H15. 2. 6 東京地裁 平成13(ワ)21278 特許権 民事訴訟事件

平成13年(ワ)第21278号 特許権侵害差止請求事件
(口頭弁論終結の日  平成14年10月21日)
              判       決
         原        告   A
         原        告    株式会社医薬分子設計研究所
         原告ら訴訟代理人弁護士  田 中 成 志
         同            平 出 貴 和
         同                        板 井 典 子
         原告ら補佐人弁理士    今 村 正 純
         同            間 山 世津子
         被        告   住商エレクトロニクス株式会社
         訴訟代理人弁護士     中 野 憲 一
         同            城 山 康 文

         同                        岩 瀬 吉 和
         補佐人弁理士       田 中 玲 子
             主       文
             1 原告らの請求をいずれも棄却する。
             2 訴訟費用は原告らの負担とする。
             事実及び理由
第1 原告らの請求
 1(主位的請求)
   被告は,別紙ロ号物件目録記載の媒体を販売してはならない。
 2(予備的請求)
   被告は,別紙イ号物件目録記載のプログラムを販売してはならない。
第2 事案の概要
     原告らは,「生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索方法」の発明についての特許権者及び専用実施権者である。被告は,プログラムをCD−ROMに収録された形態で輸入し,日本国内で販売しているものであるところ,原告らは,同プログラムの用いる方法が上記特許発明の技術的範囲に属し,かつ,同プログラムないしこれを記録したCD−ROMが「その方法の使用にのみ用いる物」(平成14年法律第24号による改正前の特許法101条2号。以下,本判決において「特許法101条2号」というときは,「平成14年法律第24号による改正前の特許法101条2号」を指す。)に当たると主張して,被告に対し,販売の差止めを求めたものである。

     本件において,原告らは当初はプログラム自体(イ号物件)の販売の差止めを求めていたところ,被告において,被告が販売しているのはプログラムの収録されたCD−ROMであるとして,差止めの対象物を争ったことから,上記のとおり,原告らは,主位的にプログラムの収録された媒体(ロ号物件)の販売の差止めを求め(前記第1,1),予備的にプログラム自体の販売の差止めを求めている(前記第1,2)。
 1 当事者間に争いのない事実
   (1) 当事者
     原告株式会社医薬分子設計研究所(以下「原告研究所」という。)は,医薬分子の設計,医薬分子設計に関わる情報の提供等を目的とする株式会社であり,原告A(以下「原告A」という。)は,その代表者である。
     被告は,コンピュータ及びその周辺機器類並びにソフトウェアの輸出入,販売,賃貸,リース,保守及び開発等を主たる目的とする株式会社である。

   (2) 原告らの権利
     原告Aは,下記の特許権の特許権者である(以下,この特許権を「本件特許権」という。)。原告研究所は,原告Aから,同特許権について地域を日本全国,期間を特許権の存続期間全部とする専用実施権の設定を受けている。
         特許番号  第2621842号
         発明の名称  生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索方法
         出 願 日  平成5年3月26日
         出願番号  特願平5−517287号
         登 録 日  平成9年4月4日
   (3) 特許請求の範囲の記載
     本件特許権に係る明細書(以下「本件明細書」という。本判決末尾添付の特許公報〔甲2。以下「本件公報」という。〕参照)の「特許請求の範囲」のうち請求項1の記載は,次のとおりである(以下,この発明を「本件特許発明」という。)。

   「(1)生体高分子中の水素結合性官能基の水素結合の相手となり得るヘテロ原子の位置に設定したダミー原子とリガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子との対応づけを組合せ的に網羅することにより,生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式を網羅する第1工程,
    (2)前記のダミー原子間の距離と前記の水素結合性ヘテロ原子間の距離を比較することにより,生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式及びリガンド分子の水素結合性部分の配座を同時に推定する第2工程,及び
    (3)第2工程で得られた水素結合様式と配座毎に,リガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子とダミー原子との対応関係に基づいてリガンド分子の全原子の座標を生体高分子の座標系に置き換えることにより生体高分子−リガンド分子の複合体構造を得る第3工程

    を含む生体高分子−リガンド分子の安定複合体の構造を探索する方法。」
   (4) 本件特許発明の分説
     本件特許発明は,以下の構成要件に分説することができる(以下「構成要件A」などという。)。
     A 生体高分子中の水素結合性官能基の水素結合の相手となり得るヘテロ原子の位置に設定したダミー原子とリガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子との対応づけを組合せ的に網羅することにより,生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式を網羅する第1工程,
     B 前記のダミー原子間の距離と前記の水素結合性ヘテロ原子間の距離を比較することにより,生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式及びリガンド分子の水素結合性部分の配座を同時に推定する第2工程,及び
     C 第2工程で得られた水素結合様式と配座毎に,リガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子とダミー原子との対応関係に基づいてリガンド分子の全原子の座標を生体高分子の座標系に置き換えることにより生体高分子−リガンド分子の複合体構造を得る第3工程

     を含む生体高分子−リガンド分子の安定複合体の構造を探索する方法。
   (5) 被告の行為等
     被告は,米国トライポス社より,分子モデリングシステム・ソフトウェア「SYBYL」をCD−ROMに収録された形態で輸入し,日本国内の顧客に対して販売している。
     上記CD−ROMに収録されたソフトウェア「SYBYL」には,「FlexX」という名称のプログラムが含まれている。
 2 本件の争点
   (1) 差止請求の対象物の特定及びその内容(争点1)
   (2) 別紙ロ号物件目録記載の媒体(以下「ロ号物件」という。)に収録されたプログラムの生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索方法が本件特許発明の技術的範囲に属し,ロ号物件は本件特許発明に係る方法の使用にのみ用いる物として,特許法101条2号により本件特許権又はその専用実施権を侵害するものとみなされるかどうか(争点2)

   (3) 別紙イ号物件目録記載のプログラム(以下「イ号物件」という。)の生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索方法が本件特許発明の技術的範囲に属し,イ号物件は本件特許発明に係る方法の使用にのみ用いる物として,特許法101条2号により本件特許権又はその専用実施権を侵害するものとみなされるかどうか(争点3)
第3 争点に関する当事者の主張
 1 争点1(差止請求の対象物の特定及びその内容)について
   【原告らの主張】
   (1) 主位的請求について
     原告らが,主位的請求において差止めの対象とするCD−ROM等の媒体(ロ号物件)に収録されたプログラムの生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索工程及びその具体的な方法(以下「ロ号方法」という。)は,別紙ロ号物件目録記載のとおりである。

   (2) 予備的請求について
     原告らが,予備的請求において差止めの対象とするプログラム(イ号物件)の生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索工程及びその具体的な方法(以下「イ号方法」という。)は,別紙イ号物件目録記載のとおりである。
   【被告の反論】
   (1) 主位的請求について
     原告らがロ号方法の内容として主張するロ号物件目録の記載のうち,下記の部分については否認し,その余は認める(ロ号物件目録中の争いのある部分に,下線を付した。)。
     @ ロ号物件目録の3(1)(Bの2)は削除するべきである。
       ハンブルグ大学バイオインフォマティックスセンターのB博士作成の陳述書(乙11)には,「FlexXは,蛋白質を全く考慮することなく,30個以下の配座を持つ4個までのベースフラグメントのセットを選択します。…ベースフラグメントの定義は1回だけ行われ,後続するマッチングからは独立しています。」(訳文7頁下段3項)と記載されている。したがって,複数の配座のベースフラグメントを列挙する旨をロ号物件目録に記載する必要があれば,「ベース・フラグメントの配置」の工程ではなく,それに先立つ「ベース・フラグメントの選択」の工程に,「30個以下の配座を持つ4個までのベースフラグメントのセットが選択される。」旨を追加すべきである。

     A 同目録の3(1)(C)の冒頭の「列挙したベース・フラグメントの各配座」の記載は適切ではない。「30個以下の配座を持つ4個までのベースフラグメント」のすべてについて,距離の比較の工程が行われるからである。よって,この部分は「選択された各ベース・フラグメントの各配座」とすべきである。
     B 同目録の3(1)(C)末文の「極めて稀である」との記載は,否認する。B博士作成の上記陳述書(乙11)には「実際,典型的な例では,例えリガンド分子が水素結合性官能基を含むとしても,少なくとも一つか二つのベースフラグメントは水素結合性官能基を全く含みません。これにより,疎水性領域が大きな部分を占めるリガンドにも有用なアプローチとなるため,重要です。」(訳文9頁上段5項)と記載されており,「極めて稀」でないことは明らかである。

     C 同目録の3(1)(H)のうち「または列挙したベース・フラグメントの配座中の別の配座がある場合には」の部分は,「または選択された別のベース・フラグメントもしくは別の配座がある場合には」とすべきである。
   (2) 予備的請求について
     イ号物件については,これを差止めの対象物とすることはできない。被告が販売しているのは,プログラムそのものではなく,CD−ROMに収録されたものだからである。
     したがって,差止めの対象物は,ロ号物件(ただし,上記の争いのある部分については被告の主張する内容のもの)として特定されるべきである。
 2 争点2(ロ号物件による本件特許権の間接侵害の成否)について
   (1) 構成要件Aの充足性
     【原告らの主張】
     ア 「生体高分子中の水素結合性官能基の水素結合の相手となり得るヘテロ原子の位置に設定したダミー原子と」について

     (ア)特許請求の範囲の解釈
       生体高分子とリガンド分子との結合に関して,生体高分子にはリガンド分子が結合するリガンド結合ポケットが存在し,本件特許発明の手順は,この結合ポケットを対象とする。
       生体高分子の結合ポケットにおいて,生体高分子のうちの水素結合性官能基(水素結合に関与すると考えられる窒素Nや酸素Oを含む原子団)の水素結合の相手方となるようなヘテロ原子(炭素C以外の窒素N,酸素Oなどの原子)の取り得る領域(以下「水素結合性領域」という。)を決定し,水素結合性領域内に「ダミー原子」(計算上のツールとして設置される,実在しない概念上の原子)を置いてその位置を記憶しておく。この「ダミー原子」は「生体高分子中の水素結合性官能基の水素結合の相手となり得るヘテロ原子の位置に設定した」ものであれば足り,その個数は特に限定されない。本件明細書の「発明を実施するための最良の形態」においても,蛋白質中の官能基の数である10よりも多い13個のダミー原子を設定する例が開示されている(本件公報19欄45行〜48行)。

