◆H16. 3.23 東京高裁 平成14(行ケ)459 特許権 行政訴訟事件
平成14年(行ケ)第459号 審決取消請求事件
口頭弁論終結日 平成16年2月19日
判 決
原 告 ファミリー株式会社
訴訟代理人弁理士 角 田 嘉 宏
同 高 石 郷
同 西 谷 俊 男
同 幅 慶 司
同 古 川 安 航
同 内 山 泉
被 告 東芝テック株式会社
訴訟代理人弁護士 大 場 正 成
同 尾 崎 英 男
同 嶋 末 和 秀
同 飯 塚 暁 夫
訴訟代理人弁理士 鈴 江 武 彦
同 峰 隆 司
主 文
1 特許庁が無効2001−35530号事件について平成14年7月31日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
主文と同旨
2 被告
(1) 原告の請求を棄却する。
(2) 訴訟費用は原告の負担とする。
第2 当事者間に争いのない事実等
1 特許庁における手続の経緯
被告は,発明の名称を「エアマッサージ装置」とする特許第3014572号の特許(平成5年10月29日出願(以下「本件出願」といい,同出願に係る願書に添付された明細書及び図面を併せて「本件明細書」という。甲第2号証は,登録時におけるその内容を示す特許公報である。ただし,後記本件訂正により特許請求の範囲(請求項1)と発明の詳細な説明(請求項1の訂正に関連する部分)が訂正されている。正確には,この訂正後のものを「本件明細書」という。甲第4号証は,本件訂正に係る全文訂正明細書である。),平成11年12月17日設定登録。以下「本件特許」という。請求項の数は2である。)の特許権者である。
原告は,平成13年12月5日,本件特許を請求項1に関して無効にすることについて,審判を請求した。特許庁は,これを,無効2001−35530号事件として審理した。被告は,この審理の過程で,特許請求の範囲(請求項1)と発明の詳細な説明(請求項1の訂正に関連する部分)の訂正を請求した(以下,これを「本件訂正」という。)。特許庁は,審理の結果,平成14年7月31日,「訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本を,平成14年8月12日,原告に送達した。
2 特許請求の範囲(請求項1)(別紙1参照)
複数の空気袋を有し,前記複数の空気袋を膨縮させるエア給排気装置とを備えたエアマッサージ装置において,
前記複数の空気袋は,人体当接面の中心線の左右に跨って配置されて前記人体当接面から人体を押し出すように膨張する空気袋と前記中心線の左右に間隔をおいて配置されて前記人体当接面上の人体を挟み付けるように互いに接近する方向に膨張する空気袋とを備え,
前記中心線の左右に跨る空気袋と前記中心線の左右に間隔をおいた空気袋とを人体の同一部位に対応させて前記人体当接面の左右方向に沿って配置し,且つ,前記中心線の左右に間隔をおいた空気袋の少なくとも一部を前記中心線の左右に跨る空気袋の両端より左右方向外方側に位置させて人体の同一部位に対して押出による押圧マッサージ作用と挟み付けによる揉みマッサージ作用とを異なるタイミングで与えることを特徴とするエアマッサージ装置。
(下線部は,本件訂正により付加訂正された部分である。以下,審決と同じく「本件発明1」という。)
3 審決の理由
審決の理由は,別紙審決書の写し記載のとおりである。原告は,審判手続において,
a 本件発明1は,実開昭59−100410号公報のマイクロフィルム(甲第5号証・審判甲第1号証,以下「甲5公報」という。)に記載された発明(以下「甲5発明」という。)と同一の発明である,
b 本件発明1は,甲5発明に基づいて,当業者が容易に発明できたものである,
c 本件発明1は,実公昭61−39470号公報(甲第6号証・審判甲第2号証,以下「甲6公報」という。)に記載された発明(以下「甲6発明」という。)と同一の発明である,
d 本件発明1は,特公昭44−13638号公報(甲第7号証・審判甲第3号証,以下「甲7公報」という。)に記載された発明(以下「甲7発明」という。)と実開昭56−84828号公報のマイクロフィルム(甲第8号証・審判甲第4号証,以下「甲8公報」という。)に記載された発明(以下「甲8発明」という。)とに基づいて,当業者が容易に発明できたものである,
e 本件発明1は,甲7発明と特公昭61−16178号公報(甲第9号証・審判甲第5号証,以下「甲9公報」という。)に記載された発明「(以下「甲9発明」という。)とに基づいて,当業者が容易に発明できたものである,
