H16.12. 8 東京地裁 平成16(ワ)8553 特許権 民事訴訟事件

平成16年(ワ)第8553号 特許権侵害差止請求事件
口頭弁論終結日 平成16年10月13日
           判       決
       原  告           キャノン株式会社
       同訴訟代理人弁護士      久保田   穰
       同                            増 井 和 夫
       同                            橋 口 尚 幸
       被  告           リサイクル・アシスト株式会社
       同訴訟代理人弁護士      上 山   浩
       同                            西 本   強
       同訴訟復代理人弁護士     松 山   遙
           主       文

 1 原告の請求をいずれも棄却する。
 2 訴訟費用は原告の負担とする。
           事 実 及 び 理 由
第1 請求
 1 被告は,別紙物件目録(1)及び(2)記載のインクタンクの輸入若しくは販売又は販売のための展示をしてはならない。
 2 被告は,別紙物件目録(1)及び(2)記載のインクタンクを廃棄せよ。
 3 被告は,原告に対し,85万5750円及びこれに対する平成16年4月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は,インクジェットプリンタ用のインクタンクに関し特許権を有する原告が,上記特許権の実施品である原告製品の使用済み品を利用して製品化された被告製品を輸入販売する被告に対し,上記特許権に基づき,被告製品の輸入,販売等の差止め及び廃棄,並びに不法行為に基づき,損害金及び遅延損害金の支払を求めたのに対し,被告が,@上記特許権には進歩性欠如の明らかな無効事由が存する,A原告製品の販売により上記特許権は消尽していると主張して,これを争った事案である。

 1 前提事実
 証拠を掲記しない事実は,当事者間に争いのない事実(明らかに争わない事実を含む。)である。
 (1) 原告の有する特許権
 原告は,次の特許権を有している(その特許請求の範囲の請求項1の発明を「本件発明1」といい,請求項6の発明を「本件発明6」という。)。
 特許番号  第2801149号
 発明の名称 インクタンクおよびインクタンクホルダ
 出願日   平成6年8月24日
 登録日   平成10年7月10日
 特許請求の範囲 別紙「特許公報」写しの該当欄記載のとおり(以下,同公報掲載の明細書及び図面を「本件明細書」という。)
 (2) 構成要件の分説
  ア 本件発明1を構成要件に分説すると,次のとおりである。
  A インクジェットヘッドを備えたホルダに対して着脱自在にされ,該ヘッドに供給される記録に使用されるインクを貯留可能なインクジェット用のインクタンクにおいて,

  B 前記インクタンク本体と,
  C 前記インクタンクの使用状態で底となる部分に配され,前記ヘッドに対して前記インクを供給するための供給口と,
  D 前記インクタンク内を大気と連通する大気連通部と,
  E 前記インクタンクの一側面の一部に設けられた,前記ホルダに形成された第1係止部と係合する第1係合部と,
  F 前記第1係合部が設けられた側面に対する他側面に対して弾性的に設けられた,前記ホルダに形成された第2係止部に係合する第2係合部を備えたラッチレバーと,
  G を備えたことを特徴とするインクタンク。
  イ 本件発明6を構成要件に分説すると,本件発明1の構成要件A〜Gの分説に,「前記インクタンク内には黒インクが収容されていること」との構成要件Hを加えたものとなる。
 (3) 原告製品

 ア 原告は,本件発明1及び6の実施品として,製品番号BCI-3eBKのインクジェットプリンタ用インクタンク(以下「原告製品黒」という。)を,本件発明1の実施品として,製品番号BCI-3eY,BCI-3eM,BCI-3eCのインクジェットプリンタ用インクタンク(以下「原告製品カラー」といい,原告製品黒と併せて,「原告製品」又は「本件インクタンク」という。)をいずれも日本国内で製造し,一部を日本国内で販売している。
 イ 海外においては,原告,原告関連会社又は商社が,原告製品を販売している。
 ウ 少なくとも原告又は原告関連会社が海外で販売した原告製品については,国際消尽の問題となると考えられるところ,原告又は原告関連会社は,海外における原告製品の譲受人との間で,販売先又は使用地域から我が国を除外する旨の合意をしていないし,その旨の合意をしたことを原告製品に明確に表示していない。

