H16.12. 8 東京高裁 平成15(行ケ)576 特許権 行政訴訟事件

平成15年(行ケ)第576号 審決取消請求事件(平成16年11月24日口頭弁論終結)
          判    決
       原      告   三菱重工業株式会社
       訴訟代理人弁護士   熊 倉 禎 男
       同          辻 居 幸 一
       同          相 良 由里子
             同    弁理士   弟子丸      健
       同          岡     潔
       被      告   株式会社カシフジ
       訴訟代理人弁護士   神 戸 正 雄

       同    弁理士   中 嶋 恭 久    
          主    文
      原告の請求を棄却する。
         訴訟費用は原告の負担とする。
          事実及び理由
第1 請求
   特許庁が無効2003−35063号事件について平成15年11月13日にした審決を取り消す。
第2 当事者間に争いのない事実
 1 特許庁における手続の経緯
   原告は,名称を「歯車加工方法」とする特許第3165658号発明(平成9年6月6日特許出願,優先権主張同年4月10日〔以下「本件優先日」という。〕,平成13年3月2日設定登録,以下,この特許を「本件特許」という。)の特許権者である。
   被告は,平成15年2月18日,本件特許につき無効審判の請求をし,無効2003−35063号事件として特許庁に係属したところ,原告は,同年8月26日,本件特許出願の願書に添付した明細書(以下,図面と併せて「本件明細書」という。)の訂正請求をした。

   特許庁は,上記無効審判事件を審理した上,同年11月13日,「訂正を認める。特許第3165658号の請求項1及び2に係る発明についての特許を無効とする。」との審決をし,その謄本は,同月26日,原告に送達された。
 2 本件明細書(上記訂正後のもの。下線部が訂正箇所)の特許請求の範囲の請求項1,2に記載された発明の要旨
  【請求項1】高速度工具鋼製の刃部を備えたホブを用いて歯形を創成する歯車加工方法において,
   前記ホブとして,
       (Ti
(1−x)Al)(N(1−y) )
    0.2 ≦x≦0.85                                    
    0.25≦y≦1.0
   なる組成の膜を少なくとも一層コーティングしたホブを用い,
    切削速度を
180m/min以上400m/min以下の範囲とし,
    切削油剤を用いずに切削を行うドライカットで歯形を創成することを特徴とする歯車加工方法。 
  【請求項2】請求項1において,切削部にエアを吹き付けて歯形を創成することを特徴とする歯車加工方法。
   (以下,上記請求項1,2に係る発明をそれぞれ「本件発明1」,「本件発明2」といい,併せて「本件発明」という。)
 3 審決の理由
 (1) 審決は,別添審決謄本写し記載のとおり,本件発明1及び2は,「GEAR TECHNOLOGY」,平成6年11月/12月号26〜30頁(甲4,以下「引用例1」という。)に記載された発明並びに「三菱重工技報」,Vol.32,No.6,平成7年11月号,411〜414頁(甲5,以下「引用例2」という。),「日本機械学会講演論文集」,No.800−6(昭和55年4月,第5期通常総会・機械工作,金属加工,機素,潤滑他)101〜103頁(甲6,以下「引用例4」という。)及び「日本機械学会講演論文集」(C編)48巻436号(昭和57年12月)383〜391頁(甲7,以下「引用例6」という。)に記載の技術事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,本件発明1及び2に係る特許は,特許法29条2項の規定に違反してされたものであり,同法123条1項1号に該当するから,無効とされるべきであるとした。