     (イ)工程の説明
       ロ号物件に収録された「SYBYL」と称する分子モデリングシステム・ソフトウェアに組み込まれた「FlexX」と称するモジュールによる方法(ロ号方法)は, 生体高分子中の相互作用可能な各原子につき,数十の点により近似的に表現される相互作用面を設定するという工程を有する(ロ号物件目録の3(1)(@))。これは,生体高分子中の相互作用可能な各原子について,相互作用の相手となる原子が存在可能な領域(以下「相互作用面」という。)を決定し,相互作用面上に点を置いてその位置を記憶することである(以下,この点を「相互作用点」という。)。
       ロ号方法においてリガンド分子を結合ポケットに配置する際には,幾何学的に束縛的な相互作用が使用される。幾何学的に束縛的な相互作用とは,相互作用をする原子の間の距離や角度が限られた範囲の値をとるような相互作用を意味し,主に水素結合を指す。相互作用面を決定するのに用いる生体高分子中の相互作用可能な原子としては,水素結合に関与する原子(水素結合性官能基のヘテロ原子)があった場合には,必ずこれが含まれる。相互作用点には,水素結合の性質を有する点が必ず含まれ,優先的に用いられる。

     (ウ)ロ号方法と本件特許発明との対比
       ロ号物件目録の工程3(1)(@)にいう相互作用面は,生体高分子の結合ポケット中にある水素結合の相手方となるようなヘテロ原子の取り得る領域に該当する。
       そして,構成要件Aの「ダミー原子」は,1個の水素結合性官能基について1個又は2個以上設定されるものであるから(本件公報13欄13行〜15行参照),生体高分子中の相互作用可能な各原子につきそれぞれ設定される相互作用面を構成する前記各数十の点(ロ号物件目録の工程3(1)(@)における数十の「生体高分子側相互作用点」)は,「ダミー原子」に該当する。
       本件特許発明におけるダミー原子及びロ号方法における生体高分子側相互作用点は,いずれもこのような点を設定することで,構成要件Aにいう「面」ではなくそれを代表する「点」を対象とした計算が可能になる。これは,構成要件Aの「生体高分子中の水素結合性官能基の水素結合の相手となり得るヘテロ原子の位置」に「ダミー原子」を設定することであり,ダミー原子にリガンド分子側ヘテロ原子を対応づけするということは,該ダミー原子が由来するところの生体高分子側ヘテロ原子とリガンド分子側ヘテロ原子の間で水素結合が成立するか否かを考慮することを意味する。

       よって,ロ号物件目録の工程3(1)(@)は,構成要件Aの「生体高分子中の水素結合性官能基の水素結合の相手となり得るヘテロ原子の位置に設定したダミー原子」の要件を満たす。
     イ 「リガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子」について
     (ア)特許請求の範囲の解釈
       「リガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子」とは,リガンド分子中に存在する水素結合性官能基を構成するヘテロ原子のことであって(本件公報8欄26行〜28行),前記「水素結合性官能基」とは,水素結合に関与すると考えられる官能基及び原子を含む概念である(本件公報8欄24行〜25行)。
       リガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子としては,官能基の種類や構造中の位置などを重みづけを変えて考慮して,水素結合に関与すると考えられる官能基に含まれるヘテロ原子(炭素C以外の窒素N,酸素Oなどの原子)を適宜選択すればよい(本件公報13欄16行〜19行)。

       この水素結合は,塩橋及びCH…π相互作用などのXH…π相互作用(Xは窒素N,酸素O,炭素Cなど)も含むものである。
     (イ)工程の説明
       ロ号方法は,ロ号物件目録の2のとおり,リガンド分子において,水素結合可能な原子ができるだけ多く含まれるような部分を選択する工程を有する。ここでは,塩橋や疎水相互作用も考慮するとされているが,塩橋は水素結合の一種であり,また水素結合・塩橋のウエイトを疎水相互作用の100倍以上とすることにより,水素結合・塩橋に関与する原子をより多く含む部分が優先的にベース・フラグメントとして選ばれている。
       すなわち,ロ号方法ではなるべく多くの水素結合性ヘテロ原子を含むような部分が優先してベース・フラグメントとして選ばれている。
     (ウ)ロ号方法と本件特許発明との対比

         ロ号方法においてはロ号物件目録の工程2のとおり,リガンド分子において,水素結合可能な原子ができるだけ多く含まれるような部分を選択する(これがベース・フラグメントの選択に当たる。)ことが,構成要件Aの「リガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子」に該当する。
     ウ 「との対応づけを組合せ的に網羅することにより,生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式を網羅する第1工程」について
     (ア)特許請求の範囲の解釈等
       ダミー原子とリガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子との間に対応関係をつけるに当たり,対応づけする水素結合性ヘテロ原子の数を設定する(本件公報14欄6行以下)。この数としては,任意の値を設定してよい(同13欄43行〜48行)。以下,ロ号方法における態様と同じく,対応づけする数を3個とした場合を例にとって説明する。

       ダミー原子を,a1,a2,a3,a4,a5…とする。
       上で選択した水素結合性ヘテロ原子のうちで例えば3個を取り出す(例えば,選択したb1,b2,b3,b4の4個からb1,b2,b3を取り出す)。
       ダミー原子(a1,a2,a3)と取り出した3つのヘテロ原子(b1,b2,b3)の対応づけを組合せ的に網羅する。例えば,生体高分子のダミー原子の数が3個ならば,組合せの数は6通りとなる(3×2×1=6)。また,ダミー原子の数が4個ならば,組合せの数は24通りとなり(4×3×2×1=24),ダミー原子の数が5個ならば,組合せの数は120通りとなる(5×4×3×2×1=120)。
         次に,リガンド分子の中の水素結合性ヘテロ原子で,b1,b2,b3ではない別の組合せで同じ作業を行うことで,生体高分子のダミー原子とリガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子の対応づけを組合せ的に網羅する。上記の例でいえば,最初の水素結合性ヘテロ原子の取り出し方(b1,b2,b3)に続けて,(b1,b2,b4),(b1,b3,b4),(b2,b3,b4)と3つの水素結合性ヘテロ原子を順次取り出して,ダミー原子と対応づけしていく。これが,ダミー原子と水素結合性ヘテロ原子との対応づけを組合せ的に網羅することであり,これにより生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式の候補が網羅される。

       「対応づけを網羅することにより水素結合様式を網羅すること」について詳述するに,ダミー原子にリガンド分子側ヘテロ原子を対応づけするということは,該ダミー原子が由来するところの生体高分子側ヘテロ原子とリガンド分子側ヘテロ原子の間で水素結合が成立するか否かを考慮することを意味する。上記のa1:b1,a2:b2,a3:b3の対応づけを例にとると,生体高分子側のダミー原子a1,a2,a3それぞれが由来するところの3つの生体高分子のヘテロ原子と,リガンド分子側ヘテロ原子b1,b2,b3の間で3本の水素結合が成立するか否か(あるいは水素結合様式が成立するか否か)を考慮することである。このように対応づけを組合せ的に網羅することにより,水素結合様式が網羅されることになる。
       ここで,網羅されるべき「水素結合様式」とは,対応づけされた水素結合性ヘテロ原子だけが関与するものであり,対応づけされたヘテロ原子の数と同じ本数の水素結合だけが含まれ,それ以外の水素結合の可能性は無視される。構成要件Aにおける「生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式」とは,リガンド分子中の全ヘテロ原子が関与する水素結合様式を意味するものではなく,リガンド分子と生体高分子との間の,対応づけされたヘテロ原子が関わる水素結合だけからなる水素結合様式を意味する。

     (イ)ロ号方法と本件特許発明との対比
       ロ号物件目録における生体高分子中の相互作用可能な原子につきそれぞれ設定される相互作用面を構成する前記各数十の点(以下「生体高分子側相互作用点」という。)を,a1,a2,a3,a4,a5…とする。
       ロ号方法では,a1,a2,a3,a4,a5…の生体高分子側相互作用点の「すべてを含むすべての2点の組合せ表が作成される。この表は,すべての2点の距離を計算してその計算値によって整理された表(以下,この表を「ハッシュ表」という。)である」。
       ロ号方法では,ベース・フラグメント中の相互作用可能な原子が作るすべての三角形(a1,a2,a3)に対し,その2辺をとって,それがすべての生体高分子側相互作用点を含むすべての2点の組合せの表を利用して,同じ距離の生体高分子側相互作用点2点がないかを検索することが予定されている。これが,ベース・フラグメントの相互作用可能な原子と生体高分子側相互作用点の対応づけである。

       ハッシュ表は,生体高分子側相互作用点のすべてを含むすべての2点の組合せにおける2点の距離が計算され,当該2点の組合せ及びその距離をデータとして有しているので,生体高分子側相互作用点のすべてとベース・フラグメント中のすべての相互作用可能な原子の対応づけを組合せ的に網羅している。
       生体高分子側相互作用点には,水素結合性の相互作用点が必ず含まれ,ベース・フラグメントの相互作用可能な原子はベース・フラグメント中の水素結合性ヘテロ原子を必ず含むように選ばれているわけであるから,生体高分子側相互作用点とベース・フラグメントの相互作用可能な原子の対応関係を網羅することにより,生体高分子とベース・フラグメントとの間の水素結合様式が網羅されることになる。
       よって,ロ号物件目録の工程3(1)(B)は,「との対応づけを組合せ的に網羅することにより,生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式を網羅する第1工程」との要件を満たしている。

