◆H17.10.19 知財高裁 平成17(行ケ)10013 特許権 行政訴訟事件
平成17年(行ケ)第10013号審決取消請求事件(平成17年9月26日口頭弁論終結)
判 決
原 告 ザ ロックフェラー ユニバーシティ
代 表 者
訴訟代理人弁理士 山 本 秀 策
同 馬勺 谷 剛 志
被 告 特許庁長官 中 嶋 誠
指定代理人 佐 伯 裕 子
同 種 村 慈 樹
同 宮 下 正 之
同 唐 木 以知良
主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
第1 請求
特許庁が不服2000−13740号事件について平成16年3月5日にした審決を取り消す。
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は,平成7年8月17日(国際出願日),発明の名称を「体重のモジュレーター,対応する核酸およびタンパク質」とする発明について特許出願(特願平8−507618号,優先権主張1994年〔平成6年〕8月17日,同年11月30日,1995年〔平成7年〕5月10日及び同年6月7日・アメリカ合衆国)をし,その後の平成10年3月2日,上記発明の一部につき,発明の名称を「体重のモジュレーター,対応する核酸およびタンパク質,ならびにそれらの診断および治療用途」として分割出願(特願平10−49889号,以下「本件出願」という。)をしたが,平成12年6月1日(送達日)に拒絶の査定を受けたので,同年8月30日,これに対する不服の審判の請求をした。特許庁は,同請求を不服2000−13740号事件として審理した結果,平成16年3月5日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,同月17日にその謄本を原告に送達した。
2 平成15年12月25日付けの手続補正書によって補正された明細書(以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の請求項1に係る発明(以下「本願発明」という。)の要旨
配列番号1,3,22,もしくは24に記載のDNA分子の連続する配列または配列番号1,3,22,もしくは24に記載のDNA分子の相補鎖に,高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する,少なくとも15ヌクレオチドの検出可能な標識をされた核酸分子。
(配列番号1,3,22及び24の塩基配列あるいはアミノ酸配列は,別紙のとおりである。)
3 審決の理由
審決は,別添審決謄本写し記載のとおり,@本願発明の核酸分子には,その塩基配列が,元の「配列番号1,3,22もしくは24という特定のDNA分子の連続配列またはその相補鎖」とは不規則に配列の異なるものが無数に含まれるため,その範囲が不明確となるので,本願発明は特許法36条6項2号に規定する要件を満たしていない,A本願発明の核酸分子には,プローブやプライマーとして使用できないものが含まれており,「産業上利用することができる発明」とは認められないので,同法29条1項柱書に規定する要件を満たしていない,B本件明細書の発明の詳細な説明が,当業者において本願発明を容易に実施をすることができる程度に記載されているものと認められないので,同法36条4項(注,平成14年法律第24号による改正前のもの。以下「特許法旧36条4項」という。)に規定する要件を満たしていない,C本願発明が発明の詳細な説明に実質的に記載されているとはいえないから,同法36条6項1号に規定する要件を満たしていないので,本件出願は拒絶すべきものであるとした。
第3 原告主張の審決取消事由
審決は,本件明細書の記載要件についての判断を誤った結果,特許法36条6項2号の記載要件の判断を誤り(取消事由1),同法29条1項柱書の「産業上利用することができる発明」該当性の判断を誤り(取消事由2),同法旧36条4項に規定する記載要件の判断を誤り(取消事由3),同法36条6項1号に規定する記載要件の判断を誤り(取消事由4),その結果,本件出願は拒絶すべきものであるとの誤った結論を導いたものであり,違法であるから,取り消されるべきである。
1 取消事由1(特許法36条6項2号の記載要件の判断の誤り)
(1) 審決は,「本願請求項1に記載の15ヌクレオチド以上の『核酸分子』は,『配列番号1,3,22もしくは24という特定のDNA分子の連続配列またはその相補鎖のDNA分子と高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する』ものではあっても,そこには,その配列が元のDNA分子である配列番号1,3,22もしくは24との間で複数の不規則の核酸配列のミスマッチを含むものが含まれ,かつ,核酸分子の長さが長くなるにつれて,そのミスマッチの度合いの高いものが含まれることとなる。」(審決謄本3頁第2段落)とし,これを前提として,「したがって,本願請求項1に記載の『核酸分子』には,その配列が,元の『配列番号1,3,22もしくは24という特定のDNA分子の連続配列またはその相補鎖』とは不規則に配列の異なるものが無数に含まれるため,その範囲が不明確となる。」(同第3段落)との結論を導き出したが,この判断は誤りである。
(2) 被告は,本願発明の特許請求の範囲の請求項1(以下,単に「特許請求の範囲」という。)に含まれる核酸が「不規則」なものであることを理由に,当該特許請求の範囲が不明確であるという。
しかし,本願発明においては,発明の範囲に属するか否かを決定する明確な基準である「高度の厳密性の条件下でハイブリダイズ能力を有する」ことが特許請求の範囲に明確に記載されており,また,そのハイブリダイズ能力を有するか否かを決定する方法が,発明の詳細な説明中に具体的かつ詳細に記載されており,基準が明確に記載されているから,発明の範囲の認定において何ら不明確な点はない。任意の核酸分子が特許請求の範囲に含まれるか否かを決定するために,核酸配列の規則性が示されなければならないという理由はない。
また,被告は,本願発明の特許請求の範囲に「不規則に配列の異なるもの」が「無数」に存在するから,本願発明の核酸分子の範囲が不明確であるという。
しかし,そもそも,発明においては,種々の実施形態に設計することが可能であり,かつ,無数の実施形態が存在し得るものである。ある発明に関し,無数の実施形態に設計することが可能だからといって,発明の範囲が不明確となるわけではない。発明の外延及び内包とされる実施形態が明確である限り,たとえ,特許請求の範囲内に「無数」の実施形態が存在し得るとしても,発明自体は明確である。特許請求の範囲に「無数」のものが含まれるか否かは,特許の記載要件とは何ら関係ない。
本願発明は,「核酸分子」が「高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力」を有するか否かによって明確に規定されることから,発明の外延及び内包とされる実施形態が明確に決定されており,したがって,本願発明の範囲も明確である。
(3) 平成6年法律第116号により改正された特許法36条6項2号の趣旨に従えば,その規定する「特許を受けようとする発明が明確である」か否かの判断において,特許請求の範囲に含まれる核酸分子が,その配列において明確な法則性を有することは必要とされず,出願人は,核酸配列の法則性によらずとも,特許を受けようとする発明が明確である限り,出願人が必要と認める事項を記載することによって,特許請求の範囲において発明を特定することが可能である。
したがって,本願発明の特許請求の範囲に含まれる核酸分子が,その塩基配列において明確な法則性を有しないことは,特許性に何らの影響を与えるものでもなく,本願発明は,特許法36条6項2号にいう「特許を受けようとする発明が明確であること」という要件を満たしているのである。
2 取消事由2(特許法29条1項柱書の「産業上利用することができる発明」該当性の判断の誤り)
(1) 審決は,「本願の請求項1に記載の配列1,3,22,24は,上述のとおり,OBポリペプチドのオープンリーディングフレーム(ORF)以外のイントロンや3’非翻訳領域,5’非翻訳領域をも多く含むものであり,これらの配列は通常選択圧がかからないのでORFほど保存されず,OBポリペプチド遺伝子としての特徴の保存よりも個体差の方が大きく,OBポリペプチド遺伝子の検出や増幅には不適切な配列といえる。そうであるから,このようなOBポリペプチドと関連性が低く,かつ,保存性も低い塩基配列と,単に高度の厳密性の条件下でハイブリダイズするだけの15ヌクレオチド長の標的核酸分子が,OBポリペプチド遺伝子の検出や増幅に利用できるなどと言うことは,およそ当業者の技術常識からかけ離れたものである。」(審決謄本4頁最終段落〜5頁第1段落)とした上,「本願の請求項1に記載の,単なる,配列番号1,3,22もしくは24のDNA分子の連続配列またはその相補鎖に,高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する,検出可能な標識のされた15ヌクレオチド以上の核酸分子には,有用性のない核酸分子が多数含まれるといえる。」(同頁第2段落)と説示し,本願発明が特許法29条1項柱書の「産業上利用することができる発明」に当たらないと結論を導いているが,この判断も誤りである。
(2) 本願発明の核酸分子は,「高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する核酸分子」であるから,15ヌクレオチド長でも,プローブとしてもプライマーとしても有用な核酸分子である。
