◆H17. 3.29 大阪高裁 平成16(ネ)648 特許権 民事訴訟事件
平成16年(ネ)第648号損害賠償請求控訴事件(原審・大阪地方裁判所平成15年(ワ)第6256号)
判 決
控訴人(1審原告) 日本フネン株式会社
同訴訟代理人弁護士 田倉整
同 内藤義三
被控訴人(1審被告) 近畿車輛株式会社
同訴訟代理人弁護士 美根晴幸
主 文
1 原判決を次のとおり変更する。
2 被控訴人は、控訴人に対し、693万5556円及びこれに対する平成15年7月3日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 控訴人のその余の主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は、第1、2審を通じてこれを3分し、その1を被控訴人の、その余を控訴人の各負担とする。
5 この判決は、主文第2項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 主位的請求
被控訴人は、控訴人に対し、2000万円及びこれに対する平成15年7月3日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 予備的請求
被控訴人は、控訴人に対し、1500万円及びこれに対する平成15年10月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
5 仮執行宣言
第2 事案の概要
1 本件は、控訴人が、被控訴人に対し、被控訴人が控訴人を相手取り特許権に基づく差止請求権を被保全権利として仮処分命令の申立てをし、仮処分命令を得てその執行をした後に、上記特許権に係る特許を無効とする審決が確定したため、違法な仮処分命令の執行により損害を受けたと主張して、主位的に不法行為に基づく損害賠償を、予備的に不当利得返還を求めた事案である。
原審は、被控訴人には仮処分命令を得てその執行をしたことについて過失がなく、不当利得も成立しないとして、控訴人の請求をいずれも棄却したため、控訴人が本件控訴を提起した。
(以下、控訴人を「原告」、被控訴人を「被告」という。)
2 前提事実
当裁判所が平成16年10月15日に言い渡した中間判決(以下「中間判決」という。なお、本判決の略語は中間判決と同じである。)2頁15行目から5頁6行目までに記載のとおりである。
3 争点
(1) 被告が本件仮処分命令を得てその執行をしたことについて、被告に過失があるか否か。
(2) 前記(1)で被告に過失がある場合に、被告の不法行為と相当因果関係のある損害の有無及び額
(3) 不当利得返還請求の可否
第3 争点に関する当事者の主張
1 争点(1)に関する当事者の主張は、中間判決(5頁15行目から7頁23行目まで)に記載のとおりである。
2 争点(2)について
【原告の主張】
(1) 本件仮処分命令の執行自体による損害 8万5556円
本件仮処分命令により執行官保管とされた採光窓付き鋼製ドア2枚(当時の時価は1枚当たり4万2778円)は、既に製造してから数年も経っており、現在では流通経路に乗り得ないものであって、無価値になった。
(2) 本件仮処分命令に伴う無形損害 1500万円
原告におけるドア全体の売上高(年額50億円)は、本件仮処分命令の前後を通じ、極端な減少はしておらず、その上昇率に陰りがあったという程度であるが、原告の製造販売に係る採光窓付き鋼製ドアにつき、特許権侵害を理由とする差止めの仮処分命令が出され、原告の本社工場内でその執行が行われたという事実は、上記ドアの購入を検討していた者に対し、原告との取引を躊躇させるという悪影響をもたらしたことは明らかである。さらに、被告は、本件仮処分命令に関する事実を業界紙に情報提供し、同業界紙による公表(甲4)を通じて、需要者に強い圧力を加えた。
本件仮処分命令の対象とされた採光窓付き鋼製ドアの年間売上高は、1億円、1億5000万円、2億円と上昇傾向にあり、その利益率は10%前後であったから、本件無効審決が出されるまでの4年間にわたり、少なくとも25%減の悪影響を受けていたこと、本件仮処分命令の立担保の額でさえ1000万円であったことに照らせば、本件仮処分命令に伴う無形損害は1500万円を下らない(1億5000万円×10%×4年間×25%。もっとも、上昇中であった原告の上記売上高が、本件仮処分命令により、どれだけ減少したかは、景気の動向による影響もあるため、これを厳密に確定することは極めて困難であるから、裁判所の裁量による認定を求める。)。