 (4) 被告製品
 ア 被告は,中国マカオにある会社(以下「甲会社」という。)から,別紙物件目録(1)記載の構成を有するインクタンク(以下「被告製品黒」という。)及び同目録(2)記載の構成を有するインクタンク(以下「被告製品カラー」といい,被告製品黒と併せて,「被告製品」という。)を輸入した。
 イ 甲会社の関連会社(以下「乙会社」という。)は,原告製品のインクを使い切って残ったインクタンク本体(以下「本件インクタンク本体」という。)を北米,欧州及び日本を含むアジアから収集し,それを乙会社の子会社(以下「丙会社」という。)に売却している。
 ウ 丙会社は,次の手順で,本件インクタンク本体から製品化している。
  @ 本件インクタンク本体の液体収納室の上面に,洗浄及びインク注入のための穴を開ける。

  A 本件インクタンク本体を洗浄する。
  B 本件インクタンク本体のインク供給口からインクが漏れないようにする措置を施す。
   C @の穴から,負圧発生部材収納室の負圧発生部材の圧接部の界面を超える部分まで及び液体収納室全体にインクを注入する。
   D @の穴及びインク供給口に栓をする。
  E ラベル等を装着する。
 エ 甲会社は,丙会社から,被告製品を買い入れ,これを日本に輸出している。
(ア〜エにつき,争いのない事実,乙37,弁論の全趣旨)
 オ 被告は,平成16年6月までに,被告製品を2445個輸入し,1561個販売したが,税関による輸入禁制品の認定手続が開始されるなどしたため,この訴訟の係属中,その輸入を中止している。
(争いのない事実,甲4,弁論の全趣旨)
 (5) 被告製品の構成要件充足性

 ア 被告製品黒
 被告製品黒は,本件発明1及び6の構成要件をすべて充足し,その技術的範囲に属する。
 イ 被告製品カラー
 被告製品カラーは,本件発明1の構成要件をすべて充足し,その技術的範囲に属する。
 2 争点
 (1) 本件発明1及び6についての特許は,発明の進歩性欠如の無効理由が存在することが明らかか。
 (2) 原告製品の日本国内及び海外における販売により,本件発明1及び6についての特許は消尽したか。
 (3) 原告の損害額
 3 争点(1)(進歩性欠如)に関する当事者の主張
 (1) 被告の主張
  ア 引用例1
 特開平5−301350号公報(乙30。以下「引用例1の1」という。),特開平6−31933号公報(乙31。平成6年2月8日公開),特開平5−229133号公報(乙32),特開平5−254139号公報(乙33),特開平5−270001号公報(乙34),特公平5−23954号公報(乙35。以上の6つの引用例をまとめて「引用例1」という。)には,本件発明1の構成要件A〜D及びGに相当する構成が開示されている。

  イ 引用例2
 実願昭61−28751号(実開昭62−141718号)のマイクロフィルム(乙29。以下「引用例2」という。)の第3図には,インクリボンカセット51の一側面に,インクリボンカセットホルダ60に形成された係止部70と係合する係合部56が設けられ,その反対側の側面に,同ホルダ60に形成された第2係止部69に係合する係合部を備えた弾性的なラッチレバーが設けられた構成が開示されている。
  ウ 本件発明1の組合せの容易性
  (ア) 引用例1は,いずれもインクジェットプリンタ用のインクタンクに関するものである。
  (イ) 引用例2は,インパクトプリンタ用のインクリボンカセットに関するものである。
  (ウ) インクリボンカセットとインクタンクは,共にプリンタに用いられ,プリンタ側に設けられたホルダに対して脱着自在なカートリッジである点で共通している。

  (エ) 本件発明1と引用例2の課題は,脱着自在なカートリッジをホルダに正確かつ確実に位置決めして装着する点で共通している。
  (オ) よって,引用例1に記載された発明に引用例2に記載された発明を組み合わせて,本件発明1のように構成することは,当業者が容易に想到することができたことである。
  エ 本件発明6
 本件発明1につき,収容されるインクの種類を黒インクに限定して本件発明6のように構成することは,インクタンクにおけるごく一般的かつ自明の実施態様を記載したものにすぎないから,当業者が容易に想到することができたことである。
  オ まとめ
 したがって,本件発明1及び6についての特許には,発明の進歩性欠如の無効理由が存在することが明らかであるから,その特許権の行使は,権利の濫用として許されない。