  (2) なお,審決は,上記判断に当たり,本件発明1と引用例1に記載された発明との一致点を,「高速度工具鋼製の刃部を備えたホブを用いて歯形を創成する歯車加工方法において,前記ホブとして,Ti(1−x)AlN  x;おおよそ0.5なる組成の膜を少なくとも一層コーティングしたホブを用い,切削油剤を用いずに切削を行なうドライカットで歯形を創成する歯車加工方法」(審決謄本7頁下から第3段落)と認定し,本件発明1と引用例1に記載された発明との相違点として,「本件発明1では,切削速度の範囲が,180m/min以上400m/min以下の範囲であるのに対し,引用例1に記載の発明では,どのような切削速度であるのか明らかではない点」(同頁下から第2段落,以下「相違点1」という。)を認定し,本件発明2と引用例1に記載された発明との相違点として,相違点1に加えて,「本件発明2では,切削部にエアを吹き付けるものであるのに対し,引用例1に記載の発明では,そのようなものではない点で相違している」(同8頁下から第2段落,以下「相違点2」という。)と認定している。
第3 原告主張の審決取消事由
   審決は,技術常識を看過したために本件発明1と引用例1に記載された発明との相違点1についての判断を誤り(取消事由1),その結果,本件発明2の進歩性の判断も誤った(取消事由2)ものであるから,違法として取り消されるべきである。
 1 取消事由1(相違点1の判断の誤り)
 (1) 審決は,本件発明1と引用例1に記載された発明との相違点1について,「ホブを用いて歯形を創成する際に切削速度の高速化を図ることは,自明の課題であって,刃部の材質が超硬であるか高速度工具鋼であるか,ドライカットであるかウエットカットであるかにかかわるものではない」(審決謄本8頁第1段落)とした上,「引用例1に記載の発明において,その切削速度として180m/min以上400m/min以下の範囲に含まれるものを試みることは,当業者が容易に想到することができたことである」(同頁第2段落),「引用例1に記載の発明の切削速度が,仮に,請求人(注,原告)が主張するとおりの80〜120m/minであるとしても,切削速度の高速化を図ることの阻害要因となるものではない」(同頁第3段落)として,「引用例1に記載の発明において,その切削速度を180m/min以上400m/min以下の範囲に含まれるものとすることは,単にホブの実用上有効な切削速度を確認したといえるものであって,当業者にとって格別困難であるとすることはできない」(同頁第5段落)と判断したが,この判断は誤りである。

 (2) 本件優先日当時には,後記技術常識@,Aが存在しており,この技術常識にかんがみれば,高速度工具鋼による切削の切削速度は,ウエットカットですらせいぜい80〜120m/minが上限である。引用例1に切削速度について何らの言及もない以上,引用例1の開示は,80〜120m/minの切削速度が上限であるという開示にとどまるというべきであるから,審決が,相違点1の認定において,「引用例1に記載の発明では,どのような切削速度であるのか明らかではない」として,あたかも引用例1に切削速度の上限がなく,120m/minを超えた切削速度にすることの可能性が開示されているように認定している点は,相当ではない。
    本件優先日当時,当業者には,@高速度工具鋼製の刃部を備えたホブを使用する場合,ドライカットは,ウエットカットよりも耐摩耗性が著しく劣るため,実用化(原告注,高速化と同時に優れた対摩耗性も実現されているという意味での実用化)は不可能であるという技術常識,及び A切削速度を高速化するほど,工具の耐摩耗性は低くなるという技術常識(以下,それぞれ「技術常識@」,「技術常識A」という。)が存在した。

    そのため,高速度工具鋼製の刃部を備えたホブを使用する場合,ドライカットはウエットカットに比し耐摩耗性において著しく劣り,ドライカットにおいて,ウエットカットにおける上限であった120m/minはもとより,120m/minを超えるような高速化は,不可能であると考えられていた。
 (3) 技術常識@は,本件明細書(甲2)の「超硬は高速度鋼に比べて耐熱性及び耐摩耗性が格段に高いため,ドライカットを行なっても問題はない」(段落【0007】)との記載及び引用例1(甲4)の「(ドライホブ切りに)最初に成功したのは,TiAlNを被覆した高速度工具鋼製ホブである」(30頁左欄39行目〜40行目)との記載に現れている。また,本件訴訟において提出された本件優先日当時公知の技術文献の開示内容は,以下のとおり,技術常識@,Aの存在を裏付けている。

