭和56年3月30日初版6刷発行)には,「図3−8(a)はダイオードによるOR回路の実現方法を示している。‥‥‥これらの回路は2入力のものについて示してあるが,一般にダイオードを多数接続すれば多入力のAND回路,OR回路が実現できることは明らかであろう。」(48頁)との記載がある。
d 昭和60年11月25日,被告出願の特許発明に係る特許公報(特公平7−122726)においては,「カメラアクセサリー側に‥‥‥情報識別コードに準じて設定されているアクセサリー情報を記憶する手段と,‥‥‥を設けたことを特徴とする情報伝達装置」(第1欄7ないし13行)との特許請求の範囲記載の構成の説明として,アンドゲートとオアゲートを備えたゲートアレイ回路を記載している(4欄11行ないし31行,第1図)。
上記によれば,本件特許発明が出願された昭和58年2月1日当時,当業者の間で,多数の入力ラインと出力ラインを縦の行と横の列に並べてその交点を結合素子で接続し,入力ラインの端子に送られてきた信号のビット数に応じて信号を送り,当該端子の結合素子の有無によって出力ラインに特定の信号を出力する構成(以下「PROM」という。)が,ROMすなわち記憶手段の1つであり,このPROMの構成の結合素子を多数接続することによって,アンドゲート,オアゲートを有するゲートアレイになること,このようなゲートアレイも「記憶手段」に含まれることは当業者の一般的な認識であったと認められる。
したがって,被告構成Cは構成要件Fの「記憶手段」に該当する。
なお,この点に関して,被告提出の乙12(被告社員作成の「PROMの構造」と題する書面)には,被告構成Cは,入力ラインと出力ラインの交点のすべてを結合素子で結合していないこと,結合素子に「1」又は「0」の特定の信号情報が書き込まれていないことから,上記PROMと構成を異にし,記憶手段とはいえない旨の記載がある。しかしながら,入力ラインの交点のすべてに結合素子を設けるかどうかや結合素子に書き込まれている情報が,「1」又は「0」であるかそれ以外のより複雑なものであるかは,当該回路を記憶手段というべきか否かに関わりのない事項であるから,乙12記載の結論は採用できない。
(3) 被告構成Eを備えていても構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」を有するといえるか
被告構成Eは,レンズからカメラ本体にデータを送信する際,6ビットの有効数字部を上位とし,2ビットの指数部を下位としてデータを送信する構成である。
そこで,上記のような構成が構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」に該当するかどうかを検討するに,本件明細書の特許請求の範囲には,「上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体に出力する出力手段」と記載されているものであって,指数部と有効数字部のいずれが上位でありいずれが下位であるかを限定する記載はない。
なるほど,本件明細書の発明の詳細な説明には,実施例につき,「本発明は変換係数のデータが大幅に変化しても,上記駆動量の算出には該データの有効数字部は所定桁数あれば十分であることを利用して,上記変換係数のデータを上位mビットの指数部と下位nビットの有効数字部とに分離した(m+n)ビットのデータとしたものである。」との記載があるが,本件特許発明においては,変換データの出力方法につき,上記実施例に限定して解さなければならない理由は見当たらない。
そうすると,被告構成Eの構成は,変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する構成に当たるから,構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」に該当するということができる。
(4) 小括
上記のとおりであるから,被告構成@を備えていても,構成要件Fの「複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」の構成を有するということができ,被告構成Cは構成要件Fの「記憶手段」に該当し,被告構成Eの構成を備えていても,構成要件Gの「変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段と」を有するということができる。
ペンタックス用被告製品について,被告は,上記の点以外においては構成要件F,Gの充足性を争っていない。
したがって,ペンタックス用被告製品は,構成要件F及びGを充足するものというべきである。
