◆H16. 1.28 東京地裁 平成14(ワ)28097 特許権 民事訴訟事件
平成14年(ワ)第28097号 損害賠償請求事件
口頭弁論終結日 平成15年11月17日
判 決
原 告 株式会社エス・デー
訴訟代理人弁護士 田 中 紘 三
同 田 中 みどり
同 田 中 みちよ
被 告 株式会社デイ・アイ・オー企画
訴訟代理人弁護士 岩 崎 修
主 文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告は,原告に対し,金500万円及びこれに対する平成15年12月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,原告が被告に対し,美術館を開設する被告の行為が,原告の有する特許権を侵害するとして,損害賠償の支払を求めた事案である。
1 前提となる事実(当事者間に争いがない事実及び弁論の全趣旨により認められる事実)
(1) 原告の有する特許権
原告は,次の特許権(以下「本件特許権」といい,請求項1ないし6の発明をそれぞれ「本件発明1」ないし「本件発明6」という。)を有している。
(ア) 発明の名称 壁画で構成される美術館の構築方法
(イ) 出願日 平成9年2月28日
(ウ) 登録日 平成12年9月22日
(エ) 特許番号 第3113833号
(オ) 特許請求の範囲 別紙「特許公報」写しの該当欄記載のとおり(以下同公報掲載の明細書を「本件明細書」という。)
(2) 本件発明の内容
ア 本件発明1を構成要件に分説すると,以下のとおりである。
A 壁面,床面,天井等に,
B 何色もの透明度の高いペンキを多数回塗り重ねて薄い被膜の層を形成し,
C 光の屈折,反射を惹起させて見る者の視覚に錯覚を起こさせる描画法にて遠近法及び陰影法に基づく描画を行うことを特徴とする壁画で
D 構成される美術館の構築方法。
イ 本件発明2ないし6は,以下のとおりである。
(ア) 本件発明2
前記(本件発明1。以下本件発明3ないし6も同じ。)描画を現場において直接壁面等に対して行なうクレーム1記載の美術館の構築方法。
(イ) 本件発明3
前記描画を予め壁構成用パネルに対して行ない,前記パネルを壁材として利用することを特徴とするクレーム1記載の美術館の構築方法。
(ウ) 本件発明4
前記描画において額縁を表現するクレーム1,2又は3記載の美術館の構築方法。
(エ) 本件発明5
前記額縁内に描く絵の一部を前記額縁の上に表現するクレーム4記載の美術館の構築方法。
(オ) 本件発明6
前記描画において歴史的建築物や彫刻を表現するクレーム1,2又は3記載の美術館の構築方法。
(3) 被告の行為
被告は,平成14年4月4日以降,長野県北佐久郡軽井沢町旧軽井沢809において,「旧軽井沢森ノ美術館」という名称の美術館(以下「被告美術館」という。)を開設している。
被告美術館においては,以下のとおり,8種の展示コーナーを設けている。
@ 魔法の動物園
A 不思議な水族館
B ジャングル遺跡探検
C 世界名作彫刻コーナー
D 世界名作絵画コーナー
E 心理錯覚コーナー
F アナモルフォーズ
G トリックBOX ゴッホの部屋・鏡の間・エイムズの部屋
(4) 本件発明1の構成要件充足性
被告美術館は,本件発明1の構成要件A,Dを充足する。
2 争点及び当事者の主張
(1) 被告美術館はどのような構造か。
(原告の主張)
被告美術館は,3階からなり,各階展示コーナーのそれぞれにおいて,建物の壁面に代わるものとして,木製パネルを建物躯体壁面に沿って立ちあげて躯体と一体化させて定着させ,
@ この木製パネルに何色もの透明度の高いペンキを多数回塗り重ねて薄い被膜の層を形成し,光の屈折反射を惹起させて見る者の視覚に錯覚を起こさせる描画法で遠近法及び陰影法に基づく描画をして,
A 上記の@の方法で描画した木製パネルを壁構成用として用い,
B 上記の@の描画法と同様の描画法で絵画の額縁を表現し,
C 上記の@の描画法で,額縁内に描く絵の一部を額縁の上にも表現し,
D 上記の@,Aの方法を用いて,描画の対象物として歴史的建築物や彫刻を表現することを特徴とする美術館である。
(被告の反論)
否認する。
被告美術館は,
@ 壁面,床面,天井等に,何色もの不透明の壁画用アクリル絵具を使用し,
A 見る者に視覚の錯覚を起こさせるようだまし絵の描画法に加え,明暗法(陰影法),遠近法,加速遠近法,空気遠近法等の数百年間絵画において慣習的に使用されている慣用的な技法を組み合わせて描画を行うことを特徴とする,
B 壁画,パネルで構成される美術館である。