   ア 切削速度120m/min以上を開示している文献は,いずれも,刃部の材質が超硬であるか(引用例2〔甲5〕,乙7,8,17),高速度工具鋼であってもウエットカットである(引用例4〔甲6〕,引用例6〔甲7〕)。高速度工具鋼のドライカットに関する文献は,いずれも120m/minを超える切削速度を開示していない(甲8,乙2〜4,10,15,16,18,19)。これらのことは,技術常識@の存在を裏付けるものである。
   イ 切削速度と摩耗との相関関係については,そのグラフを開示していないものを除けば,引用例2(甲5),引用例4(甲6),引用例6(甲7)甲8の文献及び乙2,3,10の文献のいずれも右上がりの曲線となっており,技術常識Aの存在を裏付ける。
     被告は,技術常識Aを否定するために,切削速度と摩耗との相関関係のグラフが右肩下がりになることを開示するものとして,乙15〜22の文献を提出するが,乙17以外は,すべて80m/minよりも低い速度範囲において一部がわずかに右下がりとなっているのみで,グラフ全体の傾向としては右上がりとなっているから,技術常識Aを否定し得るものではない(なお,技術常識Aは,熱的摩耗に起因する,工業的な歯車加工において問題になるような大幅な摩耗に関するものであり,主として機械的摩耗のみに起因するようなわずかな摩耗を問題にしているものではない。)。

 (4) 以上のとおり,技術常識@及びAの下で,高速度工具鋼によるドライカットにおいて,120m/min以上に高速化することは,耐摩耗性が著しく低くなるため,実用化は不可能と考えられていた。それにもかかわらず,審決は,引用例1に記載された高速度工具鋼製の刃部を備えたホブを用いてドライカットで歯形を創成する歯車加工方法の発明に,切削速度の上限がないとする誤った前提に基づき,引用例1に記載された発明に,刃部は高速度工具鋼であるがウエットカットにおける高速事例を開示するにすぎない引用例4,6の記載内容を組み合わせて,「引用例1に記載の発明において,その切削速度を180m/min以上400m/min以下の範囲に含まれるものとすることは,単にホブの実用上有効な切削速度を確認したといえるものであって,当業者にとって格別困難であるとすることはできない」(審決謄本8頁第5段落)とする誤りを犯している。
 (5) 本件発明1においては,Al酸化膜の形成,Ti酸化膜の形成及び母材の軟化という三つの要素が最もよくバランスして耐摩耗性が最大(逃げ面摩耗量が最小)となる切削速度が「180m/min」であることを見いだし,その切削速度を下限値として規定することによって,高速域で歯車を創成するようにし,高効率で低コストの歯車加工ができるようにしている。このような高効率で低コストの歯車加工ができるという本件発明1の効果は,ドライカットはウエットカットよりも耐摩耗性において著しく劣っているという技術常識@の下で,当業者が引用例1の開示からは予測することの困難な顕著な作用効果であるから,審決の上記判断は,本件発明1の顕著な作用効果を看過したものであって,誤りである。
 2 取消事由2(本件発明2の進歩性の判断の誤り)

   上記1のとおり,本件発明1の進歩性を否定した審決の判断は誤りであるから,本件発明2の進歩性を否定した判断も,同様の理由により,誤りである。
第4 被告の反論
   審決の判断は正当であり,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
 1 取消事由1(相違点1の判断の誤り)について
 (1) 審決における相違点1の判断に誤りはなく,原告の主張は失当である。
 (2) 原告の主張する技術常識@,Aは,本件優先日当時に存在しないから,その存在を前提として,高速度工具鋼の刃部を備えたホブを用いてドライカットをする場合の切削速度を「180m/min以上400m/min以下の範囲」とすることの困難性をいう原告の主張は,成り立たない。
    引用例1(甲4)には,「(ドライホブ切り)に最初に成功したのは,TiAlNを被覆した高速度工具鋼製ホブである」(30頁左欄39行目〜40行目)と記載されており,このようなTiAlNを被覆した高速度工具鋼製ホブによるドライカットが試みられたのは,より高速な切削が実用化できるという見込みがあったからである。このことは,原告の主張する技術常識@が存在せず,かえって,遅くとも引用例1の知見後は,高速度工具鋼のホブによるドライカットの高速化が可能であり,ウエットカットを上回る性能を得られる見通しが確立していたことを示すといってよい。加えて,引用例1には,上記記載に続けて,TiAlNを被覆した高速度工具鋼製ホブの工具寿命がTiNを被覆した工具でクーラントを使用した場合(ウエットカット)よりも良くなったとする記載(同欄43行目〜44行目)があり,これによっても技術常識@の存在は否定される。