     エ この項のまとめ
       よって,ロ号方法は,構成要件Aを充足する。
     【被告の反論】
     ア 「リガンド分子」の意義
         本件特許発明にいう「リガンド分子」とは,「リガンド分子」全体を意味するものと解釈すべきである。これに対し,リガンド分子の部分構造にすぎないロ号方法におけるベース・フラグメントは,上記の意味での「リガンド分子」に該当しない。すなわち,ロ号方法は,@ベース・フラグメントの選択,A配座の自由度を含めたベース・フラグメントの配置,及びB他のフラグメントの接続という工程を有しており,リガンド分子全体について,「特許請求の範囲」に記載の第1工程ないし第3工程(構成要件AないしC)を行うものではなく,その工程は,本件特許発明の技術的範囲に属しない。以下,その理由を述べる。

     (ア)本件明細書の請求項1の「リガンド分子の全原子の座標を生体高分子の座標系に置き換えることにより生体高分子−リガンド分子の複合体構造を得る」との記載及び末尾の「生体高分子−リガンド分子の安定複合体の構造を探索する方法。」との記載において,「リガンド分子」とはリガンド分子の全体構造を意味しており,「リガンド分子」の部分構造を意味していない。
     (イ)本件明細書の請求項2及び「発明の詳細な説明」欄(本件公報18欄21行〜50行)において,「リガンド分子」と「リガンド分子の部分構造」という用語は区別して記載されているから,請求項1に用いられている「リガンド分子」の用語も統一的に解釈し,リガンド分子全体を意味するものと理解しなければならない。
     (ウ)本件特許発明の構成要件Aでは,生体高分子と「リガンド分子」との間の水素結合様式を「網羅」することが要件とされている。

       「網羅」とは,一般に,関係のあるものを残らず集め尽くすことをいうのであり,本件特許発明の課題ないし作用効果に照らしても,「ダミー原子とリガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子との対応づけを組合せ的に網羅する」とは,すべてのダミー原子と,リガンド分子中のすべての水素結合性ヘテロ原子とのすべての対応関係を作成することをいうものと解するのが自然である。
       仮に,「リガンド分子」という用語が,「リガンド分子」の一部の水素結合性ヘテロ原子のみからなる部分をも意味するものであるとすると,「網羅」という要件は,発明の技術的範囲を画する意味を全く有しないことになる。すなわち,リガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子の一部との対応づけを網羅するのでは,リガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子との対応づけを残らず集め尽くしたことにはならない。

       また,本件明細書には,リガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子の一部をどのような基準で選ぶか,あるいは,選ばれた当該へテロ原子との対応関係をいかにして作成するかについては,開示も示唆もない。「網羅」という用語が「特許請求の範囲」に記載されている以上,「リガンド分子」は必ず全体として「網羅」されなければならない。 
     イ 「水素結合様式を網羅」の意義
       本件特許発明は,当業者に周知な「生体高分子−リガンド分子間相互作用」(水素結合・塩橋・疎水相互作用)のうち,水素結合のみを考慮することを特徴とし,疎水相互作用の考慮を排除する。これに対し,ロ号方法は,水素結合のみならず,疎水相互作用をも考慮するものであり,水素結合性ヘテロ原子を0個または1個しか含まないリガンド分子を取り扱うことも可能であるから,本件特許発明の技術的範囲に属しない。以下,その理由を述べる。

     (ア)生体高分子−リガンド分子間の相互作用としては,水素結合のみならず疎水相互作用が存在することは当業者に自明であるにもかかわらず,本件明細書の「特許請求の範囲」の請求項1においては,「水素結合」のみが記載されている。本件特許発明の属する計算方法の技術分野においては,計算の正確性と所要時間とのバランスが最も重要な共通課題とされることにかんがみれば,本件特許発明は「水素結合」のみを考慮する第1工程〜第3工程を含むものである。
     (イ)本件明細書の「発明の詳細な説明」の欄では,分子間結合作用の中で「疎水相互作用」も重要であることが明確に述べられている(本件公報4欄30行〜33行)。その上で,発明の開示の項において「本発明者らは,鋭意努力した結果,生体高分子−リガンド分子間の相互作用として,水素結合,静電相互作用,及びファンデルワールス力を考慮して安定複合体の結合様式を探索すると同時にリガンド分子の活性配座を探索することによって,…(中略)…上記の課題を解決することに成功した。」(同6欄24行〜30行)と,考慮すべき相互作用として,「疎水相互作用」を除外している。また,本件特許発明の中心的な概念である「ダミー原子」を疎水相互作用についてどのように設定できるかに関して,本件明細書には何らの説明や示唆もなく,疎水相互作用を含めて本件特許発明をどのように実施できるかは不明である。

     (ウ)仮に,水素結合以外の結合様式もすべて考慮するのであれば,本件特許発明の目的とする計算の高速化が実現され得ないことは明らかである。
       原告A作成の陳述書(甲4)の10頁には,「そこで,配座の自由度を含む部分構造の『位置と方向の可能性』を水素結合を用いて絞り込むことにより,前述の問題を解決し,飛躍的な高速化を図ることに成功したのが本件発明の方法である。」と記載されている。「水素結合を用いて絞り込む」とは,水素結合以外の結合様式を考慮しないことによって位置と方向の可能性を減少させることにほかならない。
     ウ 「ダミー原子」の意義
         本件特許発明における「ダミー原子」とは,生体高分子中の各水素結合可能原子の各水素結合性領域につき1個ずつ設定されるものである。これに対し,ロ号方法において設定される生体高分子側相互作用点は,生体高分子中の各相互作用可能原子につき設定された相互作用可能領域に対して数十個ずつ設定されるものであるから,「ダミー原子」には該当しない。以下,その理由を述べる。

     (ア)本件明細書の「発明の詳細な説明」の欄に「次いで,水素結合性領域内でかつ,他の原子のファンデルワールス半径外に,適当な数,例えば5〜20個の三次元格子点が存在する水素結合性領域を構成する三次元格子点の中心にダミー原子を配置することにより行うことができる。」(本件公報13欄4行〜8行)という記載があることから,本件明細書において「ダミー原子」の用語は,水素結合性領域,すなわち水素結合性官能基と水素結合を形成し得る領域を代表する一点を示すものとして使用されている。
     (イ)原告Aほか2名の執筆に係る「Rational Automatic Search Method for Stable Docking Models of Protein and Ligand」と題する論文(乙4)には,ダミー原子の設定数について「基本的に,ダミー原子は各々の水素結合性ヘテロ原子サイトの中央に位置付けられる。1つの水素結合性ヘテロ原子から生成されるダミー原子の数は,官能基の水素原子と孤立電子対の数による。」(訳文7頁14行〜16行)と記載されている。

       また,原告A作成の陳述書(甲4)の別紙その3「本件特許アルゴリズムに関する図解」の@の図及びCの「本件特許」と記載された図には,2つのダミー原子が1つのカルボニル基(C=O)に設定されることが示されているが,そこには三日月形状の水素結合性領域が2つ認められ,各水素結合性領域に1つのダミー原子が設定されている。そして,その他の官能基には三日月形状の水素結合性領域が1つしか認められず,1点のダミー原子しか設定されていないことも明らかである。
     (ウ)本件特許発明は,原告ら自らが認めるとおり,計算の高速化を目的としているのであり,「ダミー原子」を数十ないし数千設定した場合に,計算の高速化という本件特許発明の目的が実現されないことは明白である。
     (エ)仮に,1つの水素結合性領域について数十個設定される点であっても「ダミー原子」に該当するとするならば,本件特許は@発明未完成(特許法2条1項,29条1項柱書),A明細書の「発明の詳細な説明」の記載不備(平成5年法律第26号による改正前の特許法36条4項),B明細書の「特許請求の範囲」の記載不備(同改正前の特許法36条5項)の無効理由を包含する。よって,本件特許が有効であるとするならば,「ダミー原子」とは,1つの水素結合性領域を代表する1点に設定されるものと解釈しなければならない。

     エ この項のまとめ
         以上によれば,ロ号方法は,構成要件Aを充足しない。
   (2) 構成要件Bの充足性
     【原告らの主張】
     ア「前記のダミー原子間の距離と前記の水素結合性ヘテロ原子間の距離を比較することにより」について
     (ア)特許請求の範囲の解釈
       最初に,前記の3個のダミー原子a1,a2,a3のそれぞれの原子の間の距離を計算する。
        次に,対応づけられたヘテロ原子b1,b2,b3について,b1−b2,b2−b3,b3−b1というように順次原子間の距離を計算して(「b1−b2」はb1とb2を結ぶ辺を表す。),対応するダミー原子の間の距離であるa1−a2,a2−a3,a3−a1と比較する。
       手法としては,a1,a2,a3の三角形のa1−a2の辺とb1−b2の辺の長さ,a2−a3の辺の長さとb2−b3の辺の長さというように,a1,a2,a3の三角形とb1,b2,b3の三角形が略合同であるかを判定する。具体的には,3点を目の前の平面に置くとすれば,a1,a2,a3のうちの1つを上,1つを右,1つを左に置き,b1,b2,b3のうちの1つを上,1つを右,1つを左に置いて,略合同かを判定する。3点の場合には,前記(1)「原告らの主張」ウのとおり,これを6とおり行うので,前記の3個のダミー原子a1,a2,a3と,前記3個のヘテロ原子b1,b2,b3との作り得るすべての三角形の組合せが検証される。

       上記の手順を,リガンド分子の水素結合性部分の配座を変化させて,その配座のそれぞれについて行う。水素結合性部分の配座が変化すると,ヘテロ原子b1,b2,b3の三角形の辺の長さが変化するので,各配座についてb1,b2,b3の三角形がa1,a2,a3の三角形と略合同であるか否かを判定する。
     (イ)ロ号方法の説明
       ロ号物件目録の工程3(1)(B)は「生体高分子中の相互作用可能な原子につきそれぞれ設定される相互作用面を構成する前記各数十の点(生体高分子側相互作用点)すべてを含むすべての2点の組合せの表が作成される。この表は,すべての2点の距離を計算してその計算値によって整理された表(ハッシュ表)である。この表を利用することにより,特定の原子間距離を持つ生体高分子側相互作用点の組合せをすべて直接選び出す」というものである。