 (2) 原告の主張
  ア 認否
 被告の主張ア(引用例1)は,明らかに争わず,イ(引用例2),ウ(本件発明1の組合せの容易性)及びエ(本件発明6)は否認し,オ(まとめ)は争う。
 イ 本件発明1について
 (ア) 本件発明1は,インク供給口が底の部分に配置され(構成要件C),インクタンクの1つの側面に第1係合部を(構成要件E),その反対側の側面に第2係合部を備えたラッチレバーを弾性的に設けた(構成要件F)構成により,インクタンクをインクホルダに対し,簡便な構成で,正確かつ確実に位置決めできるようにした点に特徴があり,インクタンクのインク供給口とインクタンクホルダ側のインク連通管との結合を確実にし,インクの漏れも発生しないという作用効果を奏する。
  (イ) ところが,引用例2は,インクリボンカセットに関し,同カセットが爪の弾性力で右側面側に押しつけられて,カセットホルダに対するインクリボンカセットの位置決めを行うものにすぎないから,インク供給口とインクタンクホルダ側のインク連通管との係合関係について,何の教示も含んでいない。

  (ウ) したがって,2つの係合手段とインク供給口との位置関係により,上記の作用効果を実現する本件発明1は,進歩性を有する。
  ウ 本件発明6について
 上記のように本件発明1は進歩性を有するから,これに更に限定を加えた本件発明6も,進歩性を有する。
 4 争点(2)(消尽)に関する当事者の主張
 (1) 原告の主張
  ア 法律論−廃棄品を入手して行うリサイクルと消尽論
  (ア) 最高裁第三小法廷平成9年7月1日判決民集51巻6号2299頁(以下「BBS事件最高裁判決」という。)は,国内における特許権の消尽が認められる実質的理由として,「特許製品が市場での流通に置かれる場合にも,譲受人が目的物につき特許権者の権利行使を離れて自由に業として使用し再譲渡等をすることができる権利を取得することを前提として,取引行為が行われるものであって,仮に,特許製品について譲渡等を行う都度特許権者の許諾を要するということになれば,市場における商品の自由な流通が阻害され(る)」,「特許権者が流通過程において二重に利得を得ることを認める必要性は存在しない」と述べている。

 この判示は,消尽論は,通常の取引過程・流通過程を前提として,特許権が市場における商品の自由な流通を阻害しないための法理であることを示している。
 (イ) この法理によれば,使い捨て商品である特許製品の購入者が,その特許製品を使い切り,使用価値が無くなったと判断して廃棄し,資源回収のルートにゆだねた後に,その廃棄品を用いて行う製造が新たな生産として特許侵害行為となることは明らかである。よって,リサイクル業者の行為に関しては,新たな生産か修理かの判断はそもそも必要がない(角田政芳「リサイクルと知的財産権」日本工業所有権法学会年報22号98頁)。
 イ 本件インクタンクの構造等
  (ア) 本件インクタンクの構造
  a 液状インクは化学製品であるから,長く使いすぎると化学的変質や溶剤の蒸発による濃度変化を生ずる危険があるが,インクを使い切った後に再充填した場合,この危険が増大する。インクの変質は,プリンタの印字品質を低下させ,プリンタ印字ヘッドの目詰まりなどの障害発生の原因となる。また,プリンタ用のインクは,各プリンタの設計に合わせ,その印字機構が最高の機能を発揮できるように独自の特性のものが使用されているから,インクが変われば,やはりプリンタの性能に影響し,故障の原因となる。

  b また,本件インクタンク本体は,それ自体,時間の経過とともに劣化する。
  c そのため,原告製品は,使い切りを前提に設計され,インクの再充填ができない構造になっている。仮に本件インクタンク本体を再利用する場合には,開口部を開け,内部に残ったインクを洗浄して除去し,液体収容室にインクを充填し,洗浄,充填に使用した開口部を完全に塞ぎ,包装を施すことが必要になるが,特に繊維体である負圧発生部材の洗浄は手数のかかる作業であるから,設備と技術を持った事業者でなければ行い得ない。
 (イ) 本件発明1及び6の本質的要素
  a 本件発明1は,前記3(2)イ(ア)のとおり,インク供給口が底の部分に配置され,インクタンクの1つの側面に第1係合部を,その反対側の側面に第2係合部を備えたラッチレバーを弾性的に設けた構成により,インクタンクをインクホルダに対し,簡便な構成で,正確かつ確実に位置決めできるようにした点に特徴があり,インク供給口とインク連通管との結合を確実にし,インクの漏れも発生しないという作用効果を奏するものである。