すなわち,本願発明の核酸分子は,単なるランダムな配列を有する核酸分子ではなく,「配列番号1,3,22,もしくは24に記載のDNA分子の連続する配列または配列番号1,3,22,もしくは24に記載のDNA分子の相補鎖」,すなわち,OB(obesity,肥満症)ポリペプチドをコードする領域を含む核酸分子(以下「本件OB遺伝子」という。)に,高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する核酸分子であり,「本件OB遺伝子と高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する核酸分子」は,「本件OB遺伝子との相同性・類似性が高い核酸分子」でもある。本件OB遺伝子をプローブとして用いて,高度の厳密性の条件下でハイブリダイゼーションを行うと,本件OB遺伝子は,「本件OB遺伝子との相同性・類似性が高い核酸分子」にハイブリダイズするので,「本件OB遺伝子との相同性・類似性が高い核酸分子」を検出することができる。逆に,「本件OB遺伝子と高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する核酸分子」をプローブとして用いて,高度の厳密性の条件下でハイブリダイゼーションを行うと,「本件OB遺伝子と高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする
能力を有する核酸分子」は,「『本件OB遺伝子と高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する核酸分子』と相同性・類似性が高い核酸分子」にハイブリダイズし,その結果,「本件OB遺伝子」を検出することができる。したがって,高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する核酸分子は,プローブとして有用な核酸分子である。
同様に,「本件OB遺伝子と高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する核酸分子」は,「『本件OB遺伝子と高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する核酸分子』と相同性・類似性が高い核酸分子」を増幅するもので,「本件OB遺伝子」を増幅するためのプライマーとして機能する。したがって,本願発明の核酸分子は,プライマーとして有用な核酸分子である。
(3) 審決は,「OBポリペプチドのような生体成分に対応する遺伝子やゲノムの核酸配列においては,同じ生体に存在する他の遺伝子やゲノムの配列と相同性を有する部分が存在することが観察される場合があり,その配列のどこの短い配列をとっても識別性が高いというわけではないとすることが自然である。すなわち,OBポリペプチドコーディング領域やそのゲノムの配列において,OBポリペプチド遺伝子(注,本件OB遺伝子)として識別性の高い部分の遺伝子を特に選んでプローブやプライマーとして用いた場合ならばともかくとして,それぞれ2739塩基対,700塩基対,414塩基対,801塩基対もの長さを持つ配列番号1,3,22または24の遺伝子配列から,連続して一致していたとしても,たったの15ヌクレオチド長をランダムに選んだだけの核酸分子では,それがOBポリペプチド遺伝子の検出プローブや増幅プライマーとして十分機能し得ない,すなわち使用することのできないものが多く含まれると,本願優先権主張日当時の当業者は理解するのである。」(審決謄本4頁第3段落)と説示するが,この技術常識は,それが「単なるランダムな配列を有する核酸分子」を対象にする限りでは,誤っているとはいえない。
しかし,被告は,上記技術常識を前提に,本件OB遺伝子と高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する核酸分子を提供したとしても,それだけでは目的の遺伝子の検出プローブや増幅プライマーとして有効に使用できる物を提供したことにならないと主張するが,全くの誤りである。
すなわち,原告は,本願発明において,少なくとも15ヌクレオチド長の長さを有する核酸分子のうち,プローブやプライマーとして有用な核酸分子のみについて特許を求めるものである。たとえ,15ヌクレオチド長をランダムに選んだだけの核酸分子の中に,高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有しないために,プローブやプライマーとして十分機能し得ないものがあったとしても,そもそも,そのような核酸分子は,高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有しないのであるから,本願発明の特許請求の範囲から当然に除かれる。
本願発明は,特定の本件OB遺伝子に特定の条件下でハイブリダイズする能力を有するものについて特許を求めているのであるから,ハイブリダイズしないものの議論をしても意味がない。被告は,ランダムに選んだ15ヌクレオチド長の核酸分子の中にハイブリダイズしないもの,すなわち本願発明の範囲外のものが多いと主張するだけで,本願発明の特徴である,ハイブリダイズするものの有用性に関する議論をしていない。本件OB遺伝子という有用なものにハイブリダイズするものは,その特性を持つこと自体で有用なのである。
(4) 以上のとおり,本願発明の核酸分子は,目的の核酸分子(本件OB遺伝子)のほか目的外の核酸分子を検出又は増幅しようがしまいが,本件OB遺伝子に対して「高い厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する」のであるから,当業者であれば,上記「高い厳密性の条件下でハイブリダイズする能力」をもって,プローブやプライマーとして検出,増幅などに使用できることを理解することができるのである。したがって,本願発明は,産業上利用可能な発明であることが明らかである。
3 取消事由3(特許法旧36条4項の記載要件の判断の誤り)
(1) 審決は,上記2(1)のとおり,取消事由2に関して,「本願の請求項1に記載の,単なる,配列番号1,3,22もしくは24のDNA分子の連続配列またはその相補鎖に,高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する,検出可能な標識のされた15ヌクレオチド以上の核酸分子には,有用性のない核酸分子が多数含まれるといえる。」(審決謄本5頁第2段落)と説示した上,これを前提として,「このような,元のDNA分子と配列が不規則に異なるものを含む,長短の無数の核酸分子の中から,OBポリペプチド遺伝子のプローブやプライマーとして利用できる,すなわち有用性を備えた核酸分子を提供しようとすれば,当業者に過度の試行錯誤を求めるものと言わざるを得ない。」(同頁第3段落)とし,本件明細書の発明の詳細な説明が,当業者において本願発明を容易に実施をすることができる程度に記載されているものとは認められないとの結論を導いているが,この判断も誤りである。
(2) ハイブリダイズ技術は,本件出願の原出願優先日当時に慣用されていた技術であり,数十の実施例があれば,当業者は,本願発明の核酸分子が使用できることを十分に理解し,本願発明を実施することができるのである。
すなわち,本件明細書の発明の詳細な説明においては,18ヌクレオチドを実際に用いた実験に関する記載があり,しかも,15ヌクレオチドを利用することについての記載があるので,本件明細書の記載に基づけば,当業者は,15ヌクレオチド長のプライマーやプローブを作製し,そして標的核酸と高い厳密性の条件下でハイブリダイズするか否かを決定できるから,少なくとも15ヌクレオチドの核酸分子を用いる「発明」は,本件明細書の発明の詳細な説明に記載されている。
(3) 上記2(3)及び(4)で述べたとおり,本願発明の核酸分子は,目的の核酸分子(本件OB遺伝子)のほか目的外の核酸分子を検出又は増幅しようがしまいが,本件OB遺伝子に対して「高い厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する」のであるから,当業者であれば,上記「高い厳密性の条件下でハイブリダイズする能力」をもって,プローブやプライマーとして検出,増幅などに使用できることを理解することができ,したがって,本件明細書の発明の詳細な説明は,本願発明を当業者が実施可能なように実質的に記載されていることが明らかである。
また,本件明細書の発明の詳細な説明に,プローブ,プライマーとして利用できることを示す核酸分子の具体例が一部しか記載されていないとしても,発明の詳細な説明には,特許請求の範囲に包含されるすべての核酸分子の中から,有用性のあるもののみを当業者が容易(なお,特許法旧36条4項では,平成6年法律第116条による改正前に存した「容易」の要件が削除されている。)に選択することができるように記載されているから,特許法旧36条4項の記載要件を十分に満たすものというべきである。
この点について,被告は,本願発明に属するべき有用性のある核酸分子を選択しようとする当業者にとって,配列情報も位置や長さの情報も不十分な無数に近い核酸分子で構成される一群の化学物質群の中から選択しなくてはならないにもかかわらず,そのための唯一の手法が「高度の厳密性の条件下でのハイブリダイズ」するか否かの実験的手法なのであるから,その選択が「容易」であるはずはなく,本願発明が特許法旧36条4項の記載要件を満たさないことは明らかである旨主張する。
しかしながら,ある核酸分子が,本願発明の範囲に含まれるか否かを決定するために行われるハイブリダイゼーション技術は,当業者が容易に行うことができる分子生物学の基本的実験であり,何ら困難な点はない。さらに,本件出願の原出願日当時においては,種々のハイブリダイズする核酸を設計するためのコンピュータ支援プログラム及びそれを実装するコンピュータソフトウェアなどが市販されていたから,第三者に不当な負担を強いることはない。
また,核酸分子が,塩基配列と高厳密性条件下でハイブリダイズし,かつ,その核酸分子が同一タンパク質をコードする,核酸分子に係る発明においては,ハイブリダイズするものを峻別し,かつ,有用タンパク質をコードするものを峻別するという,二重の峻別を行う必要があるが,本願発明においては,ハイブリダイズするものを峻別しさえすればよいのであり,有用タンパク質をコードするかどうかを峻別する必要がない。そのため,第三者は,自分で開発しているものが本件OB遺伝子にハイブリダイズするか否かを確かめさえすればよいのである。
そして,本願発明において,特定条件下でのハイブリダイズ実験という確認作業が必要であることは,本願発明の特許性を損なうものではない。