なお、原告は、本件仮処分命令の発令前に、採光窓付き鋼製ドアの製造方法を、本件特許発明の技術的範囲に属するおそれのある方法から属するおそれのない方法に切り替えたが(以下、前者の方法により製造されたものを「イ号物件」、後者の方法により製造されたもの「ロ号物件」という。)、イ号物件とロ号物件は、外形上類似しており、需要者にとってその判別は困難である。現に、被告は、誤ってロ号物件についても仮処分の執行をした。したがって、イ号物件を対象とする本件仮処分命令により、ロ号物件の売上高が減少したということができる。
(3) 本件仮処分命令の効力排除手続に要した弁護士費用等 1000万円
原告は、次の各訴訟等につき、弁護士及び弁理士にその提起追行を委任せざるを得なかった。これに要した費用は、次のとおり合計1700万円を下らない。原告は、本訴において、内金1000万円を請求する。
ア 前訴事件に対する応訴費用(損害論に関する審理部分を除く。)
500万円
イ 本件無効審判請求事件の費用 300万円
ウ 本件仮処分命令に対する保全取消し申立ての費用 50万円
エ 前記ウの申立てに係る保全取消決定に対して被告がした保全抗告に対する応訴費用 200万円
オ 本件無効審決に対して被告が提起した審決取消訴訟に対する応訴費用 300万円
カ 東京高等裁判所平成14年(行ケ)第547号審決取消訴訟への補助参加費用 200万円
キ 本件訴訟に関する費用 150万円
(4) 原告は、被告に対し、本訴において、前記(1)ないし(3)の合計額2508万5556円の内金2000万円及びこれに対する遅延損害金を請求する。
(5) 過失相殺の主張について
本件仮処分事件当時は、キルビー特許事件最高裁判所判決(最高裁判所第三小法廷平成12年4月11日判決・民集54巻4号1368頁)が出される以前のことであったから、特許無効理由は無効審判請求により主張するのが原則であって、債務者である原告が本件仮処分事件において本件無効理由を主張立証しなかったとしても、原告に過失があるとはいえない。
また、本件仮処分事件の審理期間は、平成9年11月20日の第1回審尋期日から平成10年3月16日の最終審尋期日までの約4か月間にすぎず、原告がその間に公知資料を全て集めて本件無効理由を主張することは事実上不可能である。
【被告の主張】
(1) 本件仮処分命令の執行により、ドア2枚が執行官保管とされたことは認めるが、上記ドアの金額等は不知。
(2) 原告は、将来本案訴訟で敗訴するリスクを回避するために、本件仮処分命令発令前にイ号物件の製造方法からロ号物件の製造方法に切り替えたのであるから、本件仮処分命令の執行による損害は発生していない。
また、ロ号物件の売上高減少は認められず、仮に売上高が減少したとしても、本件仮処分命令との間に因果関係はない。
(3)ア 前訴事件の応訴費用(原告の主張(3)ア)は、本案訴訟に要した費用であって、本件仮処分命令とは無関係に発生したものである。
イ 本件無効審判請求事件や審決取消訴訟に関する費用等(原告の主張(3)イ、オ、カ)は、本案訴訟である前訴事件に勝訴するための費用であるから、本件仮処分命令とは無関係に発生したものである。
ウ 保全取消し申立ての費用、保全抗告に対する応訴費用及び本件訴訟に関する費用(原告の主張(3)ウ、エ、キ)については争う。
(4) 原告は、本件仮処分命令の申立てから本件仮処分命令の発令まで約5か月間もの期間があったにもかかわらず、先使用の抗弁を提出したのみで、本件無効理由を全く主張しなかった。
仮処分命令の申立てを受けた債務者としては、自らの権利を守るため、債権者の主張する被保全権利が存在しないことについての主張立証をすべきであるから、これを怠ったことは原告の過失であり、原告の過失割合は少なくとも50%である。
3 争点(3)について
【原告の主張】
本件仮処分命令により生じた原告の売上高減少による損失は、同時にそれに相応する販売上の利益を被告に生じさせたものである。被告のこのような利益は、本件特許が無効となった以上、法律上得られるべき利益ではない。
そこで、原告は、予備的に、民法703条に基づく不当利得の返還を請求する。原告の損失額及び被告の利益額は、前記2の【原告の主張】(2)に記載のとおり、1500万円を下らない。
なお、この損失や利益の具体的な算定は困難であるが、民事訴訟法248条の規定が類推適用されるべきであり、また、特許法102条の規定も可能な範囲で利用されるべきである。
【被告の主張】
原告の主張はいずれも否認ないし争う。
次のような事情があることに照らせば、原告における売上高減少が被告における売上高増加につながるものではないというべきである。
(1) 採光窓付き鋼製ドアの製造メーカーは多数あり、被告のシェアは約10%にすぎない。
(2) 原告と被告の顧客先は大きく異なる。
また、被告における顧客への販売は、被告による販売努力、当該顧客との従前の取引関係、当該顧客からの信用等に基づいて成り立つものである。