そうすると,ペンタックス用被告製品が構成要件AないしE及びHを充足することは当事者間に争いがないから,ペンタックス用被告製品は,本件特許発明の技術的範囲に属するというべきである。
4 争点4(本件特許権に無効事由が存在することが明らかであり,訴訟引受人が本件特許権に基づいて権利を行使することが権利の濫用に当たるか)
(1) 特許法29条2項違反を理由とする無効主張について
ア 乙1に係る発明の構成と本件特許出願当時の技術水準について
(ア) 特開昭57−188004号公報(乙1)には次のような記載がある(乙1は,昭和57年4月26日付手続補正書及び昭和62年6月24日付手続補正書により補正されている。以下の記載は,このうち,本件特許が出願された昭和58年2月1日より前の昭和57年4月26日付手続補正書の補正のみを反映した。)。
a 発明の詳細な説明(同公報4頁右上欄6行ないし左下5行)
「開口部90には,指示手段としてのパターン基板92が嵌入されている。このパターン基板92の‥‥‥回動は,それぞれの面が指接して,許容されている。‥‥‥距離調節部材28の回軸運動は,パターン基板92に伝達され,パターン基板92は,距離調節部材28と共に回動する。‥‥‥一方,‥‥‥接片94の前端は,パターン基板92の内周面に接触させられており,距離調節部材28及びズーム環42の回動に応じてその接触位置が変化するようになされている。」
b 発明の詳細な説明(同公報4頁左下欄6行ないし5頁左上1行)
「これらパターンは,第3図に示すように焦点距離が70mmになるようにズーム環42が回動され,この回動に従って後筒20が前方に繰り出された場合,距離調節部材28の全範囲の回転に応じて,パターン基板92が回転した時に第4図及び第5図に示すように,接片94の接触部が横切ることのできるパターンの数が52本に設定され,‥‥‥即ち,フィルム面から被写体までの設定距離である∞から1mに対応する焦点の移動距離が70mmの焦点距離の場合には,5.2mmであるのでこれを52等分‥‥‥していることになる。従って,ピント面がフィルム面から0.1mm単位で「n」ずれている場合には,焦点距離が70mmの場合には,この測定位置から距離調節部材28を接片94の接触部がパターンをn本横切るように回動させれば良いことになる。このように回動することにより,ピント面は〔0.1×n〕mm移動して,フィルム面上に位置し,ピントは合致することになる。」
c 発明の詳細な説明(同公報5頁右上欄17行ないし右下8行)
「スイッチ98がONされて,自動操作の場合,被写体からの光の一部は合焦検出用の受光素子96に常に入射しているので,ONと同時に合焦検出を開始する。ここで,第3図及び第4図に示すように,焦点距離は,70mmに設定されるように,ズーム環42は回動されているとする。そして,この状態で受光素子96において,ピント面が例えばフィルム面より0.9mm前方にずれていることが検出されると,制御機構は距離調節部材28をこの位置から接片94の接触部が,第5図に示すように,パターンを9本横切るまで一方向に回転するようにモータ56を駆動し,9本横切った時点で,モータ56の駆動を停止すると共に,停止機構76を作動させて,距離調節部材28の回転を停止させる。この距離調節部材の回転により,ピント面は後方に0.9m移動し,ピント面とフィルム面は合致する。/一方,第7図及び第8図に示すように,焦点距離が35mmに設定されるように,ズーム環42は回動されるとする。そして,この状態で,受光素子96において,ピント面が例えばフィルム面から0.4mm後方にずれていることが検出されると,制御機構は距離調節部材28を,この位置から接片94の接触部が第9図に示すように,パターンを4本横切るまで他方向に回転するようにモータ56を駆動し,4本横切った時点で,モータ56の駆動を停止すると共に,停止機構76を作動させて,距離調節部材28の回転を停止させる。この距離調節部材28の回転により,ピント面は前方向に0.4mm移動し,ピント面とフィルム面とは合致する。」
d 発明の詳細な説明(同公報6頁右下欄7ないし16行)
「この発明に係るオートフォーカス用ズームレンズは,ピント調節する距離調節部材と,焦点距離を調節する焦点距離調節部材と,前記距離調節部材を駆動するモータと,このモータの駆動を制御する制御機構と,前記焦点距離調節部材を動かして焦点距離を変化させた時に,変化した焦点距離に応じた距離環の移動量を前記制御機構に指示する指示手段とを具備したことを特徴としている。」