(4) 被告は,審決の4頁第3段落の技術常識において言及する「識別性が高い」とは,厳密性の条件下で核酸分子が本件OB遺伝子にのみ特異的にハイブリダイズし,他の遺伝子にはハイブリダイズしないことを意味するものである旨主張する。
しかし,被告のこの主張は,ノイズを有する検出手段が発明たりえないという暴論であり,到底受け入れることはできない。さらに,バイオテクノロジーにおいて要求される識別性が一つの誤りをも許さないほど厳密であることは当該分野では必要とされていない。識別性における「識別」とは,甲18(広辞苑第4版)の定義によれば,「@みわけること。・・・A〔生〕人又は動物が,質的又は量的に異なる二つの刺激を区別し得ること。」を意味するものとされているのであり,ある特定の標的「のみ」弁別するとは定義されていない。そして,本願発明における識別性は,そもそも標識によって担保されている。もし,他の物質と交叉反応が生じるのであれば,二次スクリーニングを行えばよいだけのことである。
他の遺伝子を誤認することなくある遺伝子を検出若しくは増幅する識別性というのは,「有用性」を満たすための要件とは全く関係がない。「他の遺伝子を誤認することなくある遺伝子を検出若しくは増幅する識別性」という要件は,擬陽性が少ない診断薬の開発であれば,このような識別性を要件とすることが可能かもしれない。しかし,ある診断薬に擬陽性があることは,その診断薬が使えない(有用性がない)という結論にはならない。被告が「他の遺伝子を誤認することなくある遺伝子を検出若しくは増幅する識別性」を有用性の条件として必要とするのであれば,それは,とりもなおさず,世の中のバイオテクノロジー発明・医療関連発明のすべてを特許しないと宣言することに等しく,まさしく,特許法1条の趣旨に反することになる。
他の遺伝子やゲノムの配列と相同性を有する部分であったとしても,その少数の部分と擬陽性を呈するだけである。擬陽性は,通常の検査・診断であれば,多かれ少なかれつきものである。そもそも,擬陽性が10%,20%ということも少なくない。このような擬陽性は,ハイブリダイゼーションにおいて,試験対象の核酸分子が,他の遺伝子やゲノムの配列などと偶然に一致することや,実験のバックグラウンドに起因するものであり,当業者は当然に,その存在を予測し,必要に応じて対照実験あるいは二次・三次スクリーニングを行って,擬陽性のものを排除することができるのである。なお,本願発明の核酸分子による一次スクリーニングも非常に重要で,それ自体有用性があり(甲19,20),目的の核酸分子と目的外核酸分子の両方を検出又は増幅したとしても,目的である核酸分子が含まれているから診断などに利用可能であって,十分に有用性がある。
以上のとおり,本願発明の核酸分子は,本件OB遺伝子に高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する核酸分子であって,ある程度の特異性をもって本件OB遺伝子と結合するので,本件OB遺伝子を識別することができるのである。
甲21(Journal of Endocrinology,1999年161号,511頁〜516頁,以下「甲21文献」という。)においては,21ヌクレオチド長及び19ヌクレオチド長のプライマーを用いて,標準的な条件(すなわち「高度の厳密性の条件下」でのハイブリダイズ条件)において,PCR(ポリメラーゼ増幅反応)を行って目的となる核酸分子を増幅させて生じた産物である核酸分子由来の標識を測定することによって核酸の定量を行っているが,PCR産物とプライマーとの量比が1:1の関係にあり,識別性の障害となるような擬陽性が含まれないから,「高度の厳密性の条件下」でのハイブリダイズ条件を用いた場合,検出・増幅の識別性が問題にならないことを示している。甲22(QIAGEN News,第2号,1997年,以下「甲22文献」という。)及び甲23(J. Clin.Invest.,1996年7月,98巻2号,251頁〜255頁,以下「甲23文献」という。)においては,競合的PCRにおいて定量的結果が得られたことが示されており,上記と同様に,「高度の厳密性の条件下」でのハイブリダイズ条件を用いた場合,検出・増幅の識別性が問題にならないことを示している。
また,甲13(Eppendorf BioNews Application Notes,2003年11月号5頁〜6頁,以下「甲13文献」という。)及び甲14(Bruce Alberts et al., "MOLECULAR BIOLOGY OF THE CELL, 第2版,1989年,269頁,以下「甲14文献」という。)の記載から,15マー程度の長さのヌクレオチドであれば,特異的なプローブ・プライマーとして利用できることは広く一般に知られていたということができ,特許庁作成の「標準技術集,核酸の増幅および検出,4−1 PCR法」(甲24,以下「甲24文献」という。)にも,通常,すなわち,技術常識として,15塩基(ヌクレオチド)長のオリゴヌクレオチドがプライマーとして使用されていることが記載されている。
(5) 被告は,本願発明の実施に多数回の実験を要することを理由に,実施可能要件,発明未完成及び特許法36条6項1号及び2号にいう記載要件を否定しているが,最高裁平成12年2月29日第三小法廷判決(民集54巻2号709頁)に違反するものである。すなわち,上記最高裁判決は,「植物の新品種を育種し増殖する方法」に係る発明の育種過程における反復可能性について,科学的にその植物を再現することが当業者において可能であれば足り,その確率が高いことを要しないというものであり,反復可能性がなく発明として未完成であるとの理由で特許法29条1項柱書違反をいう論旨を排斥しているが,反復可能性に関する記載は,そのまま実施可能要件を含む記載要件にも関係するから,その趣旨からして,その射程は,特許法36条の明細書の記載要件にも及ぶものというべきである。したがって,被告の主張は,反復可能性について,その確率が高いことを要しないとした上記判決に反することが明らかである。
4 取消事由4(特許法36条6項1号の記載要件の判断の誤り)
審決は,「本願の請求項1に記載の『核酸分子』は,配列番号1,3,22もしくは24のDNA分子の連続配列またはその相補鎖に,高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する,検出可能な標識のされた15ヌクレオチド以上の核酸分子であり,そこに,元のDNA分子との間で不規則な核酸配列のミスマッチを含む,長短の無数の核酸分子が含まれる」(審決謄本3頁下から第3段落)とし,「本願明細書の発明の詳細な説明においてプローブ又はプライマーとして利用できたものとして具体的に開示されている『標識核酸分子』は,ヌクレオチド数18〜40の配列番号8,9,13〜16,29〜37,39〜76,93のみにすぎない。」(同4頁下から第3段落)とした上,「わずか15ヌクレオチドの長さで検出プローブや増幅プライマーとして利用できることを本願出願人は明細書において何ら具体的に開示していない。また,これらの数十種類の標的核酸分子の結果のみで,この請求項に含まれる,元のDNA分子と配列が不規則に異なる,長短の無数の標的核酸分子が,同様にOBポリペプチド遺伝子の検出プローブまたは増幅プライマーとして使用できることを,本願出願人は明細書において具体的に説明していない。」(同段落)と説示し,本願発明が本件明細書の発明の詳細な説明に実質的に記載されているとはいえないとするが,この判断も誤りである。
特許法は,特許請求の範囲に記載するものすべての実験データを発明の詳細な説明に記載することを要求していない。同法が保護対象とする「発明」とは,同法2条に明記されるように「技術的思想」であって,個々の具体的な実験データのみを意味するものではない。要するに,同法36条6項1号が求めるのは,特許請求の範囲に記載された「技術的思想」としての「発明」が発明の詳細な説明に記載されていなければならないということであって,決して,特許を受けようとする発明の実施形態のすべての実験データが発明の詳細な説明に記載されていなければならないというものではない。
第4 被告の反論
審決の認定判断に誤りはなく,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
1 取消事由1(特許法36条6項2号の記載要件の判断の誤り)について
(1) 化学物質発明は,その利用目的を問わず,当該物質のすべての利用形態に対して権利を及ぼす,強い性質の特許権となるものであるから,まずなによりも,物質としての具体的な権利の範囲が明確でなければならない。
ところが,本願発明の核酸分子は,特定の配列との「高い厳密性の条件下でハイブリダイズする」という性質と,「少なくとも15ヌクレオチド」という長さを規定しただけのものであるので,当業者は,実験によるほかに,それが本願発明の核酸分子かどうか確かめることができず,特許請求の範囲の表現からでは,本願発明の核酸分子の意味を把握することができない。
そして,本願発明の核酸分子は,それがたとえ高い厳密性の条件下でハイブリダイズするものであっても,本件OB遺伝子そのもの及びその断片のみならず,不規則な核酸配列のミスマッチにより元の配列が変容した態様のものをも含むものである。ハイブリダイズの能力は,核酸分子全体に占める相補の塩基配列の割合に依存するものであるから,ミスマッチの位置の自由度や数の許容度は,核酸分子が長くなるにつれて大きくなる。
そうすると,本願発明に係る「核酸分子」には,その配列が元の配列又はその相補鎖とは不規則に配列の異なる長短無数の核酸分子が含まれ,その範囲にどのような配列のものが含まれるのかを,元の配列又はその相補鎖配列に基づいても当業者が具体的に把握できないことが明らかである。