       ハッシュ表では,生体高分子側相互作用点のすべてを含むすべての2点の組合せにおける2点の距離が計算され,当該2点の組合せ及びその距離がデータとして保有されている。
       ロ号物件目録の工程3(1)(C)は「列挙したベース・フラグメントの各配座,及びベース・フラグメント中の相互作用可能な3つの原子の各組合せについて,前記組合せ表を利用して等しい原子間距離を持つ生体高分子側相互作用点の組合せを探索する。この際,対応付けされたベース・フラグメントの三つの原子と三つの生体高分子側相互作用点のうち,三組のすべてが疎水性相互作用の性質をもつ場合がある。
       ベース・フラグメントには水素結合・塩橋に関与する原子をより多く含む部分が優先的に選ばれるので,三組のすべてが疎水性相互作用の性質をもつ場合は極めて稀である。」というものである。

       ロ号物件目録の工程3(1)(H)は「ベース・フラグメント中の相互作用可能な3つの原子の別の組み合わせ,または列挙したベース・フラグメントの配座中の別の配座がある場合には,(C)から(G)の手順を繰り返す。」というものである。
     (ウ)ロ号方法と本件特許発明との対比
       ハッシュ表においては,生体高分子側相互作用点のすべてを含むすべての2点の組合せにおける2点の距離が計算され,当該2点の組合せ及びその距離がデータとして保有されている。
       したがって,ロ号方法におけるベース・フラグメント中の相互作用可能な3つの原子の各組合せについて,ベース・フラグメント中の相互作用可能な3原子のうちの2点をとって,ハッシュ表を参照して「等しい原子間距離を持つ生体高分子側相互作用点の組合せを探索する」ことは,構成要件Bにいう「前記のダミー原子間の距離と前記の水素結合性ヘテロ原子間の距離を比較する」ことに該当する。

     イ 「生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式及びリガンド分子の水素結合性部分の配座を同時に推定する第2工程,及び」について
     (ア)特許請求の範囲の解釈
       リガンドの水素結合性部分の配座を変化させて,その配座のそれぞれについて前記の手順を行い,各配座についてb1,b2,b3の三角形がa1,a2,a3の三角形と略合同であるか否かを判定して,水素結合性部分のある配座について両三角形が略合同であった場合には,ヘテロ原子b1,b2,b3のそれぞれと,ダミー原子a1,a2,a3が由来するところの生体高分子側ヘテロ原子のそれぞれとの間に水素結合が成立し得るものと推定される。すなわち,生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式と水素結合性部分の配座が同時に推定されることになる。
     (イ)ロ号方法と本件特許発明との対比

       水素結合性部分のある配座について両三角形が略合同であることは,相互作用可能な位置に水素結合性ヘテロ原子が存在することを示しており,それゆえ,相互作用が可能になる。上記により,ベース・フラグメントの相互作用可能な三つの原子が作る三角形に略合同な生体高分子側相互作用点の三角形が得られると(工程3(1)(C)),ベース・フラグメントの該3原子と,対応する生体高分子側相互作用点3つが由来するところの生体高分子中の3つの官能基の間に相互作用が成立し得るものと推定される。ここで,生体高分子側相互作用点には水素結合性の相互作用点が必ず含まれ,ベース・フラグメントはほとんどの場合水素結合性ヘテロ原子を2つ以上含むように選ばれるから,3組の原子の間に相互作用が成立すると推定するということは,ほとんどの場合3組の原子のうちの2組以上の間で水素結合が成立すると推定(水素結合様式を推定)していることになる。
       以上の手順は,ベース・フラグメントが取り得る配座のそれぞれについて行われる(工程3(1)(C)及び(H))。ベース・フラグメントの配座が変化すると,ベース・フラグメントの相互作用可能な3原子が作る三角形の辺の長さも変化するので,各配座について上記の略合同な三角形の探索に基づく水素結合様式の推定が行われることになる。すなわち,水素結合様式とベース・フラグメントの配座が同時に推定されることになる。
     ウ この項のまとめ
       よって,ロ号方法は,構成要件Bを充足する。
     【被告の反論】
     ア 構成要件Aの「第1工程」と構成要件Bの「第2工程」との関係
       本件特許発明では,まず「ダミー原子」と「水素結合性ヘテロ原子」との組合せを作成して(第1工程),その後に各組合せごとに「ダミー原子」間の距離と水素結合性ヘテロ原子間の距離とを比較する」(第2工程)という手法をとる。これに対し,ロ号方法では,距離の比較に先立って,生体高分子側相互作用点とリガンド分子中の相互作用可能原子との組合せを作成することはない。以下,その理由を述べる。

     (ア)本件特許発明では,最初に「ダミー原子」と「水素結合性ヘテロ原子」との組合せを作成して(第1工程),その後に各組合せごとに「前記のダミー原子間の距離と前記の水素結合性ヘテロ原子間の距離とを比較する」(第2工程)。本件特許発明は,「時」の要素を発明構成上の必須要件とする方法の発明であり,第1工程,第2工程との記載を素直に文理解釈し,また,下線を付した「前記の」という記載にかんがみれば,「特許請求の範囲」には,第1工程を先に行い,第2工程をその後に行うという時間的相互関係が規定されていると解される。また,組合せが作成されなければ,比較をすることもできないから,論理的に考えても,上記の先後関係は必須である。
     (イ)本件明細書においても,次の順序の実施例が示されている。
       @ ダミー原子と,リガンド分子中の水素結合性へテロ原子との間に対 応関係をつける(S12)。この工程において,生体高分子とリガンド 分子が形成する水素結合の全組合せが選択されることになる(本件公報14欄8行〜25行)。

       A S12で対応関係をつけた,ダミー原子とリガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子の組合せの一つを選択する(S13)。次に,S13で選択した組合せに含まれるダミー原子について,各ダミー原子間の距離を算出する(S14)(同14欄26行〜35行)。
       B その後,S13で選択した組合せに含まれるリガンド分子中の各水素結合性ヘテロ原子の原子間距離を算出する(S18)(同15欄5行〜7行)。
       C 最後に,S14で得られたダミー原子の原子間距離と,S18で得られた,対応するリガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子の原子間距離との差の2乗の和であるFの値が一定の範囲以上となるリガンド分子の配座を除去する(S19)ことにより,各組合せごとに距離の比較を行う(同15欄8行〜11行)。
     イ 「距離を比較することにより」の意義

       本件特許発明では,「ダミー原子間の距離と水素結合性ヘテロ原子間の距離とを比較する」(第2工程)ことのみによって,リガンド分子中の生体高分子への配置を推定することとして,計算の簡略化を図っている。すなわち,他の要素の考慮を排除している。これに対して,ロ号方法は,組合せ表に含まれる生体高分子側相互作用点の原子間距離と,ベース・フラグメント中の相互作用可能な3つの原子間距離との比較のみならず,ベクトル・テストを行うことによって配置を推定するものであり,本件特許発明の技術的範囲に属しない。
       その理由を詳述するに,本件特許発明では,「ダミー原子間の距離と水素結合性ヘテロ原子間の距離とを比較することにより」(第2工程),リガンド分子中の生体高分子への配置を推定することとして,計算の簡略化を図っている。相互作用原子間の距離の比較が配置の正確な推定のための一つの有益な情報であることは当業者の常識であり,コンピュータ・プログラム「LUDI」などでも既に実施されていた。しかし,相互作用原子間の距離は,正確な配置の推定のために有益な多くの情報のうちの一つにすぎないということも当業者の常識である。しかしながら,実用化のためには,計算時間の短縮を図ることが絶対的に必要である。そこで,本件特許発明は,あえて距離の比較だけに依拠して配置を推定することとしたのである。そのことを示すのが「距離を比較することにより」という構成要件Bの文言であり,これは距離の比較のみによるという限定の趣旨に解釈すべきである。

     ウ 「同時に推定する」の意義
         本件特許発明では「生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式」(配置)と「リガンド分子の水素結合性部分の配座」とが「同時に推定」される。これに対し,ロ号方法では,ベース・フラグメントの配座はベース・フラグメント選択の時点で推定され,その後にベース・フラグメントの配置が行われる。したがって,ロ号方法では,ベース・フラグメントの生体高分子に対する結合様式(配置)とベース・フラグメントの配座とが同時に推定されることはないから,本件特許発明の技術的範囲に属しない。以下,その理由を述べる。
     (ア)本件特許発明では,「生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式」(配置)と「リガンド分子の水素結合性部分の配座」とが「同時に推定」される。本件特許発明は方法の発明であり,「同時に推定」という文言は,「水素結合様式」(配置)の「推定」と「配座」の「推定」とを第2工程の中で行うことを意味するものと解するのが自然である。

     (イ)本件明細書では,実施例に関して「ねじれ回転可能な結合が単結合の場合は,10°〜120°の一定の回転角で系統的に回転させる回転様式を指定することが好ましい。ねじれ回転可能な結合が環構造内にある場合には,可能な種々の環構造を順次ファイルから入力していく方法を指定することが好ましい。」(本件公報14欄1行〜5行)と明確に記載されている。
       これに対し,ロ号方法では,複数の配座のベース・フラグメントは,データベース(MIMUMBA Library)に基づき発生させており,ベース・フラグメントのねじれ回転可能な結合を回転させているのではない。
         データベース(MIMUMBA Library)を利用する場合には,あらかじめ可能なものとして絞り込まれた配座だけが発生させられる点で,ねじれ回転可能な結合を回転させるだけで何らの絞り込みも行わない本件特許発明の方法とは根本的に発想が異なっている。したがって,本件特許発明の実施例とロ号方法は明らかに異なる。