(イ) 上記の各記載によれば,乙1に係る発明は,カメラ本体に交換自在に装着される交換レンズにおいて,撮影光学系と,上記撮影光学系内に設けられ,ズーム環の回転又は受光素子によって特定されたピントズレ量に応じた量だけピント面を移動させる撮影距離調節手段(距離調節部材)と,上記撮影光学系の焦点距離を設定する焦点距離設定手段(ズーム環)とを有し,焦点距離に応じて変化するピントズレ量を,0.1mm単位に区分し,設定された焦点距離の対応するピントズレ量が当該区分の何区分にあたるかを指標としてピント面移動量を決定するというものである。
(ウ) 特開昭57−165821号公報(乙15の2)は,カメラのTTL式自動合焦装置に関する発明に係る昭和57年10月13日公開の公報であるが,同公報には次のような記載がある。
a 特許請求の範囲の請求項第1項
「カメラ側に設けられ,撮影用交換レンズの透過光を測定し,所定焦点面と実際の被写体結像面との像面ズレ量を検出するTTL式焦点検出手段と/上記カメラに装着可能な撮影用交換レンズ側に設けられ,その交換レンズの合焦用レンズを駆動する合焦用レンズ駆動手段と/上記交換レンズ側に設けられ,上記合焦用レンズの駆動に伴う像面移動量を表すと共に同一の像面移動量に対して交換レンズの種類に無関係に同一値をとる像面移動量信号を,上記合焦用レンズ駆動手段の駆動量に基づき発生する像面移動量信号発生手段と/この像面移動量信号と上記焦点検出手段の検出々力とに応じて上記合焦用レンズ駆動手段の駆動量を制御する駆動手段と/を具備することを特徴とするカメラのTTL式自動合焦装置」
b 発明の詳細な説明欄(同公報3頁右上欄下から2行目ないし同頁左下欄4行目)
「像面ずれ量信号発生手段15はこのときの像面の移動量を表わす像面移動量信号をリアルタイムで発生し,これは制御装置21に送られる。この像面移動量信号がΔxに対応する値になったとき,制御装置21はモータ13を停止する。」
c 発明の詳細な説明欄(同公報4頁左上欄2ないし13行)
「この受光装置152は歯車141の回転に伴うパターン150の回転に応じてその1回転につき2個のパルスを発生する。このパルス出力は像面移動量信号として端子Tを通ってカメラ本体の制御装置21に送られる。‥‥‥像面移動量発生信手段15は,同一の像面移動量に対して同一像面移動量信号,即ち同数のパルスを発生する様に構成されている」
(エ) 上記の各記載によれば,乙15の2に係る発明は,像面ズレ量を検出し,この像面ズレ量と合焦用レンズの移動量信号(交換レンズの種類に無関係)をパルスを発生させることによって出力し,これらの信号に応じて合焦用レンズ駆動量を制御する構成である。
(オ) 特開昭54−108628号公報(乙15の3)は,レンズの情報伝達装置に関する発明に係る昭和54年8月25日公開の公報であるが,同公報には次のような記載がある。
a 特許請求の範囲の請求項第1項
「撮影レンズの情報をディジタル的に記憶したROM(リードオンメモリー)と,前記ROMの情報を,入出力する入出力装置と,入出力装置に接続される接続端子とを前記撮影レンズに設ける一方,前記接続端子に着脱自在に接続される端子と,前記入出力装置からの信号を授受してその信号を処理する情報処理装置とをカメラのボディ側に設けたことを特徴とするレンズ情報伝達装置」
b 発明の詳細な説明(同公報2頁左上欄9ないし15行)
「絞り段数値,焦点距離等の可変な信号は各種レンズの固有の動きのまま機械的にボディーへ伝達し,それとは別にそのレンズ固有の動きを各レンズ共通の値に変換するパラメータをROMに記憶してその値をボディ側に伝達し,ボディ側のマイクロコンピュータで電気的に各レンズ共通の値に変換するようにしてある。」
(カ) 上記の各記載によれば,乙15の3に係る発明は,レンズ情報をROMに記憶させた上でカメラ本体に出力するもので,レンズ情報のうち焦点距離等の可変な信号はレンズ固有の動きを機械的にカメラ本体へ伝達し,レンズ固有の動きを各レンズ共通の値に変換するパラメータをROMに記憶してその値をボディ側に電子的に伝達する構成である。
イ 乙1に係る発明と本件特許発明の対比
本件特許発明と乙1に係る発明は,ピントズレ量に応じた量だけピント面を移動させる撮影距離調節手段を有し,設定された焦点距離に応じて上記撮影距離調節手段を回動させることによって焦点距離に応じて変化するピントズレ量に応じた量だけピント面を移動させる点おいて共通しているが,レンズの駆動量算出のために,変換係数を用いるか否かという根本的な点に違いがある。このため,両発明は,@分割した領域ごとにレンズの駆動量算出のために必要な係数である変換データを記憶する構成の有無,A当該変換データを駆動量算出部分に出力する構成の有無に相違があり,その技術的構成を異にしているということができる。