(3) 原告は、イ号物件の製造を中止した後、ロ号物件の製造販売を新たに開始しており、前者の損失は後者の販売により解消されている。
第4 当裁判所の判断
1 争点(1)に関する当裁判所の判断は、中間判決(7頁末行から17頁7行目まで)に記載のとおりである。なお、以下では、被告が本件仮処分命令を得て、これを執行したことを、「本件不法行為」という。
2 争点(2)について
(1) 本件仮処分命令の執行自体による損害 8万5556円
前記前提事実のとおり、本件仮処分命令の執行として、原告の本社工場内にあった採光窓付き鋼製ドア2枚が執行官保管とされたものであり、証拠(甲16)及び弁論の全趣旨によれば、上記ドアの本件仮処分命令が執行された時点での販売価格は1枚当たり4万2778円であったこと及び上記ドアは本件仮処分命令が取り消された時点(平成14年2月1日)では販売が不可能になっていたことが認められる。
してみると、原告は、本件不法行為により、上記ドア2枚の本件仮処分命令が執行された時点での価格合計8万5556円相当の損害を受けたということができる。
(2) 本件仮処分命令に伴う無形損害 135万円
ア 当事者間に争いのない事実に加え、各項に掲げた証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(ア) 本件仮処分命令の発令前における原告のイ号物件の売上高は、平成5年度は2994万円、平成6年度は7358万円、平成7年度は1億3526万円、平成8年度は1億4472万円、平成9年度は1億5567万円(いずれも1万円以下四捨五入)であった。(甲16、19)
(イ) 被告は、本件仮処分命令の発令に関する事実を業界紙に情報提供し、その事実は、週刊建材新聞(平成10年4月24日付け)で報道された。(甲4)
(ウ) 原告は、本件仮処分命令の発令前に、採光窓付き鋼製ドアの製造方法を、本件特許発明の技術的範囲に属するおそれのない方法に切り替えたが、上記方法により製造されたロ号物件は、外形の構造上、本件仮処分命令により製造販売が差し止められたイ号物件と区別し得るような特徴はなく、商品名も同一であった。(甲31)
(エ) 本件仮処分命令を執行した執行官は、前記(ウ)のとおりイ号物件とロ号物件が外形の構造上区別できなかったため、ロ号物件を含む前記採光窓付き鋼製ドア2枚を執行官保管とした。(甲2、31)
(オ) 本件仮処分命令の発令後における原告のロ号物件の売上高は、平成10年度は1億2863万円、平成11年度は1億5084万円、平成12年度は1億7667万円、平成13年度は1億7971万円(いずれも1万円以下四捨五入)であった。(甲16、19)
(カ) イ号物件、ロ号物件とも、利益率は約10%であった。(甲14、15、19、甲26の30)
イ(ア) 前記アの認定事実によれば、本件仮処分命令の発令前である平成9年度から本件仮処分命令の発令後である平成10年度にかけて、イ号物件ないしその後継商品であるロ号物件の売上高は、2700万円余り減少した(利益率は約10%であるから、利益は約270万円減少した。)ことが認められる。
そして、前記ア(イ)のとおりの報道がされたこと、前記ア(ウ)(エ)のとおりイ号物件とロ号物件の区別は困難であることを考慮すれば、本件仮処分命令が上記売上高の減少に影響を与えたものと推認され、上記推認を覆すに足りる証拠はない。
したがって、本件不法行為により、平成10年度において、金額はさておき、原告に売上高減少による損害が生じたことは認められるというべきである。
ただし、ロ号物件の売上高は、平成11年度には、平成9年度とほぼ同程度まで回復し、その後は増加傾向にあることを考慮すれば、本件仮処分命令の影響により平成11年度以降のロ号物件の売上高が減少したとはいまだ認めるに足りない。
(イ) しかしながら、ロ号物件の売上高は、景気の変動、特にマンション等の新築件数や、競争関係にある他の業者の技術向上や価格の変動、営業努力等によっても影響されるものであるから、前記(ア)の売上高減少が全て本件不法行為の影響により生じたということは到底できない。
(ウ) してみると、本件不法行為により原告に売上高減少による損害が生じたことは認められるが、損害の性質上、その額を立証することは極めて困難であるといえるから、民事訴訟法248条に基づき、前記ア認定の事実を考慮の上、ロ号物件の売上高減少に係る損害額を、前記利益減少分の50%である135万円と定める。
(3) 本件仮処分命令の効力排除手続に要した弁護士費用等 500万円
ア 前記前提事実のとおり、原告は、本件仮処分命令の発令後、本件特許に対する無効審判請求を行い(本件無効審判請求事件)、本件無効審決を得て、大阪地方裁判所に保全取消しを申し立て、保全取消決定を得た。