    また,原告が技術常識Aとして主張する「切削速度を高速化するほど,工具の耐摩耗性は低くなる」という点は,工具の「刃先先端の温度は,切削速度が高くなるほど上昇する」ことを前提とするものであると思われるが,TiAlN被膜を形成すると,高温になることでAl酸化物の保護膜が形成され,むしろ耐摩耗性が向上することは,本件優先日当時,既に広く知られた事実であった。乙7〜10には,TiAlNコーティング膜で切削速度を高くすることにより,酸化被膜が形成され,耐摩耗性が向上する例が示されている。したがって,原告主張の技術常識は根拠がなく,誤っている。
  (3) ウエットカットの切削速度は,昭和53年ころまでには,180m/min〜200m/min程度にまでは実用化され,実験例であれば220m/min程度までは,引用例4(甲6)及び引用例6(甲7)に開示されている。引用例1の開示に基づき,工具鋼における切削速度の高速化という周知の課題に基づいて,本件発明程度の切削速度を実現することは,引用例4,6に照らし,当業者が当然に想到し得ることである。

 2 取消事由2(本件発明2の進歩性の判断の誤り)について
   本件発明1の進歩性の判断に誤りがないことは,上記のとおりであるから,  原告の取消事由2の主張は,前提を欠く。
第5 当裁判所の判断
 1 取消事由1(相違点1の判断の誤り)について
  (1) 原告は,審決が,相違点1を「引用例1に記載の発明では,どのような切削速度であるのか明らかではない点」と認定し,引用例1に切削速度の上限がなく,120m/minを超えた切削速度にすることの可能性が開示されているとの前提に基づいて,相違点1の判断をしたことが誤りである旨主張する。
    しかし,引用例1に切削速度についての開示がないことは原告も認めているから,審決が引用例1に記載された発明の切削速度について,「引用例1に記載の発明では,どのような切削速度であるのか明らかではない」(審決謄本7頁下から第2段落)と認定したこと自体に誤りはなく,原告主張の点は,相違点1に係る構成の容易想到性の判断の一要素として検討すべき事項にとどまる。

 (2) そこで,相違点1に係る構成の容易想到性について検討すると,引用例2(甲5)の「3.1 生産性の向上」の項には,「超硬ホブ切りでは切削速度を従来のハイスホブ切りに対し2〜3倍高速化できる。また,一体型の超硬ホブとすることで,ハイスホブと同様多条化が可能となり,ホブ切刃1刃当たりの切削負担を軽減できるため高送りも可能となり,生産性はハイスホブに比較し2〜3倍に向上している」(412頁右欄下から第2段落)と記載され,引用例4(甲6)には,「歯車の生産量が最も多いのは,自動車用などに用いられる中モジュールの歯車である。これらの歯車は生産の高速化に伴い,切削速度100m/min以上の高速ホブ切りが強く望まれている」(25頁第1段落)と記載されているから,ホブを用いて歯形を創成する歯車加工方法において,生産性を向上するために,切削速度を高速化することは,本件優先日当時周知の課題であると認められる。この点に関する審決の,「例えば,上記2の(2)及び(3)(注,引用例2及び引用例4の審決摘示の記載事項)のとおり,超硬製の刃部を備えたホブを用いてドライカットで歯形を創成するときの切削速度を高速化するという技術事項が引用例2
に記載され,歯車生産の高速化に伴い,高速度工具鋼製の刃部を備えたホブを用いてウエットカットで歯形を創成するときの切削速度を高速化することが望まれているという技術事項が引用例4に記載されているように,ホブを用いて歯形を創成する際に切削速度の高速化を図ることは,自明の課題であって,刃部の材質が超硬であるか高速度工具鋼であるか,ドライカットであるかウエットカットであるかにかかわるものではない」(審決謄本7頁最終段落〜8頁第1段落)とした認定は,原告も争っていない。
    また,引用例1に記載された発明が,「高速度工具鋼製の刃部を備えたホブを用いて歯形を創成する歯車加工方法において, 前記ホブとして, Ti
(1-x)AlxN  x;おおよそ0.5 なる組成の膜を少なくとも一層コーティングしたホブを用い, 切削油剤を用いずに切削を行なうドライカットで歯形を創成する歯車加工方法」(審決謄本7頁下から第3段落)である点で本件発明1と一致することも,当事者間に争いがない。
    そうすると,引用例1に記載された歯車加工方法の発明において,切削速度を高めることは,上記周知の課題に基づいて,当業者が容易に想到し得る程度の事項であると共に,当業者であれば,当然,その際に,切削速度を,コーティングの組成,刃部の母材,切削油剤の有無等の切削条件を考慮して,できるだけ生産性を向上することができる速度範囲に最適化するというべきである。
    そして,審決が,歯車加工方法の切削速度について,「引用例4(注,甲6)及び6(注,甲7)には,ウエットカットにおいてであるが,本件発明1と同じ高速度工具鋼製の刃部を備えたホブを用いて歯形を創成するときの切削速度を180m/min程度及び180〜200m/min程度とするという技術事項が記載されている」(審決謄本8頁第2段落)とした認定は当事者間に争いはないところ,ホブを用いて歯形を創成する歯車加工方法において,生産性の観点から要求される切削速度は,切削方法がドライカットであるかウエットカットであるかによって左右されるものではないから,引用例4,6に記載されたウエットカットにおける切削速度と同程度の速度は,TiAlNを被覆した高速度工具鋼製ホブによりドライカットで歯車を加工する引用例1記載の発明の切削速度を最適化するに当たって,当業者が,当然,これを試み,選択することのできる範囲のものというべきである。