また,被告が,本件特許発明出願当時の技術水準であったと主張する乙15の2に係る発明は,レンズ側の情報を電子的にカメラ本体に伝達するという点で本件特許発明と共通しているが,レンズの駆動量算出のために,変換係数を用いるか否かという根本的な点に違いがあり,上記@,Aの構成の開示はない。同じく被告が本件特許発明出願当時の技術水準であったと主張する乙15の3に係る発明は,レンズ側の情報の少なくとも一部を電子的にカメラ本体に伝達するという点で本件特許発明と共通しているが,焦点距離に関する信号の一部は,機械的にカメラ本体に伝達して,カメラ本体側において別途送られてくる電子信号と掛け合わせる構成であり,上記@,Aの構成についての開示はない。
そうすると,本件特許発明出願当時,データを浮動小数点方式を用いて出力する技術が公知であったことを併せ考慮したとしても,本件特許発明の属する分野における通常の知識を有する者が,乙1の発明から,上記@,Aの構成に関する相違点の存在にかかわらず,本件特許発明に容易に想到することができたということはできない。
また,上記の相違点をコンピュータ化に伴うありふれた相違であるということもできない。
ウ 小括
以上によれば,本件特許発明は,本件特許出願当時の技術水準において,乙1に係るの発明と本件特許発明出願当時公知であった浮動小数点方式によるデータ転送技術等の技術とを組み合せることによって,当業者が本件特許出願前に容易に発明することができたということはできない。
(2) 補正要件違反による進歩性判断時期の変更に基づく進歩性欠如の主張について
ア 時機に後れた攻撃防御方法の主張について
被告の補正要件違反による進歩性判断時期の変更を前提とする進歩性欠如の主張は,平成15年8月29日の第19回弁論準備期日において初めて主張されたものであるが,その審理のために新たに人証の取調べ等を要することもなく,同年12月25日の第3回口頭弁論期日に口頭弁論が終結されていることに照らせば,同主張の提出により訴訟の完結を遅延させるものであったとまでは認められないから,これを時機に後れた攻撃防御方法として却下すべきものとまではいえない。
イ 証拠(甲1,2の1,2,乙26ないし28)によれば,本件特許発明の特許出願手続に関し,次の事実が認められる。
(ア) 脱退原告は,昭和58年7月25日,本件特許発明を特許出願したが,その際,願書に添付された明細書の特許請求の範囲の記載は次のaのとおりであり,同明細書の発明の詳細な説明の実施例の記載(本件公報25欄33行ないし26欄19行)として次のbの記載があった。
a 「カメラ本体に交換自在に装着される交換レンズにおいて,/被写体光を結像させる光学系と,/上記光学系内に設けられ,カメラ本体内で算出された駆動量データに応じた量だけ移動されて上記被写体光の結像位置を移動される焦点調節用レンズと,/所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換するための変換データが記憶された記憶手段と,/上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段と,/を有することを特徴とする交換レンズ。」
b 「ところで,KDは,焦点距離fに応じて直線A,B,Cに示すように連続的に変化するが,本実施例の場合,折線,A’,B’,C’で示すように,KDの値をK1〜K33の離散的な値としている。‥‥‥この構成により,f25のゾーンであればそのゾーン内で最も小さいK値に最も近く且つ値の小さなデータ‥‥‥が出力される。/このようにKDの値を定めるのは,以下の理由による。即ち,KDを実際のデータよりも大きな値にしておくと合焦位置までフォーカス用レンズを駆動するのに必要な駆動量に対応するエンコーダENCのパルス数よりもN=KD×|ΔL|で求められたNの方が多くなり,結果として合焦位置をレンズが通り過ぎ,合焦位置の前後でレンズがハンティングをしてしまうからである。」
(イ) 本件特許出願について,出願公告すべき旨の決定がされ,同決定の謄本は,平成4年10月6日ころ,脱退原告に送達された。
(ウ) A及びBは,各自,本件特許出願について,特許異議の申立てを行った。
(エ) 脱退原告は,平成5年9月16日,同月13日付けの手続補正書を提出し,特許法(成6年改正前特許法64条に基づき,本件明細書の特許請求の範囲を次のとおり補正したほか,明細書の発明の詳細な説明欄にも補正を行った(以下「本件補正」という。)。