 よって,本件発明1がインクを充填したインクタンクを前提としていることは明らかである。
   b 仮に上記aが認められないとしても,インクは,商品であるインクタンクの最も重要な要素であるから,本件発明1は,その特許請求の範囲にインクを明記しているか否かを問わず,その実際の使用態様であるインクを充填した製品の保護を目的としている。
  c 少なくとも本件発明6は,黒インクを構成要件の1つとしている。
  (ウ) 原告の意図
  a 原告は,上記(ア)の理由から,原告製品を使い捨ての商品として販売している。
  b 原告は,環境保護の目的とともに,使い捨ての商品である旨を通知するために,原告製品のパンフレット(甲8)やパッケージ(甲14)等に「BJカートリッジの回収にご協力ください。」と表示し,ウェブサイトにおいても,同趣旨の広報を行っている(甲9)。

  (エ) 後記被告の主張イ(エ)(使い捨てカメラ事件との比較)のうち,aは認め,bは否認する。
 ウ 取引の実情等
  (ア) 廃棄物
 本件インクタンク本体は,消費者が無価値の使用済み品として廃棄し,又は回収に付した物品である。
  (イ) 被告の主張ウ(イ)(アンケート調査結果)は不知。
  (ウ)a 同ウ(ウ)(リサイクル品の販売)は不知。
   b 平成15年9月4日付けの日経産業新聞の記事(甲13)は,使用済みインクカートリッジを回収してインクを注入し,「エコリカ」ブランドで販売する事業を「近く,開始する」と報道しており,平成15年秋までは,本件インクタンクのリサイクル品は我が国の市場に存在しなかった。
  (エ)a 同ウ(エ)(詰め替え用インクの販売)のうち,aは認め,bは否認する。
   b 実際の詰め替え作業は面倒であり,インクがこぼれて手や机を汚すことが多く,利用者は限られている。

 また,インクの詰め替えを行うのは,大部分がインクタンクの購入者本人である。詰め替え用インクの販売と被告製品のようなインクタンクのリサイクル品の販売とは,性質が全く異なる。
  (オ)a 同ウ(オ)(使用済みインクタンクの回収)のうち,aは認め,bは否認し,c及びdは不知。
   b 被告指摘のアンケート調査結果(乙1の1)によれば,全体の48.2%が自宅でゴミとして廃棄し,46.1%が回収箱に入れている。消費者は,インクタンクとして再利用するためではなく,資源としての回収に協力するため,回収ボックス等での回収に協力している。
   c 消費者からの回収が有償で行われているとしても,その額は回収キャンペーンの協力費又は店舗における他の製品の販売促進費程度の金額であり,消費者にとって使用済み品を廃棄しているという認識に変わりはない。

   d 家電量販店等の事業者に対し金銭が支払われるとしても,若干の謝礼程度のものと考えられる。
  (カ) 同ウ(カ)(海外における取引の実情)は不知。
  (キ)a 同ウ(キ)(リサイクル促進法の制定)は認める。
   b 原告は,他のメーカーと同様,消費者に対し,使用済みインクタンクの回収への協力を呼びかけ,回収したインクタンクを資源としてリサイクルしている(甲7〜9,11,12,14,15)。回収されたインクタンクは,それ自体の品質劣化や残存インクの悪影響の問題があるため,再利用は困難であり,環境保全のためのリサイクルの目的は,資源としてのリサイクルにより十分達せられる。
 エ まとめ
  (ア) 以上のとおり,消費者が無価値の使用済み品として廃棄した本件インクタンク本体を用いて被告製品を製造する行為は,新たな生産であり,本件発明1及び6についての特許を侵害する。

 (イ) この理は,被告製品の製造に用いられた本件インクタンク本体が海外で初めて販売された場合も同様である。
 (2) 被告の主張
  ア 法律論−新たな生産か修理か
  (ア) 特許権者が特許製品を譲渡した場合,当該特許製品については特許権はその目的を達したものとして消尽し,もはや特許権の効力は,当該特許製品を使用し,譲渡し又は貸し渡す行為等には及ばない(BBS事件最高裁判決)。したがって,当該特許製品を譲り受けた者は,その製品の寿命を維持又は保持するために当該特許製品を修理することができる。
  (イ) 新たな生産か修理かの判断に当たっては,@当該製品の機能,構造,材質や,用途,使用形態,取引の実情等の事情を総合考慮し,特許製品がその効用を終えたといえるか,又はA当該特許製品において特許発明の本質的部分を構成する主要な部材を取り除き,これを新たな部材に交換する等により,特許製品の同一性が失われたかを考慮する必要がある(東京地判平成12年8月31日特許ニュース10404号,10405号(以下「使い捨てカメラ事件判決」という。)。他にアシクロビル事件における東京高判平成13年11月29日判例時報1779号89頁参照)。