(2) 本願発明の核酸分子は,本件OB遺伝子と「高厳密条件下でハイブリダイズする」という性質と,「少なくとも15ヌクレオチド」という長さを規定しただけのものであり,元の配列の部分配列のみならず,配列長に応じて許容される不特定のミスマッチを有するものも含み,長いものから極めて短いものまで,無数に近い膨大な量の核酸分子群を対象としている。本願発明の核酸分子群は,包含される核酸分子数が膨大であり,それぞれについて明確な塩基配列は示されず,それらに共通した塩基配列の特徴すら示されないのであるから,これらの核酸分子群が具体的にどのような化学物質であるかを想定することは困難である。そのため,今までに知られていた核酸分子や,これから開発される核酸分子が本願発明の核酸分子に該当するかどうかは,当該核酸分子が本件OB遺伝子に「高厳密条件下でハイブリダイズする」かどうかをいちいち実際に確かめるしかないものであり,このような手段で従来技術や本願発明とは無関係に今後開発される技術との峻別を行うことは困難である。
とりわけ本願発明は,「OBポリペプチドをコードする遺伝子配列を検出したり,増幅したりするため」の「プローブ」や「プライマー」の発明ではなく,核酸分子群という「化学物質」の発明であり,このような用途以外の「化学物質の利用」にもその権利が及ぶものであるから,用途に限定されない広い範囲で,本件出願の原出願優先日当時の技術水準との関係を把握する必要があるところ,いちいち特定条件下でのハイブリダイズ実験という確認作業を行って実際に確かめるという手法により,このような用途に限定されない広範な分野の従来技術,すなわち,今までに知られていたあらゆる核酸分子との峻別を行うことは一層困難であり,また,これにより今後の多方面の技術開発の発展の妨げにもなり得るものである。
したがって,本願発明において,対象となる核酸分子それぞれについて明確な塩基配列を示すことなく,単なる性質としてのハイブリダイズ能力と配列の長さを規定したのみでは,化学物質としての核酸分子を特定するために不十分であることが明らかである。
2 取消事由2(特許法29条1項柱書の「産業上利用することができる発明」該当性の判断の誤り)について
原告は,本願発明の核酸分子は,「高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する核酸分子」であるから,15ヌクレオチド長でも,プローブとしてもプライマーとしても有用な核酸分子である旨主張する。
しかしながら,化学物質の特許発明において,その特許請求の範囲に記載された物質は,それぞれ独立した発明として権利行使されるから,その権利の範囲に含まれる物質は全体にわたって有用性を有し,かつ,当業者が実施できるものでなければならない。したがって,本件明細書の発明の詳細な説明に記載されている特定のプライマーの組合せや一部のプローブが有用性を有し,かつ,当業者が実施できるものであったとしても,本願発明にさらに含まれる,不規則なミスマッチを有する長短無数の核酸分子群についても同様であることが示されなければ,本願発明の全体について,本件OB遺伝子を識別し,特異的に検出,増幅できるという有用性を有し,かつ,当業者が実施できるものであるとすることはできない。
ところが,原告は,それが本件OB遺伝子と高度の厳密性の条件下でハイブリダイズしさえすれば,それらのいずれの核酸分子を用いても,他の遺伝子等を誤認せず,本件OB遺伝子のみを特異的に検出し,増幅できることを示す具体的な事情を,全く示していない。
化学物質である本願発明において,含まれる核酸分子の一部に,有用で,当業者に実施可能なものがある,ということが示されているだけで,その発明の全体についてもそうであるとすることができないことは明らかである。本願発明は,結局,本願発明の核酸分子の中に,有用性を有し,かつ,当業者が実施できるものが含まれていることを示すにとどまるものとなっており,決して上述の無数の核酸分子の全体がそうであることを具体的に示すものではない。
3 取消事由3(特許法旧36条4項の記載要件の判断の誤り)について
(1) 原告は,ハイブリダイズ技術は,本件出願の原出願日当時に慣用されていた技術であり,数十の実施例があれば,当業者は,本願発明の核酸分子が使用できることを十分に理解し,本願発明を実施することができる旨主張する。
しかし,本件明細書の発明の詳細な説明において具体的な開示があるものは,たかだか数十種類の標的核酸分子のみであり,それらは,長さが最低でも18ヌクレオチドのものであるから,本願発明の特許請求の範囲に含まれ得る,長短の無数の標的核酸分子について,同様に本件OB遺伝子を検出するためのプローブ又は増幅するためのプライマーとして使用できることが,発明の詳細な説明において具体的に説明されていない。
また,原告は,本件明細書の発明の詳細な説明において,18ヌクレオチドを実際に用いた実験に関する記載があり,しかも,15ヌクレオチドを利用することについての記載があるから,本件明細書の記載に基づけば,当業者は,15ヌクレオチド長のプライマーやプローブを作製し,そして標的核酸と高い厳密性の条件下でハイブリダイズするか否かを決定することができる旨主張する。
しかし,核酸分子の長さが短いほどプローブやプライマーとして用いることが困難となることは技術常識上明らかであるから,本願発明において最短長の15ヌクレオチドの核酸分子をプローブやプライマーとして用いることが発明の詳細な説明に具体的に記載されていないのであれば,15ヌクレオチドよりも長い18ヌクレオチドの核酸分子のいくつかについて使えるものがあったからといって,それよりも短いものが開示されていることにはならない。
(2) 原告は,本件明細書の発明の詳細な説明に,プローブ,プライマーとして利用できることを示す核酸分子の具体例が一部しか記載されていないとしても,発明の詳細な説明には,特許請求の範囲に包含されるすべての核酸分子の中から,有用性のあるもののみを当業者が容易に選択することができるように記載されているから,特許法旧36条4項の記載要件を十分に満たす旨主張する。
しかし,本願発明に属すべき有用性のある核酸分子を選択しようとする当業者にとって,配列情報も位置や長さの情報も不十分な無数に近い核酸分子で構成される一群の化学物質群の中から選択しなくてはならないにもかかわらず,そのための唯一の手法が「高度の厳密性の条件下でのハイブリダイズ」するか否かの実験的手法なのであるから,その選択が「容易」であるはずはなく,本願発明が特許法旧36条4項の記載要件を満たさないことは明らかである。
(3) 核酸分子が有用なタンパク質をコードする遺伝子である場合,その塩基配列は有用なタンパク質の遺伝情報そのものであって,特定の有用タンパク質をコードするものに限定されるから,発明の明確性が実質的に失われることはない。これに対して,本願発明の場合は,それ自体に何らの遺伝情報を内包していない核酸分子群であって,その核酸分子群の有用性たるや,プローブ,プライマーとしてハイブリダイズするという,核酸分子が当然に有する性質を利用しているにすぎないことからも,その記載要件は,タンパク質をコードする遺伝子と同列には論じられない。
本願発明の対象とする核酸分子群は,本件OB遺伝子と「高厳密条件下でハイブリダイズする」という性質と「少なくとも15ヌクレオチド」という長さを規定しただけのものであり,本件OB遺伝子の部分配列のみならず,配列長に応じて許容される不特定のミスマッチを有するものも含み,長いものから極めて短いものまで,無数に近い膨大な量の核酸分子群を対象としており,それらが「高厳密条件下でハイブリダイズする」性質を有しているか否かを正確に検証しなければならないのであるから,常に,特定条件下でのハイブリダイズ実験という確認作業を要することになるのである。
すなわち,本願発明の核酸分子群は,包含される核酸分子数が膨大であり,それぞれについて明確な塩基配列は示されず,それらに共通した塩基配列の特徴すら示されないものであるから,これらの核酸分子群が具体的にどのような化学物質であるかを想定することは困難であり,したがって,今までに知られていた核酸分子やこれから開発される核酸分子が本願発明の核酸分子に該当するかどうかは,当該核酸分子が本件OB遺伝子に「高厳密条件下でハイブリダイズする」かどうかを,いちいちハイブリダイズ実験して確かめるしかないものである。
(4) 原告は,他の遺伝子やゲノムの配列と相同性を有する部分であったとしても,その少数の部分と擬陽性を呈するだけであり,擬陽性は,通常の検査・診断であれば,多かれ少なかれつきものである,このような擬陽性は,ハイブリダイゼーションにおいて,試験対象の核酸分子が,他の遺伝子やゲノムの配列などと偶然に一致することや,実験のバックグラウンドに起因するものであり,当業者は当然に,その存在を予測する,そのため,通常,当業者は,このような擬陽性を考慮して必要に応じて対照実験を行い,あるいは二次・三次スクリーニングを行って発明を実施することができる,あるいは,本願発明の核酸分子は,本件OB遺伝子に高度の厳密性でハイブリダイズする核酸分子であるから,ある程度の特異性をもって本件OB遺伝子と結合するので,本件OB遺伝子を識別することができる旨主張する。
しかしながら,審決が認定した,「OBポリペプチドのような生体成分に対応する遺伝子やゲノムの核酸配列においては,同じ生体に存在する他の遺伝子やゲノムの配列と相同性を有する部分が存在することが観察される場合があり,その配列のどこの短い配列をとっても識別性が高いというわけではないとすることが自然である。すなわち,OBポリペプチドコーディング領域やそのゲノムの配列において,OBポリペプチド遺伝子(注,本件OB遺伝子)として識別性の高い部分の遺伝子を特に選んでプローブやプライマーとして用いた場合ならばともかくとして,それぞれ2739塩基対,700塩基対,414塩基対,801塩基対もの長さを持つ配列番号1,3,22または24の遺伝子配列から,連続して一致していたとしても,たったの15ヌクレオチド長をランダムに選んだだけの核酸分子では,それがOBポリペプチド遺伝子の検出プローブや増幅プライマーとして十分機能し得ない,すなわち使用することのできないものが多く含まれると,本願優先権主張日当時の当業者は理解するのである。」(審決謄本4頁第3段落)との技術常識で言及する「識別性が高い」とは,厳密性の条件下で核酸分子が本件OB遺伝子にのみ特異的にハイブリダイズし,他の遺伝子にはハイブリダイズしないことを意味するものであるから,例えば,15ヌクレオチド程度の長さの核酸分子では,高度の厳密性の条件下で本件OB遺伝子にハイブリダイズするものであっても,他の遺伝子を誤認することなく本件OB遺伝子を検出若しくは増幅するための識別性の点では不十分であり,問題となる核酸分子が多数含まれる。本願発明には,このように識別性が問題となる核酸分子が多数含まれるのであるから,結局,本件OB遺伝子の検出プローブや増幅プライマーとして有効に使用することのできない,有用性のない核酸分子が多数含まれるという不備があるのである。