「カメラ本体に交換自在に装着される交換レンズにおいて,撮影光学系と,上記撮影光学系内に設けられ,カメラ本体内で算出された駆動量データに応じた量だけ撮影光学系の撮影距離を変化させ,被写体光の結像位置を移動させる撮影距離調整手段と,上記撮影光学系の焦点距離を設定する焦点距離設定手段と,上記撮影光学系が有する焦点距離範囲を複数の焦点距離領域に分割して,上記焦点距離設定手段によって設定された焦点距離が上記複数の焦点距離領域のうちどの領域に属しているかを示すデータを出力するデータ出力手段と,所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換するための変換データについて,上記複数の焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段と,上記データ出力手段の焦点距離領域データに基づいて,該当する領域の上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段とを有することを特徴とする交換レンズ。」
ウ 上記イにおける出願経過等を前提に,本件補正が,平成6年改正前特許法64条1,2項,126条2項の要件を満たすか否かにつき検討する。
(ア) 平成6年改正前特許法64条1項は,出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達があった後,願書に添付した明細書又は図面について補正する場合(以下「公告決定後の補正」という。)は,@特許請求の範囲の減縮,A誤記の訂正,B明瞭でない記載の釈明を目的とするものに限って補正することができる旨を規定し,同条2項において準用する同法126条2項は,願書に添付した明細書及び図面の訂正につき,明細書又は図面の訂正は,実質上特許請求の範囲を拡張し,又は変更するものであってはならない旨を規定している。
特許法は特許出願手続について補正をすることを許容しており,そのうち最も重要な意義を有するのが明細書及び図面についての補正であるが,無制限に補正を許容するとすれば第三者に対して不測の不利益を与えることになり,また特許制度自体の安定性を害することになるから,特許法は,明細書及び図面の補正を許容する範囲について,これを一定の範囲に限っている。
そして,特許出願につき出願公告がされると仮保護の権利が発生することから(平成6年改正前特許法52条1項,2項),特許法は,特許出願についての出願広告をすべき旨の決定の謄本の送達(平成6年改正前特許法51条2項)を1つの区切りとして,その前後について補正の許容される範囲を異なるものし,特に同決定の送達後にする補正については上記のように厳格な要件を付して,補正の許容される範囲を限定している。
一般的には,特許請求の範囲に新たな構成を付加することは,特許請求の範囲に該当するための要件を増加させることになるから,特許請求の範囲の減縮に当たるということができる。しかしながら,特許請求の範囲に新たな構成を付加していることで,一見すると特許請求の範囲の減縮に当たる補正であっても,その補正によって,補正前と補正後とで発明の同一性が失われて別個の発明と評価されるような場合には,実質的に特許請求の範囲を変更する補正に該当するものとして,公告決定後の送達後の補正としては許されない。平成6年改正前特許法64条,126条2項が公告決定後の補正につき上記のように補正の要件を規定している趣旨は,特許出願人と第三者との間の利害の調整にあるところ,特許請求の範囲に新たな構成を付加することで表面的には特許請求の範囲の減縮に当たっても,実質的にはこれによって全く別個の発明になるような場合にまで補正を許容すると,補正後の別個の発明の技術的範囲について補正前の特許発明の出願日に遡って出願公告に伴う仮保護の権利を与えることとなり,特許公報の記載を信頼して行動する第三者に対して不測の不利益を与えることとなるからである。
そして,この場合において,補正前の特許請求の範囲に係る発明に新たに付加された構成が,同発明の特許出願当時,当業者にとって周知の技術手段(周知技術)に該当しない場合には,補正前の特許発明と補正後の特許請求の範囲の記載に係る発明は,特段の事情のない限り,別個の発明というべきである。けだし,周知の技術手段を付加するものである限りは,発明はその同一性を失うことがなく,特許請求の範囲も実質上変更されることはないが,周知でない新規な技術手段を付加するときは,特段の事情のない限り,構成を異にすることになり,別個の発明となってしまうからである。