f 本件発明1は,甲5発明及び本件出願に係る公開公報(甲第10号証・審判甲第9号証)に記載された発明とに基づいて,当業者が容易に発明できたものである,
g 本件出願は,平成6年法律第116号による改正前の特許法36条5項1号に規定する要件を満たしていない(特許請求の範囲に記載された発明が発明の詳細な説明に記載されたものである,と認めることができない。)。
と主張した(以下順番に,「無効理由a」,「無効理由b」・・・「無効理由g」という。無効理由fは,本件出願に関し,平成11年10月18日になされた手続補正(以下「本件補正」という。)が,要旨の変更に該当するから,本件出願は同日にされたものとみなされる,との主張を根拠とするものである。)。
審決は,原告主張の無効理由をすべて排斥した(無効理由fについては,本件補正が要旨の変更に当たるとは認められない,とした。)。
第3 原告の主張の要点
本件発明1は,甲5発明,甲7発明,甲8発明及び甲9発明に基づき,当業者が容易に推考できたものである。審決は,進歩性の判断を誤ったものであり,審決は取り消されるべきである。
1 進歩性の判断の誤り1
(1) 審決は,
「甲第2号証及び3号証(判決注・甲6公報及び甲7公報)には,指圧頭部を有する蛇腹状の伸縮筒を多数用いた指圧・マッサージ装置が開示され,特に甲第3号証には,中心線の左右に間隔をおいた一対の伸縮筒27a,27aと,更にその外側に間隔をおいた一対の伸縮筒27b,27bとをタイミングを異ならせて動作しうるようにしたものが開示されているが,仮に,これらの伸縮筒を空気袋に置き換えたとしても,中心線の左右に跨る空気袋という概念が生じ得ない以上,甲第2及び第3号証に開示された技術を,中心線の左右に跨る空気袋を備えた甲第1,4或いは5号証(判決注・甲5公報,甲8公報,甲9公報)に記載されたものに組み合わせること自体,当業者といえども容易に想到し得ないところである。」(甲第1号証6頁36行目〜7頁6行目),
としている。
(2) 上記のとおり,審決は,甲7発明に,中心線の左右にまたがる空気袋を備えた甲5発明,甲8発明及び甲9発明を適用することの容易性を論じている。
しかし,原告は,本件発明1に最も類似している甲7発明を中心として,これと本件発明1との相違点を明らかにした上で,進歩性がないことを論じたものである。審決の認定は,原告の主張の枠組みを逸脱している。
(3) 甲7発明の蛇腹式の伸縮筒27a,27bは,いずれも,本件発明1の空気袋に該当する。
ア 本件明細書では,空気袋について特に定義をしていないから,それは,「空気を入れる袋」程度の意味を有するにすぎない。そして,「袋」とは,「柔軟な材料で作られた一つの開口部を有する容器」のことである(甲第12号証・「JIS工業用語大辞典」)。甲7発明の蛇腹式伸縮筒も,当業者の技術常識によれば,可撓性の柔軟な樹脂等である。
本件発明1の「空気袋」は,いわゆるエアバッグであり,一般には気密性を有する布地で構成されている。布地自体は,ゴムなどと異なり伸長しないので,圧搾空気が供給され膨張すると固くなり,その先端部分で人体のつぼを刺激する。他方,甲7発明の伸縮筒も,圧搾空気が供給されると蛇腹状の屈曲部が伸長して,その先端部に配設された硬質ゴム製の指圧頭で指圧する。両者は,膨張の態様が異なるだけである。
(別紙2ないし6参照)
イ 本件発明1の空気袋と,甲7発明の伸縮筒と指圧頭との組合せ(以下,指圧筒と指圧頭との組合せを「指圧筒・頭」ということがある。)とでは,その作用も異ならない。
(ア) アで述べたとおり,本件発明1の空気袋と,甲7発明の指圧筒・頭とで,押圧の態様は特段異ならない。
(イ) 本件明細書の【0024】には,「空気袋a11,a11は人体の下腿部に位置するツボの承山(しょうざん)等に対応していて,対応する空気袋a11,a11の膨張によりこの承山近辺の下腿部を挟み付けることにより筋肉のマッサージ並びにツボへの刺激を行う。」(3頁右欄5行目〜9行目)との記載がある。
すなわち,被告自身,空気袋により,マッサージと同時に,つぼへの刺激すなわち指圧をも行うことができることを認めている。本件発明1の空気袋は,指圧筒・頭の役割をも持っている。
(ウ) 甲6公報には,1図で,気のう7,10,11と指圧部材1が表示され,「本考案は,自然な仰臥状態での人体の肩の経絡(つぼ)に効果的な指圧マッサージを施すことのできるマッサージ装置に関する。」(1頁1欄11行目ないし13行目),「人間工学に適った仰臥状態で肩の被揉部位を効果的に押圧マッサージできるマッサージ装置を提供しようとするものである。」(1頁2欄6行目〜8行目),「以上のように本考案によれば,使用者の体型に適合した曲面上に仰臥した安楽な姿勢で肩の経絡(つぼ)を空気圧の膨縮運動により指圧部材1で押圧を繰り返し行うため,所要押圧力のマッサージを効果的,且つ,安全に行うことができる。」((3頁5欄9行目〜13行目),と記載されている(別紙7参照)。