 イ 本件インクタンクの構造等について
 (ア) 原告の主張イ(ア)(本件インクタンクの構造)は否認する。本件インクタンク本体は,インクが消費されても物理的に使用可能であり,その機能,用途に何ら損耗はない。また,一般消費者も,後記ウ(エ)の詰め替え用インクを用いるなどして,容易にインクを詰め替えることができる。
  (イ) 同イ(イ)(本件発明1及び6の本質的要素)のうち,a及びbは否認し,cは認める。インクは,本件発明1における構成要件とはなっていない。本件発明6においても,インクは,それ自体として特許されたものではない。
  (ウ) 同イ(ウ)(原告の意図)は不知。
  (エ) 使い捨てカメラ事件との比較
   a 使い捨てカメラ事件では,内蔵されたフィルムの撮影を終えた消費者が,フィルムユニット本体から撮影済みのフィルムを露光させることなく取り出すことは困難な構造となっていた。さらに,撮影後に現像所においてフィルムを取り出す際にフック等の連結部材が破壊される上,新たなフィルムを装填するために裏カバーを本体から外すと,フック,超音波溶着部分等が破壊されることから,使い捨てカメラのフィルムを入れ替えた上で裏カバーを再び装着した製品は,遮光性の低下など品質,性能が劣るものとならざるを得なかった(使い捨てカメラ事件判決参照)。

   b これに対し,本件インクタンク本体は,繰り返し使用が可能な構造になっている。
  ウ 取引の実情等について
 (ア) 原告の主張ウ(ア)(廃棄物)は否認する。(イ)以下の事実によれば,インクが消費されるとインクタンク本体が廃棄物になるといった社会一般の共通認識は存在しない。
 (イ) アンケート調査結果
 株式会社BCNの市場調査部門であるBCN総研は,平成16年4月,日本国内向けのウェブサイト上で,インクジェットプリンタ用インクカートリッジの利用者に対するアンケート調査を行ったが,その結果は,次のとおりである(乙1の1・2)。
  @ 使用後のインクカートリッジの処理について,家電量販店等に設置されているインクカートリッジ回収箱に入れると回答した者は全体の46.1%,インク詰め替えを行い再利用すると回答した者は4.4%に達している。

  A リサイクルインクカートリッジを現在利用していると回答した者は全体の8.8%,現在は利用していないと回答した者は8.7%,利用意向においては,「是非利用したい」と「なるべく利用したい」と回答した者を合わせると,全体の33.4%に及んでいる。
  (ウ) リサイクル品の販売
 株式会社エコリカは,我が国の家電量販店を通じて,本件インクタンクのリサイクル品を販売し(乙2の1・2),他の多くのメーカーも,家電量販店やウェブサイト上で販売を行っている(乙3の1〜10)。
  (エ) 詰め替え用インクの販売
   a 本件インクタンク用の詰め替え用インクも,我が国において販売されている。これらの商品には,インクを再充填する際に必要となる注入孔を開けるためのドリル,注入孔を塞ぐためのプラグ等の付属品が付いたものもある。

   b 消費者であっても,簡単にインクを再充填できるし,そうして使用した場合でも,印字の鮮明度は純正品とほとんど変わらない。
 (オ) 使用済みインクタンクの回収
  a 使用済みインクタンクは,回収ボックス等で回収されている。
  b 無償で回収ボックスに投入する消費者は,それをゴミと考えているわけではなく,再利用される価値を有していると考えているからこそ,回収ボックスに投入している。
   c また,有償で消費者から使用済みインクタンクの回収が行われている例は,珍しくない。
   d 回収された使用済みインクタンクは,家電量販店等の事業者にとって取引価値を有し,専門的回収業者やリサイクル事業者に有償で譲渡されている。
  (カ) 海外における取引の実情
 アメリカ合衆国及びドイツにおいては,インクジェットプリンタ用インクタンクのリサイクル品の販売は,我が国におけるよりも大規模に行われ,確固たる市場が確立している(乙4の1〜4,5の1・2,6の1〜10)。