この点につき,訴訟引受人は,補正前の明細書又は図面に記載されている事項であれば,それが周知技術に当たるかどうかにかかわらず特許請求の範囲にこれを付加する補正は許されると主張し,そのように解さないと,特許法が出願公告後の補正によって特許請求の範囲を減縮することを認めている趣旨に反する旨を主張する。しかし,上記のように解しても,周知でない新規な技術事項を追加しないものである限り,特許請求の範囲を減縮する補正は許されるものである。
また,訴訟引受人は,補正前の明細書に開示されたところに従い,特許請求の範囲を減縮する限り,第三者の利益を害することはない旨主張するが,仮保護の権利は補正前の特許請求の範囲の記載について発生するのであって,公告決定後の補正により特許請求の範囲に記載されていなかった技術事項を取り入れることで,特許公報の記載上発明の技術的範囲に含まれていなかった技術事項を特許発明出願時に遡って特許発明の技術的範囲内のものとして保護した場合に,第三者の利益を害することは明らかである(なお,最高裁平成10年(オ)第364号同12年4月11日第三小法廷判決・民集54巻4号1368頁により,無効事由の存在することが明らかな特許権に基づく権利行使が権利の濫用として許されないことが明らかとされた状況の下においては,本来別個の発明として評価されるべき発明を補正により取り込むことにより従前の特許出願を維持することを許すことは,特許公報の特許請求の範囲の記載上無効事由を有し,権利行使の許されないものとして第三者に表示されている特許権を,第三者に予測し得ない形で不当に維持するものであり,従前に増して,第三者に不当な不利益を与えるものというべきである。)。
前述のとおり,平成6年改正前特許法は,公告決定の前後により補正の許容される範囲につき異なった定めを置いているものであり,公告決定前の補正については平成5年改正前特許法41条が願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内において特許請求の範囲を増加し減少し又は変更する補正は許容されるものとしているのに対して,公告決定後の補正については平成6年改正前特許法64条2項において同法126条2項を準用しているだけである。平成6年改正前特許法は,このように公告後の補正については殊に厳格な要件を満たすことを要求しているものである。
訴訟引受人の主張は,ひとり特許出願人の利益のみに目を向けて第三者の利益を配慮しない見解であり,また,平成6年改正前特許法が公告決定の前後により補正の許容される範囲につき異なる定めを置いていることを忘れた主張であって,採用の限りでない。
(イ) 上記を前提に,本件補正が補正要件を満たすか検討する。
前記イにおいて認定したとおり,本件補正は,補正前の構成に,「撮影光学系の焦点距離を設定する焦点距離設定手段」との構成及び「上記撮影光学系が有する焦点距離範囲を複数の焦点距離領域に分割して,上記焦点距離設定手段によって設定された焦点距離が上記複数の焦点距離領域のうちどの領域に属しているかを示すデータを出力するデータ出力手段」との構成を付加するものである。
また,「所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換するための変換データが記憶された記憶手段」との構成を「焦点距離領域の夫々につき1つの変換データが記憶された記憶手段」との構成に,「上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」との構成を「上記データ出力手段の焦点距離領域データに基づいて,該当する領域の上記変換データをmビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する出力手段」との構成に変更するものであるところ,前者の変更は,記憶手段の記憶方法として,焦点距離領域の夫々につき1つの変換データを記憶するという構成を付加したものであり,後者の変更は,データ出力の方法として,「上記撮影光学系が有する焦点距離範囲を複数の焦点距離領域に分割して,上記焦点距離設定手段によって設定された焦点距離が上記複数の焦点距離領域のうちどの領域に属しているかを示すデータを出力するデータ出力手段」のデータ出力手段の焦点距離領域データに基づいて,該当する領域の上記変換データを出力するという構成を付加したものである。したがって,本件補正は,特許請求の範囲に新たな構成を付加する補正である(本件補正前後における特許請求の範囲を比較すると,別紙「本件補正前後における特許請求の範囲」に記載したとおりである。