すなわち,甲6発明においても,指圧部材によって,押圧力のマッサージを施す,とされているのである。
(エ) 甲7公報に,「従来,わが国においては古来より按摩およびマッサージとして特別の技能と経験を有する技術者による手技の指圧療法が行われてきたものであった」(1頁1欄28行目〜31行目)との記載がある。
ここでは,指圧療法は,按摩やマッサージを含むものと理解されている。
また,指圧筒・頭により指圧を行う甲7発明についての国内出願に対応する米国出願では,その名称は「Massaging Apparatus」(判決注・日本語訳は「マッサージ装置」)と記載されている。
(オ) 被告は,甲7発明の指圧頭部29による指圧は,点接触的に行われるものであり,本件発明1の空気袋によるマッサージとは異なる,と主張する。
しかし,甲7発明において,指圧頭部29の大きさは特に規定されていない。本件発明1においても,空気袋の大きさは,特に規定されていない。これら両者のいずれにおいても,人体との接触面積には様々なものがあり得る。甲7発明の指圧頭部の接触が点接触ないしピンポイント接触にすぎない,とする被告の主張は,何ら根拠のないものである。
ウ 原告は,甲7発明の伸縮筒は人体に当接しない,とする。しかし,本件発明1でも,その空気袋自体が,人体に直接当接すると特定されているものではない。
エ 指圧筒・頭が,空気袋に該当しない,との被告の主張は,信義側に反するものである。
被告は,原告製品「チェアロ DX FAC−451」の指圧筒・頭が,本件発明1の空気袋に該当すると指摘した上で,上記製品の製造が本件特許を侵害すると,文書で原告に警告している(甲第14号証及び第15号証)。このような被告が,原告に対し,指圧筒・頭の組合せが空気袋に該当しないと主張することは,信義側上許されない。
(4) 結局,本件発明1と甲7発明とは,前者が「押し出し用の空気袋が人体当接面の中心線の左右に跨って配置されている」のに対し,後者が,「伸縮筒が人体当接面の中心線の左右に間隔をおいて配置されている」点で異なるにすぎない。
そして,甲7発明において,この伸縮筒27a,27aは,その先端部の指圧頭が人体を押す位置は異なるものの(甲7公報8図参照),同じ方向に動き,同じタイミングで膨張・収縮する。
前記のとおり,本件発明1の空気袋による押圧と,甲7発明の指圧頭による押圧とでは,格別その作用は異ならない。しかも,甲7発明の伸縮筒に一対の指圧頭部を備えさせ,さらにそれを首当接面の中心線の左右にまたがって配置された一つの伸縮筒にすることは,設計事項にすぎない。
(5) 甲7発明の伸縮筒27a,27aは,同じタイミングで膨張し,協働して,首への押出による押圧マッサージを加える。甲8公報には,首当接面の中心線にまたがって配置された空気袋4a(別紙8参照)が記載されており,これは,膨張によって,押出によるマッサージを与える。
これらを見た当業者が,首への押出マッサージを行うため,同じタイミングで動作する一対の伸縮筒27a,27aに代わり,甲8発明の空気袋4aを用いることに想到することは,容易である。
(6) したがって,本件発明1は,甲7発明及び甲8発明により,容易に推考できるものである。
(7)ア 被告は,一対の空気袋で人体部位を挟みもみすること自体に,本件発明1の特色となる新しさがある,と主張する。しかしこのような構成は,甲5公報に開示されている(例えば,一対のエアーバッグ22,22)。
イ また,被告は,2種類の空気袋を配置し,人体の同一部位にマッサージ作用を与えることに,本件発明の特徴がある,とする。
しかし,押圧マッサージ作用と挟みもみマッサージ作用とを交互に与えても,それらは個々のマッサージの効果の総和となるにすぎず,何らかの相乗作用が生じるというものではない。
1個の空気袋とそれによる押圧マッサージは周知であり,これと,一対の空気袋とを組み合わせることにより,本件発明1の構成に容易に想到することができる。そして,甲7公報には,正に,挟み付けマッサージを行う一対の空気袋(一対の伸縮筒27b,27b),その中央に配置され協働して押圧マッサージを行う二つの空気袋(27a,27a)とが開示されているのである。
2 進歩性の判断の誤り2