  (キ) リサイクル促進法の制定
 近年,廃棄物の大量発生が深刻な社会問題・環境問題を引き起こしているが,リサイクル可能な物品のリサイクルを行うことは,社会全体の利益にとって極めて有用かつ重要である。かかる観点から,資源の有効な利用の促進に関する法律(平成3年法律第48号)が制定され,平成14年改正後の同法は,再生資源及び再生部品の使用は企業を含む国民の責務である旨定めている。
  エ 同エ(まとめ)は否認する。本件インクタンクの機能,構造,材質や用途,使用形態,取引の実情等の事情を総合考慮すると,本件インクタンク本体にインクを再充填する行為は,構成要件となっていないか,又は製品全体に比べ耐用期間の短いインクを再充填して製品の使用を継続するために必要な行為であり,被告製品は,本件発明1及び6についての特許を侵害しない。

 5 争点(3)(原告の損害)について
 (1) 原告の主張
  ア 被告製品1個当たりの輸入申告価格は,300円である。
  イ 被告製品の市販価格は,650円から700円程度である。
  ウ よって,被告が製品1個当たりの利益は,350円を下回らない。
  エ そうすると,被告が得る利益は,上記350円に前記輸入個数2445個(前提事実(4)オ)を乗じた85万5750円となるから,原告は,これと同額を損害として請求する。
 (2) 被告の主張
 原告の主張は否認する。
第3 当裁判所の判断
 1 争点(1)(進歩性欠如)について
 (1) 引用例1の1
 引用例1の1に,本件発明1の構成要件A〜D及びGに相当する構成が開示されていること,すなわち,インクタンクの使用状態で底となる部分にインクジェットヘッドに対してインクを供給するための供給口が,天となる部分に大気連通部がそれぞれ設けられたインクタンクが記載されていることは,原告において明らかに争わないから,これを自白したものとみなす。

 (2) 引用例2
  ア 乙29によれば,引用例2の実用新案登録請求の範囲及び考案の詳細な説明の記載は,次のとおりであることが認められる。
  (ア) 実用新案登録請求の範囲
 打点動作を行うワイヤハンマを有し記録紙の幅方向に沿って移動可能に配置されたキャリッジと,インクリボンが記録紙の有効記録幅に対向した状態で一定の方向に移動可能に収納されカセットホルダに着脱可能に装着されるインクリボンカセットを有する記録装置において,インクリボンカセットおよびカセットホルダの一部に相互に嵌め合う位置決め用の係合機構および保持用の係合機構を設けたことを特徴とする記録装置。
  (イ) 考案の詳細な説明
 「第1図において,インクリボンカセット51の左側面には外側に突起54が形成され弾性を有する保持用の爪55がモールド成型により一体化され,右側面には位置決め用の突起体56がモールド成型により一体化されている。一方,カセットホルダ60の…左側面にはインクリボンカセット51に設けられた爪55の突起54が嵌め合う穴69が設けられ,右側面にはインクリボンカセット51に設けられた突起体56が嵌め合う穴70が設けられている。」(10頁16行〜11頁7行)

 「インクリボンカセット51をカセットホルダ60に取り付けるのにあたっては…突起体56を穴70に嵌め合わせながらインクリボンカセット51を矢印Aの方向に回転させてカセットホルダ60の正面に押し当てるようにする。…そして,インクリボンカセット51がカセットホルダ60の所定の位置に装着された状態では,突起体56が穴70に嵌め合わされるとともに爪55の突起54が穴69に嵌め合わされる。この結果,インクリボンカセット51は爪55の弾性力で右側面側に押し付けられ,カセットホルダ60に対するインクリボンカセット51の前後,左右,上下方向の位置決めが行なわれることになる。」(11頁10行〜12頁6行)
 「このような構成によれば,片手操作でインクリボンカセット51をカセットホルダ60に安全かつ容易に着脱でき,インクリボンカセット51装着時のカセットホルダ60に対する位置決めおよびカセットホルダ60によるインクリボンカセット51(50は,明白な誤記と認める。)の保持が確実に行われることになる。」(12頁13行〜18行)