     エ この項のまとめ
       以上によれば,ロ号方法は,構成要件Bを充足しない。
       なお,ロ号方法が,「リガンド分子」及び「ダミー原子」の点においても構成要件Bを充足しないことは,前記(1)「被告の反論」欄で主張したとおりである。
   (3) 構成要件Cの充足性
     【原告らの主張】
     ア 「第2工程で得られた水素結合様式と配座毎に,リガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子とダミー原子との対応関係に基づいてリガンド分子の全原子の座標を生体高分子の座標系に置き換えることにより生体高分子−リガンド分子の複合体構造を得る第3工程」について
     (ア)特許請求の範囲の解釈
       これまでの工程では,生体高分子側のダミー原子a1,a2,a3とリガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子b1,b2,b3とをそれぞれ別座標系に置いて各点の距離だけをみてきたが,ここでは,第2工程で推定された水素結合性部分の配座を持つリガンド分子を,水素結合様式を表す対応関係(例えばa1:b1,a2:b2,a3:b3)に基づいて,リガンド分子の原子の位置を表すデータ(原子座標)を生体高分子側の座標系に一致するように回転・並進させる変換を行い,生体高分子の結合ポケットにリガンド分子をはめ込む。上記の変換は,対応づけされたa1:b1,a2:b2,a3:b3の各々が最も近づくように最小二乗法計算(a1とb1,a2とb2及びa3とb3のそれぞれの距離の値を2乗した値を加えたものが最小になるようにする。)によって行う。

       これによって,水素結合によってリガンド分子が結合ポケットにはめ込まれた形での配置(リガンド分子がどのように結合ポケットにはめ込まれているか)が決まる。
       この段階では,検討されるべき対応関係の一部(前の例では,3本の水素結合)だけをみているので,他の部分ではぶつかりがあるかもしれず,とりあえずの生体高分子とリガンド分子の複合体構造である。
       上記で得られた生体高分子とリガンド分子のとりあえずの複合体構造に対して,リガンド分子の構造のうちの非水素結合性部分について,ねじれ回転が可能な結合をねじれ回転させることにより配座を順次発生させる。この際,水素結合性部分に近い回転可能結合から順次ねじれ角を回転させて,生体高分子とのぶつかりを考慮しながら存在可能な配座を生成させる。 生成した配座ごとに生体高分子とリガンド分子との間の分子間相互作用エネルギー及びリガンド分子の分子内エネルギーを算出し,エネルギーの和が一定値以上となった不安定な配座を除去し,複合体構造の候補を複数得る。複合体構造をエネルギー値によりランクづけし,安定な複合体構造を探索する。

     (イ)ロ号方法の説明
         ロ号物件目録の工程のうち,3(1)(G)から5までが,構成要件Cの第3工程に関わる。
       ロ号物件目録の工程3(1)(G)では,ベース・フラグメントの生体高分子の座標系への「変換は,対応付けされた生体高分子側相互作用点とベース・フラグメント中の相互作用可能な原子の各々が最も近づくように最小二乗法計算によって行」われる。
       ロ号物件目録の工程4では,3までの工程で取り出されたベース・フラグメントの配置に対し,残りの複数のフラグメントから,元のリガンド構造中でベース・フラグメントの隣にあるものを一つ選び,ベース・フラグメントと該フラグメントの間の距離と角度は元のリガンド分子の構造中での値のとおりに保ちながら,生体高分子との相互作用を考慮しながらはめ込んでいく。この工程を,残りのすべてのフラグメントがはめ込まれるまで繰り返し,生体高分子−リガンド分子間の最終的な結合様式を複数得る。

       そして,ロ号物件目録の工程5で,各々の結合様式をエネルギー値の低い方からランクづけして安定な複合体を検索する。
     (ウ)ロ号方法と本件特許発明との対比
       ロ号物件目録の工程3(1)(G)では,工程3(1)(F)までに得られた,生体高分子とベース・フラグメントの水素結合様式とベース・フラグメントの配座ごとに,3つの生体高分子側相互作用点とベース・フラグメントの相互作用可能な3原子との対応関係に基づいて,ベース・フラグメントを生体高分子のポケットにはめ込むことが行われる。
       工程3(1)(F)までに得られた,生体高分子とベース・フラグメントの水素結合様式とベース・フラグメントの配座ごとに,3つの生体高分子側相互作用点とベース・フラグメントの相互作用可能な3原子との対応関係に基づいて,以後の手順を行うことが,構成要件Cの「第2工程で得られた水素結合様式と配座毎に,リガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子とダミー原子との対応関係に基づいて」以後の手順を行うことに該当する。

       こうして得られたベース・フラグメントの各配置に対し,「残りの複数のフラグメントから,元のリガンド構造中でベース・フラグメントの隣にあるものを一つ選び,経験的に低いエネルギー値をとる構造から抽出した『環構造』や『回転可能角の組』が入っているデータベースを使用して,ベース・フラグメントと該フラグメントの間の距離と角度は元のリガンド分子の構造中での値のとおりに保ちながら,生体高分子との相互作用(水素結合,疎水相互作用,または塩橋)を考慮しながらはめ込んでいく」(工程4(1))。
       ベース・フラグメントを生体高分子の結合ポケットにはめ込み,残りのフラグメントを,それらをつなぐ順序と各フラグメント間の距離と角度を元のリガンド分子の構造における値に保ったまま結合ポケットにはめ込んでいくことにより,リガンド分子の全原子の座標が生体高分子の座標系で認識されることになる。この手順が「リガンド分子の全原子の座標を生体高分子の座標系に置き換える」に該当する。

         ロ号方法では,ロ号物件目録の工程4(2)において「上記(1)の工程でのはめ込みの際に,ベース・フラグメントにはめ込まれるフラグメントの生体高分子の座標系への変換を行う。」としているが,1つずつのフラグメントについて順に生体高分子の座標系への変換を行うといっても,各フラグメントをつなぐ順序とフラグメント間の距離と角度は,元のリガンド分子の構造における値に保たれていて,はめ込まれるフラグメントの原子座標はベース・フラグメントの原子座標とフラグメント間のねじれ回転によってのみ決まっているのであり,結局はリガンド分子の全原子の座標を生体高分子の座標系に変換していることになる。
       したがって,これは,構成要件Cの「リガンド分子の全原子の座標を生体高分子の座標系に置き換える」に該当する。

       なお,ロ号物件目録の工程4(3)は,似たような工程を減らすための付加的な構成(通常の手法なので本件明細書には記載していない。)であり,本件特許発明の方法とは直接関係のない付加的な部分である。
     イ 「を含む生体高分子−リガンド分子の安定複合体の構造を探索する方法。」について
       ロ号方法は,構成要件A,同B及び同Cのうち「第2工程で得られた水素結合様式と配座毎に,リガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子とダミー原子との対応関係に基づいてリガンド分子の全原子の座標を生体高分子の座標系に置き換えることにより生体高分子−リガンド分子の複合体構造を得る第3工程」を満たす,生体高分子−リガンド分子の安定複合体の構造を探索する方法であるから,構成要件Cのうちの「を含む生体高分子−リガンド分子の安定複合体の構造を探索する方法。」を満たす。

     ウ この項のまとめ
       よって,ロ号方法は,構成要件Cを充足する。
     【被告の反論】
      原告らの主張は否認し,争う。
      ロ号方法は,前記(1)「被告の反論」欄で主張したとおり,少なくとも「リガンド分子」及び「ダミー原子」の点において,構成要件Cを充足しない。
   (4) 間接侵害の成否
    【原告らの主張】
     以上によれば,ロ号方法は,本件特許発明の技術的範囲に属するものであり,ロ号方法の実施にのみ使用するロ号物件の販売が本件特許を侵害することは明らかである。
    【被告の反論】
     原告らの主張は否認し,争う。
     CD−ROMであるロ号物件には,「FlexX」以外のソフトウェアも多数収録されているから,ロ号物件はロ号方法の実施にのみ使用する物ではない。したがって,被告の輸入販売するロ号物件について間接侵害は成立しない。

 3 争点3(イ号物件による本件特許権の間接侵害の成否)について
   (1) イ号方法の内容等
     【原告らの主張】
     ア イ号方法を本件特許と対比しつつ示すと,以下の各工程を示す生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索方法である。
     (A)(@) 生体高分子中の相互作用可能な原子の相互作用の相手となり得る原子の位置に生体高分子側相互作用点を設定する。
         (A) すべての生体高分子側相互作用点相互の距離の表を作成する。
         (B) リガンド分子のベース・フラグメントの可能な配座とベース・フラグメント中の相互作用可能な3つの原子の組合せを選択する。
         (C) (A)で作成した表を利用しながら,上記選択されたベース・フラグメントの3つの原子と生体高分子側相互作用点から取り出される3つの点との対応づけを下記の(B)の工程を繰り返しながら組合せ的に網羅する。

         (D)  対応づけされるベース・フラグメントの3つの原子と3つの生体高分子側相互作用点の間の相互作用は,わずかな例外的場合を除き,その少なくとも2組は水素結合又は塩橋である。
     (B) (A)(B)で選択したベース・フラグメントの3つの原子間の距離に適合する生体高分子側の3つの相互作用点を探索することにより,生体高分子と結合し得るベース・フラグメントの相互作用様式及びその配座が同時に推定される。
     (C) (B)の工程で得られた相互作用様式と配座ごとに,まずリガンド分子のベース・フラグメント中の原子の座標を生体高分子の座標系に置き換え,順次残りのフラグメントの原子も同座標系に置き換えて,最終的にリガンド分子の全原子の座標を生体高分子の座標系に置き換える。
        このことによって,生体高分子−リガンド分子の複合体構造が得られる。

     イ イ号方法を使用することにより,「生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索を短時間で行うこと」,「すべての可能な生体高分子−リガンド分子の複合体構造の中から,最安定な構造を含む少数の複合体構造を確実に選択」すること,「作業者が主観が介入することなしに,生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索を行うこと」,「信頼度が高く再現性のある生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索」,「リガンド分子の配座の自由度を考慮し,かつ,分子間相互作用に関する定量的な評価を十分に行った生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索を行うこと」が可能になる。
     【被告の反論】
     ア 工程(A)について
       (A)(@)は,否認する。「FlexX」は,生体高分子中の相互作用可能な各原子につき,数十の相互作用点により近似的に表現される相互作用面を設定する。