仮に,甲7発明の伸縮筒 27a,27bが,本件発明1の空気袋に該当しないとしても,27b,27bが,挟み付けによる首へのマッサージ効果を与えることは明らかであり,他方,甲5公報には,挟み付けによるもみマッサージ作用を与えるエアーバッグ(22,22)が開示されている。当業者が,甲7発明の伸縮筒27b,27bを,エアーバッグで置換して本件発明1に想到するのは容易である。
本件発明1は,甲5発明,甲7発明及び甲8発明に基づき,当業者が容易に推考できるものである。
3 進歩性の判断の誤り3
上記2と同様の理由により,本件発明は,甲5発明,甲7発明及び甲9発明により,容易に推考できる。
4 被告の手続違背の主張(審判において主張していない取消事由の追加)に対する反論
被告は,甲5発明,甲7発明及び甲8発明の組合せ並びに甲5発明,甲7発明及び甲9発明の組合せによる容易推考性の主張は,審判手続においてなされていない,と主張する。原告が,審判手続において,これらの主張をしていなかったことは認める。
しかし,審決は,現に,これらの組合せによる容易推考性の有無についても判断している。これは,特許庁が職権審理(特許法153条)したものと解される。
原告は,この職権審理に対し,意見を申し立てる機会を与えられていない。原告は,その違法性を主張することを敢えて避けて,代わりに,特許庁の判断の誤り(進歩性の存在)を主張しているものである。
第4 被告の反論の要点
1 手続違背(審判で主張されていない取消事由の追加)
原告が審判手続において主張していた無効理由は,無効理由a〜gのみである。
本訴における原告の主張のうち,甲7発明と甲8発明との組合せによる容易推考性は,無効理由dに該当する。
原告は,本訴において,甲5発明,甲7発明及び甲8発明の組合せ並びに甲5発明,甲7発明及び甲9発明の組合せによる容易推考性をも主張する。しかし,これらは,審判において主張されたものではない(審決が,甲5公報,甲6公報について言及しているのは,これらが,無効理由aないしcにおいて引用例とされているからである。)。原告は,これらについて特許庁が職権で判断している,とするが,そのようなことはない。
被告は,原告の主張のうち,無効理由dに関する部分について,反論するものである。
2 本件発明1の内容及び特徴
(1) 本件発明1の構成要件
A 複数の空気袋を有し,前記複数の空気袋を膨縮させるエア給排気装置とを備えたエアマッサージ装置において,
B 前記複数の空気袋は,人体当接面の中心線の左右に跨って配置されて前記人体当接面から人体を押し出すように膨張する空気袋と
C 前記中心線の左右に間隔をおいて配置されて前記人体当接面上の人体を挟み付けるように互いに接近する方向に膨張する空気袋とを備え,
D 前記中心の左右に跨る空気袋と前記中心線の左右に間隔をおいた空気袋とを人体の同一部位に対応させて前記人体当接面の左右方向に沿って配置し,
E 且つ,前記中心線の左右に間隔をおいた空気袋の少なくとも一部を前記中心線の左右に跨る空気袋の両端より左右方向外方側に位置させて
F 人体の同一部位に対して押出による押圧マッサージ作用と挟み付けによる揉みマッサージ作用とを異なるタイミングで与えることを特徴とする
G エアマッサージ装置。
(以下,「構成要件A」,「構成要件B」・・・というように呼称する。)
(2) 従来知られていた空気袋による椅子式マッサージ装置は,椅子の背中部や座部に空気袋を配設し,空気袋を膨張させて,単に背中や臀部を押圧するだけのものである(甲8公報及び甲9公報)。しかも,これらは,実用化されるに至っていなかった。
本件発明1は,被告が新規に開発した空気袋を用い,挟み付けによるもみマッサージ作用と押し出しによるマッサージ作用とを組み合わせ,かつ,これら二つのマッサージ作用を,人体の同一部位に作用させることを特徴としている。
本件発明1において,構成要件B,Cが2種類の空気袋を,構成要件D,Eがそれらの配置位置を規定し,構成要件Fが,これら2種類の空気袋によるマッサージ作用を行うこと及びそのタイミングを規定している。
3 原告の主張1(進歩性の判断の誤り1)に対して
(1)ア 原告は,甲7発明の蛇腹式伸縮筒27a,27bが,いずれも本件発明1の空気袋に該当する,と主張する。
イ 本件発明1の構成要件Bは,「前記人体当接面から人体を押し出すように膨張する空気袋」,と規定している。このように,本件発明1は,空気袋を人体に直接当接させて,マッサージを行う装置である。