4 取消事由4(特許法36条6項1号の記載要件の判断の誤り)について
原告は,特許法36条6項1号が求めるのは,特許請求の範囲に記載された「技術的思想」としての「発明」が発明の詳細な説明に記載されていなければならないということであって,決して,特許を受けようとする発明の実施形態のすべての実験データが発明の詳細な説明に記載されていなければならないというものではない旨主張する。
しかし,上記3(1)及び(2)のとおり,本願発明は,無数に近い膨大な量の核酸分子群を対象としているのに,発明の詳細な説明において具体的な開示があるものは,たかだか数十種類の標的核酸分子のみであるから,原告の主張は,そもそも,それを裏付けるだけの十分な記載が本件明細書においてされているとはいえない。
第5 当裁判所の判断
1 本願発明について
(1) 本願発明は,本件明細書の特許請求の範囲に「配列番号1,3,22,もしくは24に記載のDNA分子の連続する配列または配列番号1,3,22,もしくは24に記載のDNA分子の相補鎖に,高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する,少なくとも15ヌクレオチドの検出可能な標識をされた核酸分子」と記載されているとおり,遺伝子関連の化学物質発明である。
(2) 本件明細書の発明の詳細な説明には,次の記載がある。
@ 「体重に影響を及ぼすと思われる非常に多くの因子のために,どの因子が,そしてより詳細にはどの恒常性機構が体重の主要な決定因子となるのか推定することができなかった。従って,本発明の基となる主要な問題は,哺乳動物の脂肪蓄積および脂肪含量の制御を可能にする体重のモジュレーターを提供することである。」(段落【0009】)
A 「従って,本発明の基となる主要な問題は,哺乳動物の脂肪蓄積および脂肪含量の制御を可能にする体重のモジュレーターをコードするDNA分子にハイブリダイズし得る検出可能な標識をされた核酸分子およびアンチセンス核酸分子,非コード領域にハイブリダイズし得る核酸,ならびにコードするヒトゲノムDNAを増幅するためのオリゴヌクレオチドプライマーを提供することである。」(段落【0010】)
B 「本発明はさらに,分子プローブまたはポリメラーゼ連鎖反応(PCR)増幅のプライマーとして用いられる核酸分子,すなわち図lA〜E(配列番号1),図2AおよびB(配列番号3),および図20A〜C(配列番号22および24)に示される配列;またはコード配列の5’および3’フランキング配列;またはゲノムDNAのイントロン配列の一部分に相当する配列を有する合成または天然のオリゴヌクレオチド,を提供する。特に,本発明は,少なくとも約10ヌクレオチドを有する核酸分子を意図し,ここでこの核酸分子の配列は,図lA〜E(配列番号1),図2AおよびB(配列番号3),および図20A〜C(配列番号22)のヌクレオチド配列中の同じヌクレオチド数のヌクレオチド配列,またはそれに相補的な配列に相当する。より好ましくは,この分子の核酸配列は少なくとも15ヌクレオチドを有する。最も好ましくは,この核酸配列は少なくとも20ヌクレオチドを有する。オリゴヌクレオチドがプローブである本発明の実施態様では,オリゴヌクレオチドは,例えば放射性核種(例えば32P)または酵素で検出可能に標識される。」(段落【0106】)
C 「核酸分子は,cDNA,ゲノムDNA,またはRNAのような他の核酸分子と,核酸分子の一本鎖形態が他の核酸分子と適切な温度および溶液イオン強度の条件下でアニールし得るときに『ハイブリダイズし得る』・・・。温度およびイオン強度の条件はハイブリダイゼーションの『厳密性(stringency)』を決定する。相同な核酸のための予備スクリーニングには,低い厳密性のハイブリダイゼーション条件(55℃のTmに相当)が使用され得る(例えば,5×SSC,0.1% SDS,0.25%ミルク,およびホルムアミドなし; または30%ホルムアミド,5×SSC,0.5% SDS)。・・・(中略)・・・高い厳密性のハイブリダイゼーション条件は,最も高いTm値に相当する(例えば,50%ホルムアミド,5×または6×SSC)。ハイブリダイゼーションには相補的な配列を含有する2種の核酸が必要であるが,ハイブリダイゼーションの厳密性に依存して塩基間のミスマッチが可能である。核酸をハイブリダイズするための適切な厳密性は,核酸の長さおよび相補性の程度に依存し,当該分野に周知の程度で変化をする。2種のヌクレオチド配列の類似性または相同性が大きければ大きいほど,それらの
配列を有する核酸のハイブリッド形成のためのTm値は大きくなる。・・・(中略)・・・長さが100ヌクレオチドを超えるハイブリッド形成にはTm算出のための方程式が導かれている・・・。より短い核酸,すなわちオリゴヌクレオチド,とのハイブリダイゼーションにはミスマッチの位置がより重要となり,そしてオリゴヌクレオチドの長さはその特異性を決定する・・・。好ましくは,ハイブリダイズし得る核酸の最小の長さは少なくとも約10ヌクレオチドである; より好ましくは,少なくとも約15ヌクレオチドである; 最も好ましくは,長さが少なくとも約20ヌクレオチドである。」(段落【0171】)
D 「本発明は,このような核酸プローブを提供し,これは本明細書中で開示される特異的な配列から容易に調製され得る。例えば,図1A〜E(配列番号1)または図2AおよびB(配列番号3)に記載される配列の少なくとも10,好ましくは15ヌクレオチドフラグメントに相当するヌクレオチド配列を有するハイブリダイズし得るプローブがある。好ましくは,フラグメントは本発明のモジュレーターペプチドに高度に特有であるように選択される。プローブに対して実質的に相同であるDNAフラグメントがハイブリダイズする。上記のように,相同性の程度が大きければ大きいほど,より厳密なハイブリダイゼーション条件が使用され得る。1つの実施態様において,低い厳密性のハイブリダイゼーション条件が相同性のモジュレーターペプチドを同定するために使用される。しかし,好ましい局面において,および本明細書中で実験的に示されるように,本発明のモジュレーターペプチドをコードする核酸は,図1A〜E(配列番号1)または図2AおよびB(配列番号3)に記載されるようなヌクレオチド配列を有する核酸,または中程度に厳密な条件でハイブリダイズし得るそのフラグメントにハイブリダイズする;より好ましくは,核酸は高い厳密性の条件でハイブリダイズする。」(段落【0176】)
(3) さらに,実施例として,段落【0330】には,配列番号8,9の核酸分子,段落【0351】には,配列番号13〜16の核酸分子,段落【0360】には,配列番号29〜32の核酸分子,段落【0386】【0387】には,配列番号34〜37の核酸分子,段落【0434】には,配列番号39〜76の核酸分子,合計50余りの核酸分子が,それぞれプライマーとして利用できたことが記載されている。
2 取消事由3(特許法旧36条4項の記載要件の判断の誤り)について
(1) 有用性と明白な識別性について
ア 一般に,化学物質の発明は,新規で,産業上利用できる化学物質(すなわち有用性のある化学物質)を提供することにその本質があると解されるが,その化学物質が遺伝子等の,元来,自然界に存在する物質である場合には,単に存在を明らかにした,確認したというだけでは発見にとどまるものであり,自然界に存在した状態から分離し,一定の加工を加えたとしても,物の発明としては,いまだ産業上利用できる化学物質を提供したとはいえないものというべきであり,その有用性が明らかにされ,従来技術にない新たな技術的視点が加えられることで,初めて産業上利用できる発明として成立したものと認められるものと解すべきである。
そして,遺伝子関連の化学物質発明においてその有用性が明らかにされる必要があることは,明細書の発明の詳細な説明の記載要領を規定した特許法旧36条4項の実施可能要件についても同様である。なぜならば,当業者が,当該化学物質の発明を実施するためには,出願当時の技術常識に基づいて,その発明に係る物質を製造することができ,かつ,これを使用することができなければならないところ,発明の詳細な説明中に有用性が明らかにされていなければ,当該発明に係る物質を使用することはできず,したがって,その実施をすることができる程度に明確かつ十分に,発明の詳細な説明に記載する必要があるからである。
イ 上記1(2)A及びBの記載によれば,本願発明は,「哺乳動物の脂肪蓄積および脂肪含量の制御を可能にする体重のモジュレーターをコードするDNA分子にハイブリダイズし得る検出可能な標識をされた核酸分子」を提供することを目的とするものであり,より具体的には,プローブやプライマーとして利用し「体重のモジュレーターをコードするDNA分子」(本件OB遺伝子)を検出,増幅することができることをその有用性とする化学物質発明というべきである。
ウ ところで,本願発明は,その特許請求の範囲の記載から明らかなとおり,「配列番号1,3,22,もしくは24に記載のDNA分子の連続する配列または配列番号1,3,22,もしくは24に記載のDNA分子の相補鎖に,高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する」(以下「本件OB遺伝子に高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する」ともいう。)という性質又は作用効果によって特定された,「少なくとも15ヌクレオチドの検出可能な標識をされた核酸分子」(以下「本件核酸分子」ともいう。)というものであり,特許請求の範囲の主要な部分が,いわゆる機能的クレームによって占められた記載となっているものである。このような機能的記載も,その機能を達成する具体的な手段が明細書に開示されている限り,許されることは当然であるが,この記載は,「本件OB遺伝子に高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する」という性質又は作用効果を有する本件核酸分子であれば,すべて,本願発明に含まれるような形になっているので,有用性の観点から,本件核酸分子の有すべき性質又は作用効果について検討しておく必要がある。