(2) 被告美術館の構築方法は,本件発明1の技術的範囲に属するか。
ア 構成要件Bの充足性
(原告の主張)
被告美術館で描画展示されている絵画は,主として水性アクリル系絵具により描画されている。しかも,それは,単色ではなく,何色もの絵具を塗り重ねる方法によっている。この水性アクリル系絵具は,透明性が高く,また,多数回の塗り重ねで被膜もできる(甲8,甲9)。また,水性アクリル系絵具もペンキの一種である(甲10)。
よって,被告美術館の構築方法は,構成要件Bを充足する。
(被告の反論)
構成要件Bには,「何色もの透明度の高いペンキを・・・塗り重ね・・・」と記載されている。これに対して,被告美術館においては,「何色もの水性かつ不透明の壁画用アクリル絵具が使用されている」ので,被告美術館の構築方法は構成要件Bを充足しない。
イ 構成要件Cの充足性
(原告の主張)
構成要件Cには,「光の屈折,反射を惹起させて見る者の視覚に錯覚を起こさせる描画法にて遠近法及び陰影法に基づく描画を行うことを特徴とする」と記載されているが,「光の屈折,反射を惹起させて」の部分は,「視覚上の錯覚を起こさせること」と同義を記載したにすぎず,限定的な意味はない。したがって,視覚上の錯覚を起こさせる描画を行うことによる被告美術館の構築方法は,構成要件Cを充足する。
(被告の反論)
構成要件Cにおいては,透明度の高いペンキの被膜により,光の屈折,反射を惹起させることによって,視覚上の錯覚を起こさせることが必要となる。これに対して,被告美術館においては,遠近法,明暗,色彩,構図を工夫して,写実的に描くことにより,心理的錯覚を利用して,平面に描いた絵を立体的に見えるようにしており,古今東西で使用されている「だまし絵」ないし「トロンプ ルイユ」と呼ばれる画法を使用しているのであって,光の透過及び透過した光の反射により,視覚上の錯覚を起こさせるものではないから,被告美術館の構築方法は,構成要件Cを充足しない。
(3) 被告美術館の構築方法は,本件発明2ないし6の技術的範囲に属するか。
(原告の主張)
ア 被告美術館では,視覚上の錯覚を起こさせる方法で,壁面に直接描くことにより,美術館を構築している。したがって,被告美術館の構築方法は,本件発明2の構成要件をすべて充足する。
イ 被告美術館では,視覚上の錯覚を起こさせる方法で,壁構成用のパネルを描画のための壁材として用いて,美術館を構築している。したがって,被告美術館の構築方法は,本件発明3の構成要件をすべて充足する。
ウ 被告美術館では,視覚上の錯覚を起こさせる方法で,額縁もパネル壁画上に描画することによって美術館を構築している。したがって,被告美術館の構築方法は,本件発明4の構成要件をすべて充足する。
エ 被告美術館では,視覚上の錯覚を起こさせる方法で,額縁上にはみ出して絵画を描くことにより,美術館を構築している。したがって,被告美術館の構築方法は,本件発明5の構成要件をすべて充足する。
オ 被告美術館では,2階部分において,視覚上の錯覚を起こさせる方法で,歴史的彫刻をパネル上の壁画で表現することにより,美術館を構築している。したがって,被告美術館の構築方法は,本件発明6の構成要件をすべて充足する。
(被告の反論)
本件発明2ないし6は,いずれも本件発明1の美術館の構築方法を構成要件の1つにしている。これに対して,被告美術館の構築方法は,本件発明1の構成要件B及びCを充足しないから,本件発明2ないし6の構成要件を充足しない。
(4) 本件特許に無効理由があるか。
(被告の主張)
ア 新規性の欠如
本件特許の出願日である平成9年2月28日より前の,平成7年11月26日には,いわゆるトリックアートの美術館が既に開館され(乙6),また,海外では,このようなトリックアートの美術品ないし美術館は一般的であった(乙5)。したがって,本件発明には新規性がない。
イ 実施不能
人の手によって描画し,光の反射,屈折を一定とする被膜を作出することは,物理的,光学的に不可能であるから,本件発明は,実施が不可能である。
(原告の反論)
争う。
乙5,乙6に記載された技術は,本件発明と同一ではない。
(5) 損害額は幾らか。
(原告の主張)
被告美術館における入場料は1500円であり,1月当たり少なくとも2万人の来場者が見込まれるから,1月当たりの入場料収入は,少なくとも3000万円になる。よって,原告は,被告に対し,平成15年11月30日までの期間における,本件特許権侵害による損害賠償請求の一部請求として金500万円の支払を求める。
(被告の反論)
争う。