       (A)(A)は,認める。ただし,表に示されるのは二点間距離のみである。
       (A)(B)については,「相互作用可能な」「組合せ」を選択する点は認めるが,可能な組合せをすべて選択するという趣旨であるならば,その点は否認する。
       ベース・フラグメントの選択に当たっては,生体高分子と相互作用(水素結合・塩橋・疎水相互作用)可能な原子をなるべく多く含み,かつ構造的になるべく剛性の高いものを絞り込んで選択するのであり,可能なすべての部分構造をベース・フラグメントとして選択するのではない。また,選択した各々のベース・フラグメントについて,異なる配座を発生させるに際しても,可能なすべての配座を選択するのではなく,経験的に低エネルギーなもののみを絞り込んで選択する。
        (A)(C)は,否認する。「FlexX」のステップを正しく表現すると,「(A)で作成した表を利用しながら,上記選択されたベース・フラグメントの3つの原子の各組合せに関し,その3つの原子間の相互間距離と等しい相互間距離を有する,3つの生体高分子側相互作用点を選択する。」となる。

       (A)(D)は,否認する。「FlexX」は3組の相互作用のうち,3組とも疎水相互作用である場合やそのうち2組が疎水相互作用である場合も扱うことができ,これらは「わずかな例外的場合」ではない。
     イ 工程(B)について
       原告らの主張は,否認する。「FlexX」では,上記(A)(B)でベース・フラグメントの配座が選択され,上記(A)(C)に関して説明したステップでベース・フラグメントの生体高分子に対する配置(相互作用様式)が選択されるのであり,両者は同時に推定されない。
     ウ 工程(C)について
         「FlexX」が,まずベース・フラグメント中の原子の座標を生体高分子の座標系に置き換えること,最終的にリガンド分子の全原子の座標を生体高分子の座標系に置き換えることは,認める。
       しかし,「FlexX」では,リガンド分子をベース・フラグメントとそれ以外の複数のフラグメント(すべての回転可能角で分割を行いフラグメントを生成)に分割し,ベース・フラグメントの配置後,残りのフラグメントについても同様に相互作用(水素結合・塩橋・疎水相互作用)を考慮しながら生体高分子に対する配置を決めていく。それゆえ,ベース・フラグメント以外のフラグメントの座標変換に先立ち,それらのフラグメントの配置及び配座の推定が行われる必要があるのであり,ベース・フラグメントの座標に基づき自動的に「順次」座標変換が行われるのではない。

     エ 作用効果について
         原告らの主張は,否認する。
   (2) イ号方法と本件特許発明との対比
    【原告らの主張】
     ア 構成要件Aについて
       イ号物件目録の工程に含まれる生体高分子側相互作用点は,結合の相手となる原子の位置に設定されるものであり,本件特許発明の「ダミー原子」に当たる。そして,ベース・フラグメント中の相互作用可能な原子は,本件特許発明の「水素結合性ヘテロ原子」に当たる。
       よって,工程(A)は構成要件Aを充足する。
     イ 構成要件Bについて
       工程(B)において,距離が合致する組合せが検出されると,そのベース・フラグメントが生体高分子と結合し得るものと推定され,生体高分子に結合し得るベース・フラグメントの結合様式及び配座が同時に推定される。

     よって,工程(B)は構成要件Bを充足する。
     ウ 構成要件Cについて
       工程(B)で得られたベース・フラグメントの結合様式及び配座に関して,順次リガンド分子の全原子の座標が生体高分子の座標系に置き換えられる。
       よって,工程(C)は構成要件Cを充足する。
     エ 作用効果について
       イ号方法は,本件特許発明と同じ効果を有する。
     【被告の反論】
      原告らの主張は,否認する。
      イ号方法は,前記2(1)ないし(3)の「被告の反論」欄で詳述したとおり,本件特許発明の技術的範囲に属しない。
   (3) 間接侵害の成否
    【原告らの主張】
     以上によれば,イ号方法は,本件特許発明の技術的範囲に属するものであり,イ号方法の実施にのみ使用するイ号物件(プログラム「FlexX」)の販売が本件特許を侵害することは明らかである。
    【被告の反論】

     原告らの主張は否認し,争う。
     被告が輸入販売している「物」はCD−ROMであり,「FlexX」はそれに記録された複数のモジュールのうちの1つにすぎないのであるから,間接侵害は成立しない。
第4 当裁判所の判断
 1 専用実施権が設定されている場合における特許権者による差止請求の可否について
   特許法は,77条2項において,「専用実施権者は,設定行為で定めた範囲内において,業としてその特許発明の実施をする権利を専有する。」と規定し,他方,68条において,「特許権者は,業として特許発明の実施をする権利を専有する。ただし,その特許権について専用実施権を設定したときは,専用実施権者がその特許発明の実施をする権利を専有する範囲については,この限りでない。」と規定している。
   そうすると,特許権に専用実施権が設定されている場合には,設定行為により専用実施権者がその特許発明の実施をする権利を専有する範囲については,差止請求権を行使することができるのは専用実施権者に限られ,特許権者は差止請求権を行使することができないと解するのが相当である。けだし,特許法の規定する差止請求権(同法100条)は,特許発明を独占的に実施する権利を全うさせるために認められたものというべきであって,第三者の請求する特許無効審判の相手方となり,無効審決に対して取消訴訟を提起するなどの特許権の保存行為とは異なり,特許権者といえども,特許発明の実施権を有しない者がその行使をすることはできず,また,行使を認めるべき実益も存しないからである。

   これを本件についてみるに,本件特許権については,特許権者である原告Aから,原告研究所に対して,地域を日本全国,期間を特許権の存続期間全部とする専用実施権が設定されている。したがって,本件特許権について差止請求権を行使することができるのは,専用実施権者である原告研究所に限られ,特許権者である原告Aが差止請求権を行使することはできない。
   よって,原告Aの請求は,その余の点につき判断するまでもなく,理由がない。
 2 争点1(差止請求の対象物の特定及びその内容)について
     本件において,原告らは当初はプログラム自体(イ号物件)の販売の差止めを求めていたところ,被告において,被告が販売しているのはプログラムの収録されたCD−ROMであるとして,差止めの対象物を争ったことから,原告らは,(1) 主位的に,プログラムの収録された媒体(ロ号物件)が本件特許発明に係る方法の使用にのみ用いる物として,特許法101条2号により本件特許権又はその専用実施権を侵害するものとみなされるとして,その販売の差止めを求め(前記第1,1),(2) 予備的に,プログラム自体が本件特許発明に係る方法の使用にのみ用いる物として,特許法101条2号により本件特許権又はその専用実施権を侵害するものとみなされるとして,その販売の差止めを求めている(前記第1,2)。

   そこで,原告研究所の差止請求に理由があるかどうかを判断するために,まず,(1) 主位的請求について,@ロ号物件の方法(ロ号方法)が本件特許発明の技術的範囲に属するかどうか,Aロ号物件がロ号方法の使用にのみ用いる物かどうかを検討し,次に,(2) 予備的請求について,@イ号物件の方法(イ号方法)が本件特許発明の技術的範囲に属するかどうか,Aイ号物件がイ号方法の使用にのみ用いる物かどうかを検討する。
   前記のとおり(前記第3,1),ロ号方法及びイ号方法の内容については,当事者間に一部争いがある。
   そこで,ひとまず,原告らがロ号方法及びイ号方法の内容として主張するロ号物件目録及びイ号物件目録の記載に基づき,それらの方法が本件特許発明の技術的範囲に属するかどうかを検討することとする。

 3 争点2(ロ号物件による間接侵害の成否)について
   まず,ロ号方法が本件特許発明の技術的範囲に属するかどうかを検討する。
   被告は,前記第3の2(1)ないし(3)の「被告の反論」欄のとおり,本件明細書の記載に関して,@ 本件特許発明にいう「リガンド分子」とは,「リガンド分子」全体を意味するものと解釈すべきである(同(1)のア),A 本件特許発明は,「生体高分子−リガンド分子間相互作用」のうち,水素結合のみを考慮することを特徴とする(同(1)のイ),B 本件特許発明では,「ダミー原子間の距離と水素結合性ヘテロ原子間の距離とを比較する」(第2工程)ことのみによって,リガンド分子中の生体高分子への配置を推定することとし,他の要素の考慮を排除する(同(2)のイ),C 本件特許発明では「生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式」(配置)と「リガンド分子の水素結合性部分の配座」とが「同時に推定」される(同(2)のウ),D 本件特許発明にいう「ダミー原子」は,生体高分子中の各水素結合可能原子の各水素結合性可能領域につき1個ずつ設定されるものである(同(1)のウ),E 本件特許発明では,まず「ダミー原子」と「水素結合性ヘテロ原子」との組合せを作成して(第1工程),その後に各組合せごとに「ダミー原子」間の距離と水素結合性ヘテロ原子間の距離とを比較する」(第2工程)という手法をとる(同(2)のア),との見解を述べ,被告の解釈する本件明細書の「特許請求の範囲」によれば,原告らの主張するロ号方法(ロ号物件目録記載の生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索方法)は,本件特許発明の技術的範囲に属しないと主張する。 そこで,被告の主張する上記@ないしEの点について,順次検討する。
   (1) 「リガンド分子」について(前記@)
     ア 本件明細書の記載
       「リガンド分子」に関して,本件明細書の「特許請求の範囲」では,「ダミー原子とリガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子との対応づけを組合せ的に網羅する」(第1工程),「リガンド分子の水素結合性部分の配座を同時に推定する」(第2工程),「リガンド分子中の水素結合性ヘテロ原子とダミー原子との対応関係に基づいてリガンド分子の全原子の座標を生体高分子の座標系に置き換える」(第3工程)といった記載がある。そこで,これに対応する本件明細書の「発明の詳細な説明」の記載を参酌して,「リガンド分子」の意味する内容につき考察する。