そして,付加された構成は,いずれも本件補正前の特許発明出願当時,当業者にとって周知の技術的手段であったとはいえないものであるから,特段の事情の存在しない本件においては,本件補正前の特許発明と本件補正後の特許発明は別個の発明というべきである。
また,本件補正の前後における特許請求の範囲を具体的に比較しても(別紙「本件補正前後における特許請求の範囲」参照),補正前の特許請求の範囲においては,「所望の結像位置移動量を上記駆動量に変換するための変換データ」を記憶し,これを「mビットの指数部とnビットの有効数字部とからなる信号としてカメラ本体へ出力する」という構成のみが開示されていたものであるところ,補正後の特許請求の範囲においては,焦点距離範囲を複数の焦点距離領域に分割した上で各領域につき1つの変換データを記憶して,設定された焦点距離の属する領域に対応した当該1つの変換データを出力するという構成が新たに付加されているものであり,付加された構成は,「交換係数の値は各交換レンズごとに変化するので,この変換係数のデータが種々の交換レンズに対応できるようにすると,そのビット数が多くなってしまう。」(本件補正前の発明の詳細な説明。本件公報3欄14行ないし17行)ことに伴う不都合を解消するにとどまらず,「交換係数の値は各交換レンズごとに[,また,ズームレンズでは焦点距離に応じて]変化するので,この変換係数のデータが種々の交換レンズに対応できるようにすると,そのビット数が多くなってしまう。」(本件補正後の発明の詳細な説明。[ ]内を補正により付加した。)ことに伴う不都合をも解消するものとして,従前の構成とは技術的思想を異にするものというべきである。そうすると。本件補正前の発明と本件補正後の発明は,その構成を異にする別個の発明というほかはない。
以上によれば,本件補正は,実質的に特許請求の範囲を変更する補正であり,平成6年改正前特許法64条4項,126条2項に違反してなされた補正というべきである。
エ 本件特許発明の進歩性について
そうすると,本件特許発明については既に特許権の設定登録がされているところ,前記のとおり平成6年改正前特許法64条の規定に違反して補正がされたものであるから,本件特許権については,本件補正がされなかった補正前の特許出願について特許がされたものとみなされる(平成5年改正前特許法42条)。
本件補正前の特許出願に係る明細書の特許請求の範囲欄の記載は,前記イ(ア)a記載のとおりであるところ,同発明は,前記(1)ア(オ)記載の発明(乙15の3に係る発明)と本件特許発明出願当時公知であった浮動小数点方式によるデータ転送技術とを組み合せることによって,当業者が本件特許出願前に容易に発明することができたというべきである。
オ 本件特許権に基づく損害賠償請求権の行使が権利の濫用に当たるかについて
上記エにおいて検討したところによれば,本件特許発明は,特許法29条2項に違反して登録されたものであり,同法123条1項2号の無効事由を有することが明らかであるから,訴訟引受人の本件特許権に基づく損害賠償請求は,権利の濫用に当たり許されない。
この点に関し,訴訟引受人は,平成6年改正前特許法126条2項の判断基準については様々な見解が並立している状況にあり未だ定説が存在しないから,本件特許権が,無効審判請求がされた場合に無効審判の確定により無効とされることが確実に予見されるということはできず,本件特許発明が,同法123条1項2号の無効事由を有することが明らということできないと主張する。
しかし,例えば,特許権に特許法29条2項に違反して特許された無効事由が存在するかどうかを判断するに当たって,特許発明が同条1項各号の発明から当業者が容易に想到することができたものかどうかが侵害訴訟を担当する裁判所に明らかとまではいえないような場合があるのは格別,特許法の規定の解釈により一義的に無効事由が存在するかどうかが決定されるような場合は,同裁判所にとって,無効事由の存在が明らかでないという事態はあり得ないものである。そして,本件において,争点となっているのは平成6年改正前特許法64条4項,126条2項の解釈であるところ,当裁判所の当該規定の解釈によれば本件特許権が特許法29条2項に違反して特許されたものであり,同法123条1項2号の無効事由を有することは明らかである。
5 結論
以上によれば,訴訟引受人の本訴請求は,権利の濫用に当たるものとして許されない。
よって主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第46部
裁判長裁判官 三 村 量 一
裁判官 吉 川 泉
裁判官青木孝之は,退官のため署名押印することができない。
裁判長裁判官 三 村 量 一