 (3)  これに対し,原告は,本件優先日当時には,@「高速度工具鋼製ホブを使用する場合,ドライカットはウエットカットよりも耐摩耗性において著しく劣るため,ドライカットの実用化は不可能である」という技術常識@及び「切削速度を高速化するほど,工具の耐摩耗性は低くなる」という技術常識Aが存在し,高速化が自明の課題であるというだけで,これを引用例1のドライカットにおいて実現することまでもが当業者が容易に想到し得ることであるとした審決の判断は,上記技術常識を無視したものであって,誤りであると主張する。
   ア そこで,上記の点について検討すると,原告は,まず,技術常識@の存在を裏付けるものとして,(ア)本件明細書(甲2)の「超硬は高速度鋼に比べて耐熱性及び耐摩耗性が格段に高いため,ドライカットを行なっても問題はない」(段落【0007】)との記載,(イ)引用例1(甲4)の「(ドライホブ切りに)最初に成功したのは,TiAlNを被覆した高速度工具鋼製ホブである」(30頁左欄39行目〜40行目)との記載を挙げ,さらに,(ウ)120m/minを超える切削速度を開示している文献は,いずれも,刃部の材質が超硬であるか(引用例2〔甲5〕,乙7,8,17),高速度工具鋼であってもウエットカットであり(引用例4〔甲6〕,引用例6〔甲7〕),高速度工具鋼のドライカットに関する文献は,いずれも120m/minを超える切削速度を開示していない(甲8,乙2〜4,10,15,16,18,19)と指摘する。

     しかしながら,原告引用に係る上記(ア)の記載は,超硬をドライカットに使用することに問題がないことを指摘するにとどまり,高速度工具鋼のドライカットが実用上不可能であることまで意味すると解されるものではない。また,原告引用に係る上記(イ)の記載は,引用例1中の「ドライホブ切り」と題する項における,「この主題については,最近開発された多数の分野があるが,共通の目標は,クーラントを使用することなくギヤのホブ切りを行うことである・・・(ドライホブ切りに)最初に成功したのは,TiAlNを被覆した高速度工具鋼製ホブである。この例の材料の除去率は,高切削速度かつ低速送りの超硬製ホブのホブ切りに相当する。工具寿命は,TiNを被覆した工具でクーラントを使用したものより,良い方であった」という文脈におけるものであり,その文脈全体からは原告の主張する技術常識@は読み取ることができず,かえって,上記記載において,TiAlN被覆をした高速度工具鋼製ホブにおける耐摩耗性の向上が示唆されていることからすれば,当業者は,高速度工具鋼製ホブの刃部にTiAlN被覆を施すことによって,ドライカットの切削速度を高速化することができる技術的可能性を理解するというべきである。さらに,原告の指摘する上記(ウ)の点については,その主張に係る公知文献の中には高速度工具鋼のドライカットにおいて切削速度が120m/minを超えるものが見当たらないとしても,そのことから直ちに,「高速度工具鋼製ホブを使用する場合,ドライカットはウエットカットよりも耐摩耗性において著しく劣るため,ドライカットの実用化は不可能である」という原告主張の技術常識@の存在が裏付けられるとはいえない。
   イ 次に,原告主張の技術常識Aについてみると,切削速度を速めれば,単位時間当たりの切削量が増大する結果,切削量の増大に応じて工具の刃部の摩耗量も増加するといえるから,耐摩耗性が低くなることを摩耗量の増加という意味に解釈すれば,一般的に,切削速度を速めれば,耐摩耗性が低くなる(摩耗量が増加する)ということができる。しかしながら,切削量を増やせば工具の刃部の摩耗量が増加することは,ドライカットであるか否かにかかわらず,切削作業における当然の前提事項にすぎない。