  イ 上記アのとおり,引用例2には,インクリボンカセット51の一側面に,インクリボンカセットホルダ60に形成された係止部70と係合する係合部56が設けられ,その反対側の側面に,同ホルダ60に形成された第2係止部69に係合する係合部を備えた弾性的なラッチレバーが設けられた構成が開示されている。
 (3) 一致点及び相違点
 本件発明1と引用例1の1に記載された発明とを対比すると,両発明は,インクジェットヘッドを備えたホルダに対して着脱自在にされ,該ヘッドに供給される記録に使用されるインクを貯留可能なインクジェット用のインクタンクにおいて(構成要件A),前記インクタンク本体と(同B),前記インクタンクの使用状態で底となる部分に配され,前記ヘッドに対して前記インクを供給するための供給口と(同C),前記インクタンク内を大気と連通する大気連通部と(同D),を備えたことを特徴とするインクタンク(同G)である点で一致する。

 しかし,本件発明1が,前記インクタンクの一側面の一部に設けられた,前記ホルダに形成された第1係止部と係合する第1係合部と(同E),前記第1係合部が設けられた側面に対する他側面に対して弾性的に設けられた,前記ホルダに形成された第2係止部に係合する第2係合部を備えたラッチレバーと(同F)を備えているのに対し,引用例1に記載された発明がこれらの取付手段を有しているか不明である点で相違する。
 (4) 組合せの容易性
 前記(2)のとおり,取付手段として,本件発明1の構成要件E及びFに相当する手段を用いることは,引用例2に記載されているところ,引用例2に記載された発明も,インクリボンカセットホルダに対して,より簡単な操作で着脱し,かつ位置決め,保持を確実にするという本件発明1と同様の課題を解決するものである。

 したがって,引用例1の1に記載された発明に,取付手段として引用例2に記載された発明を適用して,本件発明1のように構成することは,当業者が容易に想到することができたものと認められる。
 (5) 原告の主張に対する判断
 原告は,引用例2は,インクリボンカセットに関し,同カセットが爪の弾性力で右側面側に押しつけられて,カセットホルダに対するインクリボンカセットの位置決めを行うものにすぎず,インク供給口とインクタンクホルダ側のインク連通管との係合関係について何の教示も含んでいないから,インクタンクをインクホルダに対し,簡便な構成で,正確かつ確実に位置決めできるようにし,インクタンクのインク供給口とインクタンクホルダ側のインク連通管との結合を確実にし,インクの漏れも発生しないものとすることは,容易に想到することができたものではない旨主張する。

 しかしながら,ホルダに対してインクタンクの位置決めを確実に行えば,インクタンクの供給口とインクタンクホルダ側のインク連通管との結合も確実に行うことができ,インクの漏れも発生しないことは,当業者にとって自明な事項であると認められるから,原告の上記主張は採用することができない。
 (6) 本件発明1についてのまとめ
 したがって,本件発明1についての特許は,特許法29条2項の規定に違反して与えられたものであり,明らかな無効理由を有する。
 (7) 本件発明6について
 本件発明6は,本件発明1の構成に,「前記インクタンク内には黒インクが収容されていること」との構成要件Hが加わったものであるところ,この構成要件の付加は,インクタンクにおいて最も一般的な実施態様を記載したものにすぎないものと認められる。

 よって,本件発明6も,当業者が容易に想到することができたものであり,本件発明6についての特許も,特許法29条2項の規定に違反して与えられたものであり,明らかな無効理由を有する。
 (8) まとめ
 以上によれば,本件発明1及び6についての特許に基づく原告の請求は,権利の濫用として許されない。
 2 結論
 よって,原告の請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がないから,これらを棄却することとし,主文のとおり判決する。


     東京地方裁判所民事第40部

                    裁判長裁判官   市  川  正  巳


                          裁判官   頼     晋  一


               裁判官   高  嶋     卓



(別紙)
                             物件目録(1)

 下記「構造の説明」及び第1図ないし第5図に記載された構造のインクタンク本体に,下記「商品上の表示及びインクの種類」の表示を付し黒色インクを充填したインクタンク
第1 商品上の表示及びインクの種類
 本件インクタンク(黒色インク収納)は,下記の表示が付されている。
   表示:「for Canon」,「recycle ink cartridge」,「BCI-3eBK」
第2 図面の説明
 第1図ないし第5図は,本件インクタンクを示す図面であって,第1図は平面図,第2図は底面図,第3図は上面図,第4図は左側面図,第5図は右側面図である。
 参考図1及び参考図2は,本件インクタンクが装着されるホルダの一例を示す説明図であって,参考図1は上面図,参考図2は参考図1に示されるA-A線における断面図である