     (ア)  第1工程について
       「特許請求の範囲」の第1工程に含まれる本件特許発明の好ましい実施態様のS10のステップでは,「生体高分子とリガンド分子との間に形成される水素結合の数の最小値1
minと最大値1maxを指定する。」(本件公報13欄43行〜44行)とされ,「1min≦i≦1maxの関係を満たすすべてのiについて,S12〜S30のステップを繰り返す。‥‥‥(中略)‥‥‥これによって,生体高分子とリガンド分子が形成する水素結合の全組合せが選択されることになり,生体高分子とリガンド分子の結合様式を系統的に,また効率的に探索できるようになる。」(同14欄14行〜25行)と記載されている。
         そうすると,上記水素結合の数の最大値1
maxの値によっては,たとえリガンド分子中のヘテロ原子であっても,水素結合性へテロ原子として選ばれない場合があり,その場合には,ダミー原子との対応づけに含まれず,第1工程において水素結合様式を網羅する際にも考慮されない水素結合性へテロ原子が存在することになる。
       したがって,本件特許発明の第1工程は,ダミー原子とリガンド分子全体中の水素結合性ヘテロ原子との対応づけを組合せ的に網羅する場合のみならず,ダミー原子とリガンド分子の一部分の水素結合性ヘテロ原子との対応づけを組合せ的に網羅する場合をも包含するものと解される。
     (イ) 第3工程について
       本件特許発明においては,リガンド分子を水素結合性部分と非水素結合性部分に分割(S15)した後,第3工程に含まれるS22のステップで「リガンド分子の水素結合性ヘテロ原子の座標と,対応するダミー原子の座標とが一致するように,リガンド分子の原子座標を生体高分子の座標系に置き変え」(本件公報16欄13行〜16行),その後,S26以降のステップで,残された「リガンド分子の非水素結合性部分」の配座を順次発生させている。

       したがって,本件特許発明の第3工程は,いったんリガンド分子の部分構造の座標を生体高分子の座標系に置き換えた後,最終的にリガンド分子の全原子の座標を生体高分子の座標系に置き換えるような態様をも包含するものと解される。
         なお,被告は,本件特許発明にいう「リガンド分子」とはリガンド分子全体を指す旨主張し,その根拠の一つとして本件明細書の請求項2及び「発明の詳細な説明」欄(本件公報18欄21行以下)の記載を挙げるが,そこで示されているのはPre-Pruning法に関するものであり,この方法は本件特許発明とは明らかに区別されるものであるから,被告の主張は理由がない。
     イ ロ号方法の内容等
       証拠(乙3,11)及びロ号物件目録のうち当事者間に争いのない記載部分によれば,ロ号方法では,リガンド分子全体を部分構造であるベース・フラグメントとその他の複数のフラグメントに分割し,その上で,ベース・フラグメントの配置,他のフラグメントの接続という工程に進むこととされていることが認められ,リガンド分子全体について,第1工程ないし第3工程の過程を行う本件特許発明とは工程の流れを異にしている。

       しかし,前記アで判断したとおり,本件特許発明における「リガンド分子」とは必ずしも「リガンド分子全体」を意味するものではなく,「リガンド分子」の一部分をも包含するものであるから,ロ号方法が上記のような特徴を有するからといって,直ちに本件特許発明の技術的範囲に属しないということにはならない。
   (2) 水素結合のみを考慮することについて(前記A)
     ア 本件明細書の記載
       本件明細書の「特許請求の範囲」においては,第1工程ないし第3工程のそれぞれにおいて「水素結合」に関する記載はあるが,疎水相互作用等の他の分子間相互作用に関する記載はない。しかし,この記載においては,「水素結合のみ」など水素結合だけを考慮する旨を示唆する表現はみられない上,一般的な技術常識に関して「分子間相互作用の中で水素結合,静電相互作用,疎水相互作用などが特に重要なことが,生体高分子とリガンド分子の複合体の結晶解析によって知られている。」(本件公報4欄30行〜33行)という記載があることを考え併せると,本件特許発明が分子間相互作用の中で水素結合のみを考慮するものであると限定して解釈すべき根拠を見いだすことはできない。

     イ ロ号方法の内容等
       生体高分子−リガンド分子間相互作用に関して,弁論の全趣旨によれば,医薬化合物のデータベースである「MDDR」では,そこに含まれているすべての医薬化合物9万5901種類中水素結合性ヘテロ原子が含まれていない化合物は32種類(全体の0.033%)にすぎず,水素原子1個の化合物は681個(0.71%)しか含まれていないことが認められ,上記の分子間相互作用において水素結合の重要性は高いということができる。さらに,証拠(乙7)及びロ号物件目録のうち当事者間に争いのない記載部分によれば,「FlexX」においては疎水性原子団のウエイトは水素結合性官能基の100分の1以下とされていることが認められ,「FlexX」においても水素結合を疎水性相互作用よりもはるかに重要視していると評価することができる。

       そうすると,ロ号方法において,生体高分子−リガンド分子間相互作用として水素結合のみならず疎水相互作用も考慮するとしても,それは,単に生体高分子−リガンド分子間相互作用として水素結合以外に疎水相互作用をも付加的に考慮できるようにしただけであるというべきであり,それにより,本件特許発明とロ号方法とで技術思想や作用効果が異なるとまでは認めることができない。
       以上によれば,ロ号方法においては,(ア)水素結合のみならず,疎水相互作用をも考慮する,(イ)水素結合性ヘテロ原子を0個または1個しか含まないリガンド分子を取り扱うことも可能であるとしても,それを根拠にして,ロ号方法が本件特許発明の技術的範囲に属しないということはできない。
   (3) 距離の比較のみによって配置を推定することについて(前記B)

     ア 本件明細書の記載
       本件明細書の「特許請求の範囲」においては,第2工程に関して「前記のダミー原子間の距離と前記の水素結合性へテロ原子の距離を比較することにより」との記載があるが,「特許請求の範囲」の他の部分の記載及び「発明の詳細な説明」の記載をみても,リガンド分子の生体高分子への配置の推定に関して,他の要素の考慮を排除することを示唆する趣旨の記載を見いだすことはできない。
     イ ロ号方法の内容等
       ロ号物件目録のうち当事者間に争いのない記載部分によれば,ロ号方法では,生体高分子側相互作用点すべてを含むすべての2点間の距離を計算してその計算値によって整理された表(ハッシュ表)を利用することにより,特定の原子間距離を持つ生体高分子側相互作用点の組合せをすべて直接選び出していること,上記ハッシュ表による作業のほかに,ベース・フラグメント中の相互作用可能な原子が生体高分子側相互作用点上に位置すること及び生体高分子中の相互作用可能な原子がベース・フラグメント中の相互作用可能原子につき設定される相互作用面上に位置することを確認するためにベクトル・テストを行っていることが認められる。

       ロ号方法におけるハッシュ表を用いた2点間の距離の計算は,本件特許発明の構成要件Bの距離を比較する方法の一環として行われるものであり,距離を比較していることに変わりはないから,ロ号方法は「距離を比較することにより」との要件を充足するというべきである。
       被告は,ロ号方法がベクトル・テストを採用していることから本件特許発明の技術的範囲に属しないと主張するが,ロ号方法において行われるベクトル・テストは,その内容等に照らし,本件特許発明に付加して行われているものにすぎず,このことを根拠にして,ロ号方法が本件特許発明の技術的範囲に属しないということはできない。
   (4) 配置と配座を同時に推定することについて(上記C)
     ア 本件明細書の記載
       本件明細書の「特許請求の範囲」においては,第2工程に関して「生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式及びリガンド分子の水素結合性部分の配座を同時に推定する」と記載されている。また,「発明の詳細な説明」欄の「発明を実施するための最良の形態」の項においては,第2工程に対応する部分に関して,「S14で得られたダミー原子の原子間距離と,S18で得られた,対応するリガンド分子中の水素結合性へテロ原子の原子間距離との差の2乗の和であるFの値が一定の範囲以上となるリガンド分子の配座を除去する(S19)。このステップにより,生体高分子とリガンド分子の水素結合様式及びリガンド分子の配座の可能性を効率的に網羅することができる。」(本件公報15欄8行〜14行)と記載されている。

       上記の実施例においては,まず対応づけを決めてから配座を変化させつつ距離の適合性を確認するから,この段階ではダミー原子の位置は固定されている。配座を変化させて,リガンド分子側の原子間の距離がダミー原子間の距離と一致すると,適合性が確認され,「配置」と「配座」が同時に推定される。
     イ ロ号方法の内容等
       証拠(甲4,乙11)及び弁論の全趣旨によれば,ロ号方法においては,まず,MIMUMBA Libraryというデータベースに基づきベース・フラグメントの配座が選択され,そして,その後に,ハッシュ表を用いた距離の比較やベクトル・テスト等の工程を経て所定の条件を満たしたものが解として得られるという探索方法をとっていることが認められる。
       被告は,上記の工程では,ベース・フラグメントの配座がベース・フラグメント選択の時点で推定され,その後にベース・フラグメントの配置が行われるから,ベース・フラグメントの生体高分子に対する結合様式(配置)とベース・フラグメントの配座とが当時に推定されることはないと主張する。しかし,ベース・フラグメントの配座が選択された時点では,等しい原子間距離を持つ生体高分子側相互作用点の組合せの探索はまだ行われていないから,この時点では配座が推定されたものということはできない。ロ号方法において配座が推定されるのは,ハッシュ表を用いた距離の比較やベクトル・テスト等の工程を経て所定の条件を満たしたものが解として得られた段階であり,この段階で,生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式(配置)及びリガンド分子の水素結合性部分の配座が同時に推定されることになる。

       したがって,ロ号方法は,本件特許発明の構成要件Bの「生体高分子−リガンド分子間の水素結合様式及びリガンド分子の水素結合性部分の配座を同時に推定する」の要件を充足する。
   (5) 「ダミー原子」について(前記D)
     ア 本件明細書の記載
       弁論の全趣旨によれば,蛋白質の水素結合の相手となり得る概念上のヘテロ原子位置に対して,「ダミー原子」という用語をあてたのは本件特許発明が最初であることが認められるから(このことは,原告らも自認する。平成14年7月1日付け原告第3準備書面4頁参照),「生体高分子中の水素結合性官能基の水素結合の相手方となり得るヘテロ原子の位置に設定」されるという「ダミー原子」という概念は,本件特許発明の出願前には知られていなかったということができる。
       したがって,「ダミー原子」の意義は「特許請求の範囲」の記載からは明らかでなく,本件明細書の「発明の詳細な説明」の記載等を参酌して解釈せざるを得ない。