これに対し,甲7発明の伸縮筒は,人体に当接していない。同発明において人体に当接して指圧を行うのは,伸縮筒の先端に配設された指圧頭部29である。
本件発明1の構成要件Cは,「前記人体当接面上の人体を挟み付けるように互いに接近する方向に膨張する空気袋」と規定している。しかし,伸縮筒27bは,人体と当接することはなく,これを挟み付けることもない。
ウ 甲7発明の指圧頭部による指圧は,指圧頭部29により点接触的に行われるものであって,本件発明1の空気袋によるマッサージとは,得られる体感が全く異なる。
原告自身,空気袋を用いたその製品のパンフレット(乙第1号証)で,「ふくらはぎをしっかり包んでマッサージします。」,「掌で押すようなエアバッグによる圧刺激でストレッチ感覚を体感できます。」と表現している。
エ 本件発明1はエアマッサージ装置であり,甲7発明は指圧装置である。そもそも,この点で既に,両者は異なる。
マッサージとは,筋肉に刺激を与え,血行を良くして疲労回復の効果を得ることを目的とする療法のことである。これに対し,指圧とは,人体に点在するつぼと呼ばれる部位に刺激を与えて,特定の生理的効果を得ることを目的とする療法である。
オ 原告は,被告が,原告製品「チェアロ DX FAC−451」の指圧筒・頭が,本件発明の空気袋に相当することを前提として,上記製品が本件特許に抵触すると警告した,として,これに反する被告の主張は信義側に反する,と主張する。
しかし,被告は,上記製品を,本件特許の侵害品の対象とはしていない。被告が,本件特許を侵害していると主張する被告製品は,「チェアロ」の後継機種である「ハイブリット」,「メディカルチェア i.1(アイワン)」等である。
(2) 甲7発明と甲8発明とから,本件発明1を推考することは容易ではない。
ア まず,本件発明1においては,一対の空気袋を,人体の特定の部位を挟むように配置して,挟みもみによるマッサージ作用を行うということ自体に,特許に値する新しさがある。
また,同一部位に押圧マッサージ作用を与えることにも進歩性がある。
イ そもそも,空気袋を用いたエアマッサージ装置自体,本件出願前には実用化されるに至っていなかった。まして,空気袋によって挟みもみを行い,人体の部位を包み込むようなマッサージ作用が得られることは,知られていなかった(甲第8号証,第9号証,乙第1号証ないし第3号証)。
甲5発明は,原告が主張する無効理由dとは関係のない引用例である。その点はおくとしても,甲5発明は,圧迫治療器であって,エアマッサージ装置ではない。
ウ 原告は,甲7公報の一対の伸縮筒27a,27aに代えて,一つの伸縮筒で指圧頭部29,29を駆動するようにすれば,人体の中心線の左右にまたがる一つの伸縮筒が配置されたことになる,と主張する。
空気袋と伸縮筒とが異なることは,前記のとおりである。この点はおくとしても,原告のいうような置換(設計変更)をすることは,どの引用例にも,示唆すらされていない。
原告は,甲7発明の伸縮筒27a,27aを甲8発明の空気袋4aで置換することは容易に推考することができる,と主張する。しかし,甲7発明には,空気袋を用いる発想がなく,そうである以上,それが人体の中心線にまたがった配置と結び付くことはあり得ない。
原告の主張は,いずれも後知恵である。
エ 原告は,甲7発明の伸縮筒27a,27bが,本件発明1の空気袋に該当しないとしても,同じ挟み付けによるもみマッサージ作用がある甲5発明の一対のエアバッグ22,22をもって,甲7発明の伸縮筒27b,27bと置換することができる,と主張する。
前記のとおり,これは,審判手続で主張された無効理由ではない。この点をおくとしても,どの引用例もこのような置換を示唆していない。
第5 当裁判所の判断
1 本件発明1の理解について
(1) 本件発明1の構成要件は,第2の2で摘示したとおりである。
(2) 本件明細書には,次の記載がある。
ア「【0002】
【従来の技術】この種のエアマッサージ装置としては,例えば,図9に示したような座椅子式のエアマッサージ装置が考えられている。
【0003】座椅子式のマッサージ装置Mは,座部1の後縁部に背凭れ部2を前後回動自在に装着し,座部1及び背凭れ部2内に短冊状の複数の空気袋3a〜3fを配設すると共に,エア給排気装置4と各空気袋3a〜3fをエアホース5a〜5fで接続し,エア給排気装置4により各空気袋3a〜3fを順番に膨張・収縮させる様になっている。
【0004】
【発明が解決しようとする課題】しかしながら,このエアマッサージ装置では,空気袋3a〜3fは座部1及び背凭れ部2の左右まで延びている構成であるため,空気袋3a〜3fは使用者の太股や背中等を単純に押す動作しかし得ず,身体を掴みもみするようなマッサージ効果が得られないものであった。