エ 本件明細書の発明の詳細な説明中の「2種のヌクレオチド配列の類似性または相同性が大きければ大きいほど,それらの配列を有する核酸のハイブリッド形成のためのTm値は大きくなる。」(上記1(2)C)との記載は,塩基配列の面からの特異的なハイブリダイズを説明しているものであり,「より短い核酸,すなわちオリゴヌクレオチド,とのハイブリダイゼーションにはミスマッチの位置がより重要となり,そしてオリゴヌクレオチドの長さはその特異性を決定する」(同段落)との記載もまた,塩基配列の長さからの特異的なハイブリダイズを説明しているものである。さらに,実施例において,合計50余りの核酸分子について,それぞれプライマーとして利用できたことが記載(上記1(3))されているが,プライマーとして利用できたものである以上,これらの核酸分子が,OB遺伝子と特異的にハイブリダイズしていることは明らかである。
オ また,甲1,28及び乙2(いずれもJ.Sambrookら著「分子生物学の標準マニュアル」1989年,以下「甲1文献」という。)の11章には,「哺乳動物ゲノムの場合,2C=3.6×109であり,14−15ヌクレオチド長のオリゴヌクレオチドがゲノムに1回だけ現れると予測される。しかし,哺乳動物ゲノムのコード配列におけるヌクレオチドの分布は,ランダムではなく・・・,したがって,ハイブリダイゼーションの特異性を増大するために,より長いオリゴヌクレオチドを使用することが賢明である。」(7頁下から第2段落)との記載が,乙1(H.Lodishら著「分子細胞生物学(上)第4版」,株式会社東京化学同人発行,2001年,以下「乙1文献」という。)には,「ハイブリダイゼーションで特定のクローンを同定するには,放射性標識した特異的なプローブが必要になる。」(198頁左欄第2段落)との記載がそれぞれあって,いずれもハイブリダイゼーションに特異性が求められることを前提とした記載となっていることが認められる。
カ 以上の事実によると,本件核酸分子が,プローブやプライマーとして利用されて,正しく本件OB遺伝子を検出,増幅するためには,本件核酸分子が,本件OB遺伝子と特異的にハイブリダイズすることが必要であるが,ここに特異的であるとは,他の遺伝子とハイブリダイズすることなく,本件OB遺伝子とのみハイブリダイズすることであり,換言すると,本件OB遺伝子に対する明白な識別性を有することを意味するものというべきである。
(2) 発明の詳細な説明の記載
ア 本願発明の発明の範囲は,その記載からして,上記「本件OB遺伝子に高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する」という性質又は作用効果によって特定される,すべての本件核酸分子に及ぶこととなり,したがって,発明の詳細な説明には,本願発明の上記性質又は作用効果を満たす,すべての本件核酸分子について,有用性,すなわち,プローブやプライマーとして利用して本件OB遺伝子を特異的に検出,増幅することができることが明らかであるように記載されていなければ,特許法旧36条4項の実施可能要件に違反することとなる。
この特異的なハイブリダイズ,換言すると,本件OB遺伝子に対する明白な識別性は,机上の理論などであってはならないから,実際に試験することによって明らかにされることが原則である。もっとも,必ずしも,特許請求の範囲に包含されるすべての本件核酸分子について,その有用性,すなわち,明白な識別性を実験により明らかにされなければならないというわけではなく,特許請求の範囲に包含される一部の「核酸分子」の有用性,すなわち,明白な識別性が発明の詳細な説明に具体的に記載されている場合であっても,その記載から,当業者において,本件出願の原出願優先日当時の技術常識を勘案し,それ以外の核酸分子についても同様の有用性,すなわち,明白な識別性が認識できる程度のものとなっていれば足りると解すべきである。
イ そこで,本件明細書の発明の詳細な説明の記載について見ると,「ここでこの核酸分子の配列は,図lA〜E(配列番号1),図2AおよびB(配列番号3),および図20A〜C(配列番号22)のヌクレオチド配列中の同じヌクレオチド数のヌクレオチド配列,またはそれに相補的な配列に相当する。」(段落【0106】)との記載,配列番号1,3,22,もしくは24の本件OB遺伝子に係る塩基配列の記載及び弁論の全趣旨によれば,本願発明の「少なくとも15ヌクレオチドの検出可能な標識をされた核酸分子」は,2739塩基対,700塩基対,414塩基対,801塩基対もの長さを持つ配列番号1,3,22又は24の各遺伝子配列からランダムに選択されるところ,その長さは,最短で15ヌクレオチド長のものから,最長で上記各遺伝子配列と同程度の長さのものが包含されることになるものと認められ,この中の本件OB遺伝子に「高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する」ものが本願発明の対象となり得る核酸分子であるが,その数は,おそらく膨大なものとなると推測される。
上記1(3)のとおり,50余りの実施例については,上記のとおり塩基配列が明らかになっており,これらの塩基配列によって化学物質を特定し,プライマーとして利用できたとしているから,当該実施例に関する限り,その塩基配列及びその有用性,すなわち,明白な識別性が明細書に開示されているということができる。
ところが,上記50余りの実施例を除いた,残りの膨大なものとなると推測される核酸分子については,上記1(2)Dのとおり,「本発明は,このような核酸プローブを提供し,これは本明細書中で開示される特異的な配列から容易に調製され得る。例えば,図1A〜E(配列番号1)または図2AおよびB(配列番号3)に記載される配列の少なくとも10,好ましくは15ヌクレオチドフラグメントに相当するヌクレオチド配列を有するハイブリダイズし得るプローブがある。好ましくは,フラグメントは本発明のモジュレーターペプチドに高度に特有であるように選択される。プローブに対して実質的に相同であるDNAフラグメントがハイブリダイズする。上記のように,相同性の程度が大きければ大きいほど,より厳密なハイブリダイゼーション条件が使用され得る。」(段落【0176】)などといった概括的な記載があるのみで,発明の詳細な説明のその余の記載部分にも,具体的な記載は見当たらない。
また,本件明細書の全体を検討し,その他本件記録から把握できる従来技術や本件出願の原出願優先日当時の技術常識を勘案しても,発明の詳細な説明において,上記50余りの実施例の結果から,当業者にその有用性,すなわち,明白な識別性が認識できる程度のものとなっているものと認めるに足りない。
(3) かえって,本件においては,以下のとおり,一部の核酸分子について,それが本件OB遺伝子との特異的なハイブリダイズを期待できない客観的な事情が存在する。
ア 通常の「15ヌクレオチド長をランダムに選んだだけの核酸分子」に関する限り,「OBポリペプチドのような生体成分に対応する遺伝子やゲノムの核酸配列においては,同じ生体に存在する他の遺伝子やゲノムの配列と相同性を有する部分が存在することが観察される場合があり,その配列のどこの短い配列をとっても識別性が高いというわけではないとすることが自然である。すなわち,OBポリペプチドコーディング領域やそのゲノムの配列において,OBポリペプチド遺伝子(注,本件OB遺伝子)として識別性の高い部分の遺伝子を特に選んでプローブやプライマーとして用いた場合ならばともかくとして,それぞれ2739塩基対,700塩基対,414塩基対,801塩基対もの長さを持つ配列番号1,3,22または24の遺伝子配列から,連続して一致していたとしても,たったの15ヌクレオチド長をランダムに選んだだけの核酸分子では,それがOBポリペプチド遺伝子の検出プローブや増幅プライマーとして十分機能し得ない,すなわち使用することのできないものが多く含まれると,本願優先権主張日(注,本件出願の原出願優先日)当時の当業者は理解するのである」(審決謄本4頁第3段落)と
の事実は,当事者間に争いがない。
上記争いのない事実によれば,少なくとも,15ヌクレオチド長をランダムに選んだだけの通常の核酸分子に関する限り,OBポリペプチドコーディング領域やそのゲノムの配列において,識別性の高い部分の配列を特に選んでプローブやプライマーとして用いるなどといったことをしない限り,本件OB遺伝子の検出プローブや増幅プライマーとして十分に機能し得ないものが多く含まれることが,本件出願の原出願優先日当時,技術常識であったものである。
そして,本願発明の実施例においても,上記1(3)のとおり,配列番号8,9,13〜16,29〜32,34〜37,39〜76の合計50余りの核酸分子がそれぞれプライマーとして利用できたことが記載されており,このうち最短ヌクレオチドは,配列番号8,29,40,45,47,49,51〜53,57,58,61,62,65〜67,69,70,73〜76の18ヌクレオチドのものであり,18ヌクレオチド長未満の核酸分子についての実施例は見当たらないのである。
イ 甲1文献の11章には,「配列が明らかにされた一本鎖オリゴヌクレオチドを含むプローブは,たいてい,以前にクローニングされたDNA領域の配列の一部に対応する。概して,そのようなオリゴヌクレオチドは,標的配列に完全にマッチするか,もしくは,ほぼ完全にマッチする。そして,それらのプローブはオリゴヌクレオチドが(19〜40塩基といった)十分な長さのとき,標的配列と他の関連配列とを区別しうるハイブリダイゼーション条件で使用できる。」(4頁第1段落),「オリゴヌクレオチドの長さが増大するにつれて,目的のゲノム中における正しい適合をみいだす確率は減少する。4L=2C(注,Lはヌクレオチド長,Cは複雑度)のとき,オリゴヌクレオチドの配列は,ゲノム中にたった1回生じると予測される。哺乳動物ゲノムの場合,2C=3.6×109であり,14−15ヌクレオチド長のオリゴヌクレオチドがゲノムに1回だけ現れると予測される。しかし,哺乳動物ゲノムのコード配列におけるヌクレオチドの分布は,ランダムではなく・・・,したがって,ハイブリダイゼーションの特異性を増大するために,より長いオリゴヌクレオチドを使用することが賢明である。例えば,そ