これに対し、被告は、本件無効審決を不服として東京高等裁判所に審決取消訴訟を提起し、また、上記保全取消決定に対する保全抗告をしたため、原告はこれらに応訴した。
さらに、被告は、特許庁に訂正審判請求をし(訂正2002−39057号)、特許庁は請求は成り立たないとの審決をしたが、被告はこれを不服として特許庁長官を相手取り東京高等裁判所に審決取消訴訟を提起した(同裁判所平成14年(行ケ)第547号)ため、原告は、特許庁長官に補助参加した(弁論の全趣旨)。
イ 前記アの各訴訟等の提起追行のため原告が支出した弁護士費用及び弁理士費用は、違法な本件仮処分命令の効力を排除するために、通常必要かつ適切な手続に要した費用ということができるから、本件不法行為と相当因果関係のある損害ということができる。
他方、前訴事件は、本件仮処分事件の本案訴訟であり、本件仮処分事件と関連性はあるものの、本件の経緯の下では,前訴事件に対する応訴が、本件仮処分命令の効力を排除するために、通常必要かつ適切な方策であるとまではいえないから、前訴事件に対する応訴のために要した弁護士費用及び弁理士費用は、本件不法行為と相当因果関係のある損害とはいえない。
ウ そして、証拠(甲19、32の1〜3、甲33の1〜6)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、前記アの各訴訟等の提起追行を弁護士及び弁理士に委任し、前記第3、2【原告の主張】(3)イないしカ記載の合計1050万円を下らない報酬を支払ったことが認められる(ただし、原告は、弁護士及び弁理士との間で、各事件ごとに報酬額を定めるのではなく、毎月一定額の報酬を支払う旨の合意をしたため、事件ごとの個別の報酬額は証拠上認定することができない。)。
上記各証拠に加え、証拠(甲3、17の1・6、甲19、22、26の1〜58)及び弁論の全趣旨からうかがわれる前記アの各訴訟等の難易度、開廷回数、訴額及び結果など諸般の事情を総合的に考慮すると、原告が弁護士及び弁理士に対して支払った上記報酬額のうち、合計500万円の範囲において、本件不法行為と相当因果関係がある損害と認めるのが相当である。
(4) 過失相殺
仮処分事件においては迅速な判断が要請されるものであり、前記前提事実のとおり、本件仮処分事件の審理期間は約5か月間であった。
また、本件仮処分事件は、キルビー特許事件最高裁判所判決以前に大阪地方裁判所に申し立てられ審理された事件であり、当時の下級審裁判例は、侵害訴訟において必ずしも無効理由を考慮するとは限らなかったから(公知の事実)、原告において、本件仮処分事件係属中に、公知技術を調査し、本件無効理由を主張しなかったからといって、過失相殺の対象とすべき事情があるとまではいえない。
なお、付言するに、キルビー特許事件最高裁判所判決以前であっても、特許を無効にすべき旨の審決が確定したときは、当該特許権は、初めから存在しなかったものとみなされるのであるから、仮処分債権者において、事前に当該特許の無効理由の存否について必要な検討を行うべき注意義務を負うことは変わりがない。
(5) 本件訴訟の提起追行のための費用 50万円
本件訴訟の認容額など諸般の事情を総合的に考慮し、原告が本件訴訟の提起追行のために支出した弁護士費用のうち50万円の範囲で本件不法行為との間の相当因果関係を認める。
3 争点(3)について
前記2(2)のとおり、原告は、本件仮処分命令により、売上高が135万円減少し、同額の損失を受けたものといえるが、上記損失は、本件不法行為による損害賠償請求により回復されるものであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の不当利得返還請求(予備的請求)は理由がない。
4 その他、原審及び当審における当事者提出の各準備書面記載の主張に照らし、原審及び当審で提出、援用された全証拠を改めて精査しても、当審の認定、判断を覆すほどのものはない。
5 以上によれば、原告の主位的請求は、693万5556円及びこれに対する不法行為の後である平成15年7月3日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の限度で理由があるから、これを認容し、その余の主位的請求及び予備的請求は、いずれも理由がないから、これを棄却すべきところ、原告の請求を全部棄却した原判決はこの限りで失当であるから、変更を免れない。
よって、主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結・平成17年2月3日)
大阪高等裁判所第8民事部
裁判長裁判官 竹 原 俊 一
裁判官 小 野 洋 一
裁判官 中 村 心