【0005】この点を多少解消するものとしては例えば特開昭58−99958号公報に開示されたようなエアマッサージ装置が考えられている。
【0006】この公報に開示されたエアマッサージ装置では,空気袋の長手方向中央に幅方向のくびれ部を設けて,空気袋の中央部が使用者の体重等により多少沈むようにしておくことにより,空気袋の膨出時に左右の部分が身体を挟むようにした構成となっている。
【0007】しかしながら,この構成では,空気袋の中央部が使用者の体重等により多少沈む構成であるため,空気袋の膨出時に空気袋の左右の部分が身体を挟み込む力が小さく,人手によるような十分な揉み効果が得られないものであった。
【0008】そこで,この発明は,人手によるような十分な揉み効果が得られるエアマッサージ装置を提供することを目的とするものである。」(甲第2号証1頁右欄13行目〜2頁左欄30行目)
イ「【0010】
【作用】このような請求項1に記載の構成においては,人体当接面の中心線の左右に跨って配置されて人体当接面から人体を押し出すように膨張する空気袋と中心線の左右に間隔をおいて配置されて人体当接面上の人体を挟み付けるように互いに接近する方向に膨張する空気袋がエア給排気装置により膨縮させられる。この際,中心線の左右に跨る空気袋と中心線の左右に間隔をおいた空気袋とを人体の同一部位に対応させて人体当接面の左右方向に沿って配置すると共に,その中心線の左右に間隔をおいた空気袋の少なくとも一部を中心線の左右に跨る空気袋の両端より左右方向に外方側に位置させることによって人体の同一部位に対して押し出しによる押圧マッサージ作用と挟み付けによる揉みマッサージ作用といった人手によるような十分な揉み効果を与えることができる。しかも,人体の同一部位に異なったマッサージ作用を与えることができる。」(甲第2号証2頁右欄2行目〜16行目)
ウ 実施例につき,
「【0021】空気袋a4と空気袋a5,a5とは,人体の一番重要な腰部に対応しているため,中心線Pと交差する軸線(図示せず)上に配設されて,異なったタイミングで腰部を人体の左右中央を押し出す伸び作用と人体の左右を押し出す収縮作用とを行う。尚,空気袋a4と空気袋a5,a5の一部をラップさせることにより,腰部のマッサージ部分に隙間が発生せず,満遍のないマッサージを行うことができる。」(3頁左欄37行目〜44行目)
との記載,及び
「【0042】このとき,各空気袋の膨張並びに収縮順序は,図4の○付数字で示すように,空気袋a1,a1、空気袋a3,a8、空気袋a5,a5、空気袋a6,空気袋a2,a4、空気袋a7,a7、空気袋a11,a11・・・、空気袋a9,a9及び空気袋a10,a10の順で膨縮する。」(甲第2号証4頁右欄14行目〜19行目)
との記載,並びに図1及び図4によれば,人体当接面の中心線の左右に間隔を置いて配置されている空気袋(a5,a5)の一部が,人体当接面の左右にまたがって配置されている空気袋(a4)の両端より左右方向に外方側に位置し,前者の残りの一部は後者の一部と重なり合い,同じ人体面を押圧し,前者が膨らんだ後に後者が膨らむ構成が開示されている。
(3) 本件明細書の以上の各記載によれば,本件発明1は,人体の同一部位に対し押圧マッサージと挟みもみによるマッサージを,異なるタイミングで与えるものであり,「押し出しによる押圧マッサージ」を行う空気袋(実施例ではa4がこれに該当する。)とは,「人体当接面の中心線の左右に跨って配置され」ている空気袋のことであり,かつ,これは,「人体を押し出すように膨張する」ことから(前記のとおり,実施例の記載では,「伸び作用」を与えるとされている。人体の背部を局所的に押し出すときは,いわゆる背を反らして伸びをした状態になるから,両者は同義である,と認められる。),相当程度広い面積で人体に接触して膨張するものと理解すべきである。なぜなら,人体当接面の中心線の左右にまたがって配置されるものであるから,ある程度の幅があることが前提となり,また,人体は相当程度柔軟性があるから,押圧する空気袋が人体に接触する面積が小さいと,特定部位に対する押圧力及び押圧の程度は高まるものの,「人体を押し出すような」膨張はなし得ないからである。もっとも,本件明細書中に,この面積の具体的な数値等に係る記載はない。
2 甲7発明と甲8発明とからの容易推考性について
原告は,本件発明1が甲7発明及び甲8発明とから当業者が容易に発明できたものであると主張する(無効理由d)。