のオリゴヌクレオチドが,16オリゴヌクレオチド長であると,代表的な哺乳動物cDNAライブラリー(C≒107ヌクレオチド)が幸運にもそのオリゴヌクレオチドの配列と正しく適合する配列を含む確率は,10分の1である。したがって,そのプローブに対して強くハイブリダイゼーションするクローンのいずれかは,目的の遺伝子に由来する可能性が高い。」(7頁下から第2段落),「オリゴヌクレオチドが,ほぼ臨界長(典型的な哺乳類のcDNAライブラリーのスクリーニングのためには17〜18塩基である・・・)のときには,その特異性を最大にするためにオリゴヌクレオチドの長さを増やすとよい。」(8頁最終段落)との記載がある。
そうすると,「哺乳動物ゲノムの場合,2C=3.6×109であり,14−15ヌクレオチド長のオリゴヌクレオチドがゲノムに1回だけ現れると予測される。」という記載はあっても,その前後の記載をも併せて考えると,15ヌクレオチド長で特異的なハイブリダイズが十分であるとはされていないものというべきである。
ウ 乙1文献には,「ハイブリダイゼーションで特定のクローンを同定するには,放射性標識した特異的なプローブが必要になる。目的とするタンパク質をコードしている遺伝子と特異的に反応するオリゴヌクレオチドプローブは,タンパク質のアミノ酸配列が一部でもわかっていれば合成できる。プローブとして使えるオリゴヌクレオチドは,その配列が目的のクローンにだけ現れるように十分に長くなければならない。ほとんどの場合には20ヌクレオチド程度の長さのオリゴヌクレオチドであればこの条件はみたされる。」(198頁左欄第2段落)との記載がある。
エ 以上の事実を総合考慮すると,15ヌクレオチド長程度の核酸分子は,高度の厳密性の条件下で,本件OB遺伝子とハイブリダイズするとしても,別の遺伝子とハイブリダイズしたりする可能性があるのであって,この可能性を考慮すると,本件明細書の実施例において,最短で18ヌクレオチドの核酸分子がプライマーとして利用できたことが具体的に記載されていても,高度の厳密性の条件下でハイブリダイズしさえすれば,更に短い15ヌクレオチドの核酸分子についてまで,OB遺伝子の検出プローブや増幅プライマーとして利用できるとすることは,困難である。
オ 原告は,甲21文献において,21ヌクレオチド長及び19ヌクレオチド長のプライマーを用いて,標準的な条件(すなわち「高度の厳密性の条件下」でのハイブリダイズ条件)において,PCRを行って目的となる核酸分子を増幅させて生じた産物である核酸分子由来の標識を測定することによって核酸の定量を行っているが,PCR産物とプライマーとの量比が1:1の関係にあり,識別性の障害となるような擬陽性が含まれないから,「高度の厳密性の条件下」でのハイブリダイズ条件で目的の核酸分子にハイブリダイズする核酸分子を用いる場合,検出・増幅の識別性が問題にならないことを示している旨主張する。
しかし,甲21文献の内容が原告主張のとおりであるとしても,使用したプライマーは,塩基配列の明らかな特定のプライマーであるから,これをもって,塩基配列が明らかにされていない本願発明について,高度の厳密性の条件下でハイブリダイズすれば,識別性の障害となるような擬陽性が含まれない,検出・増幅の識別性が問題とならないとの結論を導き出すことができないことは明らかである。
原告は,甲22文献及び甲23文献においては,競合的PCRにおいて定量的結果が得られたことが示されており,上記と同様に,「高度の厳密性の条件下」でのハイブリダイズ条件を用いた場合,検出・増幅の識別性が問題にならないことを示している旨主張するが,上記各文献は,いずれも,どのようなプライマーを用いたPCRによって標的核酸の定量が行われたのかが明らかでなく(上記各文献の原文によると特定のプライマーを用いたPCRによって標的核酸の定量が行われたことがうかがわれる。),そうである以上,これらの証拠によって,標的核酸に高度の厳密性の条件下でハイブリダイズするものであれば,いかなる核酸分子を用いても,検出・増幅の識別性が問題となることはないと結論付けることはできない。
原告は,甲13文献及び甲14文献の記載から,15マー程度の長さのヌクレオチドであれば,特異的なプローブ・プライマーとして利用できることは広く一般に知られていたということができ,甲24文献にも,通常,すなわち,技術常識として,15塩基(ヌクレオチド)長のオリゴヌクレオチドがプライマーとして使用されていることが記載されている旨主張する。
確かに,甲13文献には,OB−RL(注,レプチンリセプター)に対するプライマー配列が,フォワードは18マー,リバースは15マーであるとの記載(5頁右欄第5段落,なお,甲13文献は2003年〔平成15年〕11月に発行された文献であって,そもそも本件出願の原出願優先日当時の技術常識を示したものとは認められない。),甲14文献には,「15〜20ヌクレオチド長」のオリゴヌクレオチドが,DNAポリメラーゼにより触媒されるインビトロDNA合成のための特異的プライマーとして役立つとの記載(269頁図5−89の説明文),甲24文献には,「PCR法で用いるプライマーは,通常15〜30塩基からなるオリゴヌクレオチドで,DNA合成機で化学合成される」との記載がある。
しかし,これらの記載は,いかなるヌクレオチド配列を増幅する際にも,15ヌクレオチドの長さがあれば有効なプライマーとして使用できるということを示したものとは認められない。すなわち,上記イ及びウで摘示した甲1文献及び乙1文献の記載並びに上記1(2)Cの「オリゴヌクレオチドの長さはその特異性を決定する・・・。好ましくは,ハイブリダイズし得る核酸の最小の長さは少なくとも約10ヌクレオチドである; より好ましくは,少なくとも約15ヌクレオチドである; 最も好ましくは,長さが少なくとも約20ヌクレオチドである。」(段落【0171】)との本件明細書の記載によれば,オリゴヌクレオチドがプローブやプライマーとして利用できるためには,検出あるいは増幅しようとする核酸分子に特異的であるために十分な長さを有することが必要であり,15ヌクレオチド長程度では特異性は十分でないことが認められ,これに,標的核酸分子の配列がその種類によって様々であることをも考慮すると,標的核酸分子に特異的であるために必要な核酸分子の長さは,標的核酸分子の配列によって変化すると考えるのが自然であり,15マー程度の長さのオリゴヌクレオチドでは,常にプローブやプライマーとして利用できると認めることは困難である。
以上のとおり,いずれの原告の主張も,上記エの判断を左右するに足りない。
(4) そうすると,本件明細書の発明の詳細な説明には,特許請求の範囲記載の構成を満たす,すべての「核酸分子」について,その有用性,すなわち,プローブやプライマーとして利用して本件OB遺伝子を特異的に検出,増幅することができることが明らかであるように記載されていなければならないところ,上記(2)のとおり,本件明細書の発明の詳細な説明において,上記50余りの実施例の結果から,当業者にその有用性,すなわち,明白な識別性が認識できる程度のものとなっているものと認めるに足りず,また,上記(3)のとおり,一部の核酸分子について,本件OB遺伝子との特異的なハイブリダイズを期待することができない,すなわち,有用性を有しないという客観的な事情が存在するのであるから,本件明細書の発明の詳細な説明が,当業者が本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものといえないことは明らかであって,特許法旧36条4項の記載要件を満たしていない。
(5) 原告のその余の主張について
ア 原告は,本件明細書の発明の詳細な説明においては,18ヌクレオチドを実際に用いた実験に関する記載があり,しかも,15ヌクレオチドを利用することについての記載がある,また,本件明細書の記載に基づけば,当業者は,15ヌクレオチド長のプライマーやプローブを作製し,そして標的の核酸と高い厳密性の条件下でハイブリダイズするか否かを決定できる,少なくとも15ヌクレオチドの核酸分子を用いる「発明」は,本件明細書の発明の詳細な説明に記載されている旨主張する。
しかしながら,本件明細書の発明の詳細な説明に18ヌクレオチドの核酸分子を実際に用いた実験に関する記載及び15ヌクレオチドの核酸分子を利用することについての記載があるからといって,そのことから,15ヌクレオチドの核酸分子を用いる「発明」が本件明細書の発明の詳細な説明に記載されているといえないことは,上記(3)エのとおりである。したがって,原告の主張は,採用できない。
イ 原告は,本願発明の核酸分子は,本件OB遺伝子に高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する核酸分子であるから,15ヌクレオチド長でも,プローブとしてもプライマーとしても有用な核酸分子である旨主張するが,この主張が採用し難いことは,上記アと同様である。
ウ 原告は,本件核酸分子が本件OB遺伝子にある程度の特異性をもって結合するものであり,仮に,他の遺伝子やゲノムの配列と相同性を有する部分であったとしても,その少数の部分と擬陽性を呈するだけであり,このような擬陽性は,ハイブリダイゼーションにおいて,試験対象の核酸分子が,他の遺伝子やゲノムの配列などと偶然に一致することや,実験のバックグラウンドに起因するものであり,当業者は当然に,その存在を予測し,必要に応じ対照実験や二次・三次スクリーニングを行って擬陽性のものを排除することができ,一次スクリーニング自体も有用であるし,目的である核酸分子と目的外核酸分子の両方を検出又は増幅した場合でも,目的である核酸分子が含まれているから診断などに利用可能で十分に有用性がある旨主張する。
しかしながら,上記(1)イのとおり,本願発明は,プローブやプライマーとして利用し「体重のモジュレーターをコードするDNA分子」(本件OB遺伝子)を検出,増幅することができることをその有用性とする化学物質発明であって,スクリーニングを行うことによって擬陽性のものを排除し,本件OB遺伝子に対する明白な識別性を確保するというものではないことは明らかである。