       そこで,「ダミー原子」に関連する本件明細書及び図面の記載をみると,次の点を認めることができる。
     (ア)本件明細書の「発明の詳細な説明」欄には,ダミー原子の設定方法等に関して,「S6で算出した三次元格子点の格子点情報に基づいて,S7で選択した各水素結合性官能基に対してダミー原子を設定する(S8)。このステップは,まず,S6で算出した三次元格子点の水素結合性に基づいて,S7で選択した各水素結合性官能基と水素結合を形成し得る領域(以下,「水素結合性領域」という。)を決定し,次いで,水素結合性領域内でかつ,他の原子のファンデルワールス半径外に,適当な数,例えば5〜20個の三次元格子点が存在する水素結合性領域を構成する三次元格子点の中心にダミー原子を配置することにより行うことができる。水素結合性領域は,同じ水素結合性を有し,互いに隣接する一群の三次元格子点から構成される領域である。ダミー原子には,その中心に該ダミー原子を配置した三次元格子点と同じ水素結合性を与えておく。1個の水素結合性官能基から2個以上のダミー原子が設定されたり,1個のダミー原子も設定されなかったりする。」(本件公報12欄48行〜13欄15行)との記載がある。

     (イ)本件明細書の「発明の詳細な説明」欄には,「背景技術」として「コンピュータとコンピュータグラフィックスを用いたシュミレーション手法においては,コンピュータグラフィックス画面上で対話的に,視覚的な判断によって大まかな初期複合体構造を設定したのちに,計算科学的に精密化,定量化することが最も一般的に行われている。しかし,このやり方では,結合様式や分子配座について作業者の先入観が入り易く,客観的に膨大な可能性の中から正しい解に到達することが極めて難しい上に,時間と労力がかかる。また,作業者によって結果が異なるなど,結果の信頼性や再現性にも欠ける。」(本件公報5欄24行〜33行)という問題点があったとした上で,「本発明は,上記の問題点を解決した,生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索方法を提供することを目的とする。」(同6欄17行〜19行)とし,さらに,「本発明の方法により,生体高分子−リガンド分子の安定複合体構造の探索を短時間で行うことが可能になった。」(同22欄23行〜25行)という効果を奏するものとされている。
     (ウ)本件公報の第1図の(C)には,水素結合性領域の中心部分,すなわち1点,にダミー原子を設定することが開示されている。
     イ 特許請求の範囲の解釈
       前記アの認定事実を総合すると,本件明細書には,「三次元格子点が存在する水素結合性領域を構成する三次元格子点の中心にダミー原子を配置する」という記載がある一方で,本件明細書及び図面には1個の水素結合性領域に数十のダミー原子を設定し得ると解し得るような記載や,そのような場合の設定方法に関する記載は一切存在しないことを指摘することができる。
       また,前記ア(イ)の認定事実によれば,ダミー原子を,どのようにして,どこにいくつ設定するかをあらかじめ決めておかなければ,ダミー原子を設定するに際して,「作業者の先入観が入り易く,客観的に膨大な可能性の中から正しい解に到達することが極めて難しい上に,時間と労力がかかる。」という従来技術の問題点を解決できないことを指摘できる。

       さらに,1個の水素結合性領域について,殊更ダミー原子を数十も設定するようなことをすれば,所定の演算処理に要する時間が,ダミー原子を1個設定する場合に比較して,当然長時間かかることになってしまう上に,処理が複雑になって所期の目的や効果が達成されなくなるおそれがあるが,その不都合に見合う効果が特に期待できるわけでもない。加えて,本件特許発明においては,ほぼ最終段階のS30のステップ(本件公報17欄47行〜48行)で生体高分子−リガンド分子の複合体構造を最適化しているが(甲2により認められる。),このことは初期の段階でダミー原子を数十も設定するような精緻な手法を採用するという解釈と相容れるものではない。
       以上の点を併せ考えると,本件特許発明にいう「ダミー原子」とは,「水素結合性領域内でかつ,ファンデルワールス半径外に,適当な数,例えば5〜20個の三次元格子点が存在する水素結合性領域を構成する三次元格子点の中心(すなわち1点)に設定される便宜上の原子」を意味すると解するのが相当である。

     ウ ロ号方法の内容等
       ロ号物件目録のうち当事者間に争いのない記載部分によれば,原告らが「ダミー原子」に当たると主張するロ号方法(「FlexX」)における「生体高分子側相互作用点」は,「生体高分子中の相互作用可能な原子につきそれぞれ設定される相互作用面を構成する数十の点」と規定されるものである。
       上記を前提に,本件特許発明の「ダミー原子」とロ号方法の「FlexX」における「生体高分子側相互作用点」とを比較すると,「ダミー原子」が水素結合性領域を構成する三次元格子点の中心に位置されるものであるのに対し,「生体高分子側相互作用点」は,それにより近似的に表現される相互作用面を構成するものである上に,当該面上に配置されるものである点(原告A作成の2002年3月11日付け技術説明資料〔甲7〕のスライド40にもその旨の記載がある。)及び「ダミー原子」が「水素結合性領域を構成する三次元格子点の中心(すなわち1点)」に設定されるものであるのに対し,「生体高分子側相互作用点」は数十の個数設定されるものである点において,その役割,配置される位置及び設定される個数が相違している。

       したがって,ロ号方法の「FlexX」における「生体高分子側相互作用点」は,本件特許発明の各構成要件の「ダミー原子」に該当しないというべきである。
     エ 原告らの主張について
       原告らは,(ア)本件特許発明の「ダミー原子」は,1個の水素結合性官能基について1個又は2個以上設定されるものであること(本件公報13欄13行〜15行),(イ)本件明細書の「発明の詳細な説明」の欄において,「ダミー原子」の個数を1個に限定するとの記載はなく,実施例においても,蛋白質中の官能基の数である10より多い13個の「ダミー原子」を設定する例が示されていること(本件公報19欄45行〜48行)を挙げて,「FlexX」における数十の「生体高分子側相互作用点」は「ダミー原子」に該当する旨主張している。
       しかし,(ア)については,原告らが指摘する箇所には「1個の水素結合性官能基から2個以上のダミー原子が設定され‥‥」と記載されており,「1個の水素結合性領域に2個以上のダミー原子が設定され‥‥」と記載されているのではない。また,(イ)については,原告らが指摘する箇所には「合計10個の水素結合性官能基が選択された。該水素結合性官能基に対して13個のダミー原子が設定された。」と記載されており,「合計10個の水素結合性領域‥‥‥に対して13個のダミー原子が設定された。」と記載されているのではない。

       これを敷衍するに,例えば,1つの水素結合性官能基が複数のヘテロ原子を包含するような場合には,包含されるヘテロ原子の種類や数に応じて,1つの水素結合性官能基に対して2個以上の水素結合性領域が決定される可能性があり,それに対応して1つの水素結合性官能基に対して2個以上の「ダミー原子」が設定される場合があるのは当然のことである。
       また,本件公報の第1図の(C),原告A作成の陳述書(甲4)の別紙その3「本件特許アルゴリズムに関する図解」の@の図及び同原告作成の2002年3月11日付け技術説明資料(甲7)のスライド23には,1個の水素結合性官能基(カルボニル基(=O))に対し,2個のダミー原子が設定される例が示されていること,原告Aほか2名の執筆に係る「Rational Automatic Search Method for Stable Docking Models of Protein and Ligand」と題する論文(乙4)には,「1つの水素結合性ヘテロ原子から生成されるダミー原子の数は,官能基の水素原子と孤立電子対の数による。」(訳文7頁14行〜16行)という記述があることからすれば,1つの水素結合性官能基が単一のヘテロ原子のみを包含するような場合であっても,例えば,当該ヘテロ原子が2個以上の孤立電子対を有する場合には,1つの水素結合性官能基に対し2個以上のダミー原子が設定される場合があると認められる。

       以上によれば,原告らが指摘する本件明細書の記載は,前記イの「ダミー原子」の解釈と何ら矛盾するものではなく,上記の記載を根拠として「FlexX」における数十の「生体高分子側相互作用点」が「ダミー原子」に該当するということはできない。原告らの主張は理由がない。
   (6) この項のまとめ
     以上によれば,E 「ダミー原子」と「水素結合性ヘテロ原子」の組合せの網羅と距離の比較の順序(前記第3の2(2)のア)について検討するまでもなく,ロ号方法は本件特許発明の技術的範囲に属しない。
     したがって,ロ号物件が本件特許発明に係る方法の使用にのみ用いる物(特許法101条2号)に該当するかどうかを検討するまでもなく,原告研究所の主位的請求(ロ号物件の販売の差止め)は,理由がない。
 4 争点3(イ号物件による間接侵害の成否)について

   次にイ号方法が本件特許発明の技術的範囲に属するかどうかを検討する。
    前記のとおり(前記第3,1),イ号方法の内容については,当事者間に一部争いがあるが,ひとまず,原告らがイ号方法の内容として主張するイ号物件目録の記載に基づき,イ号方法が本件特許発明の技術的範囲に属するかどうかを検討することとする。
   イ号物件目録の内容については,当事者間に争いがあるところ,イ号方法の工程においても「生体高分子中の相互作用可能な原子につきそれぞれ設定される相互作用面を構成する数十の点」が存在し,これが「生体高分子側相互作用点」として規定される(この点は,被告も争っていない。)。
   そして,原告らがこの「生体高分子側相互作用点」が「ダミー原子」に該当する旨主張している点も,ロ号方法におけるのと同様である。

   そうすると,前記3(5)で論じたのと同様の理由により,「生体高分子側相互作用点」は「ダミー原子」に該当しないから,イ号方法は本件特許発明の技術的範囲に属しない。
    したがって,イ号物件が本件特許発明に係る方法の使用にのみ用いる物(特許法101条2号)に該当するかどうかを検討するまでもなく,原告研究所の予備的請求(イ号物件の販売の差止め)は,理由がない。
 5 結論
   以上によれば,原告らの請求は,いずれも理由がない。
   よって,主文のとおり判決する。
 
         東京地方裁判所民事第46部
 
                       裁判長裁判官    三 村 量 一
                   
                   
                             裁判官        和久田 道 雄
                         
                         
                           裁判官    田 中 孝 一


(別紙)
イ号物件目録ロ号物件目録