第3 争点に対する判断
1 本件発明1の構成要件Bの充足性について
(1) 構成要件B
構成要件Bには,「何色もの透明度の高いペンキを多数回塗り重ねて」と記載されている。
(2) 被告美術館の構造及び対比
ア 証拠(甲6(写真b−16),乙1ないし3,5)及び弁論の全趣旨によれば,被告美術館における壁画の描画方法は,以下のとおりであることが認められ,これを覆すに足りる証拠はない。
被告美術館の壁画は,有限会社オフィス・リー所属のRにより,市販されているターナー色彩株式会社(以下「ターナー社」という。)製のビッグアートカラー壁画用絵具を使用して描かれたこと,ターナー社のカタログによれば,上記ビッグアートカラー壁画用絵具は,不透明な,水性,アクリル系であること,同カタログには,「下色を覆い隠すチカラの強さで,これまでの不透明絵具の感覚そのままに,ビッグアートが描けます。」と記載されていること,被告美術館の壁画の描画法は,遠近法,色彩,構図を工夫し,心理的錯覚を利用することによって,平面に描いた絵を立体的に見えるようにする方法が用いられたことが認められる。そして,本件全証拠によるも,被告美術館の壁画が,何色もの透明度の高いペンキを多数回塗り重ねて描かれたことを認めることはできない。
この点,原告は,水性アクリル系絵具は,透明性が高い性質を有すると主張する。しかし,甲8,9によれば,一般的に,アクリル絵具は,メディウムと混合することによって,透明及び不透明のいずれの被膜を形成することも可能であり,重ね塗りされた下地の絵具を透視できる場合もあれば,透視できない場合もあることが認められる。そうすると,被告美術館の描画に用いられた絵具が透明度の高いものであったとの原告の主張を採用することはできない。
イ 以上のとおり,被告美術館の描画に用いられたのは,不透明の水性アクリル系の壁画用絵具であるから,被告美術館の構築方法は,構成要件Bを充足しない。
2 本件発明1の構成要件Cの充足性について
(1) 構成要件Cの「光の屈折,反射を惹起させて」の解釈
原告は,本件発明1の構成要件Cのうち,「光の屈折,反射を惹起させて」の部分は,「視覚上の錯覚を起こさせること」と同じ意味を記載したにすぎないので,限定的な意味はないと主張する。この点を検討する。
本件発明1の構成要件Cには,「光の屈折,反射を惹起させて見る者の視覚に錯覚を起こさせる描画法にて遠近法及び陰影法に基づく描画を行うことを特徴とする壁画」と記載されている。また,本件明細書の発明の詳細な説明には,「本発明において用いる描画法は,基本的には遠近法及び陰影法を用いた画法によるものであるが,透明度の高い,換言すれば,濃度の低いペンキを塗り重ねて薄い被膜を形成していくことを特徴とするものである。」(本件明細書2頁左欄30ないし34行目),「この何層もの被膜により,微妙な光の屈折,反射現象が惹起され,以て見る者の目に錯覚を起こさせて立体感のある絵として認識させることができるようになるのである。」(本件明細書2頁左欄37ないし40行目)との記載がある。
そうすると,本件発明1の構成要件Cは,透明度の高いペンキの被膜によって,「光の屈折,反射を惹起させ」ることにより,視覚上の錯覚を起こさせることを要件としていることは明らかであって,この点の原告の主張は採用できない。
(2) 被告美術館の構造及び対比
前記のとおり,被告美術館の壁画の描画法は,遠近法,色彩,構図を工夫して,心理的錯覚を利用して,平面に描いた絵を立体的に見えるようにする方法が利用されたこと,このような心理的な錯覚を用いた「だまし絵」の技法は,古くから,しばしば用いられている技法である。そして,本件全証拠によるも,被告美術館の絵画において,ペンキを多数回にわたり塗り重ねることにより形成された薄い被膜の層により光の屈折,反射を惹起させていると認定することはできない。
そうすると,被告美術館では,光の屈折,反射を惹起させることによって,見る者の視覚に錯覚を起こさせる描画法を用いているとはいえないから,被告美術館の構築方法は,構成要件Cを充足しない。
3 本件発明2ないし6の構成要件の充足性について
本件発明2ないし6は,いずれも本件発明1を前提としている。上記1,2のとおり,被告美術館の構築方法は,本件発明1の構成要件を充足しない以上,本件発明2ないし6の技術的範囲に属する余地はない。
第4 結論
よって,その余の点を判断するまでもなく,原告の請求はいずれも理由がない。
東京地方裁判所民事第29部
裁判長裁判官 飯 村 敏 明
裁判官 今 井 弘 晃
裁判官 神 谷 厚 毅