(1) 原告は,甲7公報の蛇腹式伸縮筒27a,27bを,本件発明1における空気袋(実施例ではa4が相当する。)に置換することは容易である,と主張する。
(2) 原告の上記主張の一つの根拠は,そもそも,甲7発明の指圧筒・頭が,本件発明1の空気袋に該当する,というものである。
ア 本件発明1における空気袋は空気を注入することによって膨張し,被施療部を押圧してマッサージ効果を得るとともに,つぼを刺激する作用をも持つ(原告がその主張において引用する部分のほか,本件明細書「【0020】空気袋a4は人体の腰部中央に位置するツボの大腸愈(だいちょうゆ)や陽関(ようかん)に,空気袋a5,a5は人体の腰部左右に位置するツボの秩辺(ちっぺん)や膀胱愈(ぼうこうゆ)に,空気袋a6は人体の腰部に位置するツボの肝愈(かんゆ)や胃愈(いゆ)に,空気袋a7は人体の肩部下方に位置するツボの心愈(しんゆ)や天宗(てんそう)に,空気袋a8は人体の肩部に位置するツボの肩井や大椎(だいつい)に,空気袋a9は人体の首部に位置するツボの天柱(てんちゅう)にそれぞれ対応している。」の記載参照。)。
他方,甲7発明の指圧筒・頭も,空気を注入することによって膨張し,先端の指圧頭部29が被施療部(ツボ)を押圧して指圧効果を得るものである。
マッサージと指圧とが異なるものであるとしても,両者とも,つぼを押圧する作用を有するという点で共通するものであり,この点に着目すれば,本件発明1の空気袋と,甲7発明の指圧筒・頭の組合せとは,類似するものである,ということができる。
イ しかし,前記のとおり,本件発明1における空気袋,とりわけ「人体当接面の中心線の左右に跨って配置されて前記人体当接面から人体を押し出すように膨張する空気袋」(空気袋4a)は,ある程度の幅を有するものであると解すべきであるから,これが,甲7公報に開示されている指圧筒・頭とが,同一のものでないことは明らかである。
すなわち,甲7公報の,「発明の詳細な説明 本発明は人体のいろいろな急所へ適度の指圧を与えるようにして人体の血行をよくし,新陳代謝を活発にして疲労の早期回復を促進すると共に脂肪並に贅肉の除去効果を得る目的で最も合理的な指圧装置を得る目的でなされたものである。」(1頁1欄22行目〜27行目)との記載,実施例に関するものではあるものの,指圧筒・頭の「指圧点」を人体に当てはめた参考図(8図),及び指圧筒・頭が,人体を部分的に押圧して,部分的にへこませる態様の記載(9図)からは,甲7発明は,専らないし主として人体のつぼを押圧することをねらったものであり,したがって,その指圧筒・頭は,人体を押し出すようなものではないと認められるのである。実際に,上記9図では,指圧点はへこんでいるものの,その回りの人体部分は,伸縮筒の周辺の弾性体30に当接したままである。また,このような理解は,程度問題ではあるものの,人体そのものを押し出してしまっては,つぼに対する押圧作用が不十分となるおそれがあると認められることからも,裏付けられるのである。
甲7発明の指圧筒・頭(27a)が,本件発明1の空気袋(とりわけ実施例のa4)に該当するという,原告の主張は,採用できない。
(3) 原告は,甲7発明の一対の指圧筒・頭27a,27aは,同じ方向に,同じタイミングで膨張して,首への押し出しによる押圧マッサージを加えるものであり,甲8公報には,首当接面の中心線にまたがって配置された空気袋4aが存在し,これも,首に対し押し出しによるマッサージ作用を与えるから,甲7発明の一対の指圧筒・頭27a,27aに代わり,甲8発明の空気袋4aを用いることは,容易想到である,とする。
ア 筋肉の緊張を解いて血行を良くする,神経を刺激するなどの目的で,人体に対し人が物理的な力を加える療法,すなわち,指先,あるいは手の平全体などを使って,人体をさすったり,たたいたり,もんだり,押したりする療法が,それらそれぞれが正確にはどのように呼ばれてきたかはともかく,古来存在したことは周知である。そして,これら人手によって行われた療法の中には,つぼと呼ばれる部位を押圧することに重点を置いて,狭い当接面積を押圧する,一般に指圧と呼ばれているもの,筋肉をもみほぐすものなど,種々の態様のものがあることも,よく知られたことである。