本件明細書の発明の詳細な説明においても,本願発明の核酸分子の有用性に関し,擬陽性のものを排除する目的で二次・三次スクリーニングを行うことを前提とした一次スクリーニングに使用することや,目的である核酸分子と目的外核酸分子の両方を検出又は増幅した場合の具体的利用方法などは記載されていない。
原告の主張は,本件明細書の記載に基づかない主張であり,失当というほかない。
エ 原告は,識別性に関して,「厳密性の条件下で核酸分子がある遺伝子にのみ特異的にハイブリダイズし,他の遺伝子にはハイブリダイズしないことを意味する」との被告の主張を論難し,被告のこの主張は,ノイズを有する検出手段は,発明たりえないという暴論であり,到底受け入れることはできない,さらに,バイオテクノロジーにおいて要求される識別性とは一つの誤りをも許さないほど厳密であることは当該分野では必要とされていない旨主張する。
しかし,上記(1)ウによれば,本願発明は,上記2(1)ウのとおり,特許請求の範囲において,「本件OB遺伝子に高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する」という性質又は作用効果を有する本件核酸分子であれば,すべて,本願発明に含まれるような形になっているところ,上記(1)カによれば,本件核酸分子が,プローブやプライマーとして利用されて,正しく本件OB遺伝子を検出,増幅するためには,本件核酸分子が,本件OB遺伝子に対する明白な識別性を有することが必要なのであるから,原告の上記主張は失当というほかない。
なお,原告の「一つの誤りをも許さないほど厳密であることは当該分野では必要とされていない」との主張は,塩基配列などによって有用性を物質構造の面からも特定している場合であれば格別,本願発明は,「本件OB遺伝子に高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する」といった機能的な構成を中心に特定しているのであるから,前者と同列に論じることはできない。
したがって,原告の主張は,採用の限りでない。
オ 原告は,@本件明細書の発明の詳細な説明に,プローブ,プライマーとして利用できることを示す核酸分子の具体例が一部しか記載されていないとしても,発明の詳細な説明には,特許請求の範囲に包含されるすべての核酸分子の中から,有用性のあるもののみを当業者が容易に選択することができるように記載されているから,特許法旧36条4項の記載要件を十分に満たす,Aある核酸分子が,本願発明の範囲に含まれるか否かを決定するために行われるハイブリダイゼーション技術は,当業者が容易に行うことができる分子生物学の基本的実験であり,何ら困難な点はない,B本件出願の原出願優先日当時においては,種々のハイブリダイズする核酸を設計するためのコンピュータ支援プログラム及びそれを実装するコンピュータソフトウェアなどが市販されていたから,第三者に不当な負担を強いることはないなどと主張する。
しかし,上記(4)で述べたとおり,本件においては,一部の核酸分子に有用性を有しないものが存在するために,本件明細書の発明の詳細な説明が,当業者が本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものといえず,特許法旧36条4項の記載要件を満たしていないというものであるから,有用性のあるもののみを当業者が容易に選択することができるか否か,ハイブリダイゼーション技術の実験が容易であるか否かなどといったこととは関係がないのであって,原告の上記主張は,いずれも失当である。
カ 原告は,「厳密性の条件下で核酸分子がある遺伝子にのみ特異的にハイブリダイズし,他の遺伝子にはハイブリダイズしないことを意味する」との被告の主張が最高裁平成12年2月29日判決に反するとも主張する。
しかし,上記判決は,「桃の新品種黄桃の育種増殖法」の発明に関するものであり,「果樹においては,各形質の遺伝構造は,形質の基になる遺伝因子が相互に影響し合い,メンデルの法則によっては解明し切れない面を有し,同一の遺伝子の構造を有する果樹を交配により再現することは,極めて低い確率でしか成立しない。しかし,遺伝子の構造が異なっても部分的には同一の形質が発現し得るから,育種過程を反復実施することにより同一の形質を有する果樹を再現することが可能である。」という事情の下で,特許法2条1項にいう発明として成立するための要件として「反復可能性」を論じ,「その特性にかんがみ,科学的にその植物を再現することが当業者において可能であれば足り,その確率が高いことを要しないものと解するのが相当である。けだし,右発明においては,新品種が育種されれば,その後は従来用いられている増殖方法により再生産することができるのであって,確率が低くても新品種の育種が可能であれば,当該発明の目的とする技術効果を挙げることができるからである。」と判示しているのであり,特許法2条1項にいう発明として成立するための要件としての「反復可能性」の論旨を,特許法旧36条4項の実施可能要件の解釈に結び付けることは困難であって,独自の見解というほかなく,採用の限りでない。
キ 原告は,その他るる主張するが,既に判示したところに照らし,すべて採用できない。
(6) 以上のとおりであって,本件明細書の発明の詳細な説明が,当業者において本願発明を実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されているものとは認められず,したがって,特許法旧36条4項に規定する記載要件を満たしていないとした審決の判断に誤りはなく,原告の取消事由3の主張は理由がない。
3 取消事由4(特許法36条6項1号の記載要件の判断の誤り)について
(1) 特許法36条6項1号の記載要件は,特許請求の範囲に対して発明の詳細な説明による裏付けがあるか否かという問題であり,上記2の同条4項の記載要件の議論とは,いわば表裏一体の問題ということができる。
本件についてみると,本願発明は,上記2(1)ウのとおり,特許請求の範囲において,「本件OB遺伝子に高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する」という性質又は作用効果を有する本件核酸分子であれば,すべて,本願発明に含まれるような形になっているところ,上記2(4)のとおり,本件明細書の発明の詳細な説明において,上記50余りの実施例の結果から,当業者にその有用性,すなわち,明白な識別性が認識できる程度のものとなっているものと認めるに足りず,また,一部の核酸分子が有用性を有しないという客観的な事情が存在するのである。
上記2(1)アのとおり,遺伝子に関する発明は,有用性が明らかにされて初めて産業上利用できる発明として認めるべきものであるのに,明細書の発明の詳細な説明に記載された有用性の明らかな核酸分子のみならず,有用性を有しない核酸分子をも包含している本願発明の特許請求の範囲は,発明の詳細な説明に記載された発明を超えるものを記載していることとなり,同条6項1号の記載要件を満たしていないことが明らかである。
(2) 原告は,特許法36条6項1号が求めるのは,特許請求の範囲に記載された「技術的思想」としての「発明」が発明の詳細な説明に記載されていなければならないということであって,決して,特許を受けようとする発明の実施形態のすべての実験データが発明の詳細な説明に記載されていなければならないというものではない旨主張する。
しかしながら,原告は,上記(1)のとおり,特許請求の範囲において,「本件OB遺伝子に高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有する」という性質又は作用効果を有する本件核酸分子であれば,すべて,本願発明に含まれるという形の「技術的思想」としての「発明」について特許を求めているのである。
そもそも,本願発明は,本件核酸分子が塩基配列などによって物質構造の面から特定されていないため,発明の外延が不明りょうとなりかねないという問題を含んでいるのであり,あえてそのような形で特許出願をしている以上,本件明細書の発明の詳細な説明には,特許請求の範囲記載の構成を満たす,すべての「核酸分子」について,その有用性,すなわち,プローブやプライマーとして利用して本件OB遺伝子を特異的に検出,増幅することができることが明らかであるように記載されていなければならないというほかない。なお,特許を受けようとする発明の実施形態のすべてについて実験データを求めているのでないことは,上記2(2)アのとおりである。
また,原告は,取消事由2に関する主張(第3の2(3))中ではあるが,たとえ,15ヌクレオチド長をランダムに選んだだけの核酸分子の中に,高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有しないために,プローブやプライマーとして十分機能し得ないものがあったとしても,そもそも,そのような分子は,高度の厳密性の条件下でハイブリダイズする能力を有しないのであるから,特許請求の範囲から当然に除かれる旨主張する。
しかしながら,上記2(3)エに判示したとおり,実験をしてみなければ当該発明かどうかが分からず,特定条件下でのハイブリダイズ実験という確認作業を必要とするというのであれば,当該発明は,発明の詳細な説明に記載されているといえないのであり,実験の結果,有用性,すなわち,明白な識別性がないことが判明したならば,それは本願発明の発明の範囲から除かれるという原告の主張は,本願発明の外延が不明確であることを自認するに等しく,失当というほかない。
(3) したがって,本願発明の特許請求の範囲の記載が特許法36条6項1号に規定する要件を満たしていないとした審決の判断に誤りはなく,原告の取消事由4の主張も理由がない。
4 そうすると,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がないことに帰するから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第1部
裁判長裁判官 篠 原 勝 美
裁判官 青 柳 馨
裁判官 宍 戸 充