     そうすると,切削速度を高速化するほど工具の対摩耗性は低くなるという原告主張の技術常識Aは,仮にこれが認められるとしても,高速度工具鋼の刃部を備えたホブを用い,ドライカットで歯形を創成する歯車加工方法である引用例1に記載された発明の切削速度を,当業者が上記周知の課題に基づいて高速化しようと試みることを妨げるほどの理由とはいえない。
   ウ 以上のとおり,原告主張の技術常識@は,その存在を認めるに足りず,また,技術常識Aは,当業者が引用例1記載のドライカットによる歯車加工方法において,切削速度として180m/min以上400m/min以下の範囲を選択することに想到することを困難とするほどのものとは認められない。
  (4) 原告は,また,本件発明1の作用効果は,ドライカットはウエットカットよりも耐摩耗性において著しく劣っているという技術常識@に基づく引用例1の開示からは,当業者が予測し得ない顕著な作用効果であると主張する。しかしながら,技術常識@の存在が認められないことは上記(3)のとおりであり,引用例1に記載された歯車加工方法の発明の切削速度を高めるに当たり,当業者が,できるだけ生産性を高くすることのできる速度範囲に最適化することは上記のとおりであるから,本件発明1の「超硬等の高価な工具を用いることなく切削速度を大幅に向上させて歯形を創成することができる。この結果,高能率,低コストで歯車加工が実現可能となる」(本件明細書〔甲2〕の段落【0048】【発明の効果】)という効果は,引用例1に記載された発明に係る歯車加工方法の切削速度を上記のように最適化する際に,当業者が予測し得る程度のものにすぎず,格別顕著なものとはいえない。

    原告は,さらに,本件発明1においては,Al酸化膜の形成,Ti酸化膜の形成及び母材の軟化という三つの要素が最もよくバランスして耐摩耗性が最大(逃げ面摩耗量が最小)となる切削速度が「180m/min」であることを見いだし,その切削速度を下限値として規定することによって,高速域で歯車を創成するようにしており,このような切削速度を採用することにより高効率で低コストの歯車加工ができることは,当業者の予測し得ない顕著な効果であると主張する。しかし,対摩耗性が最大向上するメカニズムいかんにかかわらず,引用例1に記載された歯車加工方法の発明の切削速度を生産性の観点から最適化するに当たり,工具の刃部の耐摩耗性を考慮することは技術常識上明らかであるから,原告主張の効果は,当業者が当然予測し得る範囲のものにすぎず,格別顕著な効果とはいえないというべきである。
 (5) 以上のとおり,引用例1に記載された発明において,切削速度を180m/min以上400m/min以下の範囲に設定することは,当業者が容易に想到し得たことであり,その効果も当業者の予測を超える格別顕著な効果ということはできないから,本件発明1が当業者の容易に想到し得たものであるとした審決の判断に誤りはない。
    したがって,原告の取消事由1の主張は理由がない。
 2 取消事由2(本件発明2の進歩性の判断の誤り)について
   原告は,本件発明2の進歩性についての審決の判断が誤りであると主張するが,当事者間に争いのない相違点2及び引用例1,2の記載を前提とすれば,審決の本件発明2の容易想到性についての判断に誤りがないことは明らかである。したがって,原告の取消事由2の主張は理由がない。

 3 以上のとおり,原告主張の取消事由はいずれも理由がなく,他に審決を取り消すべき瑕疵は見当たらない。
   よって,原告の請求は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。


     東京高等裁判所知的財産第2部

         裁判長裁判官     篠  原  勝  美

                   裁判官     古  城  春  実

                   裁判官     岡  本     岳