第3 構造の説明
 1. 第1図に示すようにインクタンク1は,容器2,蓋部材3,インク供給部材4,第1の負圧発生部材5,第2の負圧発生部材6より構成され,インクジェットヘッドを備えたホルダ(参考図1にその一例を示す)に対して着脱自在であって,インクジェット用のインクを貯留可能に構成されている。
 2. 容器2は,その上側開口を蓋部材3によって覆い,溶着して形成されている。
 3. インクタンク外面の構成
 (1) インクタンク1は,第1図に示される上下の関係を有して使用され,使用状態で底となる部分に,インク供給口7が設けられている。
 (2) 第3図に示すように,インクタンク1の上面には,大気連通口8と大気連通路9とによって構成され,インクタンク1内を大気と連通する大気連通部10が形成されている。
 (2-2) 第4図に示すように,インクタンク1の左側面に,容器2から突出して構成された突起である第1係合部11が設けられている。

 (3) 第5図に示すように,インクタンク1の右側面に,容器2に対して弾性的に設けられたラッチレバー12が備えられ,ラッチレバー12に第2係合部13が設けられている。
 4. インクタンクの作用機構
 (1) インク供給口7は,参考図1に一構成例が示されるホルダ19に備えられたインクジェットヘッド20に対しインクを供給する。
 (2) インクタンク1の第1係合部11は,参考図2に示されるホルダ19に形成された第1係止部21と係合する。
 (3) インクタンク1のラッチレバー12に設けられた第2係合部13は,参考図2に示されたホルダ19に形成された第2係止部22に係合する。


                             物件目録(2)

 下記「構造の説明」及び第1図ないし第5図に記載された構造のインクタンク本体に,下記「商品上の表示及びインクの種類」(1)ないし(3)のいずれかの表示を付しインクを充填したインクタンク
第1 商品上の表示及びインクの種類
 本件インクタンク(カラーインク収納)は,下記(1)ないし(3)のいずれかの表示が付され,インクが充填されている。
 (1) 表示:「for Canon」,「recycle ink cartridge」,「BCI-3eY」
   充填インク:黄色インク
 (2) 表示:「for Canon」,「recycle ink cartridge」,「BCI-3eM」
   充填インク:マゼンタ色インク
 (3) 表示:「for Canon」,「recycle ink cartridge」,「BCI-3eC」
   充填インク:シアン色インク
第2 図面の説明
 第1図ないし第5図は,本件インクタンクを示す図面であって,第1図は平面図,第2図は底面図,第3図は上面図,第4図は左側面図,第5図は右側面図である。

 参考図1及び参考図2図は,本件インクタンクが装着されるホルダの一例を示す説明図であって,参考図1は上面図,参考図2は参考図1に示されるB-B線における断面図である
第3 構造の説明
 1. 第1図に示すようにインクタンク1は,.容器2,蓋部材3,インク供給部材4,第1の負圧発生部材5,第2の負圧発生部材6より構成され,インクジェットヘッドを備えたホルダ(参考図1にその一例を示す)に対して着脱自在であって,インクジェット用のインクを貯留可能に構成されている。
 2. 容器2は,その上側開口を蓋部材3によって覆い,溶着して形成されている。
 3. インクタンク外面の構成
 (1) インクタンク1は,第2図に示される上下の関係を有して使用され,使用状態で底となる部分に,インク供給口7が設けられている。
 (2) 第3図に示すように,インクタンク1の上面には,大気連通口8と大気連通路9とによって構成され,インクタンク1内を大気と連通する大気連通部10が形成されている。

 (2-2) 第4図に示すように,インクタンク1の左側面に,容器2から突出して構成された突起である第1係合部11が設けられている。
 (3) 第5図に示すように,インクタンク1の右側面に,容器2に対して弾性的に設けられたラッチレバー12が備えられ,ラッチレバー12に第2係合部13が設けられている。
 4. インクタンクの作用機構
 (1)インク供給口7は,参考図1に一構成例が示されるホルダ19に備えられたインクジェットヘッド20に対しインクを供給する。
 (2)インクタンク1の第1係合部11は,参考図2に示されるホルダ19に形成された第1係止部21と係合する。
 (3)インクタンク1のラッチレバー12に設けられた第2係合部13は,参考図2に示されたホルダ19に形成された第2係止部22に係合する。