そうだとすると,これらを,人手でなく,機械により実現しようとする場合,技術的に可能である限り,人手による場合に倣って,狭い当接面積を押圧(指圧)するような部材を設けようとすることも,広い当接面積を押圧するような部材を設けようとすることも,極めて自然に出てくる発想であって(甲第5号証ないし第9号証,乙第2号証,第3号証参照),このような発想を抱くこと自体に,特許に値する困難性を認めることは,およそ不可能であるという以外にない。そして,これらのうち,いずれを採用するか,いずれも採用するかなどが,当業者が,どのような効果を達成しようとするかに応じて,適宜選択し得ることであることも,明らかなことというべきである。当然のことながら,このような発想を抱くことの困難性と,当該発想を技術的に実現することの困難性は別であるから,このような発想を技術的に実現したものに特許権が認められることは,十分あり得る。しかし,それは,当該技術的困難をいかに解決したかを開示し,かつ,その開示に見合う範囲においてだけ特許を求める場合に限られる。
イ 首部の後部を,比較的狭い面積で押圧しようとするか,広い面積で押圧しようとするかもまた,どのような押圧効果をねらうかに応じて当業者が適宜選択し得るものであると認められるから,共に首部の後部を押圧する甲7発明の一対の伸縮筒27a,27aを,甲8発明の空気袋4aで置換すること自体は,容易に推考できるものと認められる。甲7発明に,中心線の左右にまたがる空気袋がない,という理由では,この置換えの容易推考性を否定することはできない。
ウ 甲7発明の伸縮筒27a,27aを,甲8発明の空気袋4aに置き換えると,指圧筒・頭によって行われる点接触的な挟み付けと,空気袋によって行われる比較的広い面積での押し出しという,人体の同一部位(首部)に対する異なる2種の押圧作用が組み合わされることになる。これは,上記置き換えによる当然生じるものである。
また,人体の同一部位に,異なる押圧作用を与えるマッサージ装置という概念自体,周知であったと認められる。すなわち,乙第2号証(原告のホームページ「マッサージチェアの歴史」)には,本件出願以前のものとして,背部,腰部等に対し,もみとリズム振動という異なるマッサージ作用を,スイッチにより切り換えて与えることのできるマッサージ椅子(5頁及び6頁),肩に対するもみとたたきを切り換えて与えるマッサージ椅子(7頁及び8頁)が開示されている。乙第3号証(株式会社フジ医療器30年史「マッサージ機の歴史」)からも,同様に,昭和40年代後半の製品として,もみとたたきを切り換えることのできるものが存在したことが認められるのである。
エ したがって,甲7公報と甲8公報に接した当業者が,甲7発明の首部の後部の点接触的な押圧に替えて,甲8公報の面接触的な押し出しを行う空気袋を採用することに想到するのは,容易なことであった,と認められる。
そして,甲7公報には,「・・・本発明指圧装置では使用者が休息具上で手元スイッチを操作し,休息具の多数適所に配設した蛇腹状の伸縮筒27を順次作動することによつて・・・身体の各所を順次指圧し,これを連続して繰り返すことができる。」(2頁4欄39行目〜3頁5欄2行目)と記載されており,空気袋27a,27a(及びこれと置換された甲8発明の空気袋4a)と,空気袋27b,27bとが,異なるタイミングで動作することも明らかである。そうすると,この置換により,本件発明1の構成に至る,と認められる。
オ もっとも,このような製品,あるいは本件明細書に記載されている実施品を実際に製造するに当たっては,空気袋の材質,構造,給排気の制御等に,格別な工夫が必要となるであろうことは,容易に推測することができる。この点については,被告も,本件発明の実施品の製造に当たり,新規に開発した空気袋を用いている,としているところである。
しかし,本件発明1は,上記技術についてのものではない。また,その具体的な内容について,本件明細書に開示されているということもない。
カ 被告は,人体の同一部位に異なる押圧作用を異なるタイミングで与えることにより,顕著な効果があると主張する。
しかし,そのような押圧により,相乗効果等格別の効果が発生するとしても,それは,容易想到である本件発明の構成に当然伴われるものである。進歩性の根拠とすることはできない。
(4) したがって,甲7公報及び甲8公報に基づく,本件発明1の容易推考をいう原告の主張には理由がある。進歩性を肯定した審決の結論は,その余の点について判断するまでもなく,誤っていることが明らかである。
3 結論
以上のとおりであるから,原告主張の取消事由は,理由がある。そこで,原告の本訴請求を認容することとし,訴訟費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
東京高等裁判所第6民事部
裁判長裁判官 山 下 和 明
裁判官 阿 部 正 幸
裁判官 高 瀬 順 久